連邦系の識別信号が入った。
その一言で、ブリッジの空気は一瞬だけ軽くなった。けれど、すぐにまた重くなる。敵の勢力圏内で拾った味方の信号ほど、ありがたくて怖いものもない。救いかもしれないし、罠かもしれない。宇宙世紀、親切そうな顔をして殴ってくる展開が多すぎる。
「識別を確認しろ。まだ味方とは限らん」
ブライトさんの声は硬かった。
「暗号パターン、照合継続。補給部隊用の短距離識別と一致率八割を超えています」
「応答は」
「可能です。ただし、長く開けば敵にも拾われる可能性があります」
ミライさんが地形図を指でなぞる。現在位置、接触候補地点、敵の索敵波が入った方角。ホワイトベースの巨体をどこへ動かせば、味方と会えて、敵に見つかりにくいか。言葉にすると簡単だが、実際には砂地の上で巨大な宇宙空母を隠すようなものだ。無茶にもほどがある。
「この低地を抜ければ、短時間だけ開けた場所へ出られます。補給部隊がこちらへ寄っているなら、そこで接触できます」
「長居はできないな」
「はい。補給を受けるなら、時間との勝負になります」
ブライトさんが短く頷く。
「こちらホワイトベース。補給要請を送った艦です。識別を求める」
通信士が返答を待つ。ノイズが走り、途切れかけた声が入った。
『……こちら連邦軍第136連隊所属、補給部隊。ホワイトベース、応答してください。こちらマチルダ・アジャン中尉です』
マチルダ・アジャン。その名前を聞いた瞬間、胸の奥で何かが小さく跳ねた。
俺が知っている流れなら、ホワイトベースにとって大きな支えになる人だ。弾薬や水だけではなく、今のこの艦に足りない「まともな大人の軍人」を持ってくる人でもある。もちろん、ここで会えたからといって全部助かるわけじゃない。補給は魔法じゃない。足りないものを少しだけ戻す作業だ。それでも、その少しがなければ普通に詰む。原作知識、今回はその通りに進んでくれて本当に助かった。
「こちらホワイトベース。識別確認。接触地点を送ります」
ブライトさんは表情を崩さなかったが、声の奥にわずかな安堵が混じっていた。ホワイトベースは低く進路を変える。砂煙を上げながら岩場を抜け、開けた場所へ出る。やがて、地平の向こうからミデア輸送機と補給車両の隊列が見えた。連邦のマーキング。簡易迷彩。重そうなコンテナ。見ているだけでありがたい。今なら補給コンテナに後光が差して見える気がする。
「敵影は」
「現在確認できません。ただし、ジオン系の索敵波は断続的に入っています」
「時間をかけるな。補給開始するぞ」
ホワイトベースと補給隊が接触すると、艦内の空気が目に見えて動いた。整備員が走る。荷役用の小型車両が出る。リュウさんが腕を振って作業員を割り振り、カイさんが文句を言いながら弾薬箱を運ばされている。
「補給部隊様々だね。敵より先に来てくれただけで拝みたいくらいだ」
「なら、手も動かしてください」
「動かしてるだろ。水と飯が来るなら、俺は何でも手伝いますよ。たぶん」
「たぶんを外してください」
「そこまで忠誠心は高くねえんだよ」
そう言いながらも、カイさんはちゃんと運んでいる。文句は多いが、動かないわけではない。むしろ文句を言いながら動く分、かなり分かりやすい。ツンデレかな。いや、今はそういう分析をしている場合ではない。
補給隊の指揮官が、ブリッジへ上がってきた。
マチルダ・アジャン中尉。落ち着いた声と、無駄の少ない動き。若いブライトさんより少し上に見えるだけなのに、艦に入った瞬間から周囲の視線が自然に集まる。階級や肩書きだけではない。現場を見て、今何が必要かを判断できる大人の空気があった。
「第136連隊所属、マチルダ・アジャン中尉です。レビル将軍の命令で、ホワイトベースへの補給と現状確認に来ました」
レビル将軍。ここでその名前が出るのか。
ブライトさんがわずかに姿勢を正した。
「レビル将軍が、我々を?」
「はい。ホワイトベースおよび搭載モビルスーツについて、現時点で編制変更の指示はありません。現状のまま戦闘を継続。可能な限りジャブローへ向かってください」
「我々は、正式な部隊として扱われるのですか」
ブライトさんの声には、安堵よりも戸惑いがあった。
「自分はまだ、正式な艦長ではありません。乗員には民間人も多い。パイロットも……」
ブライトさんの視線が一瞬、俺とアムロの方へ向く。
「それでも、戦闘を継続せよ、ということですか」
マチルダさんは、少しだけ目を伏せた。
「正式な編制整理は、ジャブロー到着後になるでしょう。ですが、レビル将軍はあなた方を補給対象の実戦部隊として見ています。あなたが指揮を執ってここまで来た。その事実も報告されています」
「実戦部隊……」
「今は、形式よりも戦況が優先されています。不本意な形なのは分かります。ですが、戦える艦を止める余裕は連邦にもありません。だからこそ、補給します。戦い続けるために」
見捨てられてはいない。少なくとも、ホワイトベースは補給する価値のある部隊として見られている。それは救いだ。でも、救いだけじゃない。戦えるなら戦え。今のまま、白いガンダムも黒いガンダムも使え。そう言われたのと同じだった。
ブライトさんが唇を結び、それから頷いた。
「了解しました。ホワイトベースは、現状のままジャブローを目指します」
マチルダさんも頷く。
「戦闘記録のコピーを提出してください。特に白いガンダムと黒いガンダムの運用データは重要です。ガンキャノン、ガンタンクの実戦データも含め、レビル将軍へ届けます」
その言葉に、俺は思わず黒いガンダムを思い出した。白い方はともかく、黒い方まで正式に記録に残る。もう予備機とか、偶然乗ったとか、そういう逃げ道は薄くなっていく。RX-78-1も、俺も、戦力として数えられ始めている。それは必要なことだ。でも、だいぶ嫌な必要だった。
ジョブ・ジョンや整備班が戦闘ログを引き出し、補給隊の記録担当が端末を接続する。アムロのRX-78-2の地上戦適応データ。俺のRX-78-1の右脚応答遅延と、その補正ログ。ヒートホーク鹵獲運用の簡易記録。ガンキャノンとガンタンクの砲撃支援データ。整備班の端末に、コピー進行を示す表示が流れていく。黒いガンダムが、完全に連邦の資料に載る。それを見て、胸の奥が少しだけ冷えた。
「ずいぶん無茶な降下をしたようですね」
マチルダさんはブリッジを見回し、損傷表示と人員状況を確認した。
「こちらも、好きで無茶をしたわけではありません」
ブライトさんが硬く答える。
「分かっています。責めているわけではありません。補給は行います。ただし、こちらにも積載量と時間の限界があります」
「推進剤、弾薬、修理部品、水、医療品、食料を優先願います。避難民は約百二十名。重傷者、病人、高齢者、幼い子ども連れの後送を希望します」
「百二十……」
マチルダさんが一瞬だけ目を細めた。驚きはあったが、声は乱れない。
「全員の後送はできません。こちらで後送できるのは三十名前後です。優先順位を決めてください」
「分かっています。全員は無理でも、艦の負担を減らせるだけで違います」
セイラさんが医療区画から資料を持って上がってきた。
「重傷者三名、病人八名。高齢者と幼い子ども連れを加えて三十名前後。全員を降ろせないなら、治療継続が難しい者を先に。よろしいですか?」
「受け入れ可能な範囲で調整します。全員は無理です。ですが、三十名でも艦の負担は確実に減ります」
マチルダさんはすぐに答えた。優しい言い方ではない。けれど、曖昧に希望を見せるよりずっといい。
俺は補給リストを確認しながら口を挟んだ。
「塩は多めにお願いします。避難民が多いですし、地上は暑い。体調を崩している人もいます」
マチルダさんの視線がこちらへ向く。
「あなたは?」
「レン・イズミです。ガンダム1号機のパイロットをしています」
一瞬だけ、マチルダさんの視線が止まった。子どもが、黒いガンダムのパイロットだと言っている。普通なら変な顔をされても仕方がない。というか、されない方がおかしい。
「……あなたが、黒いMSの」
「たぶん、それです」
「たぶん?」
「誰が何と呼んでいるかは、正確には分からないので」
マチルダさんは少しだけ表情を緩めた。それから、補給リストへ視線を戻す。
「塩を多めに、というのは?」
「味の問題だけじゃありません。汗をかくし、熱を出している子どもや高齢者もいます。水と医療品はもちろんですが、塩も軽く見ない方がいいです。人間を乗せている艦なので」
マチルダさんは短く頷いた。
「分かりました。水、医療品、食料、塩……人を乗せている艦なら当然の要求です。あなたたちは、戦艦である前に避難民を抱えた船でもあるのですから」
その言葉に、少しだけブリッジが静かになった。戦艦である前に、避難民を抱えた船。言われてみれば当たり前だ。けれど、当たり前を言葉にしてくれる大人がいるだけで、艦の空気は少し変わる。
補給作業はすぐに始まった。推進剤。MS弾薬。艦砲弾薬。対空火器弾薬。ビームライフル関連の管理部材。修理部品。冷却材。予備工具。水。食料。医療品。塩。毛布。簡易寝具。並んだコンテナを見て、整備班の顔色が少しだけ戻る。ジョブ・ジョンはヒートホーク用の仮保持具を見せながら、補給隊の整備員と何やら相談していた。
「こんなの正式装備じゃないからな」
「分かってる。でも持てるようにはして」
「言い方がひどい」
「現場はもっとひどいです」
アムロは白いガンダムの近くで、マチルダさんと向き合っていた。少し背筋が伸びている。分かりやすい。
「アムロ・レイです。ガンダム2号機のパイロットをしています」
「あなたが白いガンダムの」
「はい。補給、ありがとうございます」
「地上戦は大変でしょう」
「まだ慣れていません。でも、やります」
マチルダさんは、アムロの顔を見て少しだけ目を伏せた。少年兵を見る大人の顔だった。
「無理をしすぎないように、と言いたいところですが、あなたたちにそれを言える状況ではありませんね」
アムロは返事に詰まった。俺は横から小さく言う。
「ああいう大人が来ると、艦の空気が少し変わるな」
アムロが俺を見る。
「……あの人、すごく落ち着いてる」
「うん。だから余計に、無茶を押しつけすぎちゃ駄目だ。補給部隊だって安全じゃない」
アムロは少しだけ頷いた。
一方、避難民の後送は淡々と、けれど重く進んだ。フラウが子どもたちの肩を押さえながら、泣きそうな子をなだめている。
「大丈夫。先に安全なところへ行くだけだから。お水もお薬も、向こうでちゃんともらえるからね」
「フラウ姉ちゃんは?」
「私はまだこっち。カツ、レツ、キッカも一緒よ。離れないで」
その言葉に、キッカがフラウの服を掴んだ。フラウは笑おうとして、少し失敗した。
後送される老人が、何度も頭を下げていた。重傷者は担架で運ばれる。熱を出した子どもを抱えた母親が、補給隊の兵士に支えられながら輸送機へ向かう。残る家族が手を振る。泣く暇も、きちんと別れを言う暇もない。時間がないからだ。全員は無理。でもゼロよりは全然いい。三十人前後でも、その分だけ水と薬と寝床が空く。降りる人にとっても、残る人にとっても、意味がある。救える範囲を広げる。今できるのはそれだけだった。
ハヤトは弾薬箱を運びながら、その光景を見ていた。
「……あの子たち、降りられるんだな」
「全員じゃないですけどね」
「でも、降りられる人はいる」
ハヤトはガンタンク用の弾薬箱を抱え直した。
「僕が艦の近くを空けなかったの、少しは意味があったのかな」
「かなりありました」
今度は、たぶんを付けなかった。
補給作業が終わる頃には、ホワイトベースの中が少しだけ変わっていた。物資が入った。医療品が増えた。水の配分に少しだけ余裕ができた。塩も入った。避難民は約百二十人から、九十人台まで減った。それでも、広くなったわけではない。十分になったわけでもない。足りないものはまだ山ほどある。けれど、数時間前よりは息ができる。
通信士が顔を上げた。
「ジオン系索敵波、増加しています。距離はありますが、こちらの周辺を探っている可能性があります」
ミライさんが即座に答える。
「この地点に長居はできません」
マチルダさんも頷いた。
「こちらも離脱します。補給部隊が捕捉されれば、次の補給ができなくなります」
ブライトさんは一瞬だけ唇を結び、それから命じた。
「補給作業終了後、ただちに移動する。マチルダ隊の離脱を確認しつつ、こちらも進路を変える」
「了解」
マチルダさんが俺たちを見た。
「ホワイトベースは、まだ敵勢力圏内です。補給はしましたが、これで安全になったわけではありません」
「分かっています」
ブライトさんが答える。
俺も窓の外を見た。輸送機が離れていく。補給コンテナの空箱、砂埃、遠ざかる連邦の機影。救いは来た。けれど、救いはここに留まってはくれない。補給は命綱だった。けれど、命綱は戦場から引き上げてくれる縄ではない。
水も弾も薬も入った。人も少しだけ降ろせた。そしてホワイトベースは、正式に戦う艦として数えられた。それでも俺たちはまだ、ガルマ・ザビの庭の中にいた。