黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第35話 黒い悪鬼

 シャアは、煙を引きながらビルの向こうへ消えた。追いたい。正直追いたい。相手はシャアだ。ここで足を止められるなら、後の面倒がかなり減る。いや、かなりどころじゃない。宇宙世紀のトラブル製造機を一回ここで叩けるなら、今後の面倒の大半が消えるんじゃないかと思わなくもない。

 

 だが、背後でドームが揺れた。爆発の光が、割れた外壁の隙間から漏れる。ホワイトベースの巨体が、隠れ場所だったはずのドームから押し出されるように動き始めていた。白いガンダムが正面に出て、ドップの機銃とザクの射撃を受けながらビルの間を走る。追っている場合じゃない。

 

「レン、聞こえるか」

 

 ブライトさんの声が入った。

 

「聞こえてます。赤いのは撤退。こっちは戻ります」

 

『戻れ。これ以上は隠れられん。ドームを出る』

 

「了解」

 

 通信の向こうで、リュウさんの怒鳴り声が混じる。

 

『砲座、焦るな! ブリッジの合図を待て! 撃てるやつから撃つな、狙えるやつから撃て!』

 

 あの声があるだけで、艦内の空気が少し持つ。たぶんブライトさんも助かっている。もちろん俺も助かっている。怒鳴り声というのは、ちゃんとした人が使うと頼もしいものらしい。うるさいだけの人とは違う。いや、うるさくはあるけど。

 

 ドームの外壁が崩れ、白い艦体が瓦礫を押しのけるように前へ出る。隠れていたというより、もう隠れている場所が壊れた。こうなると、あとは走るしかない。

 

『アムロ、正面を頼む。ホワイトベースを動かす時間を稼げ』

 

「やってます!」

 

 アムロの返事は短い。余裕はない。だが、声は折れていなかった。白いガンダムがザクの射線を引き受ける。ビームライフルの一撃が敵の足元を砕き、次の瞬間には盾でドップの機銃を受け流す。正面から敵の目を集める動きだ。囮でもあり、主力でもある。役割が重すぎる。仕事を盛られすぎでは。

 

『市街地から出たら今度は空からお出迎えかよ。サービス悪いな!』

 

 カイさんの声と一緒に、ガンキャノンの砲声が響いた。砲弾がビルの上を抜け、低空のドップを散らす。

 

『くそ、当たれよ。こっちは素人なんだぞ!』

 

「カイさん、素人は普通ガンキャノンに乗りません」

 

『うるせえな! 乗せられてんだよ!』

 

 こういうやり取りができるなら、まだ大丈夫。たぶん大丈夫。

 

 ハヤトのガンタンクは、ホワイトベースの足元を守っていた。派手さはない。だが、ビルの影から出ようとしたザクに砲撃を合わせ、進路を潰している。

 

『艦の近くは空けません。見えない場所は多い。でも、撃てるところは撃ちます』

 

「助かる。ハヤト、そのまま艦の影を見て」

 

『分かってます。レン、行ってください。こっちは持たせます』

 

 ハヤトがそう言った。ほんの少し前なら、たぶん出なかった言葉だ。怖くないわけじゃない。声は硬い。でも、逃げる声じゃない。ホワイトベースの周りを守る。それを自分の役割として掴み始めている。なら、俺も自分の役割をやる。

 

 センサーが低いエンジン音を拾った。ドップより重い。ザクより広い。画面の奥、崩れたビルの向こうに、巨大な影がゆっくり近づいてくる。ガウだ。後方にいたはずのガウ攻撃空母が、前に出てきている。

 

「いや、出てくるなよ。そこは普通に下がっててくれ」

 

 思わず口に出た。俺が知っている流れなら、ガルマが死ぬ場面が近い。だが今回は、シャアの罠として形が整っているわけではないはずだ。シャアはもう撤退した。今、前に出てきているのは、ガルマ本人の判断のはずだ。若い司令官が、自分の責任感と功名心とザビ家の意地で、ホワイトベースを討ちに来ている。これだから坊やって言われるんだ。

 

 騙されているなら、騙しているやつを潰せばいい。さっきまでのシャアみたいに。だが、自分で前に出てくる相手は止めるしかない。殺さずに。言うのは簡単だ。やるのは無理ゲー寄りだった。

 

『レン、何か言ったか』

 

 ブライトさんが拾った。

 

「ガウが前に出てきています」

 

 一瞬、通信が静まった。

 

『どうにかできるか?』

 

「なんとかします」

 

『頼む』

 

 黒いガンダムをガウの方へ向ける。アムロが正面を受けている。白いガンダムが敵の目を集め、ザクの射線を引き剥がす。カイさんのガンキャノンが低空のドップを散らし、ハヤトのガンタンクが艦の足元を守る。ホワイトベースの砲座も撃ち返している。みんなが戦場を持たせている。なら、俺は前へ出る。

 

「1号機、頼むから今日だけは機嫌よく動いてくれよ」

 

 警告表示はすでに多い。右脚、左腕、ライフル熱量、装甲損耗。うん、知ってる。知ってるけど今じゃない。苦情はあとでまとめてジョブに提出してくれ。俺も一緒に怒られるから。

 

 黒いガンダムを低く走らせた。ビル影から出た瞬間、ドップが二機、こちらへ機銃を向けてくる。速い。

 

「邪魔だ」

 

 ライフルを短く撃つ。一機は避けた。もう一機は進路を崩して上へ逃げる。撃墜じゃない。今はそれでいい。進路が空けば十分だ。

 

 次にザクが出てきた。マシンガンを構えて、道路の向こうから撃ってくる。

 

「お前も邪魔」

 

 盾で受ける。長く受けたら左腕が死ぬ。だから受けるのは一瞬だけ。右脚の遅れを逆に使い、機体を低く沈める。弾が頭上を抜ける。そのまま踏み込んで、ヒートホークで銃身を叩き折った。ザクが後退しようとする。遅い。肩で押し込み、膝で崩して、瓦礫へ叩き込む。戦闘不能。十分。今は一機一機に付き合っている暇がない。

 

 ガウの影が大きくなる。低いエンジン音が腹に響く。でかい。近い。正直、めちゃくちゃ怖い。あんなものにMSで近づくとか、普通はやらない。普通はやらないことをやっている時点で、俺もだいぶ宇宙世紀に染まってきている。

 

 通信にノイズが混じる。

 

『黒いMS、接近!』

『止めろ、ガウへ近づけるな!』

『白い方だけではない、黒い方も――』

 

 さらに別の声が入った。

 

『何だ、あの黒いMSは……』

 

 ガルマか。分からない。確定はできない。でも、あのガウに乗っているなら、たぶん見えている。なら、見せてやる。

 

 白いガンダムとは違う。正面から撃ち抜くのではなく、近づいて壊す。止めようとしても、影から出てくる。撃っても沈んで避ける。ザクを倒し、ドップを散らし、砲座を潰して、ガウへ迫る。怖がってくれ。いや、怖がらせたいわけじゃない。正直そこは趣味じゃない。でも、ここで怖がってもらわないと困る。次から前に出すぎるなよ、ガルマ・ザビ。

 

 ガウの対空火器がこちらを向いた。

 

 道路が爆ぜる。瓦礫が跳ね、黒いガンダムの装甲を叩く。衝撃で視界が揺れ、右脚の警告が増える。

 

「はいはい、あとで謝るから今だけ働いて!」

 

 崩れた高架の影へ滑り込む。砲火がそのすぐ後ろを削った。怖い。普通に怖い。巨大航空機の砲口に見られる。

 

 ガウの翼下。武装ポッド。側面砲座。推進部。コックピットの位置。狙う場所を間違えれば燃える。燃えたら爆ぜる。爆ぜたら終わり。コックピットは駄目。燃えそうな場所も駄目。翼、推進部、武装、制御系。墜とすんじゃない。落とすんじゃない。いや、言葉にすると同じに聞こえるけど違うんだよ。墜落させずに戦闘不能にする。無理ゲーにもほどがある。

 

 でも、無理ゲーだからやらないで済むなら、そもそも俺はガンダムに乗っていない。

 

 ビームライフルを構える。連射はできない。狙い直す余裕も少ない。照準の中で、ガウの翼付け根の外側が揺れる。推進制御の補助ライン。深く撃ちすぎるとまずい。浅すぎると効かない。いっそ部位破壊ゲージを出してほしい。現実は不親切だ。

 

 一発。

 

 ビームが走り、ガウの片側推進部が火を噴いた。爆発は小さい。よし。いや、よしと言っていい場面か分からないけど、とりあえず大爆発ではない。ガウが傾く。まだ飛んでいる。

 

「もう一つ」

 

 ドップが割り込んでくる。邪魔。

 

 白いガンダムの射撃が、そのドップを散らした。

 

『レン、今!』

 

 アムロの声。

 

「助かる!」

 

 黒いガンダムを前へ出す。ザクが横から撃ってくる。盾で弾き、ヒートホークで腕を落とす。対空砲がこちらへ回る。ヒートホークを捨て、ビームサーベルを短く抜いて、台座ごと斬った。

 

 二発目。

 

 翼の制御面が裂ける。ガウが大きく傾いた。だが、まだ姿勢を戻そうとしている。さすがガウ。でかいだけじゃない。しぶとい。ライフルが熱警告を出した。

 

「くそ」

 

 なら、近づくしかない。黒いガンダムが瓦礫を蹴る。崩れたビルの側面へ脚をかけ合わせてブーストを吹かし無理やり高度を稼ぐ。やっていることはかなり雑だ。だが、雑でも届けばいい。右脚がまた文句を言う。あとで聞く。今は黙って。

 

 ガウの側面が近づく。でかい。怖い。近い。

 

「ビームサーベル、出力短め!」

 

 誰に言っているのか分からない。でも言った方が落ち着く。サーベルを振る。狙いは側面砲座と姿勢制御系の外装。深く入れすぎない。燃料へ届かせない。黒いガンダムの右腕に衝撃が走る。

 

 ガウが大きく傾いた。

 

 よし。いや、よくない。でも、爆ぜてはいない。

 

 ガウは煙を引きながら、市街地外縁の開けた場所へ降りていく。機体腹部が地面を擦り、翼が砕け、土煙が上がる。最後に大きく跳ね、ずるずると滑り、ようやく止まった。爆発は小さい。大爆発ではない。ガウは燃えながらも、爆ぜなかった。

 

 俺はそこでようやく息を吐いた。いつから止めていたのか分からない。コックピットの中が急に暑く感じる。

 

「ブライトさん、ガウ不時着。周辺の敵がそちらへ寄っています」

 

『了解。全機、ホワイトベース周辺へ戻れ。今のうちに離脱する』

 

「了解」

 

 敵の動きが変わった。ドップがホワイトベースへの攻撃を緩め、不時着したガウの周囲へ回る。ザクも後退する。救助部隊らしき反応。脱出艇らしき熱源。ザビ家の末弟を助ける。そりゃそうだ。ガルマはザビ家だ。ホワイトベースを追うより、まず助ける。ジオン側の判断としては正しい。こっちとしても助かる。

 

 砲座側の回線で、誰かが追撃を確認しかけた。

 

『艦長、敵が下がります』

 

『追うな。今は離脱が優先だ』

 

 ブライトさんの声は即答だった。その判断でいい。俺も追わない。追えば落とせるかもしれない。今の混乱なら、たぶん落とせる。でも、それをやったらここまで無茶した意味がない。いや、意味とか以前に、こっちも限界だ。右脚は警告を出しっぱなし。左腕も怪しい。ライフルも限界寸前。装甲はへこんでいる。心も削れている。

 

 ホワイトベースが市街地を抜ける。ガンキャノンが最後に牽制を撃ち、ガンタンクが艦の後ろを守る。白いガンダムが敵の視線を引きながら後退してくる。アムロの動きは荒くなっていたが、それでも崩れない。

 

「アムロ、戻れるか?」

 

『戻る。そっちは』

 

「生きてるよ。1号機はあとで整備班に怒られます」

 

『それはいつものことだろ』

 

「否定できないのがつらい」

 

 少しだけ笑えた。笑えるなら、まだ大丈夫。たぶん。

 

 ホワイトベースが加速する。後方で、不時着したガウから煙が上がっていた。敵は追ってこない。追えない。護衛は救助に回っている。こちらも追わない。追えない。

 

 俺が知っていた流れは、そこで折れた。ガルマ・ザビは死ななかったはずだ。

 

 こっちはもう弾も装甲も心も削れている。誰も無傷じゃない。市街地はさらに壊れた。ガウも落ちた。死んだ兵士だっている。きれいな救済なんて、たぶんどこにもない。

 

 でも、ガルマは死ななかったはずでシャアは逃げた。そして、黒いガンダムはジオンに強く刻まれた。

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