黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第36話 西へ

 市街地を抜けても、安心できるわけじゃなかった。敵の追撃は弱まった。けれど、それは俺たちが強かったからというより、向こうがガルマ救出に回ったからだ。つまり、こっちが助かった理由もだいぶギリギリである。勝っても気持ちよく帰らせてくれない。

 

 ホワイトベースの艦内は、勝利の空気どころではなかった。警報は鳴りっぱなし。通路では負傷者を運ぶ声が飛び交い、砲座側では損傷報告が続いている。格納庫ではMSを受け入れる準備で、誘導灯が忙しく点滅していた。戦闘が終わった、というより、今すぐ沈む危険だけが少し遠ざかっただけだ。

 

『黒いガンダム、収容位置へ。姿勢を落とせ。右脚、かなり来てるぞ』

 

「知ってます。さっきから本人より自己主張が強いので」

 

『冗談を言えるならまだ動けるな』

 

「冗談で動いてるわけじゃないですけどね」

 

 黒いガンダムを格納庫へ入れると、足元の固定具が噛んだ。機体が止まった瞬間、体の力が抜けかける。危ない。まだ降りてない。ここでぐったりしたら、誰かに引きずり出される。いや、引きずり出されるだけならまだいい。あとで絶対にからかわれる。

 

 コックピットを開けると、熱い空気が抜けた。外の匂いは、オイルと焼けた装甲と消火剤だった。あまり帰ってきた感じのしない匂いだ。まあ、この艦で「帰ってきた」と感じるようになっている時点で、だいぶ感覚はおかしい。

 

 白いガンダムも戻ってきた。アムロの機体もひどい。盾は焼け、装甲のあちこちに弾痕がある。正面を受け続けていたのだから当然だ。むしろ、あれで動いて戻ってくる方がおかしい。アムロがコックピットから降りてきた。顔色は悪い。けれど、目はまだちゃんとしていた。

 

「戻ったのか」

 

「なんとか。そっちも戻れてよかったよ」

 

「さっきの、無茶だっただろ」

 

「俺もアムロに人のこと言えないって言おうとした」

 

 アムロは少しだけ目を細めた。

 

「確かに僕も人のこと言えないけど」

 

「じゃあ、お互い様ということで」

 

「そういうことにしていいのか」

 

「今は生きて帰ったことを褒める時間にしよう。反省会を始めたら、たぶん朝まで終わらないから」

 

 アムロは何か言いかけて、やめた。聞きたいことはあったのだと思う。ガウのどこを狙ったのか。なぜああいう壊し方をしたのか。けれど、今はそれを問い詰める時間じゃないと判断したのだろう。ありがたい。説明しようとしても、うまく言える気がしない。

 

 ガルマは死ななかった。たぶん、それで俺が知っていた流れは折れた。けれど、全部が良くなったわけではない。敵も味方も傷ついた。市街地も壊れた。俺がやったのは、きれいな救済なんかではない。ザビ家の末弟が死ぬ未来を避けたかもしれない。それだけだ。それが本当に正解かどうかなんて、今の俺に分かるわけがない。

 

「レン」

 

 カイさんの声がした。ガンキャノンから降りてきたカイさんは、足取りが少しふらついていた。顔には疲れが出ているのに、口だけはちゃんと動いている。ある意味すごい。

 

「勝ったって言っていいのか、これ。こっちは生きてるだけで精いっぱいなんだけどな」

 

「生きてるならかなり勝ち寄りじゃないですか」

 

「寄りってなんだよ、寄りって。勝ちは勝ち、負けは負けでいいだろ」

 

「じゃあ、勝ったけどしんどい、で」

 

「それが一番腹立つな。合ってるけど」

 

 ハヤトもガンタンクから降りてきた。カイさんほど大きなことは言わない。けれど、顔つきは前より少しだけ変わっていた。

 

「艦の近くは、なんとか空けずに済みました」

 

「見てた。助かったよ」

 

「全部は見えませんでした。でも、撃てるところは撃ちました」

 

「それで十分。というか、それが一番大事だったと思う」

 

 ハヤトはすぐに返事をしなかった。言われ慣れていない顔だった。自信満々ではない。でも、逃げるための沈黙でもない。

 

「……次も、ここを守ります」

 

 その言葉は小さかったが、ちゃんと聞こえた。

 

 リュウさんが格納庫に顔を出した。

 

「カイ、ハヤト、よく持たせた。レンもアムロも、立ってられるならまず水飲め。倒れるなら報告してからにしろ」

 

「倒れるのに報告がいるんですか」

 

「いる。勝手に倒れられると邪魔だ」

 

「ひどい」

 

「ひどくても水は飲め」

 

 リュウさんに押しつけられた水を飲む。ぬるい。だが、喉がそれを文句なしに受け入れた。体は正直だ。精神が「まだいける」と言っても、体は「もう無理」と言っている。二人で会議しないでほしい。

 

 ブリッジでは、ブライトさんが勝利確認より先に損傷報告を集めていた。

 

「損傷報告を急げ。追撃が弱まっている。今のうちに距離を取る」

 

『第二砲座、冷却系に異常』

『左舷外板、損傷拡大。応急処置中』

『負傷者、医療区画へ搬送中』

『MS弾薬、残数確認中』

 

 ミライさんの声が続く。

 

「敵の索敵波が乱れています。救助と再編に回っているようです。今なら市街地を抜けられます」

 

「進路は」

 

「ジャブローへ直行するには悪すぎます。敵勢力圏を避けるなら、西側へ抜ける方が可能性があります」

 

 西。その言葉に、俺は水のボトルを持ったまま少しだけ手を止めた。来るか。いや、来てほしいような、来てほしくないような。ジャブロー直行ではない理由は、これで形になる。けれど西へ行くということは、また別の出来事へ近づくということでもある。宇宙世紀、ルート分岐しても戦闘は減らしてくれない。

 

 通信士の声が上がった。

 

「連邦識別信号。弱いですが、暗号一致します」

 

 ブライトさんが振り向く。

 

「内容は」

 

「短文です。復号します」

 

 ノイズ混じりの音声が、ブリッジに流れた。

 

『ホワイトベースは西進せよ。指定補給点にて補給を受け、敵勢力圏を迂回。以後の命令は追って通達する』

 

 短い。本当に短い。でも、必要なことだけは入っている。西へ進め。補給を受けろ。敵を迂回しろ。つまり、ジャブローへ真っすぐ帰るな、ということだ。

 

 ブライトさんはしばらく表示を見ていた。それから、息を吐くように言った。

 

「全機収容後、進路を西へ取る。ミライさん、可能な限り敵索敵を避ける航路を」

 

「分かりました」

 

「通信士、伝令の再確認を続けろ。偽装の可能性も捨てるな」

 

「了解」

 

 さすがに即信じない。ブライトさん、こういうところはちゃんとしている。いや、ちゃんとしていないと全員死ぬのだが。

 

 俺はブリッジの会話を聞きながら、格納庫の隅へ視線を戻した。黒いガンダムの装甲には、焦げ跡と弾痕と、ガウに近づいた時の擦過痕が残っている。白いガンダムほど綺麗な英雄感はない。どちらかというと、戦場から泥と煙を連れて帰ってきた感じだ。

 

 ジオン側は、覚えただろう。白いMSだけじゃない。黒いMSもいる、と。

 

 ◇

 

 不時着したガウの周囲では、救助車両と兵士たちが走り回っていた。機体は燃えている。だが、中央部はまだ形を保っていた。部下たちはザビ家の末弟を運び出すため、怒号と煙の中で必死に動いていた。

 

「ガルマ様、意識は」

 

「弱いが、あります。急げ、後送機を回せ」

 

 担架の上で、ガルマは薄く目を開けた。視界は揺れ、音は遠い。けれど、黒い機体の影だけは焼きついていた。白いMSではない。黒いMSが、護衛を抜いて迫ってきた。撃っても止まらない。避けるだけではない。近づいて、壊す。ガウの砲火へ向かってくる。まるで、黒い鬼。

 

「あの黒い機体……」

 

 声はかすれていた。

 

「木馬を逃がした……この私が……」

 

 そばの兵が何か言った。だが、ガルマの意識はそこで落ちた。

 

 ◇

 

 別の地点で、損傷した赤いザクが回収されていた。シャアはコックピットから出ると、機体の損傷を一瞥した。推進器。脚部。肩。どれも致命傷ではない。だが、戦闘継続には十分すぎるほど邪魔な傷だった。

 

「ガルマ様は重傷、後送されるとのことです」

 

 報告を聞いても、シャアはすぐには答えなかった。

 

「黒いMS……」

 

 白いMSとは違う。力で押すだけではない。こちらの動きに合わせ、間合いを潰してくる。偶然で片づけるには、あまりに嫌な踏み込みだった。

 

「白いMSとは別の意味で、厄介な相手だな」

 

 シャアはそう言って、ヘルメットを抱え直した。認めたくはない。だが、あの黒い機体のパイロットは危険だ。

 

 ◇

 

 ホワイトベースは西へ向かっていた。北米の空は広い。広いのに、逃げ場が多いようには感じない。地上に降りてからずっとそうだ。空も大地も広いくせに、敵の手だけはちゃんと届いてくる。理不尽な広さである。

 

 ガルマは死ななかった。シャアは逃げた。黒いガンダムは、ジオンに覚えられた。そしてホワイトベースは、ジャブローへ真っすぐ向かうのではなく、西へ進むことになった。

 

 俺が知っていた道ではない。でも、平和な寄り道でもない。宇宙世紀のルート分岐は、だいたい次の面倒へ続いている。

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