ホワイトベースは西へ進んでいた。進んでいる、というより、傷だらけの巨体を無理やり地面の上へ滑らせていると言った方が近い。艦体の下からは乾いた砂が巻き上がり、時々、装甲のどこかが嫌な音で軋む。宇宙なら姿勢制御と推進でどうにかしていたものを、地球では重力と地面が容赦なく引っ張る。
ミライさんが操舵を少し変えるたびに、艦内の床から鈍い振動が足裏へ返ってきた。地球は本当に優しくない。空気はあるし、重力もあるし、足は地面につく。普通なら安心材料のはずなのに、ホワイトベースにとっては全部が負荷だった。
勝った、という空気はなかった。ガウを落とした。いや、不時着させた。敵の追撃は弱まった。 レビル将軍名義の西進指示も届いた。結果だけ並べれば、俺たちは包囲から抜けたことになる。だが艦内にあるのは勝利の熱ではなく、消毒液の匂いと、修理工具の音と、まだ赤く点いたままの警告表示だった。負傷者は医療区画へ運ばれ、避難民区画ではフラウが子どもたちを壁際に座らせている。補給を受けたばかりなのに、水も医療品も弾薬も修理部品も、もう次の計算に入れられていた。
俺はMSデッキへ向かう通路を歩いていた。地上なので普通に歩ける。歩けるのだが、艦が小さく揺れるたびに足裏がずれる。宇宙で手すりを伝っていた頃とは別の面倒くささだ。通路の端には固定しきれなかった小型コンテナがベルトで括られ、整備員が汗を拭いながら部品箱を運んでいる。冷却も換気も効いているはずなのに、砂と熱の匂いがどこかから入り込んでいた。地上の戦艦運用、たぶん設計者も「できる」とは言ったが「快適」とは言っていない。
デッキに入ると、黒いガンダムが整備架に固定されていた。顔と首、腰に残る白。胸の青と赤いダクト。それ以外を沈める黒。ルナツーで塗り替えられた時は、まだ作業灯の中の機体だった。今は地上の砂を浴び、ヒートホークを握り、ガウの翼と推進部へ斬り込んだ後の機体だ。黒い装甲には擦過痕が増え、左腕のシールド保持部には歪みが出ている。右脚の膝から下は外装を開けられ、整備員が内部のアクチュエーター周りを確認していた。
「一号機右脚、応答遅延が少し増えてます。補正範囲内ですが、急な踏み込みの後に戻りが鈍いです」
「左腕、保持部に負荷。シールドを支えるだけならいけるが、あの使い方を続けると肩まで持っていかれる」
「ライフルの警告ログ、二回。連射はしてません。ただ、姿勢が崩れた状態で照準補正を噛ませてます。火器管制に変な負荷が入ってる」
「ヒートホーク保持具、仮固定のまま使ったのか。そりゃ歪むわ」
整備員たちの声が重なる。怒鳴っているわけではない。だが、機体を見ている声は容赦がない。機械は嘘をつかない。俺が無理をさせた場所は、ちゃんとログと歪みになって残っている。
ジョブ・ジョンが端末を抱えて、整備員の横で表示を読み上げていた。
「えっと、右脚の遅延は前回補正値からプラス一・七。左腕出力制限は六割五分固定のまま、瞬間負荷が二回跳ねてます。ライフル側の警告は連射じゃなくて、腕部姿勢制御との干渉です」
「分かった。ログをこっちへ送れ。お前は部品棚の三番から保持具の予備を持ってこい。番号を間違えるなよ」
「はい。三番、保持具の予備ですね」
ジョブはすぐに走ろうとして、床の工具箱に足を引っかけかけた。地上だと本当に足を取られる。整備員に「走るな」と言われ、慌てて歩きに変える。真面目だし助かるが、端末確認、部品運び、補助。そこに収まっているのがちょうどいい。後年を知っている俺としては、つい変な期待をしそうになるが、今ここにいるジョブはまだそういう役割ではない。
「レン、そこに立つな。外装を下ろす」
「あ、すみません」
俺は一歩下がった。整備員がアームを動かし、黒い脚部外装を吊り上げる。金属の内側には砂が入り込んでいた。地上戦はこれがある。宇宙なら漂う破片や熱が怖いが、地上では砂と土が関節へ入り、踏み込みのたびに重量が機体へ返ってくる。ガウへ向かって踏み込んだ時、右脚の遅れを沈み込みとして使った。使えた。だが使えたからといって、機体に優しかったわけではない。
俺は1号機を見上げた。ガルマは死ななかった。そこだけは、たぶん変えられた。ガウのコックピットを撃たなかった。推進部を潰し、翼を裂き、武装を落とした。爆散ではなく不時着。俺が知っていた流れなら死んでいたはずの若い司令官は、少なくともあの場では生き残ったはずだ。
でも、それで全部が軽くなるわけではなかった。ガルマが生きたことで、シャアの復讐は失敗した。シャアは俺を見た。黒い1号機を見た。たぶん、白いガンダムとは別の危険として刻んだ。あの人に警戒される。普通に最悪である。ゲームなら赤い彗星に注目されるなんて派手な演出だったかもしれないが、現地民としては全力で遠慮したい。しかもこっちは原作知識を持っているはずなのに、そのものはもう曲がってるアムロと会った時からわかってはいたけど。攻略情報がどんどん古くなる。勘弁してほしい。
「レン」
声に振り向くと、アムロが2号機側の整備架からこっちへ来ていた。白いガンダムも点検中で、腕やバックパックの一部が開かれている。アムロの顔には疲れが残っていた。目だけは機体を見る時の具体的な目だったが、それ以外は年相応に疲れている。いや、年相応というには背負っているものが重すぎるのだが。
「二号機は?」
「動くよ。反応も悪くない。でも地上で何度も踏み込むと、思ったより脚に来る。宇宙とは全然違う」
「だよな。地球、こっちの都合を聞いてくれない」
「君の一号機ほどじゃない。右脚、また遅れが出てるんだろ」
「少しな。完全に悪化したわけじゃないけど、ガウ相手に無理はさせた」
アムロは1号機の右脚を見て、次に左腕の保持部を見た。整備員の邪魔にならない場所で足を止めるあたり、機械を見る癖が完全に出ている。
「ガウを落とす時、変な狙い方をしてた」
「変ってほどか?」
「変だよ。推進部と翼と武装ばかり狙ってた。あれだけ近づいたなら、もっと早く止める狙い方もあったと思う」
責めている声ではなかった。疑いというより、機械と戦闘の話として気になっている感じだ。だから余計に答えにくい。アムロは鋭い。だが、シャアの復讐も、ガルマの本来の死も、俺が知っていた流れも話せない。
「コックピット周りを抜いて爆散されたら、こっちも危ないと思った。ガウはでかいし、燃料も弾薬も積んでる。下手に吹き飛ばしたらホワイトベースまで巻き込むかもしれない」
「それはそうだけど」
「あと、あの時はそっちに敵の目が向いてた。俺がやるなら、動けなくする方が早いと思った。推進部を潰して、翼を削って、武装を落とす。理屈としてはそれだけ」
嘘ではない。全部ではないだけだ。
アムロは少し黙った。納得しきった顔ではない。だが、追及するほどの余裕もないのだろう。自分の両手を見て、低く息を吐く。
「動けなくする、か。僕はまだ、そういう余裕がない。来たら撃つ。避ける。倒す。それで精いっぱいだ」
「精いっぱいであれだけ動けるのが怖いんだけどな」
「茶化すなよ」
「茶化してない。本気で言ってる」
アムロは少しだけ眉を寄せた。それから、デッキの奥へ視線をやった。白いガンダムの向こうには、積み替え途中のコンテナと、地上用の補修材が並んでいる。
「地球に降りたのに、母さんがいる場所が近くなった気がしない」
急に出た言葉だった。俺はすぐには返せなかった。
「地球って言っても、広いからな」
「分かってる。でも、宇宙にいた時は地球に行けば何か変わる気がしてた。父さんのことも、母さんのことも。なのに、降りたら戦闘ばかりだ。ガンダムに乗って、ザクと戦って、今度は西へ行けって言われる」
アムロの声は荒れていない。だからこそ重かった。母親との再会が近い。俺は知っている。けれど、それが救いだけではないことも知っている。アムロはそこで、自分がもう普通の子どもとして見られないことを突きつけられる。前世で見た時は、アムロの成長の一場面だった。今こうして横にいる友人を見ると、普通にきつい。
「会えるといいな」
俺に言えるのはそれくらいだった。
アムロは俺を見た。何かを探すような目だったが、すぐに逸らした。
「そうだな。会えたら、少しは何か分かるのかもしれない」
それが良いことなのかどうか、俺には言えなかった。
ブリッジでは、ブライトさんが端末を睨んでいた。ミライさんは操舵席で進路を微調整し、セイラさんは通信の整理に当たっている。艦橋の空気も、やはり勝利後のものではない。疲労と計算と、次に間違えたら終わるという緊張が混ざっている。
「進路、西南西を維持。高度をこれ以上下げると地形の影響を受けます。上げると探知されやすくなります」
ミライさんの声は穏やかだが、内容は少しも穏やかではない。
「艦体下部の負荷は」
「まだ許容範囲です。でも長く続ける飛び方ではありません。地上での運用は、やはり無理をしています」
「分かっている。だが止まれば追いつかれる」
ブライトさんは短く答え、別の表示を開いた。補給残量、負傷者数、損傷区画、通信状況。数字が並ぶ。数字になった瞬間、人間の痛みや疲労は少しだけ遠く見える。けれど、ブライトさんの顔を見る限り、遠くなってはいなかった。
「レビル将軍側からの追加通信は」
セイラさんが端末を確認する。
「断片的です。西進継続。接触可能な補給線を探せ、とのこと。詳細な合流地点はまだ伏せられています」
「伏せられている、か。こちらは損傷艦だぞ」
「聞こえているでしょうけれど、聞き入れられるとは限りませんわ」
セイラさんの言い方は短く鋭い。ブライトさんは反論しなかった。できなかったのかもしれない。ホワイトベースはもう、単なる避難船ではない。戦闘艦として数えられている。白いガンダムと黒いガンダム、ガンキャノン、ガンタンクを積んだ艦。レビル将軍側からすれば、多少無理をしてでも動かしたい戦力だ。現場にいる俺たちからすれば、多少どころではない。
リュウさんが艦橋に入ってきた。肩に薄い包帯が見えたが、本人は気にしていない顔をしている。
「ブライト、MSデッキの連中は動ける。動けるが、全員くたばりかけだ。次に出すなら飯を食わせてからにしろ」
「そんな余裕があると思うか」
「余裕がないから言ってるんだよ。腹が空いたまま戦わせても、いい判断は出ねえ。アムロもレンも、機体を見る顔はしてるが、人間の方が追いついてない。カイは文句を言う元気だけ残ってる。ハヤトは黙りすぎだ」
ブライトさんは一瞬だけ言葉を詰まらせた。怒るかと思ったが、そうはしなかった。
「……食事時間を短く区切る。待機班から順番に取らせろ」
「それでいい。勝った気になってる奴なんていないだろうが、勝った後の顔もしてねえ。こういう時は、まず生きて戻ったことを体に分からせるんだ」
「リュウ、俺は」
「分かってる。お前が遊びで命令を出してるなんて誰も思ってねえよ。でもな、艦長席に座ってるからって、全部一人で抱えた顔をするな。見てるこっちが疲れる」
ブライトさんの顔が少しだけ険しくなった。だが、それは怒りというより、痛いところを突かれた顔だった。
その頃、カイさんはデッキ脇の簡易ベンチに座り込んでいた。ガンキャノンの足元から少し離れた場所で、ヘルメットを膝に置いている。ハヤトはその近くで水のパックを握り、まだガンタンクの方を見ていた。
「いやもう、勝ったとか負けたとか以前に、体が重いんだよ。地球の重力ってやつは、俺に恨みでもあんのかね」
カイさんがぼやく。
「みんな同じ重力だよ」
ハヤトが小さく返した。
「そういう正しい返しをするなよ。こっちは文句で体を支えてんだ」
「でも、カイさんは撃ってた。ドップが艦に近づく前に」
「撃たなきゃこっちに来るだろ。来たら困る。困るから撃つ。英雄的な理由なんかないぜ」
「それでも、守ったんだと思う」
ハヤトの声は控えめだった。自分にも言い聞かせているように聞こえた。カイさんは少しだけ横目でハヤトを見て、わざとらしく肩をすくめた。
「お前まで真面目なこと言うなよ。ガンタンクで艦の近く守って、ちょっと自信つけた顔しやがって」
「自信っていうか……そこなら、僕にも見る場所があると思っただけだよ。前に出るんじゃなくて、艦の近くを」
「十分じゃねえの。俺なんか、できれば後ろの方で文句だけ言ってたい」
「でも乗るんだ」
「乗らされてるんだよ。そこ間違えんな」
文句を言いながらも、カイさんは立ち上がった。ハヤトも水のパックを飲み切る。二人とも震えていた。疲れていた。怖がっていた。それでも次に呼ばれたら動くのだろう。そういう顔になってきている。戦争はまじでクソだ。人間を、慣れなくていいものに慣らしていく。
◇
ガルマ・ザビは後送機の医療寝台に固定されていた。意識はあった。だが、体はほとんど動かない。胸と腹に巻かれた処置具が呼吸に合わせて微かに上下し、視界の端では医療モニターが冷たい光を放っている。機内には消毒液と焦げた布の匂いが残っていた。ガウが地面へ叩きつけられた時の衝撃は、まだ骨の奥に残っている。
木馬を逃がした。その事実が、痛みよりも先に浮かぶ。父上の名を、ザビ家の名を背負い、北米の管区を任されていた自分が、正面から追い、正面から敗れた。シャアのせいではない。あの赤い彗星は後退していた。自分が前へ出ると決めた。白いMSを討ち、木馬を沈める。その判断をしたのは自分だ。
だが、最後に視界を焼いたのは白いMSではなかった。
黒い機体。地を蹴り、砂を裂き、ガウの懐へ潜り込んできた黒いMS。翼を壊され、推進を奪われ、武装を落とされた。殺される一撃ではなかった。だからこそ、余計に嫌な感覚が残っていた。あれは撃ち落とされたのではない。解体された。空を飛ぶガウという兵器を、飛べない形へ作り替えられた。
「……黒い、モビルスーツ……」
掠れた声が漏れた。傍らの士官が顔を寄せる。
「ガルマ様、無理にお話しにならないでください」
「シャアは」
「別機で合流予定です。報告と護衛の再編も進めております」
「そうか……なら、いい」
シャアは友だ。自分の甘さを責めるなら、自分自身で十分だ。ガルマは目を閉じた。瞼の裏に、また黒いMSが踏み込んでくる。白いMSも恐ろしい。だが黒い方は、別の恐ろしさだった。近づいてきて、壊す。狙った場所だけを壊していく。そこに、得体の知れない冷たさがあった。
別の輸送機で、シャア・アズナブルは報告文面を確認していた。ガルマは生きている。重傷ではあるが、死んではいない。木馬は西へ逃れた。白いMSと黒いMSは健在。こちらはガウを失い、ガルマは前線を離れることになった。悪い結果だ。シャアはそう判断した。
ガルマが自ら前へ出たことは、彼らしい判断ではあった。若く、誇り高く、ザビ家の名に恥じまいとする。そこへ木馬と二機の新型MSがいた。戦力を読み違えた、というだけなら単純な敗北として処理できる。
だが、黒いMSは単純ではなかった。白いMSは強い。正面から押し返してくる力がある。あれは戦場で測れる強さだ。恐ろしくはあるが、まだ分かる。問題は黒い方だった。接近し、踏み込み、ガウの推進部と翼と武装を潰した。撃墜ではない。戦闘力を奪い、落とす場所を選ばせない形で空から引きずり下ろした。
あれはただ腕が立つだけのパイロットではない。
「厄介だな」
白いMSと黒いMS。あの二機をどう測るかだった。白いMSは戦場の中心を押し返す。黒いMSは、近づいてきて機体の役割そのものを壊す。私にも接近戦をしかけてきたしガウのような大型機に対してもそれをやった。ならば、ザクや通常兵器で不用意に近づけば、もっと早く壊される。
シャアは報告書に黒いMSの項目を追加した。
白いMSと同等。または別種の脅威。
そう記してから、しばらく指を止めた。木馬を追い続けるには、ガルマの後送と報告が重すぎる。直接追撃を続ける状況ではない。だが、あの黒い機体を放置するつもりもなかった。窓の外には、地球の大気と雲が遠く広がっていた。シャアはそこから視線を外し、端末の表示を閉じた。
◇
ホワイトベースは、なお西へ進んでいた。砂地を越え、荒れた大地を抜け、ジオンの索敵圏から少しずつ距離を取る。安全になったわけではない。追撃が弱まっただけだ。こちらの損傷も、疲労も、物資不足も消えていない。ガルマが死ななかったことも、未来を明るくした保証にはならない。
俺はデッキの端で、固定された黒いガンダムをもう一度見上げた。俺が知っていた道から外れた。それは間違いない。ガルマは生きた。イセリナの復讐戦も、少なくとも俺が知っている形にはならない。シャアがガルマを利用する流れも、今回は形にならなかった。なら良かった、で終われたら楽だった。
でも、たぶんそうじゃない。安全な道に入ったのではない。知っている危険を一つ曲げた代わりに、知らない危険が増えた。未来知識の地図に、見覚えのない道が伸び始めている。
ホワイトベースは西へ進む。白いガンダムと、黒いガンダムを抱えたまま。俺はその振動を足裏で感じながら、次に何が来るのか分からない怖さを、黙って飲み込んだ。