爆弾を外した翌日、ホワイトベースは静かにならなかった。いや、警報が鳴りっぱなしという意味ではない。むしろ昨日に比べれば、艦内の音は少しだけ落ち着いていた。爆発物の確認、エンジン修理、補給物資の積み直し、負傷者の確認。そういう作業が一段落して、艦の中には変な疲れが残っている。戦闘が終わった後の疲れとは少し違う。相手がMSでも戦闘機でもなく、ガンダムに貼りつけられた小さな爆弾だったせいだろう。
勝った気がしない。生き残った感じだけが妙に強い。俺は格納庫の端で、黒いガンダムを見上げていた。
見た目だけなら、かなり戻ってきている。黒い外装は貼り直され、右脚の装甲も仮固定ではなくなり、左腕のシールド保持具にも新しい補強材が入った。だが、見た目が戻ったことと、戦えることは別だ。整備フレームに固定された1号機は、腹の中を開けられたまま、あちこちにケーブルを繋がれている。右脚の駆動ログ、左肩の負荷、火器管制の警告履歴。どれも「動きます」と「戦えます」の間に、いやらしい溝を作っていた。ジョブ・ジョンが端末を抱えて、少し困った顔で読み上げる。
「右脚の基本動作は戻ってます。でも、急な踏み込みと横方向の切り返しで遅れが出ます。左腕はシールド保持だけなら前より安定してますけど、連続負荷はまだ危ないです。火器管制は……えっと、撃てなくはないです」
「撃てなくはない、って一番信用しにくい言い方だな」
「僕もそう思います。だから撃たないでください」
「短距離の起動確認は?」
「それを言い出す人を止めるために、僕は今ここで説明しています」
真面目な顔で言われると、こっちが悪い気になる。いや、実際に悪いのは俺か。昨日も黒いガンダムを出せずに工具補助と状況確認で終わった。頭では分かっている。アムロが爆弾処理の中心でよかったし、俺が1号機を無理に出しても邪魔になった可能性が高い。だが、分かっていても、手が届かないのはかなり胃に悪い。リュウさんが腕を組んで、俺と1号機を交互に見た。
「レン、今日は乗るなよ」
「まだ何も言ってません」
「顔が言ってる。お前とアムロは機体の前だと黙ってても分かりやすいんだよ」
「そんなにですか」
「そんなにだ。特にお前は、無理すれば動くかどうかを考えてる時の顔が悪い」
否定したかったが難しかった。たぶん考えていた。短距離なら、艦周辺防衛なら、起動だけなら。そういう言い訳を頭の中で並べていた。機体が壊れている時ほど「少しだけなら」が一番危ない。父さんにも似たようなことを言われた気がする。小さな異常を見逃すと大きな事故になる。まったく、今さら効いてくるなその教育。その時、格納庫の通信が鳴った。
『ブリッジより格納庫。周辺海域で微弱な救難信号を受信。民間周波数に混信。MSデッキは待機状態を維持』
リュウさんの表情が変わった。昨日までの疲れが残っている顔から、現場の顔になる。
「またかよ」
「救難信号ってことは、民間ですか」
「民間とは限らん。ジオンが混ぜてくることもある。まあ、だから放っておくとも言えねえ」
俺は喉の奥で息を止めた。救難信号。アムロ母再会の後。爆弾事件の次。西へ向かう途中の小さな異常。この流れは見覚えがある。
ククルス・ドアンの島
俺が知っている流れなら、アムロが孤島でジオンの脱走兵と子どもたちに出会う小事件だ。映画だと軍事色の強い話にもなる。でも、今のホワイトベースにそれを抱え込む余力はない。何より、あそこは壊していい場所じゃない。ブリッジへ上がると、空気は既に張っていた。ミライさんが操舵席で周辺地形を確認し、セイラさんは通信を調整している。ブライトさんは腕を組んだまま、モニターから目を離さない。若いのに、目の下の疲れだけ妙に大人びている。艦長席って本当に人間を削る椅子だなと思う。
「信号の発信源は」
「海岸線から少し離れた小島付近です。出力は弱く、古い救難ビーコンの再送に近いわ。ただ、周辺に金属反応があります。MSサイズかどうかはまだ確定できません」
セイラさんの声は落ち着いていたが、最後だけ少し鋭かった。
「ジオンの罠の可能性は?」
「あります。ですが、大規模な部隊反応はありません。少なくとも、本格的な追撃はないと思われます」
ミライさんが静かに補足する。
「この高度からなら、艦を近づけすぎずに進路を維持できます。ただ、確認するならMSか航空機を出す必要があります。艦を降ろすのはおすすめできません」
ブライトさんは少し考えた。考える時間は短い。短いが、その中に民間人、罠、機密、疲労、機体状態、全部が詰まっているのが分かる。
「アムロを出す。ガンダム2号機で確認のみ。戦闘は避け、異常がなければすぐ戻れ」
「一号機は?」
俺が言うと、ブライトさんは即座にこちらを見た。
「出せない。レン、お前は格納庫で補助に回れ。必要ならブリッジで状況確認だ。1号機を動かす許可は出さない」
「了解です」
返事はした。したが、口の中が苦かった。正しい。正しすぎる。だから余計に苦い。カイさんが通信席の後ろで、肩をすくめる。
「白いのだけ出して黒いのはお休みか。たまには俺たちも休ませてくれりゃいいのに、待機だけはきっちり残るんだよな」
「カイ、ガンキャノンは艦周辺で待機だ。敵が複数だった場合に備える」
「はいはい。待ってるだけで胃が痛くなる係ね。俺にぴったりだよ、まったく」
文句を言いながら、カイさんはちゃんと動く。ハヤトもガンタンクの待機指示を受けて、短く頷いた。
「艦の近くは見ます。前には出ません」
その言い方が、少しだけ前より自分の役割を持っている声だった。強くなった、というほど簡単ではない。でも、逃げているだけでもない。こういう積み重ねは、たぶん大事だ。アムロは出撃前、ブリッジに短く顔を出した。昨日から少し黙り込んでいる。母親と会って、爆弾を外して、今度は救難信号の確認。精神イベントが連続しすぎだろ。ゲームなら休憩パートを挟んでくれと言いたくなる。現実は当然そんな配慮をしない。
「アムロ、無理に踏み込むな。確認だけだ」
ブライトさんの命令に、アムロは小さく頷いた。
「分かってます。でも、救難信号なら放っておけないでしょう」
「だから出す。だが、敵だった時は戻れ。単独で追うな」
「戻れって言われて戻れる相手ならいいんですけどね」
少し刺すような言い方だった。ブライトさんの眉が動く。リュウさんが間に入る前に、セイラさんの声が飛んだ。
「アムロ、聞こえて? 確認が任務です。あなたが納得するための出撃ではありません。よろし?」
「……分かりました」
セイラさんの言い方はきつい。でも、今のアムロにはそのくらいがちょうどいいのかもしれない。優しく包めばいいという状態ではない。俺が何か言っても、たぶん正論か前世知識の匂いが混ざる。黙っている方がマシな時もある。ガンダム2号機が発進した。白い機体がホワイトベースから離れ、海と岩場の上を低く進む。モニター越しに見る地球は綺麗だった。青い海、白い波、緑の小さな島。そこに戦争の金属反応が混ざっている。見た目だけなら、戦場にしてはいけない場所だ。
『こちらアムロ。発信源付近に建物らしいものがあります。小さい……集落というより、廃屋かな。人影があります』
「人数は」
『子どもが数人。待ってください。MS反応……ザクです』
ブリッジの空気が硬くなった。
「アムロ、距離を取れ。敵意は」
『ザクが動きました。でも、動きがおかしい。こっちを狙ってるというより……いや、来ます』
通信にノイズが混じった。モニターの映像が揺れる。ガンダムのカメラが一瞬だけ、岩場から出てくるザクを捉えた。古い。砂と潮で汚れ、整備状態も良くない。それでも、ヒートホークを構えたザクはMSだった。子どもたちの近くに立つには大きすぎる鉄の化け物だ。
「アムロ、発砲は避けろ。子どもたちが近い」
『分かってます!』
アムロの声が荒れた。次の瞬間、白いガンダムとザクが岩場の上で組み合う。距離が近い。ライフルで終わらせるような戦いじゃない。ガンダムの腕がザクのヒートホークを受け、ザクは体当たりに近い動きで押し返す。整った軍隊の戦いではない。必死に追い払う動きだ。俺は拳を握っていた。出られない。行けない。黒いガンダムを動かせば、たぶんこの小さな場所を壊す。白と黒のガンダムが揃って降りたら、ドアンと子どもたちの生活は隠れ家ではなく戦場になる。ジオンにも連邦にも見つかりやすくなる。だから、これでいい。これでいいはずなのに、見ているだけは本当にきつい。
『くっ……この人、本気で殺しに来てるわけじゃない』
アムロの声が通信に乗った。
「何を言っている、アムロ」
『ザクの動きが違うんです。子どもたちを背にしてる。僕を島から離そうとしてる』
ブライトさんが言葉を止めた。敵兵だ。ザクだ。ホワイトベースから見れば危険要素でしかない。それでも、モニターの向こうで何が起きているかは、もう単純な敵味方では切れなくなっていた。やがて通信が一度途切れた。ブリッジに沈黙が落ちる。カイさんが小さく舌打ちした。
「勘弁してくれよ。敵も味方も子どもも一緒くたって、そんな場所で撃てるわけないだろ」
「撃つなとは言えん。撃たなければこちらがやられることもある」
ブライトさんの声は硬い。
「でも、撃てとも簡単には言えない。そういうことですね」
ハヤトがぽつりと言った。誰もすぐには返せなかった。しばらくして、アムロから帰還連絡が入った。白いガンダムはライフルをほとんど使わず、装甲のあちこちに細かい擦過傷を増やして戻ってきた。派手な損傷ではない。だが、コックピットから降りたアムロの顔は、昨日よりさらに疲れていた。格納庫で、ブライトさんが報告を求める。
「状況を説明しろ」
「ジオン兵がいました。名前は、ククルス・ドアン。ザクに乗っていました。でも、あの人はあそこで子どもたちを守ってたんです。たぶん、軍から離れたんだと思います」
「敵兵を確認した上で、拘束せず帰還したのか」
ブライトさんの声は厳しい。だが、怒鳴りつけるほどではなかった。アムロは視線を逸らさず、少しだけ唇を噛む。
「拘束しようとしたら、子どもたちが巻き込まれます。ザクも……もう、戦場には戻りません。少なくとも、すぐには」
「確認したのか」
「確認しました」
短い返事だった。詳しい説明はなかった。ザクをどうしたのか、ドアンと何を話したのか、子どもたちがどうしていたのか。アムロは全部を言わなかった。言えなかったのかもしれないし、言いたくなかったのかもしれない。セイラさんが静かに言う。
「敵にも事情がある。それは事実よ。でも、事情があれば敵でなくなるわけではないわ」
「分かってます」
「なら、よろし。分かっているなら、その重さも持って帰りなさい」
優しくはない。だが、逃がさない言葉だった。アムロは小さく頷いた。ミライさんがブライトさんへ視線を向ける。
「艦を近づけず、離れた場所へ食料と医療品を少量だけ投下できます。標識なしで、航路も残さない形なら」
ブライトさんは長く息を吐いた。
「……余裕があるわけではない」
「はい」
「だが、見た以上、何もしないのも艦の判断として残る」
ブライトさんは端末を操作し、短く命令を出した。
「小型コンテナ一つ。食料、浄水剤、簡易医療品。投下後、艦は接近せず進路を戻す。発信源への追加接触はしない」
カイさんが口の端を歪めた。
「ま、俺たちにできる人助けなんてそのくらいか。連邦ご一行が正面から訪ねたら、あっちの暮らしの方が吹っ飛ぶしな」
「皮肉にしてはまともですね、カイさん」
「うるせえよ。まともなこと言うと損した気分になるんだよ」
フラウがコンテナの内容確認を手伝いながら、少し不安そうにアムロを見た。アムロはそれに気づいたが、何も言わなかった。ただ、格納庫の隅で白いガンダムを見上げている。あいつは今日、敵を倒したわけじゃない。降りた兵士を見た。戦場から逃げたのか、降りたのか、守るものを選んだのか。それは俺には分からない。分からないが、アムロには何か残ったはずだ。
俺は黒いガンダムの方を見た。動けない1号機。開けられた右脚。まだ信用できない左腕。警告だらけの火器管制。昨日は動けなかったことが悔しかった。今日も悔しい。だが、今回は少し違う。俺が出なかったから壊れなかったものもある。
白いガンダムだけが行き、アムロだけが見て、ホワイトベースは少しだけ物資を落として去る。そのくらいが、たぶん一番マシだった。全部救えるわけじゃない。知っているからこそ、触らない方がいい場所もある。ホワイトベースは島を離れた。
モニターの中で、海に浮かぶ小さな影が遠ざかっていく。そこにはジオンの兵士がいて、子どもたちがいて、もう戦場へ戻らないかもしれないザクがあった。俺たちはそれを知らないことにして進む。知らなかったことにはできないのに、知らないふりをしなければ守れないものもある。
宇宙世紀、本当に面倒くさい。だが、今日はそれでいい。黒いガンダムは動かなかった。アムロは帰ってきた。島は燃えなかった。勝利とは呼べない。だけど、壊さずに通り過ぎることができた。ホワイトベースは西へ向かう。次の戦場と、次の分岐へ向かって。