黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第41話 地図にない宇宙世紀

 ククルス・ドアンの島を離れてから、ホワイトベースはしばらく大きな戦闘に巻き込まれなかった。

 

 大きな、というところが大事だ。警戒警報が完全に消えたわけではないし、艦内の修理が終わったわけでもない。見張りは続いている。推進系の調整も続いている。避難民区画では、子どもが泣けば誰かがあやし、負傷者が痛みを訴えれば医療班が走る。格納庫では相変わらず金属音が響き、ブリッジでは進路と補給残量の数字が人間の胃を削っていた。

 

 それでも、少しだけ息ができた。サイド7からここまで、ずっと何かに追い立てられていた。ザク、シャア、ルナツー、大気圏突入、地球降下、ガルマ、爆弾、ドアン。並べてみると本当にひどい。前世で見ていた時は、場面ごとの出来事として受け止めていた。だが現地民として連続で浴びると、普通に人間がすり減る。これでまだ序盤だなんて言われたら、宇宙世紀くんには一回座って反省してほしい。

 

 食堂区画では、久しぶりに小さな声が増えていた。笑い声というほど明るくはない。だが、子どもたちが配給のトレーを受け取りながら何かを言い合い、フラウが「こぼさないで」と注意するくらいの空気は戻っている。完全な平和ではない。けれど、艦内の人間が全員息を潜めているよりは、ずっといい。

 

「レン、これ持っていってくれる? そっちの小さい子たちの分」

 

「了解。……これ、前より少し増えてない?」

 

「昨日、補給品の整理で端数が出たの。ミライさんが、子どもたちに回していいって」

 

「端数って言葉がこんなにありがたく聞こえる日が来るとは思わなかった」

 

 俺がトレーを受け取ると、フラウは少しだけ笑った。疲れは残っている。目元に出ているし、声も少しかすれている。それでも、食事を配る手つきは迷わない。フラウは軍人ではない。なのに、ホワイトベースの生活を回す一人になってしまっている。戦争は本当に、人の役割を勝手に変える。

 

 近くの席では、カイさんがトレーの中身を見下ろしていた。

 

「少し余裕ができたって言っても、飯が急に豪華になるわけじゃないんだな。戦争ってやつは、景気のいいところだけ嘘くさいぜ」

 

「食べられるだけいいと思いますよ」

 

「正論で殴るなよ、レン。俺は文句を言うことで栄養を補ってるんだ」

 

「それで補えるなら、カイさんはかなり健康そうですね」

 

「お前、たまに遠慮なく刺すよな」

 

 カイさんは嫌そうな顔をしながらも、ちゃんと食べ始めた。軽口を叩く余裕がある。それだけで少し安心する。カイさんの皮肉は、怖くないから出るものではない。怖いから、先に言葉を投げている。それでも、何も言わずに黙り込まれるよりは、ずっとホワイトベースらしかった。

 

 ハヤトは少し離れた席で、ガンタンクの整備予定表を見ながら食べていた。食事中に見るものではないと思うが、本人はかなり真面目な顔だ。

 

「ハヤト、飯の時くらい端末置いたら?」

 

 カイさんが呆れたように言うと、ハヤトは少し慌てて端末を伏せた。

 

「分かってる。でも、砲弾の積み方と待機位置が変わるかもしれないって言われて。艦の近くを守るなら、どこで撃てるか見ておかないと」

 

「真面目だねえ。俺なんか、どこにいたら撃たれにくいかしか考えてないぜ」

 

「それも大事だと思います」

 

「そこで真面目に返すなよ。俺が悪いみたいになるだろ」

 

 ハヤトは困ったように笑った。急に強くなったわけではない。まだ迷うし、怖がるし、アムロや俺の動きを見て焦ることもある。だが、ガンタンクで艦の近くを守るという場所を、少しずつ自分のものにしようとしている。そういう成長は、派手な撃墜数よりずっと地味だ。でも、地味なものほど後で効く。たぶん。

 

 アムロは、食堂の端で一人分のトレーを前にしていた。沈んでいる、というほどではない。だが、いつものように機械の話を始めるでもなく、黙ってスープを混ぜている。ドアンの島で何を見たのか、俺は全部を知らない。知っているのは、アムロが敵を倒して帰ってきたわけではないことと、戦場を降りた兵士と子どもたちを見たことだけだ。

 

 俺は自分のトレーを持って、アムロの向かいに座った。

 

「そこ、空いてる?」

 

「空いてるよ」

 

 アムロは少しだけ顔を上げた。目は疲れているが、昨日の帰還直後よりは落ち着いている。

 

「ガンダムの擦過傷を見た。派手にやられたわけじゃないけど、接近戦多めだったんだな」

 

「ライフルを撃てる場所じゃなかった。撃ったら、島も子どもたちも巻き込む」

 

「だろうね」

 

「……あの人、ジオン兵だった。でも、そこにいた子どもたちにとっては、たぶん守ってくれる大人なんだ。僕には敵に見えたけど、あの子たちには違う」

 

 アムロの声は低かった。答えを求めているというより、自分の中に残ったものを言葉にしている感じだった。

 

 こういう時、俺は正解を言えない。前世の知識ならある。ククルス・ドアンという名前も、あの島の意味も、ある程度は知っている。でも、それを今のアムロに話したところで何になる。知識で整理してやったら楽になる、なんて都合のいい話ではない。

 

「見え方が一つじゃないの、面倒だよね」

 

「レンでもそう思うのか」

 

「思うよ。というか、俺はわりと毎日思ってる。敵だから撃てばいい、味方だから正しい、そうなってくれた方が楽なのにって。でも、楽な形になってくれない」

 

「……そうだな」

 

「昨日のこと、俺はほとんど見てただけだから、偉そうなことは言えないけどさ。アムロが帰ってきたのはよかったと思う」

 

「それだけ?」

 

「それだけ。俺に言えるのは」

 

 アムロは少し黙って、それから小さく息を吐いた。

 

「レンって、変なところで言わないよな」

 

「言った方がいいなら言うけど、言わない方がマシな時もあるだろ」

 

「それ、自分で言う?」

 

「たぶん言わない方がいい台詞だったな」

 

 アムロの口元が、ほんの少しだけ動いた。笑ったというより、力が抜けた程度だ。それで十分だった。全部を軽くする必要はない。ドアンの件は軽くしていいものではない。ただ、重いものを持ったまま食事を取るくらいはできた方がいい。そうじゃないと、この艦では持たない。

 

 食堂を出ると、通路の向こうからリュウさんが来た。片手に補給品のリストを持ち、もう片方の手で肩を回している。

 

「おう、二人とも飯は食ったか」

 

「食べました」

 

「ならいい。アムロ、食ったなら少し寝ろ。レン、お前は格納庫に行く前に医療区画へ顔出せ。昨日から顔色が整備ログみたいになってる」

 

「整備ログみたいな顔って何ですか」

 

「問題点が多そうな顔だ」

 

「雑な上にひどい」

 

 リュウさんは笑って、俺の背中を軽く叩いた。荒っぽいが、力は加減されている。こういう雑な気遣いがあるだけで、艦内の空気は少し変わる。ブライトさん一人ではたぶんできない。あの人は艦長席で削られすぎている。リュウさんみたいな人が間にいないと、少年組も大人組もすぐ角が立つ。

 

 格納庫へ行くと、黒いガンダムはまだ整備フレームに固定されていた。見た目はかなり戻った。黒い肩、黒い腕、黒い脚。顔と首、腰に残った白。胸の青と赤いダクト。外から見れば、もう出られそうに見える。だが、開いた点検パネルと仮接続されたケーブルが、現実をきっちり突きつけてくる。

 

 ジョブ・ジョンがコンテナのラベルを確認しながら、俺に気づいた。

 

「あ、レン。左肩の保持具、追加部品が合いました。シールドを持つだけならかなり安定するはずです」

 

「持つだけなら?」

 

「衝撃を受け続けるとか、格闘で受け流すとか、そういうのはまだ駄目です。右脚も基本歩行と短距離移動は戻ってますけど、戦闘機動は警告が出ます」

 

「火器管制は」

 

「撃てるか撃てないかで言えば撃てます。でも、撃っていいかで言えば、僕は止めます」

 

「ジョブ、最近止め方が上手くなったな」

 

「止めることが増えましたから」

 

 少しだけ疲れた顔で言われた。申し訳ない。ジョブ・ジョンは整備員というより、予備パイロットや雑務、補助をまとめてやらされている立場だ。なのに俺やアムロが機体に近づくたびに、危ない使い方をしないよう見張る役まで増えている。ホワイトベース、人材不足が本当に深刻すぎる。

 

 俺は1号機の右脚を見た。ガルマ戦で無理をさせた場所だ。右脚の遅れを逆に利用して踏み込みを作るとか、言葉にすれば格好いいが、機械からすれば負荷の押しつけでしかない。父さんが見たら、たぶん眉間に皺を寄せる。母さんなら、まず俺を座らせてから説教するだろう。

 

 父さんと母さんは、まだMIAのままだ。考え続けていたら動けなくなる。だが、機械の異常を見る時や、補給物資の搬入区画を見る時、ふと二人の声が戻ってくる。小さな異常を見逃すな。動かす前に見る。急いでいる大人ほど周りが見えていない。生きるのは条件が多いものよ。

 

 条件多すぎるんだよな。本当に。

 

 その後、俺はブリッジへ呼ばれた。ホワイトベースは高度を保ちながら、西へ進んでいた。海上を抜け、雲の切れ間から島影が遠ざかっていく。モニターには広い海と、その先に続く大陸方面の気象データが出ていた。ミライさんは操舵席で、艦体負荷と風の流れを見ながら静かに舵を取っている。

 

「進路はこのまま西南西。上昇しすぎるとレーダーに拾われやすくなりますし、低すぎると気流と地形の影響が大きくなります。ホワイトベースは地上艦ではありませんから、無理な高度変更は避けたいです」

 

「推進系はどうだ」

 

 ブライトさんの声は硬いが、怒鳴ってはいない。疲れている。だが、艦内に少し呼吸が戻ったことを、無理に締め上げようとはしていなかった。

 

「先日の補給で入った部材のおかげで、応急修理は効いています。ただ、長距離移動を続けるなら冷却系に余裕はありません。速度を上げすぎると、またどこかが悲鳴を上げます」

 

「分かった。ミライ、無理に急ぐな。見つからない範囲で、艦を壊さず進める」

 

「はい。雲と地形を使います。少し揺れますから、艦内には固定確認を出します」

 

 セイラさんが通信を確認しながら、短く言った。

 

「西側の民間周波数に混信があります。難民移動の通信も混ざっているようです。軍用としては信用できませんが、現地が荒れていることだけは確かね」

 

「場所は」

 

「大陸沿岸から内陸へ。インド方面に近づくほど増えています」

 

 インド

 

 その言葉が、胸の奥に小さく引っかかった。まだ遠い。距離としても、時間としても。今すぐ何かが見えるわけではない。モニターに映っているのは気象データと通信ノイズだけだ。だが、そこに何かが混じっている気がした。声ではない。映像でもない。説明できない圧というか、遠くで水面が揺れたような感覚。

 

 ニュータイプ的な何か、と言えば便利だが、俺はまだそれを自分の能力として信用しきれていない。便利センサーみたいに扱うと絶対に事故る。前世知識と同じだ。使える時はある。でも、頼りきった瞬間に足元をすくわれる。

 

 ブリッジの端で、俺はモニターの地図を見ていた。この世界は、俺が前世で知っていた一年戦争そのものではない。RX-78-1がここにある。俺が乗っている。ガルマは死んでいないはずで。シャアの誘導は潰れ、黒いMSはジオンに妙な恐怖として残り始めている。マチルダさんの補給も、爆弾事件の流れも、細かいところがずれている。ドアンの島は大規模な軍事作戦にはならず、小さな生活のまま残った。

 

 かといって、完全に別物でもない。アムロはRX-78-2に乗った。サイド7には穴が開いた。シャアは赤い機体で追ってきた。ルナツー、大気圏突入、ガルマ、マチルダ補給、ドアン。大筋はまだ、俺が知っている流れの形を保っている。

 

 つまり、俺の知っている知識は攻略本ではない。古い地図だ。しかも、版が違う。地名は合っているのに道が変わっていたり、あるはずの橋が落ちていたり、載っていない道が増えていたりする地図。頼りすぎれば崖に突っ込む。でも、捨てれば現在地すら分からなくなる。かなり面倒くさい。

 

 だが、ようやくその面倒くささを認めるしかないと思った。俺は未来を知っているんじゃない。未来に似たものの断片を持っているだけだ。答えではなく、参考資料。絶対ではなく、警告。正解のルートではなく、危ない場所に印がついた古い地図。

 

 だから、できることは変わらない。目の前を見る。機体の異常を見る。人の顔を見る。通信のノイズを見る。前世知識で先に危ない場所を疑う。だが、最後は今ここにいる人間として判断する。それしかない。

 

「レン」

 

 ブライトさんに呼ばれ、俺は顔を上げた。

 

「インド方面の民間通信に難民関連のものが混ざっている。補給と現地確認が必要になるかもしれん。お前は機体の状態と、自分の体調を整えておけ」

 

「了解です。1号機はまだ出せませんけど、現地確認なら他の手段もあります」

 

「勝手に決めるな。必要になれば命令する」

 

「はい」

 

 セイラさんが横から視線だけを寄こした。

 

「レン、先に答えを持っているような顔をするのはおよしなさい」

 

 ぎくりとした。

 

 この人、本当に鋭い。未来知識までは届いていないはずだが、俺が何かを先読みしようとしていることには気づく。セイラさん相手に油断すると、言葉の端からかなり危ないものを掴まれそうになる。

 

「慎重に見ます」

 

「よろし」

 

 それだけ言ってセイラさんは通信卓へ視線を戻した。

 

 インド方面。難民。混乱地域。ムンバイ近郊。前世知識の中ではホワイトベースとは直接結びついていなかった場所。だが、この世界ではそこへ向かう。俺が向かわせているのか、歴史の方がそう流れているのかは分からない。

 

 胸の奥の違和感は、まだ消えない。遠くから呼ばれている、というほどはっきりしたものではない。ただ、見落とすなと言われている気がした。誰に。何に。そんなものは分からない。

 

 ホワイトベースは雲の下を抜け、西へ進む。

 

 艦内には少しだけ人間の声が戻り、格納庫では黒いガンダムがまだ腹を開けられている。アムロは白いガンダムの前で黙って何かを考え、カイさんは文句を言いながら待機し、ハヤトは自分の持ち場を確かめている。ブライトさんは艦を壊さない速度を選び、ミライさんは地形と風を読み、フラウは子どもたちに食事を配る。リュウさんはその間を雑に、けれど確かに支えている。

 

 少しだけ余裕が戻った。でも、それは休みではない。次の分岐へ向かうための、短い呼吸だ。

 

 古い地図には、まだ載っていない場所がある。俺はその地図を捨てず、信じすぎず、胸の奥に残る小さな違和感を抱えたまま、アジア大陸の方を見ていた。

 

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