黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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感想はすべて読ませていただいてます。今のところできるだけ返信してますが、言わないほうがいいよなぁ。ということも多々あるので全部は出来なくて申し訳ないです


第45話 白い艦の音

 ホワイトベースの避難民区画は、朝になっても静かにはならなかった。そもそも戦艦の中に、本当の意味での朝があるのかは怪しい。窓を開けたら日差しが入るわけでもないし、鳥が鳴くわけでもない。あるのは照明の明るさと、艦内放送と、当直交代の足音と、どこかでずっと鳴っている機械音だけだ。

 

 地球の上を飛んでいるはずなのに、生活はまだ半分くらい宇宙船の中にある。そこへ避難民と子どもたちとララァ・スンがいる。落ち着く要素が少ない。いや、少ないというか、ほぼない。

 

 ララァは避難民区画の端で目を開けていた。眠っていたのか、目を閉じていただけなのかは分からない。毛布はきちんと畳まれていて、フラウが用意した替えの服も横に置かれている。市場跡で着ていた薄い布は、洗浄と確認のために別へ回されたらしい。本人は、ホワイトベースの予備衣類を合わせた簡素な服を着ていた。ぴったりではないが少なくとも土と煙の匂いは薄れている。フラウがトレーを持って近づいた。

 

「おはよう、ララァ。眠れた?」

 

「眠ったと思うわ。途中で、艦が何度か揺れたけれど」

 

「それはいつものこと。……いつものことって言っていいのか分からないけど、この艦だとけっこうあるの」

 

「落ちるの?」

 

「落ちないように、ミライさんが頑張ってる」

 

「なら、信じるわ」

 

 ララァはそう言って、トレーを受け取った。中身は温め直した簡易食と、薄いスープと、水。豪華さとは無縁だが、昨日の市場跡を思えば十分すぎる。宇宙世紀の戦艦飯に文句を言えるほど、今の俺たちは余裕がない。いや、文句を言うやつはいる。

 

 主にカイさんだ。フラウはララァの前に座り込むのではなく、少し横へずれた。近づきすぎない。でも放っておかない。フラウはこういう距離の取り方がうまい。本人はたぶん、自分がかなり難しいことをしている自覚がない。

 

「体の方は? 痛むところとか、気持ち悪いところはない?」

 

「大きな痛みはないわ。腕は少し重いけれど」

 

「あの時、掴まれてたんだよね。後でもう一回見てもらおう。あと、食べられるだけでいいから。無理に全部食べなくてもいいけど、まったく食べないのも駄目」

 

「あなたは、言い方がやわらかいのに逃げ道が少ないのね」

 

「え、そうかな」

 

「少しだけ。嫌ではないけれど」

 

 フラウが困ったように笑った。ララァはスプーンを手に取り、ゆっくりスープを口に運ぶ。急いで食べる感じはない。ただ、食べられる時に食べるべきだということは分かっているようだった。近くにいた子どもが、毛布の陰からララァを見ていた。サイド7から乗っている子だ。名前は確かタカシだったと思う。昨日の騒ぎで「新しい人が来た」と聞いていたのだろう。子どもは好奇心に正直だ。怖がりながらも見る。見るなと言われると、余計見る。ララァはその視線に気づいて、少しだけ顔を向けた。

 

「おはよう」

 

 声をかけられたタカシは、びくっと肩を跳ねさせた。

 

「お、おはよう」

 

「そんなに驚かなくても、私は今のところ噛まないわ」

 

「いまのところ?」

 

「先のことは分からないでしょう?」

 

 タカシがフラウを見た。フラウは笑いをこらえながら首を振る。

 

「噛まないから大丈夫」

 

「フラウ、保証していいの?」

 

「ララァも乗らないで」

 

 避難民区画の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。ほんの少しだ。戦争も、艦の揺れも、物資不足も消えていない。それでも、誰かが小さく笑えるくらいの隙間はできるらしい。俺は通路の入口で、その様子を見ていた。

 

 見に来た、というより、気になって足が向いた。過保護にするつもりはない。ララァは小さい子ではないし、俺が横に張り付いて「守ります」みたいな顔をするのも普通に重い。というか、それをやったらララァ本人にも、フラウにも、たぶんセイラさんにも刺される。三方向から刺されるのは避けたい。

 

 ただ、昨日あの市場跡から連れてきたのは俺だ。そこだけは逃げられない。ララァをあそこに置いていたら、たぶん別の誰かが拾った。俺の知っている流れなら、その先にシャアがいて、そういう物語だったはずだ。悲劇として覚えていた。でも今は、目の前でスープを飲んで、子ども相手に「今のところ噛まないわ」とか言っている。いや、今のところ噛まないって何だ。ちょっと笑いそうになって、すぐに笑えなくなる。俺が変えたのは紙の上の話じゃない。人ひとりの行き先だ。そう考えると、胃のあたりがずんと重くなる。朝からこれはきつい。できれば朝食前に考える内容ではない。

 

「レン、入口で難しい顔してないで入ってきたら?」

 

 フラウに言われて、俺はようやく足を動かした。

 

「そんな顔してた?」

 

「してた。ララァを心配してる顔と、何か考えすぎてる顔が混ざってた」

 

「分析が鋭い」

 

「レンは分かりやすい時と、全然分からない時があるから」

 

 それは褒め言葉ではない気がする。返事に困っていると、ララァがこちらを見た。

 

「あなたは、朝から騒がしいのね」

 

「俺、まだ何も喋ってないんだけど」

 

「喋る前から、少しうるさいわ」

 

「それはだいぶ対策が難しいな」

 

「静かにしようとしすぎても、きっとうるさいと思う」

 

「詰んでない?」

 

 ララァが少しだけ笑った。ララァはスープを飲んでから、避難民区画の奥へ目を向けた。子どもたちが何人か、興味と警戒の間くらいの距離でこちらを見ている。大人たちはもっと複雑だ。新しく入った身元不明の女性。軍艦の中で暫定保護された人間。何か事情があるのは分かるが、詳細は知らされていない。俺だったら普通に気になるし、少し怖い。

 

「ここは、人が多いのね」

 

「サイド7からの避難民がまだいる。途中で降りた人もいるけど、全員は無理だった」

 

「あなたたちも、ずっと逃げているの?」

 

「逃げてるし、戦ってる。どっちかだけなら、もう少し分かりやすいんだけどな」

 

「分かりにくい場所なのね、ここは」

 

「かなりね」

 

 ララァは納得したように頷いた。納得していい内容ではない気もするが、今のホワイトベースを一言で説明するなら、確かに分かりにくい場所だ。軍艦であり、避難所であり、機密兵器の箱であり、子どもがMSに乗る異常な艦。外から見ても中から見ても無茶苦茶である。

 

 そこへララァを入れた。俺が。いや、本当にどう説明するんだこれ。ブライトさんには保護対象ですで押し切ったが、押し切っただけで解決したわけではない。暫定保護。行動範囲制限。重要区画立入禁止。言葉だけならそれっぽいが、実際に人が増えれば食事も場所も視線も増える。拾った後の手続きが重い。宇宙世紀、命を拾うにも書類が多そうである。実際に書類があるかは知らないが、ブライトさんの顔を見る限り、たぶんある。

 

「レン」

 

 入口の方からセイラさんの声がした。来た。いや、来るとは思っていた。避難民区画に新しい保護対象が入った以上、セイラさんが確認に来ないわけがない。しかも昨日の段階で、俺が何かを隠していることにかなり気づいている。逃げたい。逃げたいが、今逃げると余計に怪しい。詰みである。セイラさんはララァの前で足を止めた。優しく微笑むというより、まず状況を確認する目だった。

 

「ララァ・スン。身体の具合は?」

 

「悪くはありません」

 

「そう。あなたはこの艦に暫定的に保護された身です。行動範囲は避難民区画と、許可された通路のみ。重要区画には入らないこと。フラウやミライさんの指示には従って。よろし?」

 

「分かりました」

 

 ララァは静かに答えた。反発も怯えもない。セイラさんの硬さを、そのまま受け止めている。

 

「何か聞きたいことは?」

 

「ここにいて、私は何をすればいいのですか?」

 

 セイラさんは一瞬だけ黙った。

 

「まずは休むこと。次に、勝手に動かないこと。できることがあるなら、その時に頼みます」

 

「何もしないことも仕事になるのね」

 

「この艦ではよくあります。勝手に動く者が多いから」

 

 視線が俺へ来た。

 

 心当たりがあるので何も言えない。ララァが少しだけ口元を緩めた。セイラさんはその表情を見て、わずかに目を細める。警戒ではない。だが、何か引っかかった顔だ。ララァの空気なのか、俺とのやり取りなのか、それとも別の何かなのか。セイラさん自身もまだ言葉にしていないように見えた。

 

「レン」

 

「はい」

 

「あなたも、ここに長居しすぎないこと。保護対象の様子を見るのは構いません。ただし、あなたが必要以上に気にかければ、周囲も不自然に思います」

 

「……分かりました」

 

「今の間は何?」

 

「反論を探したけど、見つからなかった間です」

 

「なら結構」

 

 相変わらず刺してくる。だが、セイラさんの言うことは正しい。俺がララァに張り付けば、周囲は理由を探す。理由を探されると困る。説明できないことが多すぎるからだ。説明できないことが多い人生、本当に面倒くさい。ミライさんが少し遅れて避難民区画へ来た。手には端末を持っている。

 

「セイラ、確認ありがとう。ララァ、寝る場所はしばらくここでお願いすることになるわ。食事は他の避難民と同じ時間。身体確認は午後にもう一度。何か必要なものがあれば、フラウか私へ言ってください」

 

「分かりました。……この艦は、誰かがずっと動かしているのですね」

 

「ええ。止まると困ることが多いから」

 

「止まれない場所は、疲れます」

 

「そうね。でも、少しずつ休む場所を作ることはできます」

 

 ミライさんの声は穏やかだった。だが、ただ優しいだけではない。行動範囲、食事、身体確認、寝る場所。全部、具体的に決めている。ブライトさんが軍務として線を引き、ミライさんがその線の内側で生活を回す。

 

 ホワイトベースがぎりぎり艦として成立している理由の一つは、たぶんこの人にある。いや、かなり大きい。ミライさんがいなかったら、この艦は物理的に飛んでも生活面で詰む気がする。ブライトさんの胃もたぶん保たない。フラウが子どもたちに向かって声をかけた。

 

「みんな、ララァは昨日来たばかりだから、あまり一度に話しかけないで。聞きたいことがあるなら少しずつね」

 

「どこから来たの?」

 

 一人の女の子が小さく聞いた。

 

「市場のあった場所からよ」

 

 ララァは答えた。

 

「市場って、お店があるところ?」

 

「ええ。前は、いろいろなものを売っていたと思うわ。今は、人の方が多かったけれど」

 

「怖かった?」

 

 子どもの質問は遠慮がない。フラウが止めようとしたが、ララァは先に答えた。

 

「怖くないと言えば嘘になるわ。でも、怖い場所でも、ずっと怖がっていると疲れてしまうでしょう」

 

「じゃあ、怖くないふり?」

 

「少しだけ」

 

「ぼくも警報の時、怖くないふりした」

 

「上手だった?」

 

「たぶん」

 

「なら、少し休むのも上手になるといいわ」

 

 女の子はよく分かっていない顔をしたが、ララァの隣に座った。距離はまだある。それでも、完全な他人を見る距離ではなくなった。俺は少し息を吐いた。ララァが艦にいる。昨日より、その事実が少しだけ現実になっている。

 

 

 昼前、俺はMSデッキへ顔を出した。本当は避難民区画に長居するなと言われたばかりなので、ちょうどいい逃げ場でもあった。いや、逃げ場と言ってもMSデッキが安全で気楽な場所かと言われると、それはそれで違う。黒い1号機は整備架に固定され、右脚の外装が一部開かれたままだ。左腕のシールド保持具には追加補強が入っているが、まだ作業途中。火器管制ログには赤ではなく黄色の警告が残っている。黄色。赤じゃないだけマシ、という言い方もできる。だが宇宙世紀の黄色警告は、放置していい黄色ではない。たぶん「今ならまだ怒鳴られるだけで済む」くらいの黄色だ。

 

「レン、見るだけですからね」

 

 ジョブ・ジョンが端末を抱えたまま言った。

 

「俺、何も言ってない」

 

「言う前に顔で分かります。右脚は基本応答が戻ってきていますけど、急な切り返しはまだ駄目です。左腕はシールドを持つだけなら前より安定。ただし殴るとか、受け止めるとか、そういう使い方は整備班が嫌な顔をします」

 

「分かりやすい説明をありがとう」

 

「分かりにくくすると、乗る人が都合よく解釈するので」

 

「俺への信用が低い」

 

「信用しているから先に止めてます」

 

 ジョブは真面目な顔でそう言った。補助役としてかなり板についてきている。だが、ここで本格整備担当みたいに扱ってはいけない。今のジョブはあくまで予備パイロット寄りの雑務と補助だ。端末を持ち、部品を運び、整備員の指示を受け、俺たちを止める。止める役が増えるのは、俺としては少し痛いが、艦としてはたぶん正しい。

 

「ちなみに、見るだけってどこまでが見るだけ?」

 

「乗らない。触らない。整備員に提案しない。勝手にログを開かない」

 

「厳しくない?」

 

「全部やりそうなので」

 

「否定しきれないのが嫌だな」

 

 ジョブは小さく息を吐いて、端末へ視線を戻した。白いガンダムの方では、アムロが整備員と話していた。機体の調整に集中している。白い2号機の反応、教育型コンピュータ、関節の負荷。アムロは機械を見ている時が一番具体的な顔をする。怖いとか嫌だとか、そういう感情が消えているわけではない。ただ、機械の前では考える場所がはっきりするのだと思う。そのアムロが、ふと顔を上げた。視線の先には、避難民区画へ戻る途中のララァがいた。フラウと一緒に歩いている。重要区画には入れないので、通路の端を通るだけだ。ミライさんの指示で身体確認を終えた帰りだろう。アムロは何か言うわけではなかった。ただ、一瞬だけ手を止める。

 

「アムロ?」

 

 俺が呼ぶと、アムロは少し遅れてこちらを見た。

 

「……いや。今、何か」

 

「ララァ?」

 

「名前は覚えてる。でも、そうじゃなくて。声を聞いたわけでもないのに、何か残った感じがした」

 

「気になる?」

 

「分からない。気になるって言うと、違う気もする」

 

 アムロは困ったように眉を寄せた。言葉になる前の引っかかりだ。ララァの方も一度だけ足を止め、アムロを見た。

 

「白い機械の人」

 

 ララァがそう言った。アムロが少しだけ目を丸くする。

 

「僕のこと?」

 

「白い機械を見ている時、少し変わるわ」

 

「少し変わる?」

 

「気にしないで。私も、うまく言えないことがあるの」

 

「……そう」

 

 アムロはそれ以上聞かなかった。聞けなかったのかもしれない。ララァも深く踏み込まない。フラウが少し心配そうに二人を見て、すぐにララァを避難民区画へ促した。俺はそのやり取りを見ながら、背筋の奥が少し冷えた。やっぱり、完全には切れない。ララァをシャアの流れから外したとしても、アムロとララァが何も感じないわけではないらしい。ニュータイプ同士の何か。まだ弱い。名前もない。でもゼロではない。ここを焦って触ったら、絶対ろくなことにならない。なので黙った。俺にできる数少ない賢い選択である。たぶん。

 

 

 カイさんが避難民区画の入口で補給品の箱を抱えていた。

 

「俺はガンキャノンのパイロット候補であって、配給係じゃないはずなんだけどな。いや、まだ正式にパイロットだとも認めてないけど」

 

「その箱、こっちです」

 

 ハヤトが小さな箱を持ちながら案内する。カイさんは文句を言いながらも、ちゃんと運んでいる。逃げ腰なのに手は動く。この人は本当に、文句と行動が別々に動く。便利な仕様だ。本人に言ったら絶対怒るが。

 

 ララァは区画の端で、子どもたちが配られた布を畳むのを手伝っていた。フラウが教えたのだろう。手際は特別いいわけではないが、雑でもない。カイさんはララァを見て、わざとらしく肩をすくめた。

 

「お嬢さん、ここでの生活には慣れたかい。まあ、慣れろって言う方が無茶だけどな。ここは軍艦の皮をかぶった避難所で、避難所の皮をかぶった戦場だ」

 

「皮が多いのね」

 

「そういう返しする?」

 

「違った?」

 

「いや、違わないけどよ。そこを拾われると、こっちが困るんだよ」

 

「あなたは、困るために喋っているように見えるわ」

 

 カイさんが口を開けたまま止まった。ハヤトが少しだけ笑った。かなり珍しい。カイさんはそれを見て、さらに顔をしかめる。

 

「ハヤト、お前まで笑うな」

 

「すみません。でも、少し当たってると思って」

 

「お前なあ」

 

 カイさんは箱を置き、頭をかいた。軽口を言うことで距離を取る人間が、軽口ごと受け止められると困る。昨日からそんな感じだ。だが、嫌そうではない。少なくとも、本気で拒絶している空気ではなかった。ララァは畳んだ布を横に置き、カイさんを見た。

 

「文句を言える人がいると、少し安心するわ。全部黙っている場所は、もっと怖いもの」

 

「……そういうの、やめろって。俺が真面目に聞かなきゃいけなくなる」

 

「聞かなくてもいいわ」

 

「いや、今のは聞くだろ。普通」

 

 カイさんはそう言って、また別の箱を持った。文句は減っていない。でも、さっきより少しだけ乱暴さが薄い。ハヤトは配給品の数を確認しながら、ララァへ小さく頭を下げた。

 

「手伝ってくれて、ありがとう」

 

「私にもできることがあってよかったわ」

 

「できることって、こういうのでいいのかなって、僕もたまに思う」

 

「よくないの?」

 

「戦ってる人もいるから」

 

「全部の人が同じことをしたら、艦は動かなくなると思うわ」

 

 ハヤトは少し黙った。それから小さく頷いた。

 

「……そうかもしれない」

 

 その言葉は、たぶんハヤトにとって少し重かった。艦の近くを守ること。補給品を運ぶこと。前に出るだけが役割ではない。ハヤトはそれを、少しずつ自分の中に置き始めている。

 

 ララァはまだ、完全に安心しているわけではない。ホワイトベースも、彼女にとって安全な家ではない。だが、ここにいる。食べて、服を替えて、子どもと話し、カイさんの軽口を返し、ハヤトの言葉を受ける。それだけで、昨日よりは少し変わった。たぶん、これでいい。いや、いいと言い切るには早い。でも少なくとも、昨日の市場跡にいたままよりはいい。そう思わないと、俺の胃がもたない。

 

 夜に近い照明へ切り替わる頃、ララァは避難民区画の端で目を閉じていた。眠っているというより、艦の音を聞いているようだった。子どもたちの小さな話し声、フラウが布を片づける音、遠くの格納庫で工具が鳴る音、艦内放送、足音。

 

「音が多いな」

 

 俺が小さく言うと、ララァは目を閉じたまま答えた。

 

「ええ。でも、少しだけ場所が分かってきたわ」

 

「場所?」

 

「どの音が近くて、どの声が遠いのか。どの人が急いでいて、どの人が休もうとしているのか」

 

「それ、分かると疲れないか」

 

「疲れるわ。でも、分からないままの方が怖い時もある」

 

「それは……まあ、分かる気がするけど」

 

 知らない方が楽だったことは多い。前世知識なんて、その代表だ。知っているから動けた。知っているから胃が痛い。どっちがいいのかは分からない。少なくとも、親切設計ではない。

 

「ここにいていいのか、まだ分からないわ」

 

 ララァが静かに言った。

 

「俺も、正直まだ分からない。でも、いてほしいとは思ってる」

 

「それは、あなたが困るから?」

 

「それもある。君がここからいなくなったら、俺はかなり困る。あと、フラウもたぶん探し回る」

 

「それは大変ね」

 

「かなり大変だよ。フラウは怒ると怖いから」

 

「知っているわ」

 

「もう?」

 

「食事を残そうとしたら、目が強くなったもの」

 

 俺は思わず笑った。ララァも少しだけ目を開けた。完全に笑ったわけではないが、さっきより表情は柔らかい。ホワイトベースの中に、ララァ・スンがいる。まだ仮の居場所だ。暫定保護。行動範囲制限。重要区画立入禁止。安全でもないし、安心でもない。けれど、昨日まで市場跡にいた彼女が、今はこの白い艦の音を聞いている。

 

 助けたから終わりではない。とはいえ、今すぐ全部を背負って答えを出せるわけでもない。まずは、ここからだ。

 

 ララァは再び目を閉じた。フラウの声と子どもたちの小さな笑い声が、避難民区画の中に薄く広がる。艦はまだ揺れている。戦争は終わっていない。黒いガンダムも、白いガンダムも、次に出るための整備を続けている。それでも今だけは、痛い音ばかりではなかった。

 




ほぼストーカーなレン
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