黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第47話 整備架の下で

 避難民区画で食器が片づけられる頃、MSデッキでは工具の音が続いていた。食器の音は、人が食べて生きている音だ。工具の音は、次に戦うための音だと思う。どちらもホワイトベースには必要で、どちらかだけではたぶん保たない。普通の生活なら、食事と整備が同じくらい重い意味を持つことはないと思う。いや、軍艦ならあるのかもしれない。少なくとも、前世の俺の生活にはなかった重さだ。

 

 黒いガンダムは、整備架の中でほとんど元の形を取り戻していた。右脚の外装は戻され、内部フレームの再調整も終わっている。左腕の出力系も規定値に入った。シールド保持具は補強というより、使える部品を組み直して交換に近い形まで戻されていた。火器管制も再同期済みで、警告ログは消えている。細かい注意項目は残っているが、それは壊れているというより、復帰直後の機体に残る点検項目だった。

 

 つまり、黒いガンダムはもう出せる。出せるのだが、整備員の顔はあまり明るくなかった。

 

「機体の方は問題ない。通常起動、歩行、走行、跳躍、ビームサーベル、ライフル、シールド保持。全部通した。右脚ももう変な遅れはない。左腕も戻ってる。火器管制も再調整済みだ」

 

「じゃあ、実戦復帰ですね」

 

「機体はな」

 

 整備員はそこで、俺の顔を見た。言いたいことがすごく分かる。

 

「俺の方を見る必要あります?」

 

「ある。こいつは直した。問題は、お前が直った機体をどう使うかだ。前みたいに大型機へ踏み込んで、推進部だの翼だの武装だのを格闘戦で行く使い方をされたら、どんなに直してもまた歪む」

 

「必要だったんです」

 

「それは分かってる。必要だったから許されることと、毎回やっていいことは違う。整備員の前でそこを一緒にするな」

 

 反論しようとして、やめた。ガウ戦は必要だった。ガルマを殺さず、ガウを爆散させず、ホワイトベースを逃がすなら、あれが俺に取れる一番マシな手だったと思う。だが、必要だったことは、機体に優しかったことの証明にはならない。結果として、1号機はかなり長く整備架に縛られた。問題は、俺がまた同じような使い方をする可能性だ。

 

「レン、整備員さんが言ってるのは、出撃禁止じゃなくて運用注意ですよ」

 

 ジョブ・ジョンが端末を抱えたまま言った。画面には整備完了項目と、復帰後の確認手順が並んでいる。ジョブはその表示を整備員に言われた通り読み、必要な部品を運び、時々俺が余計なことをしないように見ている。あくまで補助だ。整備責任者ではない。だが、止める時だけは妙に早い。

 

「ジョブ、最近俺を止めるのうまくなってない?」

 

「うまくならないと危ないので」

 

「そこまで?」

 

「はい」

 

 即答だった。

 

 整備員もうなずく。

 

「出せる。戦闘にも使える。だが、復帰明けの機体をいきなり限界まで使うな。右脚も左腕も直った。直ったからこそ、また壊されたら困る。ライフルも普通に撃てるが、姿勢が崩れたまま無理な補正を噛ませるな。シールドも使えるが、盾で何でも受け止めようとするな。分かるな」

 

「分かります」

 

「その返事が一番信用ならん」

 

「ひどい」

 

「実績だ」

 

 整備員の言葉が重い。実績と言われると何も言えない。俺は黒い1号機を見上げた。ルナツーで黒く整えられた時より、今の方がずっと戦場の機体に見える。傷は消されている。歪みも戻されている。だが、この機体で何をしたのかを、俺は覚えている。直った。だからこそ、次にどう使うかが重い。

 

「レン」

 

 リュウさんが整備架の下へ来ていた。いつの間にいたのか分からないが、たぶん結構前から聞いていた顔だ。

 

「機体が戻ってきて嬉しいのは分かる。だが、嬉しい顔と出撃したい顔が混ざってる。お前の場合、その二つが混ざるとすぐ危ない方へ行く」

 

「そんな顔してました?」

 

「してた。整備員があれだけ釘を刺すのも無理はない。黒い1号機は戻った。右脚も左腕も直った。なら次に見るのは機体じゃなくて、お前がどこで止まるかだ」

 

 リュウさんは黒い1号機を見上げ、それから俺を見る。怒っているというより、心配をかなり雑に軍用語へ押し込んだような顔だった。

 

「無茶をするなとは言わねえ。戦場でそれを完全に守れるなら苦労はないからな。ただ、無茶をする前に一回考えろ。お前が一人で先に走ると、後ろが追いつけなくなる。機体が直っても、そこは勝手に直らねえ」

 

「……気をつけます」

 

「その返事は聞いた。次は、出る前に周りを見ろ。整備員が止めたら聞け。ジョブが止めても聞け。俺が止めたら、できれば一発で聞け」

 

「できればなんですね」

 

「お前が一発で聞かない可能性を考えている」

 

「信用がない」

 

「信用してるから言ってるんだよ。戻ってくる方に賭けたいんだ」

 

 それを言われると、軽口で返しづらい。リュウさんは整備員の方を向いた。

 

「こいつが復帰明けで変な使い方をしそうなら、遠慮なく俺を呼べ。怒鳴るくらいはする」

 

「助かります」

 

「俺は助からないんですけど」

 

「お前を助けるためだ」

 

 整備員とリュウさんの会話は、俺だけ逃げ場がなかった。黒い1号機は戻った。だが、それは俺が好きに暴れていいという意味ではない。整備架の下でそれを言われると、機体が直ったことより先に、自分の扱いの方を点検されている気分になる。黒いガンダムのオーバーホールが終わって、次はパイロットの運用確認です、みたいな話だ。できれば項目表は見たくない。

 

 ◇

 

 白いガンダムの前では、アムロが戦闘ログを見ていた。

 

 白い2号機も点検中ではあるが、黒い1号機ほど大きな作業はない。機体としての余裕が違う。元の完成度が高いし、アムロの機体として使われ続けている分、教育型コンピュータも戦闘ログも積み上がっている。それでも、アムロは満足している顔ではなかった。

 

「地上での踏み込み、また見てるのか?」

 

「うん。ガンダムの反応は速い。速いんだけど、戦っている時に、こっちがもう少し先へ動かしたいと思う瞬間がある」

 

 アムロは端末のログを指で戻した。脚部の動作、姿勢制御、照準補正、腕部の角度。数字と線が並んでいる。俺もある程度は読める。だが、アムロが見ているものと同じように感じられているかは怪しい。

 

「機体が遅いってことか?」

 

「遅い、という言い方だと違う気がする。ガンダムはすごいよ。普通の機械なら絶対に追いつかないところまでついてくる。でも、戦っている時に一瞬だけ、安全側へ戻そうとする補正がある。僕はもう少し踏み込んでいいと思ってるのに、機体の方が壊れないように止める感じがする」

 

「……その段階に入ってきたか」

 

 思わず口に出た。

 

 アムロがこちらを見る。

 

「その段階って?」

 

「いや、機体に慣れてきたってことだと思う。最初は人間が機体に振り回される。でも慣れてくると、今度は機体の方の安全側の動きが気になってくる。たぶん」

 

「たぶん?」

 

「断言できるほど詳しくないから、たぶん」

 

 嘘ではない。アムロがやがてガンダムの反応に物足りなさを感じることは、前世の知識として頭をよぎる。マグネット・コーティング。あの言葉も浮かんだ。だが、それを今ここで説明するわけにはいかないし、今すぐどうにかできるものでもない。

 

 アムロは自分の手を見た。

 

「怖い時がある。ガンダムが遅いんじゃない。むしろ速い。でも、自分が先に何かを感じて、機体がそれを追ってくるまでの一瞬が残る。前なら気にならなかったのに、最近は残るんだ」

 

「戦闘に慣れたからだろうな。いいことなのか、悪いことなのかは分からないけど」

 

「いいことだけではないと思う」

 

 アムロは静かに言った。その言い方が妙に重かった。アムロは強くなっている。白いガンダムも、アムロに合わせて学んでいる。だが、それがそのまま救いになるわけではない。戦えるようになるということは、次も戦場に立たされるということだ。

 

 通路の方から、フラウとララァが歩いてきた。食器箱ではなく、今回は医療区画へ戻す布を持っている。重要区画には入れないので、MSデッキの外周通路を通るだけだ。

 

 ララァは白いガンダムの方で一度足を止めた。そして、アムロを見て、少しだけ目を細める。

 

「あなたは、そこにいるのに少し先を見ているのね」

 

 アムロは困った顔をした。

 

「どういう意味?」

 

「うまく言えないわ。けれど、今のあなたは、ここに立っている体より先に、気持ちだけが前へ出ているように見える」

 

「……そう見える?」

 

「ええ。怖いのに、前へ行こうとしている」

 

 フラウがララァを見た。止めるか迷ったのだと思う。だが、ララァの声は責めるものではなかった。触りすぎないように、慎重に距離を測っている声だった。

 

 アムロはしばらく黙り、それから小さくうなずいた。

 

「怖くないわけじゃないよ。でも、来るなら動かないといけない。ガンダムに乗ってる時は、そうしないと間に合わない」

 

「そう。強いのね」

 

 ララァはそれ以上踏み込まなかった。 ララァはフラウに促され、通路を歩き出した。その途中で、今度は俺の方を見た。

 

「レン」

 

「何?」

 

「私は、ここの決まりを守るわ」

 

「急にどうした?」

 

「あなたが私をここへ連れてきたから。だから、ここで決められたことには従う」

 

 言葉が少し重かった。自分の行き先を変えた相手に対して、何かを置こうとしている。感謝とも少し違う。もっと静かで、少し危うい。

 

 俺は慌てて言葉を選んだ。

 

「俺に従う必要はないよ。ここにいるなら、ブライトさんやミライさんやフラウの言うことを聞いてくれればいい」

 

「ええ。あなたに従うのではないわ。あなたが選んだ場所を、今は信じるの」

 

 それは訂正になっているようで、あまりなっていない気もした。だが、ここで強く否定すると、逆におかしくなる。ララァはまだ、自分の足場を探している。市場跡から連れてこられて、ホワイトベースの中に置かれて、少しずつ食器や布や子どもの声を覚えている。その中で、俺を完全な他人として切り離すのは無理なのだろう。

 

 責任、という言葉をまた使いそうになって、飲み込む。今回は言葉にしない方がいい。

 

「なら、その場所が間違ってないように、俺も気をつけるよ」

 

「ええ」

 

 ララァは短く答え、フラウと一緒に通路の向こうへ消えていった。

 

 アムロが俺を見る。

 

「今の、少し変だった」

 

「分かってる」

 

「君は、ララァに何か隠してる?」

 

「隠してることなら山ほどある。でも、ララァをここへ連れてきたこと自体は、間違いにしたくない」

 

 アムロはそれ以上聞かなかった。聞けなかったのかもしれない。自分の手の中の端末へ視線を落とし、白いガンダムのログをもう一度開く。俺も黒い1号機の方へ視線を戻した。

 

 機体は戻った。

 

 人の方は、まだ戻り方を探している。

 

 ◇

 

 ガンキャノンの足元では、カイさんが弾薬ケースを前にして、いかにも嫌そうな顔をしていた。

 

「砲撃支援って言葉は便利だよな。後ろから撃てばいいだけに聞こえる。でも実際は、外したら意味がないし、近づかれたら困るし、弾は重いし、撃ったら撃ったで位置がばれる。おまけに、こいつは歩くたびに揺れる。俺にどうしろってんだ」

 

「文句の中に確認事項が全部入ってますね」

 

 ハヤトが端末を見ながら言った。

 

「お前、最近そういうこと言うようになったな」

 

「カイさんがずっと言ってるから、覚えただけです」

 

「俺の文句を教材にするな」

 

 カイさんはそう言いながら、弾薬ケースの固定具を確認している。文句は出るが手は止まらない。これももう、カイさんの動き方だ。

 

 ハヤトはガンタンク側の確認を終えて、少し離れた位置からホワイトベースの外周カメラの表示を見ていた。ガンタンクは派手な機体ではない。前に突っ込む機体でもない。だが、艦の近くを守るなら見る場所がある。近づいてくる敵、地形、死角、味方の位置。ハヤトはそれを少しずつ自分の言葉にし始めていた。

 

「僕は、前へ出るより、艦の近くを見る方がまだ分かる気がします。ここなら、どこから敵が来るか、どこを塞げばいいか、考える順番が作れるから」

 

「いいんじゃねえの。俺なんか、できれば考える前に全部終わってほしいけどな」

 

「それは無理だと思います」

 

「正しいことを言うなよ」

 

 カイさんが苦い顔をする。

 

 そこへリュウさんが来た。ガンキャノンとガンタンク、白いガンダム、黒い1号機を順番に見て、それから俺たちの方へ歩いてくる。

 

「カイ、文句は言っていい。怖いなら怖いと言っていい。ただし、手を止めるな。お前の文句で空気が軽くなる時もあるが、弾の固定は文句じゃ済まねえ」

 

「分かってますよ。嫌なくらい」

 

「ならいい。ハヤト、お前は艦の近くを見るって言ったな。それでいい。前へ出るやつばかりじゃ、戻る場所がなくなる。自分の見る場所を小さいと思うな」

 

 ハヤトは少し驚いた顔をした。それから、端末を持つ手に力を入れる。

 

「はい」

 

「レン、アムロ、お前らにも言ってる。機体が戻ってきた。動ける。戦える。だからこそ、飯を食え。寝ろ。機体だけ見て、自分の体を忘れるな。お前らはMSの部品じゃない」

 

 リュウさんの言葉は長くない。だが、軽くもない。俺は黒い1号機を見た。アムロは白いガンダムの足元からこちらを見る。カイさんは弾薬ケースにもたれ、ハヤトは端末を抱えたまま黙っていた。

 

「戻ってこい。全員だ。戦って勝ったら終わりじゃない。戻って飯を食って、また文句を言うところまでやれ。そこまでやって、やっと今日が終わる」

 

「リュウさん、それカイさん向けじゃないですか」

 

 俺が言うと、カイさんがすぐに顔をしかめた。

 

「俺の文句を生存確認に使うな」

 

「でも分かりやすいです」

 

「ハヤトまで乗るな」

 

 少しだけ笑いが起きた。

 

 その笑いは長く続かなかったが、MSデッキの空気を少しだけ動かした。工具の音、警告表示、整備員の声、弾薬ケース、機体の影。その全部の中で、人間の声が少し混ざる。

 

 黒い1号機の整備完了表示が、端末に出ていた。大きな赤はない。黄色も、復帰後の通常確認項目だけだ。右脚も、左腕も、火器管制も、シールド保持も戻っている。黒いガンダムは、もう戦える。

 

 だからこそ、怖い。

 

 戦える機体があると、人は戦えると思ってしまう。実際には、機体が戻っただけでは足りない。パイロットも、周りも、戻ってくる場所も必要になる。

 

 遠くで、避難民区画の方から小さな声が聞こえた。子どもが何かで笑ったのだろう。そのすぐ後に、MSデッキで工具が鳴る。

 

 食器の音と、工具の音。

 

 どちらも、この艦がまだ動いている証拠だった。

 

 黒い1号機は整備架の中で、出撃を待つように静かに立っている。白いガンダムの前では、アムロが再びログを見ている。ガンキャノンのそばではカイさんが文句を言い、ガンタンクの横ではハヤトが表示を確認している。

 

 次に敵が来た時、俺たちはまた出る。でも、その前に戻る場所を忘れないようにする。

 

 工具の音は、夜になっても止まらなかった。

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