黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第5話 普通の子どもは積み重ねる

 普通の子どもとして、ちゃんと遊ぶ。

 

 言葉にすると簡単だ。というか、前世の俺なら「子どもは遊ぶのが仕事」くらいの雑なことを言っていたと思う。だが実際にやってみると、これがなかなか難しい。

 

 何が難しいか。

 

 まず、勝ち負けに本気になれない。

 

 鬼ごっこで全力を出しすぎると、普通に危ない。今の体は子どもなので、足も短いし筋力もない。だが中身の判断が混ざるせいで、相手の進路とか、視線とか、足の向きとかを妙に見てしまう。結果として、幼児相手にフェイントを入れるという最低の大人ムーブが発生する。

 

 いや、駄目だろそれは。

 

「レン、そっちに逃げるのずるい」

 

「ずるくないよ。あいてるところに行っただけ」

 

「でもレンだけ、いつもあいてるところ行く」

 

 言われて、俺は固まった。

 

 幼児、意外と鋭い。

 

 理屈では言い返せる。空いている場所へ走るのは当然だし、捕まらないために相手の動きを見るのも普通だ。でも、それを本気で説明したところで「レンはまた変なこと言ってる」で終わる。というか、たぶん先生に見られる。

 

 なので俺は、わざと少し足をもつれさせて、次の鬼ごっこでは普通に捕まった。

 

「つかまった」

 

「やった。レンつかまえた」

 

「くやしい」

 

 悔しい顔を作るのは難しくなかった。前世三十五歳の精神で幼児の鬼ごっこに手加減するという状況そのものが、別の意味で悔しかったからだ。

 

 何この訓練。

 

 ただ、効果はあった。

 

 それから俺は、鬼ごっこで少し勝ち、少し負ける子になった。ブロックでは倒れにくい変な建物を作り、工作ではやけに可動部を気にし、片付けでは棚の表示を見ながら分類した。先生からは「レンくんは物の置き場所を覚えるのが上手ね」と言われた。

 

 違うんです先生。

 

 避難経路と物資配置と死角を覚える癖がついているだけです。

 

 言えない。

 

 絶対に言えない。

 

 幼児教育施設での日々は、そんな感じで少しずつ形になっていった。

 

 最初は浮いていた。丁寧すぎる挨拶をして、玩具の構造を観察して、先生の説明をやけに真面目に聞く子ども。周囲から見れば、まあ変である。俺が先生でも「この子、ちょっと大人びているな」と思う。前世知識まで疑われないとしても、変な子枠には入る。

 

 だが、子ども社会は意外と雑だった。

 

 変でも、意地悪をしない。玩具を横取りしない。泣いた子がいれば先生を呼ぶ。転んだ子がいれば手を貸す。作ったものを壊されても、深呼吸してから「もう一回作る」と言う。

 

 それを続けているうちに、俺の評価はだいたい固まった。

 

 少し変。

 

 機械っぽいものが好き。

 

 走ると妙に逃げ方がいやらしい。

 

 でも悪い子ではない。

 

 いや、三つ目だけおかしくないか。

 

 ある日、工作の時間に、俺は紙と軽い樹脂棒で小さな橋を作っていた。普通なら飾りをつけたり、色を塗ったりする場面で、俺は支えの角度を気にしていた。だって、橋なら落ちない方がいいだろう。見た目より強度だ。幼児工作に何を求めているのかという話ではあるが。

 

 隣の子がそれを見て、首を傾げた。

 

「レンの橋、かわいくない」

 

「かわいくないか」

 

「うん。でも、なんか落ちなさそう」

 

「落ちない方がいい橋なんだ」

 

「じゃあ、いい橋?」

 

「たぶん」

 

 俺がそう答えると、見回りに来た先生が笑った。

 

「レンくんの作るものは、いつも使う時のことを考えているのね。みんなは色や形を考えるのが得意だし、レンくんは倒れないとか動くとかを考えるのが得意。どっちも大事よ」

 

 先生、フォローがうまい。

 

 この人、たぶんかなり優秀だ。幼児社会という魔境を毎日さばいている時点で、そりゃ優秀に決まっている。下手な戦場より混沌としている可能性すらある。いや、さすがにそれは言いすぎか。でも靴が片方消えたり、粘土が髪に付いたり、なぜか全員同時に喋ったりするのは普通に怖い。

 

 俺は先生に頷いて、できるだけ子どもらしく言った。

 

「つかえるもの、すき」

 

「そうね。でも、使えなくても楽しいものもあるから、たまには飾りもつけてみましょうか。レンくんの橋、丈夫だけど少し寂しいもの」

 

「じゃあ、ここに旗つける」

 

「いいと思うわ。丈夫で、少し楽しい橋ね」

 

 そうして俺の橋には、妙に小さい旗が立った。

 

 強度には関係ない。

 

 でも、悪くなかった。

 

 父さんは、俺が幼児教育施設に慣れてきた頃から、教材を少しずつ変えてくれた。

 

 最初は入力と出力だけだったものが、簡単なセンサー、遅延処理、異常停止、手動復旧へ進んだ。もちろん、子ども向けの範囲だ。絵も多いし、失敗しても危険はない。だが、その基礎はかなり本物だった。

 

 ある夜、父さんは教材用の小さな走行ユニットを机に置いた。丸っこい車体に、障害物検知用の小さなセンサーがついている。見た目は玩具だが、動きはしっかりしていた。

 

「レン、今日は速く走らせる前に、止める練習をしよう」

 

「止めるの?」

 

「そうだ。動かすのは楽しいし、速くするのも面白い。だが機械は、止められないと危ない。特に人の近くで動くものはな。動くより止め方が大事な時もある」

 

 父さんの声は穏やかだったが、そこには現場の重さが少し混ざっていた。

 

 俺は小さく頷いた。

 

「うまく止まらなかったら、ぶつかる」

 

「そうだ。しかも、うまく動いている時ほど人は油断する。今日できたから明日もできる、前に止まったから次も止まる。そう考えると確認を飛ばす。事故はそういう時に起きる」

 

「うまくいった時ほど、見る?」

 

「ああ。よく覚えておきなさい。失敗した時に確認するのは当然だ。大事なのは、成功した時にも確認することだ」

 

 重い。

 

 子ども向け教材で出す言葉としては重い。

 

 でも、ありがたかった。

 

 父さんが教えてくれるのは、操縦の技術ではない。機械と付き合う時の考え方だ。動かす。止める。見る。考える。原因を探す。成功した時ほど確認する。

 

 たぶん、この先の俺には全部必要になる。

 

 必要になる未来なんて来ないでほしいが、宇宙世紀はそういう願いに優しくない。知ってる。知りたくなかった。

 

 母さんの教育は、もっと生活に近かった。

 

 買い物へ行く時、居住区の通路を歩く時、広場で遊ぶ時。母さんは何気ない顔で、俺に周囲を見る癖をつけさせた。

 

「レン、あの表示は何?」

 

「作業中。近づかない」

 

「じゃあ、あっちの黄色い線は?」

 

「荷物を運ぶところ。止まらない。走らない」

 

「よろしい。楽しい時ほど周りを見なくなるから、遊ぶ時も一度だけ顔を上げなさい。慌てた時ほど表示を見ること。怖い時に走り出すと、余計に危ない場所へ行くことがあるの」

 

 母さんはそう言いながら、俺の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれた。

 

 忙しい人だ。

 

 父さんも母さんも、仕事が中心の生活をしている。夕食にいない日もあるし、帰ってきても端末に報告書を出していることがある。前世の普通の家庭像からすれば、寂しいと言われても仕方ないかもしれない。

 

 でも、冷えているわけではなかった。

 

 父さんは時間があれば教材を見てくれる。母さんは俺の靴の減り方まで見て「走り方が偏っている」と言う。いや、そこまで見るのは怖い。管制官の観察力を家庭に持ち込まないでほしい。

 

 俺は両親にべったり甘える子どもではなかった。中身が中身なので、さすがに前世三十五歳が全力で甘えるのは難しい。精神的にきつい。だが、嫌っているわけではない。むしろ、この人たちなりに俺を見てくれているのは分かる。

 

 だからこそ、時々怖くなる。

 

 この普通が壊れることを、俺は知っている。

 

 父さんが教材を片付ける手。母さんが通路の表示を指差す横顔。食卓で出る野菜。端末の使用時間をめぐる小さな攻防。そういうものが、いつの間にか俺の日常になっていった。

 

 サイド7の空調の風にも慣れた。

 

 外壁の向こうに宇宙がある感覚にも慣れた。

 

 通路の警告灯、作業ポッドの音、搬入区画へ向かう大人たちの足音にも慣れた。

 

 慣れてしまった。

 

 それが少し怖かった。

 

 前世の記憶が戻ったばかりの頃、サイド7という文字を見ただけで頭を抱えた。よりによってサイド7かよ、と本気で思った。今でも思っている。だが、何年も暮らすと、人間は慣れる。ここが自分の町になる。知っている店ができる。よく会う人ができる。苦手な通路の匂いまで覚える。

 

 画面の向こうの舞台ではなく、俺の生活圏になってしまう。

 

 現地民としては笑えない。

 

 本当に笑えない。

 

 それでも時間は進む。

 

 幼児教育施設では、俺は「少し変だけど悪い子ではない子」として完全に定着した。ブロックを積めば「また倒れにくいやつ作ってる」と言われ、工作をすれば「レンのはなんか本当に動きそう」と言われる。褒め言葉なのか警戒なのか分からない。たぶん両方だ。

 

 鬼ごっこでは、逃げる方向を読みすぎないように気をつけた。外遊びでは、転び方を覚えた。小さい体はよく転ぶ。だが転び方を間違えなければ、怪我は小さく済む。幼児の遊びに混ざりながら受け身を練習する転生者。字面がひどい。

 

 片付けでは棚の位置を覚えた。散歩では避難経路を覚えた。先生の話を聞くふりをしながら、非常灯の位置を見た。いや、ちゃんと話も聞いている。聞いているが、目が勝手に情報を拾う。もう癖だ。

 

 気づけば、俺はサイド7で少し変な機械好きの子どもになっていた。

 

 普通の子どもをやっていたはずなのに、なぜか体力、観察力、手先の器用さ、表示を読む癖、逃げ道を探す癖が育っていた。

 

 普通とは。

 

 まあ、怪しまれすぎていないなら成功だろう。たぶん。

 

 やがて、幼児教育施設の日々は終わり、俺は次の環境へ進むことになった。

 

 学校だ。

 

 当然だが、世界が宇宙世紀でも学校はある。勉強もある。課題もある。先生もいる。子ども社会は少し広くなり、端末も教材も少し本格的になる。

 

  そして、U.C.0078年後半。

 

 俺の中で、ずっと遠くに置いていた名前が、いよいよ現実味を持ち始めた。

 

 アムロ・レイ。

 

 白い悪魔になる少年。

 

 RX-78-2に乗るはずの、あの機械好き。

 

 そろそろ視界に入る。

 

 そう思っていた日の朝、学校の連絡端末に、工作室の使用予定と上級生向けの割り当て表が表示されていた。

 

 俺は何気ない顔で画面を眺めた。

 

 そして、二つ上の欄にある名前で指が止まった。

 

 アムロ・レイ

 

 アムロ・レイ?

 

 いや、いるのかよ。

 

 TV版と違う。たぶん違う。少なくとも、俺の記憶ではこんな時期から学校内で名前を見る流れではなかったはずだ。これ、やっぱりORIGIN? いや、俺、ORIGINあまり知らないんだけど。

 

 画面の前で固まった俺に、隣の子が首を傾げた。

 

「レン、どうしたの。上の学年の予定なんか見て」

 

「なんでもない。工作室、いつ使えるのかなって見てただけ」

 

 俺はそう答え、できるだけ普通の顔で端末から手を離した。

 

 すぐに近づくのは不自然だ。

 

 二つ上の機械好きに、年下の俺がいきなり話しかけて「君がアムロ・レイか」なんてやったら完全に怪しい。前世知識持ち転生者の初手としては最悪である。まずは見る。どんなやつか、どこにいるか、何に興味を持っているか。

 

 生存戦略、その次。

 

 白い悪魔になる少年を、年下の機械好きとして自然に観察する。

 

 ……いや、自然に観察って何だ。

 

 言葉の時点でもう普通じゃない。

 

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