黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第51話 白いガンダムが消えた艦

 ホワイトベースの中には、まだ前の戦闘の匂いが残っていた。焦げた配線の匂い。油と砂の匂い。捕虜区画の扉を仮補修する工具の音。通信室では、コズンが触った端末の記録を洗い直している。どこまで情報が漏れたのか、正確なところはまだ分からない。ただ、白いガンダムと黒いガンダム、ガンタンク、ガンキャノン。そのあたりが知られたと考えるべきだった。

 

 MSデッキでは、ガンタンクの外装が開かれていた。砂を噛んだ履帯まわりを整備員が確認し、ハヤトは端末を抱えたまま黙って立っている。ガンキャノンは腕部の絡まれた跡を見られていた。カイさんはその近くで、ヘルメットを片手に持ったまま、珍しくすぐには文句を言わなかった。白いガンダムは、いつも通り整備架に固定されている。

 

 アムロはその足元にいた。端末を見ている。だが、画面を読んでいるようには見えなかった。目は開いているのに、意識だけが少し遠くに置かれているようだった。

 

「アムロ」

 

 フラウが声をかけた。アムロは少し遅れて顔を上げる。

 

「何?」

 

「何、じゃないわよ。ずっと呼んでたのに。大丈夫なの?」

 

「大丈夫だよ。疲れてるだけだ」

 

「それ、大丈夫って言わないわ」

 

 フラウの声には、怒りより先に心配があった。アムロもそれは分かっているはずだ。だが、返事は短かった。

 

「放っておいてくれよ」

 

「放っておけないから言ってるの。アムロ、昨日から変よ。ブライトさんに叱られたからって、それだけじゃないでしょう」

 

「じゃあ何だって言うんだよ」

 

 アムロの声が少し尖った。フラウが言葉に詰まる。俺も近くにいたが、口を挟めなかった。ここで何を言っても、アムロには届かない。たぶん、俺が言えば余計にこじれる気がした。

 

 アムロは端末を閉じた。

 

「ごめん。少し一人にしてくれ」

 

「アムロ」

 

「大丈夫だって言ってるだろ」

 

 それだけ言って、アムロはMSデッキを出ていった。フラウは追おうとして、足を止める。それから俺を見た。

 

「レン、アムロ、何かあったの?」

 

 ブライトさんとミライさんの会話を、アムロはたぶん聞いてしまった。だが、それをそのまま言っていいのか分からなかった。俺が黙ると、フラウは顔を曇らせる。

 

「……何かあったのね」

 

「たぶん。でも、俺から言える話じゃない」

 

「そう」

 

 フラウは小さく息を吸った。

 

「そういう時、アムロは一人で変なことを考えるのよ」

 

 その言い方は、昔からアムロを知っている人間のものだった。

 

 ◇

 

 白いガンダムの起動警報が鳴ったのは、それからしばらく後だった。最初は整備員の確認ミスかと思った。いや、そうであってほしかった。だが、表示はすぐに変わる。メイン動力起動。コックピット閉鎖。発進シークエンス移行。

 

「白いガンダム、起動しています!」

 

 整備員の声が跳ねた。

 

「パイロットは」

 

「アムロです。ですが、発進許可が出ていません!」

 

 俺は走った。整備架の上で、白いガンダムが動いていた。まだ外装の点検中だった整備員が慌てて退く。白い機体の目が光り、固定具が順番に外れていく。

 

「アムロ、何をしてる!」

 

 ブライトさんの声が通信に乗った。

 

『出ます』

 

「許可していない。機体を止めろ。アムロ、聞こえているのか」

 

『聞こえてます』

 

「なら止めろ。これは命令だ」

 

 返事はなかった。白いガンダムがカタパルトへ移動する。止められるタイミングは、もうほとんど残っていなかった。整備員が止めようとしても、動き出したガンダムを人間の手で止められるわけがない。

 

「アムロ!」

 

 俺は叫んだ。通信が一瞬だけ開く。

 

『レンには、黒いガンダムがあるだろ』

 

 それだけだった。

 

 白いガンダムが発進した。格納庫の空気が抜けたように静かになる。整備員たちは数秒、誰も動けなかった。フラウが青ざめた顔でカタパルトの方を見ている。

 

「……アムロが、ガンダムで」

 

 カイさんが乾いた声で言った。

 

「いや、笑えねえぞ。ガンダム持って出ていくって、どんな冗談だよ」

 

 誰も笑わなかった。

 

 ◇

 

 ブリッジは怒鳴り声と警報で埋まっていた。

 

「現在位置は」

 

「白いガンダム、低空で離脱。進路、北西方向。速度上がっています」

 

「呼び戻せ」

 

「応答ありません。呼びかけには反応していません」

 

 ブライトさんは拳を握りしめていた。

 

「脱走だぞ、これは。軍規以前の問題だ。機密機体を持ち出して、単独で離脱するなど」

 

 言葉は怒りだった。だが、その下に別のものが混ざっているのが分かった。昨日の会話。アムロが聞いていたかもしれない言葉。ガンダムから離す、という話。

 

 ミライさんは操舵席から静かに表示を見ていた。

 

「追跡するなら、今しかありません」

 

「追える機体は」

 

 ブライトさんの視線が俺へ向く。黒いガンダムなら追える。追えない距離ではない。アムロの進路が読めれば、接触もできるかもしれない。だが、ホワイトベースは今、白いガンダムを失ったばかりだ。コズンに情報も漏れている。ラル隊が近くにいる可能性もある。この状態で黒いガンダムまで艦から離せば、残るのはガンキャノンとガンタンクだけになる。

 

 ブライトさんは歯を食いしばった。

 

「レン、黒いガンダムは艦から離すな」

 

「……了解」

 

 追いたい。だが、命令は正しい。白いガンダムが消えた今、黒いガンダムまで外へ出すわけにはいかなかった。分かっている。分かっているのに、胸の奥がざらついた。

 

 リュウさんがブライトさんの横へ来た。

 

「ブライト、怒るのは後だ。今は艦の周りを固めろ。あいつを責める言葉は山ほどあるだろうが、言葉だけじゃ戻らねえ」

 

「分かっている」

 

「分かってる顔じゃねえぞ」

 

 ブライトさんは言い返しかけて、やめた。ミライさんが小さく言う。

 

「私たちの話を、聞いていたのかもしれません」

 

「……ああ」

 

「でも、あれはアムロを切り捨てる話ではありませんでした」

 

「分かっている。だが、あいつがそう受け取ったなら、こちらの言い方も間違えた」

 

 ブライトさんの声が低くなる。怒りだけではなくなっていた。

 

 ◇

 

 艦内の空気は変わった。

 

 白いガンダムがいない。それは、単に機体が一機減ったという話ではなかった。ホワイトベースはこれまで何度も危ない場面を白いガンダムに救われてきた。アムロの反応と判断に助けられてきた。黒いガンダムがある。ガンキャノンもガンタンクもある。それでも、白いガンダムが抜けた穴は別物だった。

 

 ハヤトはガンタンクの前で、ずっと黙っていた。

 

「ハヤト」

 

 声をかけると、彼は少し肩を揺らした。

 

「僕、止められなかった」

 

「昨日のことか」

 

「うん。アムロがガンタンクで出るって言った時、変だと思った。でも、止められなかった。今日も、何かあるって分かってたら……いや、分かるわけないか」

 

 ハヤトは自分で言って、苦く笑った。

 

「僕は、いつも後から思うんだ。あの時こう言えばよかったって」

 

「それは俺も同じだよ」

 

「レンでも?」

 

「俺でもってなんだよ」

 

 ハヤトは少しだけ顔を上げた。その近くで、カイさんが壁に背を預けていた。

 

「ったく、こっちはガンダムが二機あるから何とかなると思われてんのかね。白いのが勝手に出ていって、黒いのは艦から離せない。残る俺たちは穴埋めかよ」

 

「カイさん」

 

「分かってるよ。文句だよ、文句。言わないとやってられないんだよ」

 

 カイさんはヘルメットを軽く持ち上げた。

 

「でもまあ、あいつがいないと困るのは本当だ。腹立つくらいにな」

 

 それ以上は言わなかった。

 

 ◇

 

 フラウが小型車両の準備をしているのを見つけた時、俺は嫌な予感がした。

 

「フラウ、何してるんだ」

 

「アムロを探しに行く」

 

 即答だった。

 

「一人で行く気か」

 

「一人じゃないわ。通信機も持つし、地図も確認した。危ない場所へ行くつもりはない」

 

「それでも危ない」

 

「じゃあ、ここで待っていればアムロは戻ってくるの?」

 

 言葉に詰まった。戻るかもしれない。戻らないかもしれない。アムロは今、白いガンダムに乗っている。普通の少年ではない。だが、フラウにとっては、それでも昔から知っているアムロなのだ。

 

「アムロは一人なの」

 

 フラウの声が震えた。

 

「ブライトさんたちは軍のことを考えないといけない。レンは艦を守らないといけない。リュウさんもミライさんも、みんなここから動けない。でも、アムロは一人で出ていったのよ。誰かが呼ばなきゃ、あの子、戻り方まで分からなくなる」

 

「フラウ」

 

「分かってる。無茶はしない。近づきすぎない。通信も切らない。でも、探しに行く」

 

 止めるべきだった。止めなければならないとも思った。だが、完全に止める言葉が出てこなかった。

 

 リュウさんが後ろから来て、俺の肩に手を置いた。

 

「フラウ、通信は開けておけ。定時連絡を外したら、すぐ戻れ。敵影を見たら追うな。アムロを見つけても、無理に連れてこようとするな」

 

「はい」

 

「約束しろ。お前まで戻らなかったら、アムロは余計に戻りにくくなる」

 

 フラウは唇を噛んで、頷いた。ミライさんが通信機と小型の救急パックを渡す。

 

「無理はしないで。声をかけるだけでいいの。連れて帰ることを急がないで」

 

「分かりました」

 

 ブライトさんは少し離れた場所でそれを見ていた。許可したわけではない。だが、止めきれないことも分かっている顔だった。フラウが小型車両に乗り込む。俺は黒いガンダムの足元から、それを見送った。

 

 白いガンダムは消えた。アムロもいない。黒いガンダムはここにある。手を伸ばせば、すぐにでも乗れる。それでも、ホワイトベースの中に空いた穴は、少しも埋まらなかった。

 

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