黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第52話 砂漠の出会い

 白いガンダムは、まだ戻らなかった。

 

 ホワイトベースのMSデッキには、黒いガンダムが固定されている。整備架から外せばすぐにでも出られる状態だ。オーバーホール以降、右脚も左腕も火器管制も、以前のような常時不安を抱えているわけではない。機体だけを見れば、俺は出られる。出て、アムロを追える。だが、出られない。

 

 白いガンダムはアムロごと外にいる。ラル隊がこちらの位置を掴み直している可能性も高い。そんな状態で、黒いガンダムまで艦から離すわけにはいかなかった。理屈は分かる。分かるから、余計に腹が立つ。

 

「1号機は待機だ。レン、勝手に出るな」

 

 ブライトさんの声は硬かった。怒鳴ってはいない。けれど、怒りを押さえているのが分かる声だった。アムロへの怒り。自分への怒り。白いガンダムを失った艦を預かる責任。全部を押し込めて、命令の形にしている。

 

「分かってます。敵が来た時、艦を空にするわけにはいきません」

 

「ならいい。分かっているなら、そこで待て」

 

 でも、今の俺にはかなり重かった。黒いガンダムは動ける。俺も動ける。なのに待つしかない。前世で見た流れなら止められたかもと思わなくもない、流れ通りならアムロはこの後も無事に戻るはずだ。だが、この世界はもう何度もズレている。ガルマは死ななかった。ララァはホワイトベースにいる。ラル隊も既に若干ずれている、前世で見た流れに似ているだけで、全部が同じとは限らない。

 

 古い地図は、今もただの古い地図だ。そう整理したばかりなのに、こういう時だけすがりたくなる。情けない話だが、本音としてはそうだった。

 

 ブリッジでは、ミライさんが通信の時間を確認していた。

 

「フラウの定時連絡まで、あと三分です」

 

「通信範囲は」

 

「まだ届くはずです。ただ、地形で途切れる可能性があります。砂地と岩場が多いですから」

 

 セイラさんは通信席で回線を絞っている。セイラさん自身も処罰明けで、まだ完全に空気が戻ったわけではない。けれど、今は通信士の顔をしていた。余計なことを言わず、必要な音だけを拾う顔だ。

 

 リュウさんは壁際に立ち、腕を組んでいた。傷は軽くないはずなのに、本人はいつものようにそこにいる。

 

「ブライト、フラウに怒鳴るなよ。あの子は命令違反をしたくて出たんじゃねえ。アムロを一人にしたくなかっただけだ」

 

「分かっている。だが、危険な位置まで出るなら戻させる」

 

「戻れって言われて戻れるなら、最初から出てねえよ。言い方は考えろ」

 

 ブライトさんは何か言い返しかけて、やめた。

 

 カイさんがデッキ脇の端末から顔を上げる。

 

「白いガンダムなしで、黒いのまで留守にしたら、そりゃこっちも丸裸ってやつだ。分かっちゃいるけど、待ってるだけってのも性に合わないねえ」

 

「カイさんは、待ってる方が好きそうに見えますけど」

 

「それは安全な場所で待てる時の話だよ。敵が来るかもしれません、味方のガンダムは家出中です、探しに行った女の子は戻ってません。これで落ち着けるほど俺は図太くない」

 

 軽口の形をしているが、声は軽くなかった。

 

 ハヤトは少し離れた場所で黙っていた。ガンタンクの横に立ち、床を見ている。前の戦闘で、自分が守った場所に意味があったと少し受け止めたはずだ。それでも、アムロがガンタンクで出て失敗し、その後白いガンダムで脱走した流れは、ハヤトにも刺さっているのだろう。

 

「ハヤト」

 

 俺が声をかけると、ハヤトは小さく顔を上げた。

 

「僕がもっとちゃんと乗れてたら、アムロがあんなふうに思わなかったのかな」

 

「それは違うと思うよ」

 

「でも、ガンタンクで出たのはアムロだ。僕の機体なのに、僕じゃなくて」

 

「機体のせいでも、ハヤトのせいでもないよ。アムロはたぶん、自分が必要だって証明したかったんだと思う。白いガンダムじゃなくてもやれるって。いや、俺が言えたことじゃないけど」

 

 最後は少し濁った。アムロの中に、俺の存在が刺さっているのは分かっていた。黒いガンダムがある。レンがいる。なら、自分は降ろされるのか。自分がいなくても艦は戦えるのか。そう思ったとしても不思議ではない。アムロは単純にわがままを言っているだけではない。でも、脱走は正当化できない。その両方が、今のホワイトベースを重くしていた。

 

 通信が鳴った。

 

「フラウからです」

 

 セイラさんの声に、ブリッジの空気が一気に固まった。

 

『こちらフラウ・ボゥです。聞こえますか。ホワイトベース、聞こえますか』

 

「聞こえているわ。フラウ、状況を報告して」

 

 ミライさんが前へ出る。

 

『アムロを見つけました。白いガンダムも一緒です。機体は動けるみたいです。でも、アムロは戻らないって……戻れないって言ってます』

 

 ブライトさんの眉が動いた。

 

「フラウ、現在位置は」

 

『岩場を抜けた先です。小型車両で追える距離です。でも、アムロはまた移動しました。何か見つけたみたいで、自分で確かめるって』

 

「追いすぎるな。接触できたなら、一度戻れ」

 

『でも、このままだとアムロが』

 

「フラウ」

 

 ミライさんの声が、ブライトさんより先に入った。

 

「アムロを連れ戻したい気持ちは分かるわ。でも、あなたまで戻れなくなったら、アムロはもっと戻りにくくなる。距離を取って。定時連絡は続けて。無理に近づかないで」

 

 通信の向こうで、フラウが息を呑む気配がした。

 

『……分かりました。でも、もう少しだけ追います。見失ったら戻れなくなるから』

 

「フラウ」

 

『ごめんなさい。ちゃんと連絡します』

 

 回線が切れた。

 

 ブリッジに、誰もすぐには声を出せなかった。

 

 医療区画の方へ水を取りに行くと、入口でララァが包帯の箱を抱えていた。白い布の束が、細い腕に少し大きく見える。

 

「それ、こっちへお願いできる?」

 

 医療班の女性が声をかけると、ララァは小さく頷いた。

 

「はい」

 

 彼女は急がない。けれど、遅くもない。医療品の棚へ歩き、指定された場所へ箱を置く。避難民の子どもが不安そうに椅子の端で膝を抱えていると、ララァは水のパックを一つ持って、その隣に腰を下ろした。

 

「飲む?」

 

 子どもは少し迷ってから受け取った。

 

 ただ、そこにいて、手が空いた場所へ静かに入っている。ブライトさんは少し前にこう言っていた。

 

「医療区画と避難民区画の手伝いまでだ。通信室とMSデッキには近づけるな」

 

 ララァは、その時も今と同じように短く答えた。

 

「分かりました」

 

 彼女は保護された少女で、ジオンともシャアともつながっていない。けれど、ホワイトベースの全員がそれをすぐ受け入れられるわけではない。だからこそ、こういう小さな作業の方がいいのだと思う。包帯を運び、水を渡す。それでも、何もしないよりずっといい。

 

「レン」

 

 ララァがこちらを見た。

 

「アムロのこと?」

 

「うん。俺が行ければ早いんだけど」

 

「行けないのね」

 

「艦を空けられない。白いガンダムもいないし、敵が来るかもしれないから」

 

 ララァは何かを探すように俺を見たが、すぐに目を伏せた。

 

「待つのは、難しいわ」

 

「本当にね」

 

 それ以上は言わなかった。ララァも言わなかった。

 

 ◇

 

 アムロは、フラウの声を振り切った。

 

 戻れと言われることは分かっていた。戻れば、独房か処罰か、少なくともガンダムから降ろされる。ブライトはきっとそうする。ミライも止めないかもしれない。リュウは何か言うだろう。レンは、困った顔で理屈を並べるかもしれない。

 

 それが嫌だった。

 

 自分がいなければ駄目だと、証明したかった。白いガンダムは動いた。自分の入力に応えた。なのに、艦の中では自分を降ろす話が出る。レンだっている。黒いガンダムだってある。なら、自分は何なのか。答えが欲しかった。

 

 砂の向こうに、ジオンの施設らしきものが見えた。採掘設備。車両。偽装されたアンテナ。見つけた瞬間、アムロはそれを重要な基地だと思った。いや、思いたかった。

 

 ここを叩けば、ホワイトベースに必要なことをしたと言える。

 

 白いガンダムが砂を蹴った。施設の守備隊は混乱した。予想外の方向から現れた白いMSに、迎撃のタイミングが遅れる。アムロは撃ち、避け、設備を破壊した。ビームが砂を焼き、車両が横転する。

 

 だが、そこはアムロが思ったほど単純な場所ではなかった。

 

 通信の奥で、ジオンの指揮系統が動く。マ・クベの冷えた声が状況を測り、キシリアの命令が重く降りる。鉱山基地はただの基地ではない。だが、アムロ一人が見て、戦場全体の意味を読めるものでもなかった。

 

 やがて、奇妙な機体が砂の上に影を落とした。丸く、重く、浮いている。アッザム。白いガンダムは、その異様な敵に捕まった。熱と電撃が装甲を叩き、コックピット内に警告が走る。アムロは歯を食いしばり、機体の反応を拾い、脱出口を探した。勝つためというより、抜け出すために動いた。白いガンダムは壊れなかった。最後には敵を退けた。

 

 勝った。

 

 そう言えなくもなかった。でも、アムロには分からなかった。自分が壊したものが、戦局にどれだけ意味を持つのか。叩いた施設が本当に重要だったのか。敵が何を守り、何を捨てたのか。自分はホワイトベースを助けたのか、それともただ敵を刺激しただけなのか。

 

 白いガンダムの足元で、砂だけが熱を持っていた。

 

 アムロは街へ向かった。

 

 ◇

 

 次のフラウの定時連絡は、少し遅れた。

 

『こちらフラウです。アムロを見失いました。でも、近くに街があります。たぶん、そこへ向かったんだと思います』

 

「フラウ、街には入らないで。外で待機して」

 

 ミライさんの声が強くなる。

 

『分かっています。でも、車両が目立つので、少し離れた場所に隠します。通信は続けます』

 

 その後ろで、砂を踏む音が混じっていた。風の音も強い。通信状態は悪い。

 

「フラウ、今すぐ戻れとは言わない。ただし、アムロを見つけても一人で連れ戻そうとするな。いいな」

 

 ブライトさんが言う。

 

『はい』

 

 返事はした。けれど、フラウの声には迷いが残っていた。

 

 俺は端末の通信波形を見ていた。何もできないくせに、波形だけを見ている。意味があるのかどうかも分からない。でも目を離せなかった。

 

 ◇

 

 ソドンの街は、砂と熱に削られたような場所だった。

 

 白いガンダムを街から離れた岩場の陰に隠し、アムロは一人で通りへ入った。軍の施設ではない。だが、完全な民間の街とも言い切れない。ジオンの車両が通り、兵士の姿もある。店は開いているが、誰も余計なものを見ないようにしていた。

 

 それでも腹は減っていた。喉も渇いていた。鉱山基地を攻撃し、得体の知れないモビルアーマーと戦い、砂漠を歩いた後だ。自分が正しいことをしたのかどうかも分からないまま、体だけは食べ物を求めている。

 

 小さな食堂に入り、アムロは壁際の席に座った。出された食事は粗末だった。パンは固く、スープも薄い。けれど、今のアムロにはそれでも十分だった。ホワイトベースの食事を思い出しかけて、すぐに追い払う。戻らないと決めたのは自分だ。戻れば、ガンダムから降ろされるかもしれない。必要ないと言われるかもしれない。

 

 だからこそ、自分が白いガンダムで何かをしなければならない。そう思って出てきたはずなのに、鉱山基地を叩いた後に残ったのは、勝ったという実感ではなかった。自分が見ていたものが、戦場の全部ではなかったという嫌な感覚だけが残っている。

 

 アムロは食事を続けながら、店の入口へ視線をやった。

 

 外で車両の止まる音がした。次の瞬間、店内の空気が変わった。先に入ってきたのはジオン兵だった。砂を払う者、席を探す者、店の者に声をかける者。乱暴ではない。だが、武器を持った兵士たちが入ってきたことで、店の中にあった緩い空気が一段低く沈んだ。

 

 アムロは手を止めた。

 

 ジオンだ。

 

 立てば目立つ。逃げようとしても、入口には兵がいる。自分は軍服ではない。今のところ、ただの若い客に見えているはずだ。そう自分に言い聞かせながら、アムロは視線を落とした。

 

 遅れて、ひときわ大柄な男が入ってきた。青い軍服。太い体。だが、ただ大きいだけではない。兵たちが自然に道を空ける。声を荒げなくても、そこにいるだけで場の中心になる。そういう男だった。

 

 隣には、落ち着いた雰囲気の女性がいた。女性は店内を一度見回し、アムロの席で視線を止めた。疲れた若い客。砂をかぶり、食事を前にしているのに、周囲を警戒している少年。そこまでを、彼女は短い間に見て取ったようだった。

 

「何もないのね。出来るものを十六人分お願い」

 

 女性が店の者へ言った。大柄な男が、少しだけ眉を上げる。

 

「十六人分か。ハモン、一人多いぞ」

 

「ええ。あの少年にも」

 

「あんな子が欲しいのか?」

 

 アムロは思わず顔を上げてしまった。ハモンと呼ばれた女性が、こちらを見ている。優しく笑っているわけではない。哀れんでいるだけでもない。ただ、興味を持ったような目だった。

 

「いりません」

 

 アムロは反射的に言った。

 

 ハモンは少しも慌てなかった。

 

「遠慮しなくていいのよ」

 

「遠慮じゃありません。恵んでもらう理由がありません」

 

 店内の兵の何人かがこちらを見た。アムロは、自分の声が思ったより硬かったことに気づいた。だが、言ってしまったものは戻せない。ジオン兵に囲まれた場所で、ジオンの女性から食事を出される。そんなものを素直に受け取れるわけがなかった。

 

 ハモンは、少しだけ笑った。

 

「私があなたを気に入ったから。それでは理由にならないかしら」

 

 アムロは答えられなかった。

 

 大柄な男が声を立てて笑った。馬鹿にした笑いではない。むしろ、面白いものを見つけたような笑いだった。

 

「理由がなければ受け取らんか。若いのに、なかなか骨がある」

 

 アムロは男を見た。相手はジオンの軍人だ。敵だ。そう分かっているのに、目を逸らすのが悔しかった。男の視線には、こちらを威圧して潰そうとする感じがない。子どもと見ているのに、ただの子ども扱いでもない。

 

「僕は、施しを受けるほど困っていません」

 

「そう言えるうちは大したものだ。砂漠で腹を空かせても、意地は残っているわけだ」

 

「あなたには関係ないでしょう」

 

「確かに、今は関係ない」

 

 男は愉快そうに言い、近くの席に腰を下ろした。周囲の兵たちは、彼が座っただけで少し落ち着く。命令がなくても、皆がこの男を中心に動いている。

 

 アムロは、その様子を見てしまった。ブライトとは違う。リュウとも違う。レンとも違う。命令で張り詰めているのではなく、部下に支えられ、部下を抱えている大人の重さがあった。

 

 ハモンは、運ばれてきた食事の一つをアムロの卓へ置かせた。

 

「食べるかどうかは、あなたが決めればいいわ」

 

「……」

 

「ただ、食べられる時に食べておかないと、後で困ることもあるものよ」

 

 アムロは皿を見た。腹は減っている。喉も渇いている。それを自分で分かっているから、余計に悔しかった。目の前の敵かもしれない大人たちに、自分の疲れを見抜かれている。それでも、皿を突き返すことはできなかった。

 

 大柄な男は、そんなアムロを見ていた。名乗らない。問い詰めない。ただ、アムロの意地と警戒を面白がるように見ている。その目が、妙に残った。

 

 この人は、何者なのか。

 

 アムロがそう思った時、店の外で声が上がった。

 

「止まれ。何をしている」

 

 アムロの肩が跳ねた。聞き慣れた声が、外のざわめきに混じった。

 

「離してください。私は、ただ人を探しているだけです」

 

 フラウだった。

 

 兵士の声が近づく。

 

「隊長、街の外れで怪しい娘を見つけました。通信機を持っています」

 

 店内の空気が一瞬で硬くなった。アムロは椅子を引いた。立ち上がりかけた体を、ぎりぎりで止める。ここで動けば、自分とフラウの関係を示すことになる。だが、動かなければフラウが連れてこられる。

 

 男の目が、アムロを見た。ハモンも、外から連れてこられる少女とアムロの顔を見比べた。

 

 フラウが店内へ押し出される。彼女はアムロを見つけた。

 

 声を出しかけて、止めた。

 

 その沈黙だけで、十分だった。

 

 アムロは、自分が一人で飛び出したことの意味を、その時になってようやく理解した。自分だけが戻れないのではない。フラウまで、戻れない場所へ近づけてしまった。

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