フラウが店内へ押し出された瞬間、アムロは立ち上がりかけた。けれど、ここで動けば自分とフラウの関係が見える。自分がガンダムのパイロットだと知られているわけではないが、ジオン兵に囲まれたこの場所で不用意に動けば、たぶん全部が悪い方へ転がる。それは分かっていたのに、フラウが兵士に腕を押さえられているのを見た瞬間、体が勝手に前へ出そうになった。
フラウもアムロを見つけていた。目が合う。声を出しかけて、彼女は唇を噛んだ。アムロの名前を呼ばなかった。呼べば危ないと、フラウも分かってくれたのだろう。
「知り合いか」
ラルの低い声が落ちた。アムロは答えなかった。答えられなかった。ハモンはフラウを見て、それからアムロを見る。責めるでも、からかうでもない。ただ、この場の空気を測っている目だった。
「通信機を持っていたそうです」
「人を探していただけです。怪しいことなんて」
「この辺りで通信機を持って人探しか。怪しくないと言う方が難しいな」
兵士の言い方は鋭かったが、ラルは片手を上げて止めた。
「よせ」
「しかし隊長」
「その娘一人を締め上げたところで、我々の腹は膨れん。任務が片付くわけでもない」
ラルはフラウから視線を外し、今度はアムロを見た。
「坊主。連れがいるなら、こんなところで意地を張っている場合ではなかろう。戦場に近い街で、子どもがうろつけばこうなる。分かったなら連れていけ」
アムロは一瞬、言葉の意味が分からなかった。見逃す。この男はそう言っている。ジオンの軍人で、敵かもしれない相手なのに、縛り上げるでも尋問するでもなく、ただ行けと言っている。
ハモンはフラウの通信機を手に取り、少しだけ眺めてから兵士へ返した。
「壊すほどのものでもないわ。返してあげなさい」
「ハモン様」
「この子が探していた相手は、もう見つかったのでしょう。なら、長居はしないはずよ」
フラウは通信機を胸の前で抱えるように受け取った。まだ怖がっている。それでも、逃げ道が開いていることは分かったのだろう。アムロは立ち上がった。
「……行こう、フラウ」
「うん」
ラルはそれを見て、わずかに笑った。
「若いな。だが、その目は悪くない」
アムロは返事をしなかった。店を出るまで、背中にラルとハモンの視線を感じていた。街の外へ出て、小型車両へ戻るまで、二人はほとんど喋らなかった。エンジンがかかり、砂の道をホワイトベースへ向かって走り出してから、ようやくフラウが声を出す。
「アムロ、戻ろう」
「分かってる」
「本当に?」
「分かってるよ」
アムロは前を見たまま答えた。でも、自分でも何が分かっているのか、うまく言葉にできなかった。
◇
フラウの通信が戻った時、ブリッジの空気が一気に動いた。
『こちらフラウです。アムロと一緒に戻ります。ガンダムも動けます』
その声を聞いた瞬間、俺は手すりを握っていた指の力を少し抜いた。かなり安心した。正直、膝から力が抜けそうなくらいにはほっとした。でも、それで全部終わりとはいかない。ブライトさんの顔は硬いままだった。
「帰投後、ガンダムは直ちに格納。アムロはブリッジへ出頭させる」
「フラウの怪我は?」
『ありません。大丈夫です』
「本当に?」
『……少し怖かっただけです』
ミライさんはそれ以上は聞かなかった。リュウさんが息を吐く。
「生きて戻るなら上出来だ。説教はその後でいい」
「説教では済まん」
「分かってるよ。だからって、戻る前から殴る顔すんなって話だ」
カイさんは端末の脇に腰を預けたまま、わざとらしく肩をすくめた。
「帰ってくるだけ偉いって言いたいところだけどな。ガンダム持って家出は、さすがに笑えねえよ。こっちはずっと胃が痛かったんだぜ」
軽口だった。でも、本気でほっとしているのも分かった。ハヤトは黙っていた。アムロが戻ることには安心している。でも、アムロがガンタンクを勝手に持ち出したことも、ガンダムで脱走したことも消えない。そういう顔だった。
アムロが戻った時、MSデッキの空気は何とも言えなかった。整備員たちはすぐに機体へ取りついた。外装の砂、関節部の熱、ビーム兵器の使用ログ、駆動系の負荷。アムロが何をしたか、機械は黙って全部残している。
コックピットから降りてきたアムロは疲れていた。反発も残っている。けれど、街へ出る前みたいな尖り方とは少し違った。フラウが隣に立つと、アムロは一瞬だけ目を逸らした。
「アムロ」
ブライトさんが言った。
「ガンダムを無断で持ち出し、艦を危険に晒した。君には処分を受けてもらう」
「でも、僕は」
「君が何をしたかは後で聞く。だが、命令違反が消えるわけではない。君一人の問題ではないんだ。ガンダムはこの艦の主戦力であり、避難民も乗っている。君の判断一つで、全員の命が危険に晒された」
アムロは言い返そうとして、言葉を飲み込んだ。フラウが危険な位置まで来たことを思い出したのかもしれない。俺も黙っていた。戻ってきてくれてよかった。そこは本当にそう思う。でも、だからといってガンダムを持ち出して艦を空けたことまで、なかったことにはできない。ブライトさんの処分はきつい。けど、間違っているとは言えなかった。
「独房へ入れろ」
ブライトさんの声は冷たかった。でも、ただ腹を立てているだけの声じゃなかった。アムロは少しだけ拳を握り、それから黙って歩き出す。俺はその背中を見ながら、何か言うべきか迷った。迷っただけで、その場では結局何も言えなかった。
独房の前で、ようやく追いついた。
「戻ってきてくれてよかったとは思ってる。でも、なかったことにはできないと思う」
「分かってるよ」
「分かってる顔じゃない」
アムロは振り向いた。怒っているというより、何をどこにぶつければいいのか分からない顔だった。
「じゃあ、どういう顔をすればいいんだ。戻ったら処分される。戻らなかったら逃げたって言われる。戦えば勝手だって言われる。戦わなければ、僕はいらないってことになる」
「いらないなんて、誰も」
「言ってないだけだろ。レンだっている。黒いガンダムもある。だったら、僕がいなくても艦は戦えるんじゃないのか」
それは普通に刺さった。俺がいることがアムロを追い詰めている。分かっていたつもりだった。でも、面と向かって言われると、やっぱり返す言葉が遅れる。
「俺がいても、アムロの代わりにはならないよ」
「そんなの、君が決めることじゃない」
「まあ、それはそうなんだけど」
格好よく言い返せる場面じゃなかった。俺は少し息を吐いてから、アムロを見る。
「でも、アムロがガンダムに乗る意味はあると思ってる。少なくとも、俺は」
「なら、どうして降ろすなんて話になるんだ」
「みんな怖いんだと思う。アムロが壊れるのも、ガンダムがなくなるのも、艦が落ちるのも。怖いものが多すぎて、誰もちゃんとした言い方ができてない」
「分かったようなことを言うなよ」
「分かってないから言ってる」
アムロは黙った。独房の扉が開く。中へ入る前、アムロは小さく言った。
「ソドンで会ったジオンの人たち、変だった」
「変?」
「敵なのに、敵みたいじゃなかった。でも味方でもない。分からないんだ。僕は、あの人たちを撃つことになるのかもしれないのに」
扉が閉まる。俺はその前にしばらく立っていた。アムロは戻ってきた。でも、元に戻ったわけじゃない。そういうことだけは、嫌でも分かった。
◇
ギャロップの中は、乾いた疲労で満ちていた。補給は足りない。弾薬も、燃料も、食料も十分ではない。マ・クベから届いた返答は、言葉だけ丁寧で中身が薄かった。送れるものは限られている。作戦の重要性は理解している。そういう言い回しの裏に、こちらを切り捨てる冷たさが見える。
ランバ・ラルは通信記録を閉じた。
「相変わらずだな、あの男は」
「補給は期待できないわね」
隣でハモンが静かに言う。
「最初から大きくは期待していない。だが、兵に食わせる分くらいは寄越してもらいたいものだ」
「みんな疲れているわ」
「分かっている」
ラルは短く答えた。部下たちは不満を隠しきれていない。だが、ラルを見る目に迷いは少なかった。この男についていく。そういう信頼が、疲労の中にも残っている。それが、ラルには重かった。
任務は任務だ。木馬を叩く。新型モビルスーツを奪うか、破壊する。容易な相手ではない。補給も足りない。正面からの長期戦は不利だ。ならば、懐へ入る。
「もともとゲリラ屋の私の戦法で行こう」
ラルが言うと、ハモンは驚かなかった。
「危険よ」
「危険でない戦いなど、この状況には残っておらん。MSで押し切れないなら、艦そのものを押さえる。あの艦は兵だけで動いているわけではない。混乱を作れば隙は出る」
「あなたが先頭に立つのね」
「部下に行けと言って、自分が後ろにいるわけにはいかん」
ハモンは少しだけ目を伏せた。
「戻ってきて」
「ああ」
ラルは笑った。
◇
警報が鳴ったのは、それから間もなくだった。
「敵接近!」
ブリッジに声が走る。俺はMSデッキへ向かいかけて、途中で呼び止められた。
「レン、一号機は待機位置だ。敵の狙いが読めん」
「了解」
原作通りならMS戦だけで終わらない。そしてこの世界もたぶん艦の中に入られる気がしてる。
独房のアムロはすぐに出された。ブライトさんは苦い顔をしている。
「アムロ、出撃しろ」
「処分は」
「戦闘後だ。今はガンダムが必要だ」
「僕が必要なんじゃなくて、ガンダムが必要なんですね」
ブライトさんの表情がわずかに歪んだ。
「今は言葉遊びをしている場合ではない。出ろ」
アムロはそれ以上言わなかった。ガンダムが出る。敵MSとの戦闘が始まる。ブリッジからは断片的な報告が流れた。砂塵、距離が近い。アムロは戦っている。ラルも戦っている。けれど、敵の動きはどこかこちらを引きつけるように見えた。
次の警報は、腹の底に来た。
「艦内に敵兵侵入!」
来た。やっぱり来た。俺は通路を走った。白兵戦用の銃を持った兵が数名、すでに隔壁前へ向かっている。リュウさんもいた
「レン、避難民区画へ敵を近づけるな。俺はこっちを押さえる」
「リュウさん、無理は」
「無理しないで済むならしてねえよ」
そう言って笑う顔が、いつも通りすぎて嫌だった。
艦内で銃声が響く。ホワイトベースの通路は戦場向きじゃない。いや、戦艦なのだから想定していないわけではないのだろうが、避難民を抱えた今の艦には最悪だった。子どもたちを低い姿勢で避難させるフラウの声。医療区画から負傷者を移す音。整備員が工具箱を蹴飛ばしながら隔壁を閉める音。その全部が混じって、頭の奥がざらつく。
ララァは避難民区画の入口にいた。小さな子どもの肩を抱き、床に伏せるよう促している。ただ隣にいて、怖がる子どもに水のパックを持たせていた。
「こっちへは来させない」
「分かったわ」
それだけ交わして、俺は反対側の通路へ走った。
ラル隊は強い。艦内戦に慣れている、というより、混乱した場所で何を押さえるべきか分かっている。撃つだけじゃない。煙を使い、隔壁のタイミングを読み、こちらの避難誘導を逆に利用してくる。WB側は必死に応戦しているが、正規の陸戦部隊と比べればどうしても動きが甘い。
カイさんは通路の角から牽制射撃をしていた。
「おいレン、こいつら本気で艦の中まで来やがったぞ。冗談じゃねえ」
「冗談で来る相手じゃないです」
「分かってるよ。だから怖いんだろうが」
ハヤトは整備員と一緒に隔壁操作盤へ張りついていた。手は震えている。それでも、閉じるタイミングを間違えないよう必死に表示を見ていた。
「ハヤト、三番隔壁、まだ閉めるな。リュウさんが前にいる」
「分かってる。でも敵も来る!」
「リュウさんが戻ったら閉める。俺が合図する」
銃声が近づく。その向こうで、セイラさんの声が聞こえた。
「お下がりなさい。ここから先へは通しません」
凛とした声だった。けれど、その直後に別の声が落ちた。
「その声……まさか」
ラルだった。
俺が角を曲がった時、ラルは通路の向こうにいた。銃を構えている。だが、撃っていない。セイラさんを見て、明らかに動きが止まっていた。セイラさんも固まっている。
「アルテイシア様……」
その名が、白い艦の通路に落ちた。知っていた名前だ。でも、ここで初めて聞いた顔をしなければならない。いや、そんな顔を作る余裕なんてほとんどなかった。セイラさんの表情が、それくらい崩れていた。
「なぜ、このようなところに」
「私は……」
ラルの声は、戦場の指揮官のものではなかった。過去を知る男の声だった。セイラさんの声が揺れる。その一瞬の揺れが、戦場では致命的だった。
別方向からジオン兵が動く。リュウさんが飛び込んだ。
「伏せろ!」
リュウさんは敵兵の銃口を逸らし、体ごと隔壁側へ押し込んだ。発砲音。破片。誰かの悲鳴。俺は走ったが、間に合わなかった。リュウさんの体が壁に叩きつけられる。
「リュウさん!」
「閉めろ、ハヤト!」
「でも!」
「閉めろ!」
ハヤトが歯を食いしばって操作盤を叩いた。隔壁が降りる。金属の厚い板が、敵と味方を分断していく。ラル隊の兵が後退し、数人が通路の向こうへ消えた。こちら側に残ったのはランバ・ラルのみ、けれど、全員が無傷でもなかった。
リュウさんの腹部と脇腹に赤が広がっていた。大丈夫だ、騒ぐな。そう言おうとしているのは分かった。でも、声になっていない。
ラルは隔壁の手前に残っていた。セイラさんを守るように動いた結果、退路を失ったのか。それとも、一瞬遅れたのか。どちらにしても、彼は追い詰められていた。銃口が向けられ、セイラさんが息を呑む。ラルは周囲を見た。部下は分断された。退路は閉じかけている。任務は失敗。目の前にはアルテイシア。倒れたリュウさん。混乱するホワイトベースの兵たち。
その手が、腰の爆発物へ伸びた。
原作通りなら、という言葉が頭をよぎる前に、俺はもう動いていた。撃つ距離じゃない。撃てばラルを殺すかもしれない。爆発物に当たれば最悪だ。だから飛び込むしかなかった。
「レン!」
誰かが叫ぶ。ラルの目がこちらを捉えた。少年だと見たのだろう。けれど、その判断が一瞬だけ遅れた。俺は床を蹴り距離を詰める。手首を掴む。強い。骨が軋むほどの力で押し返される。真正面なら勝てない。だから、真正面からは行かない。
手首を外へ流し、肘の内側へ肩を入れる。爆発物を握った手を体から離す。ラルが膝を入れてくる。まともにもらえば折れる。俺は身を落として、足払いではなく重心を崩す方へ動いた。ラルの体がわずかに傾く。その瞬間、セイラさんの声が響いた。
「おやめなさい!」
ラルの動きが止まった。本当に一瞬だけ。でも、それで足りた。俺はラルの手から爆発物を叩き落とし、反対の手で安全具を押さえ込む。床に落ちたそれを、近くの兵が蹴り飛ばした。
「おいおいおい、今の洒落になってねえぞ!」
カイさんの声が引きつっていた。俺は答えられなかった。
ラルはまだ動こうとした。俺を振りほどこうとする力は、負傷も疲労も感じさせない。でも、セイラさんがいる。倒れたリュウさんがいる。部下は隔壁の向こうだ。爆発物は手から離れた。その全部が、ラルの次の一手を奪っていた。WB側の兵が一斉に動き、ラルを押さえ込む。
ラルは最後まで膝をつかなかった。壁に押しつけられ、銃を向けられても、背筋は曲がらなかった。
「見事だ」
ラルが低く言った。誰に向けた言葉か、一瞬分からなかった。
「こんな小僧までいるとはな。木馬という艦は、つくづく厄介だ」
こちらを殺す覚悟もあった相手だ。それでも俺は殺さずに止めた。止められたはずだった。なのに、通路の向こうでフラウの声が上がった瞬間、その考えは全部吹き飛んだ。
「リュウさん!」
医療班がリュウさんを担架へ乗せる。血が床に残る。リュウさんは目を開けようとして、うまく開けられていなかった。それでも、俺たちを見て口の端を少しだけ動かす。
「……騒ぐなって、言ったろ」
声はほとんど息だった。誰も笑えなかった。
ラルは拘束された。生きている。捕虜だ。ラル隊の残存兵は隔壁の向こうから撤退し、砂の向こうへ消えていった。彼らの多くは、ラルが中で散ったと思ったかもしれない。少なくとも、生きて捕らえられたと確認できた者はいないはずだ。
セイラさんは、拘束されたラルを見ていた。その顔は、通信席で見せる凛としたものではなかった。アルテイシア。その名が、白い艦の中に落ちたまま、誰も拾えずにいた。
ランバ・ラルは生きている。それだけは変えられた。けれど、医療区画へ運ばれていくリュウさんの姿を見た瞬間、何かを救った気になりかけていた自分を、俺は本気で殴りたくなった。