銃声が止んだ後のホワイトベースは、ひどく静かだった。
さっきまで通路に響いていた怒鳴り声も、発砲音も、隔壁の閉まる音もない。代わりに聞こえるのは、医療班が走る足音と、どこかで工具が落ちる乾いた音、それからまだ消えきっていない警報の低い残響だった。静かになったから安全になったわけじゃない。むしろ、静かになったせいで、何が壊れて、誰が倒れたのかがはっきり見えてしまう。
リュウさんは医療区画へ運ばれた。担架の上で目は開いていたが、いつものような軽口は出なかった。フラウが付き添い、医療班の邪魔にならないようにしながらも、手を離せずにいる。ララァは避難民区画の方で子どもたちを奥へ下げていた。ただ、不安が広がらないように、そこにいてくれている。
ランバ・ラルは拘束された。
両手を固定され、武器を奪われ、捕虜区画へ連れていかれる。それでも背筋は曲がっていなかった。負けた男ではある。敵艦に踏み込んで、目的を果たせず、捕らえられた。それは間違いない。けれど、惨めには見えなかった。
「貴官は捕虜として扱う。以後の行動は制限する」
ブライトさんの声は硬かった。疲労も怒りも押し込めて、命令の形にしている声だった。
「当然だな。こちらはこの艦へ踏み込んだ敵兵だ」
ラルさんは短く答えた。媚びも命乞いもない。謝罪もない。謝れば済む話ではないし、この人は敵として来た。その線を、自分で曖昧にする気はないのだろう。
セイラさんは、そのやり取りを少し離れた場所で見ていた。
顔は整えている。けれど、いつもの通信席の顔ではなかった。アルテイシア様。ラルさんが口にしたその名前が、まだ通路の中に残っている。誰も拾えない。拾った瞬間、何かが変わってしまう気がした。
俺もすぐには動けなかった。
ラルさんを止めた。殺さずに捕らえた。そこまではいい。いや、よくはないが、少なくともこちらもまだ誰も死なずには済んだ。でもリュウさんは重傷で、艦内には血の跡がある。生かしたからよかった、なんて言える状況ではなかった。
ブライトさんはラルさんの移送を命じた後、すぐにブリッジへ戻った。捕虜処理、艦内損傷、リュウさんの容体、敵再攻撃の可能性。全部が同時にのしかかっている。若い指揮官一人に積む量じゃない。でも、誰かがやらなければならない。そういう顔だった。
俺は通路の端で、拳を握ったまま立っていた。
ラルさんが生きていることを、ラル隊の残存兵はどれだけ知っているのか。撤退した兵たちが見たのは、ラルさんが艦内に残ったところまでのはずだ。爆発は起きなかった。でも、白い艦の中から隊長が戻らない。その事実だけで、最悪の想像をするには十分だった。
そして、アムロがソドンで会ったという、ハモンさんがそれを聞いたら。
ラルさんを生かしたのに、その人が復讐に来る。ラル隊がまた来る。ホワイトベースも応戦する。誰かが死ぬ。たぶんそうなる。
俺は動こうとして、足を止めた。先に動いていた人がいたからだ。
セイラさんだった。
◇
捕虜区画と呼ばれている場所は、本来そういう目的の部屋ではなかった。小さな倉庫に近い区画を空け、外からロックをかけ、見張りを二人置いているだけだ。艦内戦の直後で、まともな収容設備を整える余裕なんてない。
セイラさんは、その扉の前に立っていた。
見張りの兵が困った顔をする。
「セイラさん、ブライトさんの許可は」
「捕虜の確認です。先ほどの戦闘で、彼は私の名を呼びました。身元に関わる確認が必要です」
「ですが」
「聞こえて? 私は通信士です。敵兵がこの艦の乗員について何かを知っているなら、確認しない理由はありません」
セイラさんの声は静かだった。静かだが、押し返しづらい。見張りの兵は迷った末に、扉越しの短時間だけという条件で通した。完全に納得したわけではないと思う。でも今の艦内は、誰もが自分の手元で精いっぱいだった。
俺は少し遅れて、その通路へ入った。
中の声が聞こえた。
「なぜ、その名を知っているの」
セイラさんの声だった。
「お変わりになられた。だが、面影は残っておいでだ」
ラルさんの声は低い。拘束された捕虜の声ではなく、遠い昔の誰かへ向ける声に聞こえた。
「私はセイラ・マスです」
「今はそう名乗っておられるのだろう」
「今も昔も、私は私です」
「それは、そうだ。名を変えても、人が消えるわけではない」
少し沈黙があった。
扉の前で、俺は息を殺した。聞いてはいけない話だと思った。だが、ここで引くわけにもいかなかった。ラルさんとセイラさんだけで話を進めさせるのは危うい。セイラさんの揺れも、ラルさんの誇りも、この状況では何を選ぶか分からない。
「あなたは、兄を知っているの」
「キャスバル様のことならば、存じ上げている。だが、今この場でお話しできることは多くない」
セイラさんの息がわずかに揺れた。
「それは、兄が生きているという意味?」
「私の口から軽々しく申し上げることではない」
「答えなさい」
「アルテイシア様」
「その名で呼ばないで」
その声を聞いた瞬間、俺は扉を開けていた。
見張りの兵が驚いて振り向く。
「レン?」
「すみません。俺も確認が必要です」
苦しい言い訳だった。だが、今はそれで押し通すしかない。
セイラさんは俺を見た。責めるような目ではない。だが、踏み込まれたくない場所へ踏み込まれた、という顔だった。ラルさんは座ったまま、こちらを見上げる。手は拘束されている。それでも圧があった。
「来たか、小僧」
「来ました。放っておけないので」
「何をだ」
「あなたの部下と、ソドンでアムロが会った人です」
ラルさんの目が細くなった。
「ハモンのことか」
セイラさんも、こちらを見る。
「レン、それはどういう意味」
「ラルさんが生きて捕まったって外に正確に伝わってますか?撤退した兵たちは、たぶん確認できていない。ラルさんが戻らない。艦内で消えた。そう報告するしかないはずです」
言いながら、自分の声が少し早くなっているのが分かった。落ち着け。ここで焦っても説得にはならない。
「ハモンさんは、あなたが死んだと思うかもしれない。そうなったら、たぶん止まりません。復讐に来る。残った兵も含めて皆で。ホワイトベースも応戦する。もう一度艦内戦や近距離戦をやられたら、今度こそ誰か死にます」
ラルさんはしばらく黙っていた。
「貴様は、あの場にいなかったはずだ」
「いませんでした。アムロから聞きました。ソドンで、あなたの隣にいた女の人のことを」
「それだけでハモンを分かったつもりか?」
「全部は分かりません。でも、アムロから聞いた限り、あなたが戻らなかった時に何もしない人とは思えなかった」
たぶん、そこだけは外していない。
「それで小僧。貴様は私にどうしろと言う。捕虜のまま大人しくしていろと? それとも、この艦に協力してハモンを止めろとでも言うのか」
「協力者になれなんて言いません。あなたは敵です。こっちに攻め込んできた人です。それは変わらない」
「ならば」
「でも、ここで死ぬ理由も、ハモンさんたちを死なせる理由もないはずです」
ラルさんの視線が重くなる。
俺は一度、セイラさんを見た。セイラさんは何も言わない。ただ、俺が何を言うのかを見ていた。
「この艦には、セイラさんがいます。あなたがアルテイシア様と呼んだ人がいる。あなたが本当にその名前を重く見るなら、ここでハモンさんたちを巻き込んで死ぬことが、その人のためになるとは思えません」
「貴様」
ラルさんの声が低くなった。怒りではある。だが、図星を突かれた時の怒りにも聞こえた。
「その名を、軽く使うな」
「軽く使ってません。だから言ってます」
「俺は、あなたを殺さずに止めました。でもこのままハモンさんが来て、お互いを殺し合うことになったら何の意味もない。あなたが生きていることを、ハモンさんに伝える必要があります。できれば」
「ほう」
セイラさんが息を呑んだ。
俺はすぐには答えなかった。答えれば、もう戻れない気がした。
「……俺は、何も聞かなかったことにできます」
ラルさんが笑った。
低く、短く。
「下手な嘘だな」
「嘘ですから」
「レン」
セイラさんの声が鋭くなった。
「あなた、自分が何を言っているか分かっているのかしら?」
「分かってるつもりです。ブライトさんが知ったら怒るし、怒るだけじゃ済まないでしょう」
「なら、なぜ」
「このままだと、もっと悪くなるからです」
それだけでは足りないのは分かっていた。けれど、全部は言えない。
だから、今ある言葉だけで言う。
「目の前で死なせたくないんです。ラルさんも、ハモンさんも、ラル隊の人たちも。もちろん、こっちの誰かも」
綺麗な理由だけではない。俺の中には打算もある。ラルさんとハモンさんが生きている意味を、先の未来に見ている自分がいる。でも、今ここでそれを言えば、ただ人を駒として見ているだけになる。いや、実際そういう部分もある。そこが一番きつい。
ラルさんは、しばらくしてから口を開いた。
「貴様は、私がハモンを止めると思っているのか」
「止めてください」
「命令か」
「お願いですかね」
「敵に願うか」
「はい」
ラルさんは俺を見た。たぶん、値踏みしている。こいつはただの甘い子どもなのか。何かを隠しているのか。どこまで本気なのか。そういう目だった。
「この艦にとって損になるぞ」
「分かってます」
「再び敵として立つ可能性もある」
「それも分かってます」
「それでもか」
そして俺は近寄り小声で言った。
「逃がす、とは言いません。俺は鍵を閉め忘れるかもしれないし、整備区画の近くに余った装備が置かれるかもしれない。それだけです」
「やはり下手な嘘だな」
「自覚はあります」
ラルさんは、今度は声を出さずに笑った。セイラさんは笑わなかった。むしろ、苦しそうな顔をしていた。
「セイラさんは関係ありません」
俺は先に言った。
「今ここで話を聞いたとしても、関係ありません。俺が勝手にやります。ブライトさんにも言いません」
「レン、それで済むと思っているの」
「済まないと思います。でも、セイラさんは関係ありません」
「そういう問題ではないわ」
「はい。そういう問題じゃないです」
セイラさんの言葉は正しい。これは誰が責任を取るかだけの話ではない。捕虜を逃がす。敵指揮官を逃がす。しかもその理由が、未来知識と感情の混ざった俺の独断だ。普通に考えれば、最悪だ。
でも、このまま何もしない方がいいとは思えなかった。
ラルさんは静かに息を吐いた。
「アルテイシア様」
「その名は」
「これだけは申し上げる。どうか、生き延びられよ」
セイラさんの目が揺れた。
「あなたは、兄を知っているの?」
「今のキャスバル様のことは、詳しく存じません」
セイラさんは何も言えなかった。
ラルさんは俺へ視線を戻した。
「小僧。名をもう一度聞いておく」
「レン・イズミです」
「レン。私は貴様を信用したわけではない」
「それでいいです」
「だが、ハモンと部下を無駄に死なせる気はない」
その言葉だけで、十分だった。
俺は部屋を出た。
廊下の空気がやけに冷たく感じた。見張りの兵は、俺とセイラさんの顔を見比べている。何が話されたのかまでは分かっていない。分かっていないままでいい。
それから俺は、整備区画へ向かった。
やることは多くなかった。だからこそ、失敗できなかった。捕虜区画の扉のロックは古い倉庫用で、軍用独房ほど複雑ではない。艦内戦の影響で、一部の配線チェックが必要になっている。俺は点検名目で端末を繋ぎ、ロックのログを確認した。完全には開けない。ただ、閉まっているように見えて、非常時の手動解除が少し甘くなるようにする。
次に、整備員用の予備服と小型の携帯通信機を、通路奥の補修材ケースの中へ入れた。通信機は広域用ではない。距離も短いし、出力も弱い。だが、ギャロップが近づけば届く可能性はある。発煙筒代わりに使える小型信号筒も一つ入れた。
俺は善人だからラルさんを助けるわけじゃない。
死なせたくない。見捨てたくない。それは本音だ。でも同時に、この人たちが生きていれば、後で何かを変えられるかもしれないとも考えている。感情と打算が混ざっている。自分でも、どちらが強いのか分からない。
分からないまま、俺はケースの蓋を閉めた。
ブライトさんには言えない。
セイラさんにも、これ以上は言わない。
ラルさんが本当に動くかどうかは、ラルさん次第だ。俺ができるのは、扉を完全には閉じないことと、道具を置いておくことだけだった。
捕虜区画へ戻ると、ラルさんは先ほどと同じ姿勢で座っていた。見張りも変わっていない。何も起きていないように見える。
俺は扉の前で立ち止まった。
ラルさんが、こちらを見た。
言葉はなかった。
ただ、扉を閉めた。
閉めた。
でも、鍵は最後まで戻していなかった。