いや、いるのかよ。
俺は端末の前で、数秒だけ完全停止した。
アムロ・レイ。
アムロ・レイ?
いやいやいや。
名前の圧が強い。上級生向けの工作室利用欄に、さらっと置いていい名前じゃない。前世の俺からすると、ゲームの序盤村でいきなりラスボスの名前を見つけたくらいの違和感がある。いや、敵ではない。敵ではないんだけど、存在感がバグっている。
しかも二つ上。
同じ教室にいるわけではない。そこはまだ救いだった。毎朝「おはようアムロ」とか言う距離だったら、俺の心臓がもたない。だが、学校内にいる。工作室を使っている。しかもこの時期に。
TV版と違う。たぶん違う。これ、やっぱりORIGIN? いや、俺、ORIGINあまり知らないんだけど。
前世知識、こういう時に本当に雑。
「レン、上の学年の予定なんか見てどうしたの。何か面白いやつあった?」
隣の子に聞かれて、俺は内心の大混乱を顔面から引っこ抜いた。危ない。ここで「アムロがいる」とか言ったら説明不能だ。知り合いでもない上級生の名前で興奮する下級生。怖い。普通に怖い。
「工作室の予定見てた。上の学年って、使える工具がちょっと増えるんだなって」
「ああ、レンそういうの好きだもんね。前に先生に、まだ早いって止められてたやつ?」
「そう。それ。別に触るつもりはないよ。見るだけ。見るだけなら合法」
「ごうほう?」
「怒られないってこと」
俺がそう言うと、相手は「ふうん」と流した。
助かった。
合法とか言う子どももまあまあ変だが、俺はもう「少し変な機械好き」枠で通っている。多少の変な言葉は「レンだし」で流される。日頃の積み重ねって大事だ。変人ポイントを少しずつ積んでおくと、いざという時に雑な言い訳が通る。いや、そんなライフハックを幼少期に得たくはなかった。
ただ、問題はここからだ。
アムロ・レイを見つけた。
では、どうするか。
いきなり話しかけるのは論外である。二つ上の上級生に、下級生が突然近づいて「君がアムロ・レイか」なんて言ったら、それはもう不審児童だ。前世の感覚で言うなら、知らない小学生が急に「あなた将来すごいですよね」と言ってくるようなものだ。普通に先生を呼ぶ。
だから、まずは観察。
……言い方が悪い。
まずは、自然に様子を見る。
こっちならまだギリギリ健全に聞こえる。たぶん。
それから数日、俺は工作室の予定をちょくちょく確認した。もちろん、やりすぎない範囲でだ。端末に張り付いて上級生欄ばかり見ていたら、ただの怪しい子になる。なので、下級生の教材予定を見るついでに、上の方へ視線を滑らせる。共用メンテナンスルームの前を通る時も、あくまで通りすがりを装う。
装ってばかりだな、俺の人生。
いや、転生してからずっとこんな感じか。
そして、三日目。
ついに見た。
工作室の奥、上級生用の作業台。その端っこに、少し癖のある髪の少年が座っていた。
前のめりの姿勢で、周りの声は半分くらいしか聞いていない感じ。机の上には、小型の移動ユニット、センサー部品、基板、丸い外装パーツ。端末には制御の簡易ログ。手元は忙しいのに、目だけは妙に静かだった。
あ、これだ。
俺は工具返却棚の前で、心の中だけで頷いた。
これ、アムロだ。
前世ネットでテンパ呼びされていた少年が、普通に学校の工作室で機械をいじっている。
現地民としては、なかなか心臓に悪い。
「アムロ、またそれかよ。片付け遅れると先生に言われるぞ」
近くの上級生が、呆れ半分で声をかけた。
すると少年は、手元から目を離さないまま言った。
「分かってる。でも、ここで止まるのが変なんだよ。センサーは反応してるのに、止まるまでに一拍ある。ログを見ると入力は入ってる。だからセンサーじゃなくて処理側だと思うんだけど」
「俺に言われても分からん」
「だから別に聞いてない」
「お前なあ」
うわ、アムロだ。
ぶっきらぼう。悪気は薄い。でも言い方がちょっと足りない。機械の話になるとそっちへ一直線。周りと完全に断絶しているわけじゃないが、優先順位の一位が手元の機械になっている。
分かる。
分かるが、周囲からすると面倒くさいやつだ。前世の俺もゲームやプラモに集中している時、似たような顔をしていた可能性がある。急に親近感が湧いてきた。いや、相手はアムロだけど。
俺は棚に工具を返しながら、ちらっとユニットの動きを見た。
小型の移動ユニットは、机の上をゆっくり進む。前方の障害物をセンサーで拾って、止まる。止まるのだが、その直前に前側が少し沈み、止まった後に横へ小さく揺れた。
ああ。
それ、制御だけじゃない気がする。
前側の支えが負けている。止まる前に荷重が前へ乗って、そこで姿勢が崩れている。命令が遅いというより、命令を受けた後の機体側の遊びが大きい。たぶん。
言うか。
言わないか。
ここで口を出すと、二つ下の子どもが上級生の作業に割り込むことになる。普通に考えると生意気だ。しかも初対面。やめた方がいい。
でも、機械好きの年下として自然に近づくなら、こういう瞬間しかない。
俺は一度、工具棚を閉めた。
よし。
不審児童にならない程度にいこう。
「あの」
声をかけると、アムロが顔を上げた。
少しだけ眉が寄っている。完全に「今いいところなんだけど」という顔だ。分かる。分かるけど、許してほしい。こっちも人生がかかっている。いや、その説明はできない。
「何?」
「それ、止まる命令が遅いだけじゃなくて、前の支えが少し沈んでると思う。止まる直前に前が下がって、それで止まった後に横へ揺れてる」
言った。
少し言いすぎたかもしれない。
アムロは俺を見た。次にユニットを見る。それから、無言で前側の支えを指で押した。
「……ここ?」
「たぶん。僕、工具を返しに来ただけだから、ちゃんと見たわけじゃないけど。さっき動いた時、止まる前に前が少し潰れてた」
「ちゃんと見てないわりに、よく見てるな」
「よく言われる」
俺が正直に答えると、近くの上級生が笑った。
「アムロ、お前の仲間っぽいの来たぞ。下の学年にもいるんだな、こういうの」
「こういうのって何だよ」
「機械を見ると急に早口になるやつ」
アムロは少し不満そうな顔をした。
俺は内心で、その上級生に拍手した。
ナイス雑談。
空気が軽くなった。ありがたい。上級生の何気ない茶化しに救われる転生者。何のジャンルだこれ。
アムロは俺の名札を見た。
「レン・イズミ。二つ下だよな」
「はい。下級生枠で工作室使ってます。今日は工具返しに来ただけ」
「二つ下で、支えの沈みなんか見るのか」
「父さんが、動くものは止まる時を見るのが大事だって言うから。速く動くより、ちゃんと止まる方が危なくないって。まあ、僕も速く動くのは好きだけど」
「それは分かる。速い方が面白い」
「でも止まれないと怒られる」
「怒られるだけならいいけど、壊れる」
そこでアムロの声が少しだけ具体的になった。
「センサーの入力は入ってるんだ。ログにも出てる。だから処理が遅いと思ってた。でも、前側が沈んでるなら、止まる命令を早くしても揺れは残る。重さが前に逃げてるから、そこで姿勢が崩れる」
「たぶん。支えを固くしすぎたら、今度は跳ねるかもしれないけど」
「ああ。だから少しだけ挟む。薄いスペーサー、そこにある?」
「これ?」
「いや、それは厚い。右の、透明のやつ」
「これか」
俺は言われた部品を渡した。
アムロは受け取ると、迷いなくユニットを少し分解した。手が早い。しかも雑ではない。どこを外して、どこを触ればいいか、かなり自然に分かっている。俺は構造から入る。こいつは回路と制御から入りながら、必要なら構造にもすぐ手を伸ばす。
やっぱり速い。
これがテンパか。
いや、本人を前にテンパ呼びはやめろ。心の中だけにしておけ。さすがに失礼だ。
「レンは構造を見るのが好きなのか」
作業しながら、アムロが聞いてきた。
「好き。動くところも好きだけど、どこで支えてるかとか、どこが先に壊れそうかを見るのが面白い。見た目だけ強くても、動いたら壊れるの嫌だし」
「変わってるな」
「それもよく言われる。でもアムロだって、人のこと言えないと思う」
言ってから、少しだけ冷や汗が出た。
初対面の上級生に、いきなり軽口を返した。前世の俺なら問題ない距離感でも、今の俺は二つ下の子どもだ。馴れ馴れしすぎたかもしれない。
だがアムロは、怒らなかった。
むしろ、ほんの少しだけ口元を動かした。
「まあ、僕も言われる」
「やっぱり」
「やっぱりって何だよ」
「機械好きはだいたい変って言われるから」
「それは、まあ……そうかもしれない」
よし。
会話が続いた。
しかも、思ったより軽い。アムロはぶっきらぼうだが、会話不能ではない。機械の話になれば普通に返してくるし、軽口にも一応反応する。完全なコミュ障ではない。ちょっと言葉が足りない機械沼の住人だ。
親近感がすごい。
アムロはスペーサーを挟み、端末の条件を少し変えた。指の動きが早い。俺ならログを見て、構造を見て、少し考えてから変える。アムロは違う。見た瞬間に、処理のどこを触るかに手が伸びる。
電子制御と回路の理解が直感的に速い。
俺が前世経験と父さんの教材で理屈から積んでいるなら、アムロは半分感覚で飛ぶ。天才という言葉が頭をよぎったが、あまり美化したくはなかった。天才だって子どもだ。しかもこの先、戦争に放り込まれる子どもだ。
戦争はまじでクソ。
こんなやつを、機械好きのままにしておいてくれないのだから。
「動かす」
アムロが短く言った。
ユニットが机の上を進む。障害物を拾い、今度はさっきより滑らかに減速した。前側の沈みは小さい。止まった後の横ぶれも減っている。
「お」
俺が声を出すと、アムロは画面を見ながら少しだけ頷いた。
「揺れは減った。でもまだ遅い。今度は条件を詰める」
「今のでだいぶよくない?」
「よくなったけど、まだ気持ち悪い」
「あー、分かる。動くけど、なんか納得いかないやつ」
「そう。それ」
その瞬間、アムロが初めてはっきり俺を見た。
あ、通じた。
たぶん、今の「なんか納得いかない」で通じた。
機械好き同士、細かい違和感の気持ち悪さは分かる。動く。動くけど、違う。仕様上は問題ない。問題ないけど、ここが気になる。人に説明すると「動いてるならいいじゃん」と言われるやつだ。
よくない。
動いているからこそ気になるのだ。
父さんにも「うまくいった時ほど確認」と言われている。まったくその通りである。
「レン、下級生の工具、まだ使う?」
「返したけど、また出せるよ。先生に言えば」
「じゃあ、次の枠でまだ残るなら、少し手伝って。支えを変えた時の動き、横から見てほしい。僕、ログ見ながらだと動きが見づらい」
え。
いきなり共同作業っぽいものが発生した。
早くない?
いや、機械好き同士ならこんなものかもしれない。プラモでもゲームでも、話が通じる相手とは距離が縮まるのが早い。前世でもあった。初対面でも好きな作品が一致すると急に会話が進むやつ。オタクの距離感は時々バグる。
ただ、ここで調子に乗るな。
俺は二つ下。相手はアムロ。未来知識は絶対に話さない。ガンダムも、サイド7襲撃も、RX-78-2も言わない。こいつがガンダムに乗らない未来は危険だ。俺がやるのは、アムロの道を横取りすることじゃない。
ただの機械好きの年下として、少し話が通じる相手になる。
それでいい。
「先生に聞いてくる。駄目って言われたら、見るだけでもいい?」
「見るだけでもいい。さっきみたいに変な動きがあったら言って」
「変な動き限定?」
「普通の動きを言われても困るだろ」
「たしかに」
俺が笑うと、アムロも少しだけ笑った。
工作室の空気は、さっきよりずっと軽かった。上級生の一人が「アムロに下級生の助手ができた」と茶化し、アムロが「助手じゃない」と言い返す。俺は「見習いくらいでお願いします」と乗っておいた。
こういう軽口は大事だ。
変に重くしない。未来のことを知っている顔をしない。画面の向こうの主人公を見る目ではなく、今ここにいる二つ上の機械好きとして接する。
それがたぶん、一番自然だ。
先生に確認すると、片付けを手伝うことを条件に少しだけ残る許可が出た。俺は内心でガッツポーズをした。表情には出さない。いや、少し出たかもしれない。
アムロは端末を少しずらし、俺にユニットの横側が見える位置を空けた。
「レン、そこから見て。止まる瞬間、前と横のどっちが先に揺れるか」
「了解。あ、でも僕、ログは読まないよ。上級生用のやつ勝手に見ると怒られそうだし」
「別に見てもいいけど」
「いや、怒られる時はだいたい年下が損するから」
「変なところ気にするな」
「下は立場が弱いんだよ」
そう言うと、アムロは少し呆れたように笑った。
よし。
アムロ・レイと話せた。
しかも、思ったより普通に話せた。
テンパ予備軍は、やっぱり機械の話になると分かりやすい。ぶっきらぼうで、少し言葉が足りなくて、でも手元の機械にはやたら真剣で。こいつとは、たぶん話が合う。
問題は、その相手が未来の中心人物だということだ。
でも今は、そこを考えすぎない。
今ここにいるのは、ガンダムのパイロットではない。戦場で化け物みたいに成長する少年でもない。
二つ上の、機械好きの上級生だ。
そして俺は、少し変な機械好きの年下。
まずはそれでいい。
生存戦略、その次。
アムロ・レイと、普通に機械の話をする。
……普通に、が一番難しいんだけどな。