【完結】黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第68話 漏れた航路

 ベルファストの灯が見えなくなってからしばらくして、カイは物資庫へ戻った。

 

 扉を開けると、ミハルは置いていった水にほとんど手をつけず、箱の脇に座っていた。逃げた様子はない。だからといって、作業員だという話を信じる気にもなれなかった。

 

「名前は?」

 

「先にそっちが名乗っただろ」

 

「俺の名前じゃなくて、お前のだよ」

 

「……ミハル」

 

「それだけか?」

 

「ミハル・ラトキエ。それで満足かい」

 

 カイは扉の横へ背を預けた。

 

「何のために乗り込んだんだ?」

 

「何度も言ってるだろ。仕事ではぐれたんだよ」

 

「はぐれた奴が隠れて、通行証までなくすかよ」

 

 ミハルは答えず、上着のポケットへ手を置いた。保存食の包みが少しだけのぞいている。

 

「まだ食ってなかったのか」

 

「弟と妹に持って帰るつもりだったんだよ」

 

「ベルファストにいるのか?」

 

「二人だけで待ってる」

 

 さっきまでより、ミハルの声が少し低くなった。

 

 カイは通路の連絡機へ目を向けた。ブライトへ知らせれば、あとは艦内の大人たちが判断する。それが一番正しい。それでも通話ボタンには手を伸ばせなかった。

 

「もう海の上だ。南米の基地へ着くまで、今すぐ降ろすのは無理だぞ」

 

「南米?」

 

「向こうのドックに入るまではどうにもならねえ。それ以上は知らないし、余計なことも聞くな。ここから出る時は俺を呼べ」

 

「私をどうするつもりなんだい」

 

「それを考えてるところだ」

 

 カイは新しい水と毛布を置き、扉を閉めた。

 

 それから三日、ミハルは後部物資区画に潜んだ。カイが食事を運び、人の少ない時間だけ洗面所へ連れ出した。二人の会話は増えなかったが、カイは弟妹の名前を知り、ミハルはホワイトベースが南米の基地へ向かっていることを知った。

 

 ◇

 

 ベルファストを出て三日目、ホワイトベースは大西洋上を南西へ進んでいた。

 

 昼を少し過ぎた頃、ブリッジから救難信号を受信したという放送が入った。近くを飛んでいた漁業会社の小型飛行艇が、操縦系統の故障と燃料漏れを起こしたらしい。

 

 俺とアムロは出撃待機を命じられ、MSデッキで機体の最終確認をしていた。

 

『民間登録番号は照合できました。ただし、登録情報が古いままです』

 

 セイラさんの声が艦内回線から流れる。

 

『乗員は二名。片方が負傷していると言っています』

 

『救助する。ただし収容は後部デッキに限定しろ。武器と身元を確認するまで、艦内を自由に歩かせるな』

 

 ブライトさんの命令に迷いはなかった。疑うべきところは疑う。それでも、本当に遭難しているかもしれない人間を海へ残すことはしない。

 

 やがて、小型飛行艇が後部デッキへ引き込まれてきた。片方の男は腕に布を巻き、もう一人が肩を貸している。二人とも油と海水で汚れ、武器らしいものは持っていなかった。

 

 負傷していない方の男が、周囲を一度だけ見回した。助けられた人間が出口を確かめただけにも見える。けれど、その視線は人より先に、通路や扉の位置を拾っているように感じた。

 

「レン」

 

 アムロに呼ばれ、俺は黒いガンダムへ向き直った。

 

「ごめん。何?」

 

「さっきから外ばかり見てる。何か気になるのか」

 

「あの人たち、本当に漁師なのかなって」

 

「身元確認はしてるんだろ」

 

「してる。だから、気のせいかもしれない」

 

 整備員が飛行艇の燃料管を交換し、負傷者は医療区画で手当てを受けた。もう一人の男も、警備のついた待機区画へ移される。

 

 その後しばらく、何も起きなかった。

 

 ◇

 

 物資庫の外を、誰かの足音が通り過ぎた。

 

 少しして、離れた場所から金属を叩く音が聞こえた。二度、間を置いて、もう一度。ベルファストの連絡員が使っていた合図だった。ミハルは扉を細く開けた。通路には誰もいない。もう一度、今度は角を曲がった先から同じ音がする。

 

 人の気配を確かめながら進むと、作業着姿の男が通路の奥で待っていた。負傷者へ付き添ってきた民間機の乗員だ。近くには警備の足音がある。長く話せる状況ではなかった

 

「目的地は?」

 

「南米の連邦軍基地。大きなドックへ入るって聞いた」

 

 男の目が細くなる。

 

「この航路ならジャブローだな。搭載機は?」

 

「白いのと黒いのと他二機くらい。どっちも動ける」

 

「損傷は?」

 

「分からない。ベルファストでも出てた」

 

 男は短くうなずいた。

 

「報酬は連絡員へ渡す」

 

「弟と妹に届くんだろうね」

 

「任務が終わればな」

 

 ミハルは男の袖をつかんだ。

 

「この前の攻撃で、港の人が死んだのかい」

 

「知る必要はない」

 

 男は手を振りほどき、警備員が戻る前に通路の向こうへ消えた。

 

 ミハルが物資庫へ戻ろうとすると、その前にカイが立っていた。いつもの軽口はなく、男が消えた通路を見ている。

 

「今の男と何を話した」

 

「何も」

 

「嘘つけ。お前、さっきまでここにいなかっただろ」

 

 ミハルは目をそらした。

 

「何を話した」

 

「……南米へ行くってことだけさ」

 

 カイの表情が消えた。

 

「俺が喋ったことか」

 

「そうだよ」

 

「ほかには?」

 

「白と黒のモビルスーツが動けるって」

 

「誰に頼まれた」

 

「言えない」

 

 カイはしばらく黙っていた。

 

「弟と妹のためか」

 

「あんたには関係ないだろ」

 

「敵が来れば、この船にいる全員に関係あるんだよ」

 

 低い声だけを残し、カイは物資庫を離れた。

 

 ◇

 

 民間の飛行艇が離艦してから間もなく、カイさんがMSデッキへ戻ってきた。

 

 顔色が悪い。いつものように文句を言うこともなく、壁の通信機を取った。

 

「ブリッジ、カイだ。ブライトを出してくれ」

 

『俺だ。どうした』

 

「さっきの民間機、もう一度調べられないか」

 

『理由を言え』

 

 カイさんは受話器を握ったまま、少しだけ黙った。

 

「進路が漏れたかもしれない。南米へ向かってることと、白と黒のモビルスーツが動けることもだ」

 

『なぜ分かる』

 

「俺が余計なことを喋った。相手のことはあとで全部話す。今は海の中を警戒してくれ」

 

 通信の向こうが静かになる。

 

『カイ、この件はあとで全部報告しろ。セイラ、先ほどの民間機を再照合。ミライ、針路を変更。対潜監視を最大に上げろ』

 

『了解』

 

 すぐに艦内の空気が変わった。

 

 整備員が白いガンダムと黒い一号機の固定具を外し、カタパルト周辺から人が下がる。俺とアムロもコックピットへ向かった。

 

『海中に反応!』

 

 ブリッジから鋭い声が飛ぶ。

 

『三つです。二つは水中用モビルスーツと思われます。もう一つは――大きい。急速接近しています!』

 

 警報が鳴った。

 

 黒い一号機のコックピットへ乗り込み、ハッチを閉じる。起動したモニターの向こうには、暗い海面しか見えない。

 

 その下から、重い何かが近づいていた。

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