警告音が、まだ耳の奥に残っていた。
黒いガンダムのコックピットは、撃破直後の熱と振動を抱えたまま、ホワイトベースの誘導信号に従っている。左腕の反応が重い。動かないわけじゃない。けれど、動かすたびに関節の奥で何かが擦れるような違和感が返ってきた。
正面モニターの端には、赤い警告が残り続けている。
左腕部負荷過大。肩部フレーム警告。シールド保持部異常。衝撃吸収ログ、許容値超過。
ドムがミデアへ突っ込んだ時、俺は左腕のシールドを前へ出した。考えるより先に体が動いて、どうにか届いた。マチルダさんは助かった。けれど、黒いガンダムの左腕は、その分だけきっちり悲鳴を上げている。
『一号機、着艦コースに乗っています』
ブリッジからの通信に、俺は姿勢制御を細かく合わせた。
「了解。脚とバックパックで合わせます。」
『そのまま誘導に従って。デッキ側、固定アーム準備』
ミライさんの声は落ち着いていた。だからこそ、艦の中がまだ戦闘直後の緊張を引きずっているのが分かる。
格納ハッチが近づき、白い艦体の影がコックピットを覆った。砂塵と煙がモニターの外へ流れていく。戦場から離れた気はしたが、安全になったわけじゃない。戻った先も、次の戦いへ向けて動き続ける艦の中だ。
着艦脚がデッキに触れた瞬間、左肩の警告がまた跳ねた。
「くそ……まだ鳴るのかよ」
小さくこぼしながらスロットルを落とす。固定アームが機体を掴み、足元で整備員たちが走り出した。誘導灯が赤から黄へ変わるのを見て、俺は主電源を戦闘モードから待機へ切り替えた。
コックピットハッチが開く。熱い空気と金属の匂いが、いっぺんに流れ込んできた。
「レン、出られるか!」
下から声が飛ぶ。
「出られます。機体の左腕、先に見た方がいいです」
「お前な、まず自分が降りろ!」
「いや、降りますけど。見た目からもう嫌な感じなんですよ」
「そりゃこっちから見ても嫌な感じだよ!」
怒鳴られながら、俺はシートベルトを外して外へ出た。
1号機の左腕は、想像していたよりずっとひどかった。シールドは中央から裂け、装甲板がめくれ、フレームが露出している。保持部周りは歪み、接続基部の一部が外側へねじれていた。左腕そのものは繋がっているし、肩も落ちてはいない。けれど、無事とはとても言えない。
守った結果が、そこに残っていた。
「シールドは廃棄だな。保持部も見ないと分からんが、こりゃそのままじゃ使えねえぞ」
ハワドさんが端末を見ながら言う。
「左腕はどのくらいです?」
「今すぐどうこうなる状態じゃない。だが衝撃ログが悪い。肩もフレームも泣いてる。お前、何を受けた」
「スカート付きの突撃です」
「聞かなきゃよかったな、それ」
顔をしかめた。整備員たちがシールド残骸の固定に取りかかり、ジョブが工具箱を抱えて走ってくる。端末を受け取ったジョブは、表示を追いながら早口で数値を読み上げた。
「左肩、関節部温度上昇。保持部の軸がずれてます。フレームは……折れてはいないです。ただ、歪みが出てます」
「折れてないだけマシだ。ジョブ、そこは触るな。先に支えを入れろ」
「はい!」
本体は大破していない。脚は動く。ビームライフルもサーベルも使える。出撃しろと言われれば出られるだろう。だが、盾で受ける戦いはもうできない。少なくとも、オデッサ作戦までにまともな修理ができなければ。
視線を少しずらすと、白いガンダムも帰艦していた。装甲には砂と焦げ跡が残り、脚部にも無理な踏み込みの跡が見える。黒い1号機ほど分かりやすく壊れてはいないが、楽な戦いだったはずがない。
その足元に、アムロが立っていた。
「アムロ、そっちは大丈夫?」
呼びかけると、アムロはヘルメットを抱えたままこちらを向いた。
「僕は大丈夫。ガンダムは、足首と膝に少し負荷が出てると思う。あとでログを見ないと分からないけど……レンの方がひどそうだ」
「見た目は派手にやったね。本体は動くよ。盾は死んだけど」
「死んだって、そんな言い方するなよ。あれ、盾がなかったらミデアに入ってただろ」
「まあ、それはそう。だから、盾には悪いけど仕事はした」
アムロはそこで少し息を吐いた。肩の力が抜ける。
「マチルダさんは?」
「無事だよ。ミデアも離脱できるって話」
「……よかった」
その一言には、変な飾りがなかった。憧れも、安堵も、戦闘直後の疲れも混ざっている。けれど、死ぬはずだった誰かの話じゃない。今ここで、守れた相手の話だ。
「アムロがあいつらの流れを崩してくれたから、こっちも動けた。あのまま三機で来られてたら、俺だけじゃ間に入れなかったと思う」
「そんな余裕なかったよ。先頭を見すぎたら後ろにやられるし、下がったらミデアの方に流れるし……気づいたら上に跳んでた」
「結果、踏み越えたんだから十分だろ。俺だったらたぶん、怖くて横に逃げてた」
「レンがそれ言うのか?」
「言うよ。怖いものは怖いし」
アムロは少しだけ口元を緩めた。そこへ、デッキ内の端末に通信が入る。映像はすぐに安定した。画面の中のマチルダさんは、頬に薄く血をにじませ、制服の肩と袖を汚していた。おそらく衝撃で機内のどこかにぶつけたのだろう。それでも姿勢は崩れていない。
『ホワイトベース、こちらマチルダ隊。機体に損傷はありますが、離脱可能です』
『了解しました。ご無事で何よりです』
ブライトさんの声がブリッジから入る。
『こちらこそ。アムロ、レン』
呼ばれて、俺とアムロは端末の前に立った。
『あなたたちがいなければ、こちらはもっと危険な状態になっていました。ありがとう』
「マチルダさん……」
アムロの声が少し詰まる。マチルダさんは穏やかに頷いたが、その顔はすぐに軍人のものへ戻った。
『私は隊を立て直して後送に戻ります。あなたたちは、これからの戦闘に備えてください。届けた物資を使う時間が、十分にあるとは限りません』
「はい。マチルダさんも、無理しないでください」
俺がそう言うと、マチルダさんはほんの少しだけ笑った。
『それはこちらの台詞です。黒いガンダムの左腕、無事ではなさそうに見えます』
「見た目通りです。整備班に怒られてます」
『なら、素直に怒られておきなさい。生き残るためには必要なことです』
通信は短く終わった。
アムロはしばらく画面を見ていたが、やがて小さく頷いた。
「レン、後で黒い方のログ見せてくれ。左腕の負荷、ガンダム側の動きにも関係あるかもしれない」
「いいよ。俺も白い方の踏み込みログを見たい。あの動き、普通に参考になる」
「整備の邪魔にならない範囲でな」
「それを俺に言う?」
「言うよ。レン、機体を見始めると戻ってこない時あるだろ」
普通に言い返せなかった。
◇
黒いガンダムの損傷確認は、思ったより悪く、思ったよりマシだった。
脚部、バックパック、主駆動、火器管制は戦闘可能。ビームライフル、ビームサーベル、頭部バルカンも使える。端末に並ぶ項目のうち、緑の表示はまだ多い。機体としては動ける。
問題は左側だった。
「左腕は動くが、強い負荷は禁止。肩部フレームに歪み。保持部は要調整。シールドは完全に駄目だ。予備を付けるにしても、今の保持部じゃ信用できねえ」
「軽い防御なら?」
「破片や流れ弾を受ける程度なら、調整次第だな。ただし、さっきみたいな突撃を受け止めるのは論外だ。やったら今度は腕ごと持っていかれるぞ」
「そこまで言われたら、さすがにやりませんよ」
「さすがに、で命を賭けるな。お前のさすがには信用がない」
「それは……まあ、反論しづらいです」
倉庫には一本あるらしいが、1号機用に合わせ直す時間が足りない。補給は来た。弾薬も部品も入った。だが、戦場は修理が終わるまで待ってくれない。
「オデッサに入るまでに、最低限の調整はする。新品同然には戻らん。レン、お前が乗ることになるなら、左腕を盾みたいに使うな」
「分かりました。左腕で受けるより、避けるか撃つ方で考えます」
「最初からそうしろ」
「それができれば、苦労してないんですよね……」
つい本音が出る。ハワドさんは呆れた顔をしたが、それ以上は言わなかった。
その時、ブリッジから呼び出しが入った。
『レン・イズミ、ブリッジへ。ブライト艦長代理がお呼びです』
機体の損傷より、こっちの方が胃にくる。
「行ってこい。どうせ機体の話だけじゃ済まねえだろ」
「ですよね」
「戻ったら左腕のログ確認だ。勝手にどっか行くなよ」
「今その自由も怪しいんで、大丈夫です」
自分で言って、少しだけ情けなくなった。
◇
ブリッジに上がると、空気はまだ硬かった。
ミライさんが航路を確認し、セイラさんが通信席で複数の回線を捌いている。カイさんとハヤトも端の方にいた。どうやら、次の作戦配置の話も兼ねているらしい。
ブライトさんは正面のモニターから目を離さずに言った。
「レン・イズミ」
「はい」
「今回の戦闘で、お前がマチルダ中尉のミデアを守ったこと、スカート付きを一機撃破したことは確認している。戦果としては大きい」
「はい。ですが、左腕とシールドはかなりやりました。整備班からは、次に同じ受け方をしたら腕ごと持っていかれると言われています」
「その報告も受けている。だからこそ、お前の扱いを決める必要がある」
ブライトさんの声は硬い。けれど、怒鳴るために呼んだわけではないらしい。
「アムロの突破とお前の介入がなければ、マチルダ隊は失われていた可能性が高い。それは認める。だが、脱走を手引きした件は別だ。敵指揮官を逃がし、艦の命令系統を壊した事実は消えない」
「分かっています。今回役に立ったから帳消しに、って話じゃないですよね」
「そうだ」
短く言ってから、ブライトさんは少しだけ息を吐いた。疲れている顔だった。若い指揮官が、戦力と軍規の両方を抱えている。こっちもきついが、向こうも楽なはずがない。
「現状、ホワイトベースには戦力が必要だ。黒いガンダムも、お前も、数えざるを得ない。だから、お前の独房拘禁は監視付き待機へ変更する」
「……いいんですか?」
「勘違いするな。自由行動を認めるわけではない。黒いガンダムへの無断搭乗は禁止。整備デッキへの立ち会いは許可する。ただし、移動は報告制だ。戦闘時の搭乗は、その都度こちらが判断する」
「つまり、艦として必要な時だけ出す。普段は監視付き、ですね」
「そうだ。最終的な処分は、オデッサ作戦後、またはジャブロー到着後に改めて判断する」
重い処分だ。
でも、独房へ戻されるよりは動ける。機体も見られる。アムロたちの近くにもいられる。それをありがたいと思ってしまうのが、少し嫌だった。
「了解しました。正直、助かります。でも、ありがとうございますって言っていい話でもないですよね」
「感謝されるための処分ではない」
「はい」
セイラさんが通信席から視線だけを向けた。
「あなたが何かを隠していることは、今に始まったことではないわ。けれど、隠したまま艦を動かすなら、代償はあなた一人では済まなくてよ」
言葉は短いが、妙に逃げ場がない。全部を見抜かれているわけではない。核心に届いているわけでもない。それでも、俺が何かを抱え込んで動いていることは、もう何度も見せてしまっている。
「……はい。全部話せるとは言えません。でも、勝手にやっていい理由にはしません」
ミライさんが少しだけ表情を緩めた。
「それなら、まずは報告を増やして。判断を一人で抱え込まないでくれるだけでも違うわ」
「分かりました。できるだけ、じゃなくて、やります」
ブライトさんが頷く。
「下がれ。整備確認に戻れ。ただし、ブリッジから呼び出しがあればすぐ来い」
「了解しました」
敬礼してブリッジを出る。扉が閉まる直前、カイさんの声が聞こえた。
「まったく、黒いのが戻ったと思ったら、今度は紐付きかよ」
ハヤトが小さく返す。
「でも、いないよりはずっといいよ」
「そりゃそうだけどさ。本人の前で言ってやれよ、そういうのは」
「カイさんこそ」
「俺は言わねえよ。調子に乗るだろ」
少しだけ笑いそうになって、すぐに飲み込んだ。
◇
医療区画の前を通ると、フラウが包帯と水の入った容器を運んでいた。
「レン。アムロ見た?」
「MSデッキにいたよ。ガンダムの足を見てた。たぶんログも見てると思う」
「そっか。マチルダさん、無事でよかったね」
「うん。ミデアは損傷してるみたいだけど、離脱できるって」
フラウは安心したように息を吐いたが、すぐに俺の顔を見て眉を寄せた。
「レンも少し休んだ方がいいよ。顔、疲れてる」
「そうしたいけど、たぶん休む前に左腕のログと処分の説明とオデッサの話が来る」
「それ、休む気ない人の言い方」
「いや、あるよ。気持ちはすごくある」
その時、医療区画の奥から声が飛んだ。
「なら、戻ってこい。そういう時ほど無茶するんだよ、お前らは」
リュウさんだった。ベッドから上体を起こそうとして、医療班に止められている。顔色は悪いが、声にはいつもの太さが少し戻っていた。
「リュウさん、寝ててくださいって」
フラウが慌てる。
「寝てるさ。声くらい出せる。レン、守るもんがあるなら帰ってこい。守った後に倒れたんじゃ、周りが困る」
「……はい。気をつけます」
「気をつけるだけじゃ弱いな」
「じゃあ、ちゃんと帰ってきます」
「それでいい」
リュウさんはそれだけ言うと、顔をしかめて横になった。フラウが医療班の手伝いに戻るのを見届けて、俺もMSデッキへ戻った。
◇
アムロはまだ白いガンダムの足元にいた。足首の装甲を見て、整備員と何か話している。
「アムロ、まだそこ見てたのか」
「気になるんだよ。踏み込んだ時に、機体側の補正が一瞬遅れた。あのままなら崩れてたかもしれない。でも、結果的には動いた。僕が動かしたのか、ガンダムが動いたのか、よく分からない」
「両方じゃないか」
「そんな簡単に言うなよ」
「ごめん。でも、アムロが動かさなきゃガンダムも動かないだろ」
アムロは少し黙り、それから黒いガンダムの方を見た。
「そっちは本当に動くのか?」
「動くよ。でも盾はほぼ駄目。左腕も無茶できない。次は受けるより避けるか撃つ方で考えろって釘刺された」
「それは正しいと思う」
「アムロに言われるとなんか複雑だな。そっちも結構無茶してたのに」
「僕も言われたくないけど、レンの左腕は見た目が分かりやすすぎる」
「それは否定できない」
そのくらいの軽さが戻っただけで、少し息がしやすくなった。
デッキの上では整備員たちが走り回り、補給物資のケースが次々に開けられている。弾薬、医療品、交換部品、推進剤。どれも必要で、どれも足りない。補給は終わったはずなのに、使える形にするまでがまた忙しい。
ブリッジから艦内放送が入る。
『総員に通達。ホワイトベースは補給物資の整理完了後、オデッサ作戦参加のため移動を再開する。各部署、損傷確認と応急修理を急げ。繰り返す――』
放送を聞きながら、俺は黒いガンダムを見上げた。
壊れたシールドと、歪んだ保持部。まだ動く本体。守れたミデア。戻ってきた白いガンダム。重傷のリュウさん。そして、処分が消えたわけではない俺。
オデッサが待っている。マ・クベの鉱山基地群、ジオンの撤退準備、それに俺が知っている厄介な火種。知っているだけで止められるならここまで苦労していない。
「守れた代償、か」
安い代償だった、なんて言えない。でも、高すぎたとも、まだ言えない。
その答えは、きっと次の戦場で出る。
ホワイトベースのエンジン音が、低く艦内を震わせ始めた。