オデッサの戦闘が終わった後も、ホワイトベースの中が急に静かになることはなかった。
むしろ、戦闘中より面倒な種類の忙しさが残った。弾薬の残数、機体の損耗、負傷者の処置、友軍との通信、次の進路。勝ったから休める、なんて単純な話ではない。勝ったら勝ったで、その後始末をしないと次へ進めない。
オデッサ作戦成功。その報告が正式に入った時、ブリッジの空気は少しだけ緩んだ。けれど、歓声が上がるほどではなかった。誰もが疲れていたし、まだ敵が完全に消えたわけでもない。なにより、あの大型弾道弾の件があった。
白いガンダムが発射地点へ向かい、信管部を切り離した。爆発は起きなかった。もし失敗していたらどうなっていたか、考えたくもない。あれは間違いなくアムロの戦果だった。
ただ、本人は褒められて気持ちよさそうにするどころか、ずっと顔色が悪かった。
「見えてはいたんだ。でも、少しでも角度がずれてたら駄目だったと思う」
休憩区画の隅で、アムロは紙コップの水を両手で持ちながら言った。
「それでも止めたんだから、そこはすごいでいいと思うけど」
「すごいって言われても……実感がないよ」
「まあ、そうなるか」
俺も、報告上はドムを撃破したことになる。黒い三連星の最後の一機を倒した。言葉にするとかなり大きな戦果に聞こえるが、実感として残っているのは勝ったというより、強かった、という感覚の方だった。
あのドムは最後まで厄介だった。怒りだけで突っ込んでくる相手じゃない。ホバーの間合い、ヒートサーベル、拡散ビーム砲の目眩まし、砂煙の使い方。最後の最後まで、こっちを殺すための動きをしていた。
オルテガを倒した時は、マチルダさんを守れたという気持ちの方が強かったが、ガイアは別だ。あれは、普通に強敵だった。
「レンは?」
「俺?」
「スカート付きを倒したんだろ。機体、大丈夫なのか?」
「あとでハワドさんに怒られるくらいには傷んでると思う」
「それ、大丈夫なのか?」
「怒られるだけで済むなら、たぶん大丈夫」
アムロが少しだけ苦笑した。疲れている顔だったが、それでも笑えるくらいには戻っている。少なくとも、完全に沈み込んでいるわけではない。
少し離れたところで、ララァがフラウと一緒に医療品の箱を運んでいた。白い布でまとめられた包帯や消毒用の薬品が入った箱だ。ララァはまだ軍人でも何でもない。ただ、ホワイトベースの中にいて、できることを手伝っている。
フラウが何かを言うと、ララァは小さく頷いた。動きは静かだが、前より艦の中に馴染んでいるように見える。
ララァを保護してよかった。そこは迷う必要がない。あのまま放っておく方が絶対に悪かった。今はフラウの手伝いをして、医療班にも顔を出している。アムロとも少しずつ普通に話すようになってきた。このまま守る。それはもう、俺が勝手に決めた責任みたいなものだ。
ただ、そういうことを考えるたびに、原作からどれだけずれたのかも意識してしまう。
ガルマは死んでいないはずだ。国葬の話は聞かない。なら、少なくとも死亡扱いにはなっていない。けれど、それ以上のことは分からない。これだけ表にでないなら怪我でもしてるんだろう。どこかの病院にいるのか、ザビ家の中でどう扱われているのか、イセリナさんが今もそばにいるのか。こちらに続報が来る立場ではない以上、分からないものは分からない。
ラルさんとハモンさんもそうだ。生きて撤退した。そこまでは分かる。けれど、あれからどこへ行ったのかは分からない。また敵として出てくるのか、それとも別の戦線へ回されたのか。こっちが知っているつもりだった流れは、もうそのままの形では残っていない。
シャアはもっと分からない。ガルマが死んでいないなら、原作と同じ形で動いているとは限らない。そろそろ姿を見せてもおかしくない気はする。けれど、今どこにいて、何をしていて、誰の指揮下にいるのか、俺には分からない。
分からないことばかりだ。
前は多少先の流れを知っているつもりでいた。けれど実際には、知っているのは大まかな出来事だけだ。しかも、俺が動いた時点でその出来事は形を変えていく。ガルマは生きているらしい。ラルさんもハモンさんも生きている。リュウさんは死なずに済んだ。マチルダさんも生きている。ララァはホワイトベースにいる。
助けたことを後悔しているわけじゃない。リュウさんが生きていてよかったし、マチルダさんが生きているのも素直によかったと思う。そこに難しい理屈はいらない。
ただ、誰かが死ななかったからといって、何も失われなかったわけでもない。リュウさんはまだ医務室のベッドにいる。艦にいるのに、いつものように動けない。その穴は大きい。ブライトさんはずっと張り詰めているし、カイさんも軽口の裏で前より周りを見るようになった。アムロも、原作より元気そうに見えるだけで、無理をしていないわけじゃないはずだ。
戦争は、結局人を追い詰める。誰かが死ななかったとしても、別の形で削っていく。
数日かけて、ホワイトベースはオデッサを離れた。
補給を受け、応急修理をし、友軍の進路に合わせて移動する。戦闘が終わったからといって、艦が新品に戻るわけではない。通路には修理用の部材が積まれ、格納庫では整備員たちが交代で機体を見ていた。
黒いガンダムも例外じゃない。
「腕そのものは、もう普通に動く」
ハワドさんは黒いガンダムの左肩まわりを見ながら言った。
「本当ですか」
「本当だ。道中でできるだけ直したし、基地でも部品を回してもらった。関節の渋りも取れてる。通常運用なら問題ない」
「なら、盾も普通に?」
「そこは別だ」
「正規のシールドはまだない。予備を調整して使ってるだけだ。前みたいに重いのを真正面から受けるな。腕は直った。だからって、何してもいいわけじゃない」
「分かってます」
「信用ならん」
ひどい言われようだが、反論はできない。左腕が普通に動くようになっただけでも十分だ。いつまでも不調を引きずるわけにはいかない。これから先は、腕の修理というより、黒いガンダムそのものをどう使っていくかの問題になる。
俺自身の扱いは、そこまで簡単には戻らなかった。戦闘時の出撃は許可される。整備立ち会いも続けられる。けれど、自由に機体へ乗れるわけではない。艦内での動きも、まだ完全に自由ではない。
ブライトさんは俺をブリッジに呼び、淡々と言った。
「オデッサでの働きは認める。敵新型機の撃破も、ホワイトベースの進路確保も必要な戦果だった」
「はい」
「だが、それと処分の解除は別だ。お前の独断が危険だった事実は変わらない。監視付きの扱いは継続する」
「分かってます。さすがに、そこで全部帳消しになるとは思ってないです」
「思っていたら殴っていた」
「危なかった。思ってなくてよかったです」
ブライトさんは眉を寄せたが、本気で怒っているわけではなさそうだった。
「軽口を叩けるなら、まだ動けるな」
「動けますけど、できれば少し休みたいです」
「全員そう思っている」
「ですよね」
結局、それが今のホワイトベースだった。誰もが疲れている。でも止まれない。
乾いた大地と鉱山地帯の匂いが遠ざかり、海が近づいてくる。艦内の会話にも、次の目的地の名前が混じるようになった。
ベルファスト
港と基地のある街。補給と整備を受け、そこからさらにジャブローへ向かうための場所。
カイさんはその名前を聞いてから、少し落ち着きがなかった。
「港町ねえ。少しはまともな飯にありつけりゃいいんだけどな」
「そこですか」
「そこだろ。お前、ずっと艦内食だけで平気なのかよ」
「平気じゃないですけど、今の状況で外食とか期待するのは強いですね」
「夢くらい見させろよ」
カイさんはそう言って肩をすくめた。軽口はいつも通りだ。けれど、前より少し外を見ている気がした。艦の外、街、そこで暮らす人間。そういうものに目が向き始めている。
ベルファストという名前を聞いて、俺の中でもいくつかの記憶がつながり始めた。
シャア。マッドアングラー隊。ジャブローへ向かうホワイトベース。そして、港町で暮らしている一人の少女。
ミハル・ラトキエ
その名前が、すぐに危険へ直結するわけじゃない。そもそも、この世界で彼女が同じ場所にいるかどうかも分からない。いても、同じように接触してくるとは限らない。今までの流れを考えれば可能性は高い、だけど決めつけるには早い。
それでも、ベルファストという場所を前にすると、完全に忘れているわけにはいかなかった。
まだ、何も起きていない。見てもいない相手を、原作知識だけでどうこうする段階じゃない。もしミハルがいるなら、まずは見て、流れを確かめる。カイさんが関わるなら、そこも見誤らない。
ホワイトベースの前方モニターに、海の色が映り始める。ベルファストは近い。
ここから先は、知っている流れに似ていても、そのままではない。分からないまま進むしかない。
俺はそのことを、もう一度だけ胸の中で確かめた。