普通に、が一番難しい。
そう思った直後に、俺はアムロの横で小型移動ユニットを見ていた。
うん。
もう普通じゃない気がする。
いや待て。工作室で上級生の作業を少し手伝う下級生。これだけなら普通だ。たぶん普通だ。機械好きの子ども同士が、同じ教材を見てあれこれ言う。学校の日常としては成立している。問題は、相手がアムロ・レイで、俺の中身が前世三十五歳で、この先のサイド7の惨事を知っていることだけである。
だけ、とは。
「動かすよ」
アムロが端末を軽く叩いた。
小型移動ユニットが机の上を進む。さっきより速度は少しだけ落としてある。前方のストッパーをセンサーが拾い、減速。停止。前側が少し沈む。横に、ほんの少し揺れる。
「前が先。横は後からちょっと」
「どれくらい」
「んー……前が、こくん。横が、すっ、くらい」
「それじゃ分からないよ」
「こくん、すっ、だよ」
「擬音で言われても困るって」
アムロが真顔で言うので、俺は少しむっとした顔を作った。
「じゃあ、前は止まる直前に一回沈んで、横は止まった後に戻る時だけ残ってる感じ。前ほど大きくないけど、まだ気になる」
「最初からそう言ってくれよ」
「子どもに完璧な報告を求めないでください、上級生」
「都合のいい時だけ年下になるな」
よし。
軽口が返ってきた。
ぶっきらぼうだが、ちゃんと会話になっている。前世ネットでテンパ呼びされていた少年は、機械の話になると想像よりずっとしゃべる。しかも、言葉が足りないだけで反応は悪くない。変なところで真面目だし、気になる部分にはしつこい。
親近感がすごい。
同時に、少し怖い。
アムロは俺の言葉を聞きながら、端末に指を走らせていた。入力が早い。ログを見る。条件を変える。センサー値を見る。停止タイミングを少しずらす。迷いが少ない。いや、迷ってはいるのだろうが、迷いながら手が止まらない。
速い。
何こいつ怖い。
いや、知ってたけど。
「今、何を変えたの」
「停止前の減速の入り方。センサーが反応した瞬間に止めるんじゃなくて、距離と速度を見て少し前から落とす。支えを固くして揺れが減ったなら、次は急に止めすぎない方がいい」
「なるほど。急ブレーキで前に沈むから、先にゆっくりする」
「ざっくり言うとそう」
「ざっくり大事。難しい言葉で言われると、僕が先生に説明できない」
「先生に説明する気なのか」
「怒られた時のためにさ」
「まだ怒られてないだろ」
「怒られてから考えると遅い。下は立場が弱いんだよ」
アムロは、また少し呆れたように笑った。
この「下は立場が弱い」は便利だ。年下ポジを利用できる。少し知識があっても「父さんに教わった」「見てただけ」「上級生がやってた」で逃げられる。俺は生存戦略として年下をやっている。いや、字面がもうおかしい。年下は普通に年下であって、やるものではない。
アムロが再度ユニットを動かした。
今度はかなりよかった。前の沈みは少し残っているが、横揺れはほぼ消えた。止まり方も自然だ。教材としては十分だと思う。
「お、いい感じだね」
「まだ前が沈む」
「でもさっきより全然いい。これ以上やるなら、前の支えだけじゃなくて、重さの位置を少し後ろにした方がいいと思う。前に部品が寄ってるから、止まる時にどうしても前が勝つ」
「重心か」
「たぶん。あと、前を強くしすぎたら、今度は後ろが浮きそう」
「……そこまで見るのか」
「そこまでっていうか、動いたら見えるじゃん」
俺が言うと、アムロは少し変な顔をした。
しまった。
言い方が自然すぎた。中身三十五歳の観察癖が出ている。子どもの「見えるじゃん」は時々怖い。見えない人には全然見えないのだ。前世の仕事でも、経験者が「普通に分かるでしょ」と言うやつはだいたい危険だった。
俺は慌てて付け足した。
「父さんが、動いた後の変なところを見ろって言うから。僕はログとかはそんなに分からないし。アムロの方が端末見るのめちゃくちゃ早い」
「ログは見れば分かるだろ」
「出た。上級生の怖い発言」
「怖い?」
「見れば分かる、は分かる人の言葉なんだよ。分からない人は見ても分からないよ」
「レンは変なこと言うな」
「よく言われる」
その時、さっきの上級生が横から覗き込んできた。
「お前ら、何の話してんの。片付け時間に、そんな真剣な顔して」
「停止の揺れ」
「重心」
「分からん。怖い」
即答された。
俺とアムロは、ほぼ同時にその上級生を見た。
「いや、怖くはないだろ」
「ただの小型ユニットですよ」
「いや怖いって。アムロ一人でもたまに怖いのに、下の学年から同じ種類のやつ増えたんだぞ。先生に報告した方がいいか?」
「同じ種類って何だよ」
「機械を見てる時だけ目つきが変になる種類」
ひどい。
いや、否定しきれない。
俺はできるだけ真面目な顔で頷いた。
「僕はまだ見習いなので、アムロほどではないです」
「おい」
「ほらアムロ、助手できてよかったな」
「助手じゃない」
「見習いです」
「それも違う」
「じゃあ、横から見る係?」
「係にするな」
上級生が笑い、アムロが少し不満そうに眉を寄せた。
工作室の空気が軽い。
ありがたい。こういう茶化しがあると、俺の異物感が薄まる。二つ上の上級生といきなり作業していても、「機械好き同士がなんか始めた」で済む。やはり周囲の雑な認識は大事だ。雑は時に命を救う。いや、大げさか。でも宇宙世紀なので油断はしない。
奥から先生が近づいてきた。
怒られるかと思ったが、先生は机の上のユニットと俺たちを見て、軽く息をついた。
「アムロくん、レンくん、片付け時間です。作業が進んでいるのは分かるけれど、工作室は研究所ではありませんよ」
言い方は柔らかいが、しっかり刺してくる。
研究所。
先生、それ今の俺には少し心臓に悪い単語です。
「すみません。あと一回だけ動かしたら片付けます」
アムロが言うと、先生は俺の方にも視線を向けた。
「レンくんも、上級生の作業を見るのはいいけれど、使った工具は戻すこと。あと、見ているだけのつもりでも、気づいたら手が出ていることがありますからね」
「はい。手は出しません。口は少し出ました」
「そこは自覚があるのね」
「あります」
先生は少し笑った。
「なら、最後に一回だけ。終わったら二人で片付け。周りの人も、茶化していないで自分の机を片付けなさい」
「はーい」
上級生たちがばらばらに返事をした。
ゆるい。
でもこのゆるさがいい。戦争も軍もモビルスーツもない、ただの学校の工作室。機械好きが片付け時間を少し延長してもらって、先生に軽く怒られる。こういう日常を、俺はちゃんと覚えておいた方がいいのかもしれない。
いつか壊れるかもしれないから、ではない。
今、ここにあるからだ。
アムロが最後の調整を入れた。
「レン、横」
「了解。前、横、後ろ、全部見る。目が足りないけど」
「目は二つで足りるだろ」
「上級生は無茶を言う」
「またそれか」
ユニットが動く。
さっきより滑らかに進み、ストッパー手前で減速し、止まった。前の沈みはまだある。だが小さい。横揺れはほぼない。後ろも浮かない。
「止まった。前はちょっとだけ。横はほぼなし。後ろは浮いてない。さっきよりかなりいい」
「ログも悪くない。まだ詰められるけど、今日はここまでだな」
「それ、明日も言ってそう」
「気になるところが残ってるから」
「出た、機械好きの終わらないやつ」
俺が言うと、アムロは少しだけ口元を曲げた。
「レンだって、気になってるだろ」
「気になってる。でも僕は下級生なので、今日は片付けます。えらいからね」
「自分で言うか」
「言わないと誰も言ってくれないかもしれないので」
アムロは今度こそ小さく笑った。
よし。
笑わせた。
いや、だから攻略対象みたいに考えるな。アムロ・レイを攻略するな。これはそういうゲームではない。いや、前世でギレンの野望とかスパロボとかやっていたせいで、どうしてもイベント進行っぽく見える瞬間がある。駄目だ。ここは現実。俺の命がかかっている現実である。
まあ、接触成功ではある。
……だから攻略対象みたいに言うな。
片付けは、思ったよりスムーズだった。
アムロは作業中は机の上を散らかすタイプに見えたが、戻す場所はちゃんと覚えていた。部品ごとに分け、工具を棚へ戻し、端末のログを保存する。俺は下級生用の工具を戻しながら、丸い外装パーツに目を引かれた。
机の端に置かれた、まだ未完成の丸い部品。
教材用の移動ユニットに被せるには少し大きい。飾りにしては妙にしっかりしている。中に小型のセンサーや音声出力用の穴らしきものを入れる余地もある。
丸い。
小型。
自律機械。
……これ、もしかしてハロ方面か?
いや、まだ断定は早い。ハロだ。ハロだよね。とは言えない。というか言ったら終わる。俺がハロの完成形を知っている理由がない。前世知識、便利だが口に出せない情報が多すぎる。攻略本を持っているのに、見てはいけない縛りプレイみたいな状態だ。
アムロが俺の視線に気づいた。
「それが気になるのか」
「丸いから」
「理由が雑だな」
「丸い機械って、なんか気になるじゃん。転がりそうだし、転がったら戻すの大変そうだし」
「転がすつもりはない。今のユニットとは別で、小型の自律機械を作れないか試してるだけ」
「自律」
「と言っても、まだ全然だ。移動と反応と音声を少し。こっちは学校の教材だけじゃ足りないし、家でやる方が多い」
家でやる方が多い。
ああ、アムロだ。
学校の工作室で終わらず、家でもいじる。むしろ学校は部品や工具の補助。こういうところが、いかにも機械沼である。
「音声も入れるの?」
「簡単なやつだけ。反応が返ってこないと、動いてるだけでつまらないだろ」
「分かる。返事してくれると、ちょっと生き物っぽい」
「生き物じゃないけどな」
「でも、ただの機械より可愛いかもしれないね」
「可愛い必要あるのか」
「ある。たぶん。怒られにくくなる」
「そこなのか」
「見た目が怖いと大人に止められる。可愛いと少し許される。これは大事」
アムロは、変なものを見るような顔をした。
だが、否定はしなかった。
「……見た目か。考えてなかったな」
「そこ考えてなかったんだ」
「動くかどうかの方が先だろ」
「うん。アムロっぽい」
「僕っぽいって何だよ」
「機械好きっぽい」
「レンもだろ」
「僕は怒られない方向も考えるから」
「やっぱり変だ」
「よく言われる」
先生が近くで小さく笑っていた。
見られていた。
少し恥ずかしい。いや、子ども同士の会話としてはたぶん問題ない。たぶん。だが中身が三十五歳なので、先生に見守られている状況が微妙にくすぐったい。前世なら完全に不審者である。今は子どもでよかった。いや、よかったのか?
「二人とも、続きは次の利用時間にしなさい。アムロくんは上級生枠、レンくんは下級生枠だから、時間が重なる時だけですよ」
「はい」
「はい。僕は合法的に見ます」
「レンくん、その言い方はやめましょう」
「はい」
即座に注意された。
合法、便利ワードだと思ったのに。
アムロが横で笑いをこらえている。
「笑わないでよ、上級生」
「合法的に見るって言うからだろ」
「怒られない範囲って意味だったのに」
「普通にそう言えばいい」
「普通が難しいんだよ」
「それは少し分かる」
アムロがそう言ったので、俺は思わず顔を見た。
少し分かる。
その言い方が、妙に自然だった。
アムロもたぶん、普通が得意ではない。機械の話になると早い。集中すると周りが消える。言葉が少し足りない。周囲から浮くほどではないが、完全に馴染んでいるわけでもない。
俺とは理由が違う。
俺は前世知識と未来への警戒で普通を装っている。アムロはたぶん、ただ機械が好きで、好きなものに集中しすぎるだけだ。
でも、普通が難しいという一点だけは、少しだけ重なった。
それが嬉しいような、怖いような。
いや、今は嬉しい寄りでいい。
重く考えるな。ここは学校の工作室。戦場ではない。
「じゃあ、次に時間が重なったら、また横から見るよ。前がこくんで、横がすっ、なら任せて」
「擬音は禁止」
「厳しい」
「分かるように言え」
「じゃあ、僕が擬音を言ったらアムロが翻訳して」
「なんで僕が」
「上級生だから」
「便利に使うな」
そう言いながらも、アムロは丸い外装パーツをケースにしまった。小型移動ユニットも、端末も、スペーサーも片付けられていく。今日の作業は本当に終わりらしい。
少しだけ名残惜しかった。
いや、危ない。オタクの距離感がバグり始めている。初接触から共同作業、次回も見る約束。早い。早すぎる。機械好き同士の距離感、やっぱりおかしい。
でも、不自然ではない。
周囲からは、変な機械好きの上級生と、下にもいた同類。先生からは、片付けを条件に少し作業を見てもいい子ども。アムロからは、構造側を見る変な年下。
それでいい。
今はそれで十分だ。
もちろん、この関係が後で生死に関わるかもしれない、という考えは頭の奥にある。サイド7襲撃。ジオン。ザク。ガンダム。そういう単語が、いつも完全には消えない。けれど、それを表に出したら終わりだ。
未来知識は言わない。
アムロを導く先生にはならない。
こいつの道を横取りしない。
ただ、今は横から見る。
機械の揺れを見て、変なところを言って、軽口を返す。
それくらいなら、たぶん許される。
「レン」
帰り際、アムロが俺を呼んだ。
「次の上級生枠、予定が出たら見る。重なってたら、また来ればいい」
「僕が見てもいいの?」
「変なところを見る係だろ」
「係になってる」
「助手よりいいだろ」
「助手じゃない、たぶん」
アムロは小さく笑って、ケースを抱えて工作室を出ていった。
俺はその背中を見送りながら、内心でそっと息を吐いた。
接触成功。
いや、攻略対象みたいに言うな。
でも、成功は成功だ。
テンパ予備軍と、普通に機械の話をする関係が始まった。
しかも次もある。
生存戦略、その次。
二つ上の機械沼に、合法的に近づく。
……先生に怒られたので、合法的という言い方はやめようと思う。