戦闘の翌朝になっても、MSデッキの音は止まらなかった。
白いガンダムは整備架に固定され、傷んだ脚を持ち上げられている。膝から下の装甲は外され、むき出しになった関節の周囲を整備員たちが行き来していた。
その隣では、黒い一号機のシールドが床へ降ろされている。表面に残った焦げ跡だけなら大したことはないように見えるけど、左肩の警告は消えていない。海へ入った時の負荷も合わせて、しばらく詳しく調べるらしい。
少し離れた場所には、翼を傷つけたガンペリーが置かれていた。機体後部の扉は開いたままだ。発射装置の周囲には焼けた跡が残り、安全索の金具は根元から曲がっている。
ミハルは生きている。
俺は、あの事故を知っていたから危険を伝えられた。ミハルの身体を止めたのは二本の安全索で、最後に機内へ引き上げたのはカイさんだ。何にせよ、生きていてよかった。
「一号機の左肩、動かすなよ」
整備員に声をかけられ、俺は機体から一歩離れた。
「分かってます。見るだけです」
「お前の見るだけは信用ならん」
「昨日はちゃんと許可をもらって乗りましたよ」
「乗ったあとの使い方の話だ」
言い返せなかった。
ガンペリーでは、カイさんが整備員から損傷箇所の説明を受けていた。いつものように機体のせいにすることもなく、曲がった金具や発射回路を黙って見ている。手には端末があった。途中まで書かれた報告書が表示されている。
「カイさん」
「何だよ。説教ならブライトで間に合ってるぞ」
「彼女の具合、どうですか?」
「命に別状はない。肩と腕と脇腹は、しばらくまともに動かせないってさ」
軽い言い方だったけど、視線はガンペリーの後部扉から動かなかった。
「そうですか」
「お前が心配そうな顔することかよ」
「生きてるって聞いたら、安心くらいしますよ」
「そりゃご立派で」
そこで冗談を続けるかと思ったけど、カイさんは端末を閉じた。
「俺はもう一回、ブライトに呼ばれてる。あいつの話も、動けるようになってからだとよ」
「処分も?」
「さあな。独房で済めば安いんじゃねえの」
言葉の割に、逃げる様子はなかった。
カイさんは曲がった安全索の金具を一度だけ指で押し、それからMSデッキを出ていった。
◇
医療区画には、消毒液の匂いと機械の低い作動音が満ちていた。ミハルは上半身を起こすことも許されず、固定された右肩を動かさないように横になっていた。息を深く吸うだけで脇腹が痛む。
扉の外には見張りがいる。
拘束具まではつけられていないが、自由に歩ける立場ではない。もっとも、今の身体では逃げようとしても数歩も進めそうになかった。
扉が開き、少女が水差しと清潔な布を運んできた。
少女は見張りへ小さく頭を下げ、ベッド脇の台へ水差しを置いた。軍服ではない。避難民区画で使われている簡素な服を着ている。
「水を替えますね」
「あんた、看護兵かい?」
「違います。運ぶのを手伝っているだけです」
少女は使い終わった布を籠へ移し、新しいものを手の届く場所へ置いた。
「じゃあ軍人じゃないのか」
「はい。私もこの船で保護してもらっています」
ミハルは少女の顔を見た。
「保護、ね」
少女は否定も肯定もせず、水差しの蓋を確かめた。
「名前は?」
「ララァです」
「私はミハル。まあ、知ってるかもしれないけど」
「名前だけ聞きました」
それ以上、ララァは何も尋ねなかった。
「保護されて、それでどうなるんだい」
ミハルが聞くと、ララァは少し考えてから答えた。
「まだ分かりません。この船にいる人たちは、分からないことを分からないままにはしてくれます」
「変な言い方だね」
「そうでしょうか」
ララァは空になった容器を持ち上げた。
「水が足りなければ、見張りの人に伝えてください」
それだけを残し、医療区画を出ていった。入れ替わるようにミライが入ってくる。端末を持ち、見張りと短く言葉を交わしてからベッドの脇へ立った。
「少し話せる?」
「話さないって言っても、聞くんだろ」
「今は事情聴取じゃないわ。ベルファストにいる弟さんと妹さんのことよ」
ミハルの左手が、シーツをつかんだ。
「ジルとミリー。家にいる。私が帰らなかったら、食べるものだって――」
「住所と、近くで連絡を取れる人を教えて」
「助けに行ってくれるのかい」
「約束はできないわ」
ミライの声は穏やかだったが、曖昧に慰めようとはしなかった。
「私たちは今、ベルファストへ引き返せない。けれど、ジャブローへ到着したら現地の担当部署へ保護要請を出す。ベルファストの連邦軍にも照会してもらうわ」
「軍が、スパイの家族を助けるって?」
「あなたの処遇と、子どもたちを保護する必要があるかどうかは別の問題よ。少なくとも、私たちはそう伝える」
必ず助かるとは言わなかった。それでも、ミハルは住所と弟妹の名前を伝えた。ミライが一つずつ端末へ入力していく間、左手はシーツをつかんだままだった。
「報酬は……たぶん、もう届かない」
「そのことも記録しておくわ」
「記録したら、腹が膨れるのかい」
「いいえ。だから、動ける部署へ渡すの」
ミハルは目を閉じた。
「私を信じるのか」
「あなたの話をそのまま信じるとは言っていないわ。住所も名前も照合する。でも、確かめる前に子どもを放っておく理由にはならないでしょう」
ミライは入力を終えると、端末を閉じた。
「詳しい話は、身体がもう少し落ち着いてから。今は休んで」
「カイは?」
「報告書を書いているわ。あなたと同じで、話さなければならないことが残っているから」
扉が閉じたあと、ミハルはしばらく天井を見ていた。助かったからといって、何も元には戻らない。
それでも、ジルとミリーの名前は、閉じた家の中から少しだけ外へ出た。
◇
十一月二十七日の朝、ホワイトベースは厚い雲の下へ降り始めていた。
ブリッジの窓から見えるのは、どこまでも続く濃い緑と、湿気を含んだ白い雲だけだった。地図の上では目的地に近いはずなのに、基地らしいものは何も見えない。
俺はブリッジへ呼ばれる前、通路の窓際でカイさんに止められた。
「ちょっと聞きたいことがある」
「報告書なら書いてませんよ」
「お前の報告書なんか読んだら頭が痛くなりそうだ。そうじゃねえ」
カイさんは周囲を見て、人が通り過ぎるのを待った。
「何であの時、ミハルの名前を知ってた?」
「……ベルファストで、作業員の女の子を見たんです」
「見ただけで名前まで分かるのかよ」
「そのあと、どこかで聞いた気がして……ガンペリーの後ろに人がいるって分かった時、つながったというか」
「どこかってどこだ」
「それが、はっきりしないんです。戦闘中だったし、とっさに出たから」
嘘としては弱い。カイさんもそう思ったらしく、細い目で俺を見た。
「お前、あいつと前から知り合いだったんじゃねえだろうな」
「違います。それは本当に違います」
「じゃあ、何で名前が出る」
原作で知っていたから、なんて言えるはずもない。そもそも、この世界は俺が覚えていた話から所々外れている。それでも、あの瞬間だけは名前が先に口から出た。
カイさんはしばらく黙っていたが、やがて壁へ背を預けた。
「まあいい。今はな」
「疑ってます?」
「当たり前だろ。けど、お前が言わなきゃ、安全索に気づけなかったかもしれない」
「助けたのはカイさんですよ」
「だからって、俺が正しくなったわけじゃねえよ」
軽口は戻らなかった。
「俺があいつを隠した。行き先を喋った。敵が来るかもしれないって分かっても、最後まで名前を伏せた。その結果は消えねえ」
「でも、死ななくてよかったですね」
「……それはそうだ」
カイさんは自分の右手を見た。もう血も油も落ちていたけれど、指を一度握り、ゆっくり開いた。
「あいつの弟と妹も、まだベルファストだ。ブライトたちは保護要請を出すって言ってるけど、どうなるか分からねえ」
「俺たちが勝手に戻るわけにもいきませんからね」
「分かってる。今度は勝手にやったら、さすがに海へ放り出される」
「カイさんなら泳げますよ」
「お前も一緒に落としてやる」
少しだけ、いつもの声に戻った。
その時、艦内放送が入った。
『ジャブロー管制から暗号誘導を受信。全乗員は進入準備に入れ。指定区画以外の窓と外部ハッチを閉鎖せよ』
通路の窓の向こうで、雲がさらに厚くなる。
どこに入口があるのか、俺にはまだ見えない。密林の下に、連邦軍最大の基地が隠れている。
カイさんは窓の外を見たあと、医療区画の方角へ一度だけ目を向けた。
「行くか」
「はい」
ホワイトベースは雲の中へ入り、外の景色が白く消えた。
70話、ストックがそろそろ怪しいので一日一話になるかも
一年戦争は100話確実に超えます
70話時点でu.c0079年11月27日