ホワイトベースがサイド6へ再入港すると、格納庫はすぐに戦闘後の点検へ入った。
一号機は右腕と右肩の冷却を続けながら、対艦刀の支持具と関節部を分解されている。予定より減っていた推進剤も補充が始まったが、作業が終わるまで俺は機体の近くを離れられない。白いガンダムも同じだった。ライフルは冷却装置へつながれ、脚部と腰の関節には整備員が集まっている。その足元で、アムロは古い回路板を持ったまま立っていた。
端子の変色した、ガンダムには使えない部品だ。アムロ自身が一番よく分かっている。それでも手放せず、親指で回路の端を何度もなぞっていた。
「父さんに、もう一度会ってくる」
ブリッジから降りてきたブライトさんへ、アムロはそう言った。ブライトさんはすぐには答えなかった。格納庫の時計と整備状況を見てから、アムロへ向き直る。
「艦がここにいられるのは長くない。補給が終わり次第、出港する可能性がある」
「分かっています。時間までには戻ります」
「通信機は常に開いておけ。指定区画から外れるな。二時間以内に帰艦しろ」
「はい」
許可が下りると、アムロの肩から少しだけ力が抜けた。けれど、回路板を握る指は緩まない。フラウが外出用の上着と小型通信機を持ってきた。
「気をつけてね。何かあったら、すぐ連絡して」
「ああ」
それ以上の言葉が続かないまま、アムロは上着を受け取った。
「私も行きます」
少し離れたところにいたララァが、静かに口を開いた。
アムロが顔を上げる。
「でも、これは僕の家のことだ」
「はい。ただ、一人で戻るよりはいいと思いました」
ララァはアムロの手元を見た。回路板ではなく、それを握ったまま動かない指を見ているようだった。ブライトさんはララァにも通信機を持たせ、二人で行動するよう命じた。
俺も一緒に行きたかったが。一号機の点検が終わっていないし、白黒二機のパイロットがそろって艦を離れるわけにもいかないと許可されなかった。
前世の記憶には、テム・レイがサイド6にいたことも、アムロとの会話がまともに噛み合わなかったことも残っている。ただ、その後に何がどう続いたかは、いくつかの映像が混ざって曖昧だった。
知っているつもりで口を挟めば、今度こそ取り返しのつかないことを言いそうだった。
「アムロ」
発進口へ向かいかけた背中を呼び止める。
「何だ?」
「いや……ちゃんと帰ってこいよ」
もっと何か言える気がした。でも、結局出てきたのはそれだけだった。アムロは少しだけ眉を寄せ、それから小さくうなずいた。
「分かってる」
ララァと並んで格納庫を出ていく二人を見送り、俺は一号機の整備架へ戻った。
◇
市街地へ向かう移動車の中で、アムロはほとんど話さなかった。
窓の外には、戦争と関係なく動いている街が流れている。店の看板が灯り、仕事帰りの人間が歩道を行き交い、子どもたちが低重力用のボールを追っていた。膝の上に置いた回路板だけが、そこから切り離されたものに見えた。
父に何を言うのか、まだ決まっていない。
役に立たない部品だったと伝えるのか。ガンダムはそんなもので動いている機体ではないと説明するのか。それとも、もう戦場へ戻れない父をホワイトベースへ連れていくのか。
どれを考えても、最初に会った時の顔が浮かんだ。
生きていたことを喜んだ直後、父の目はガンダムへ向いた。アムロの腕や顔を確かめていた指も、すぐに関節の反応や教育型コンピューターの話へ変わっていった。
「言葉が決まらないのですか」
向かいに座るララァが尋ねた。
「分からないんだ。言いたいことはあるはずなのに、何を言っても別の話になる気がする」
ララァはすぐに慰めようとはしなかった。窓の外へ一度目を向け、移動車が曲がる振動に合わせて手すりを握る。
「決まらないままでも、会うことはできます」
「それで、何か変わるかな」
「分かりません」
迷いのない答えだった。アムロは少しだけ息を吐いた。変わると言われるより、その方が信じられた。移動車を降り、細い通路を進む。テムの住む建物が近づくほど、回路板が重くなったように感じた。部屋の前へ着くと、アムロは扉を開ける前に立ち止まった。
「ララァは、ここで待っていてもいい」
「はい」
ララァはそう答えたが、離れてはいかなかった。アムロの少し後ろに立ち、扉が開くのを待っている。アムロは通信機を確かめてから、呼び出しボタンを押した。
◇
扉が開くまでには時間がかかった。中から現れたテムは、前に会った時と同じ服を着ていた。髪は整えられておらず、指先には細い配線の被膜が張りついている。
「アムロか」
「うん」
テムは息子の顔を見た。一瞬だけ、アムロが戻ってきたことを確かめるように目を細める。けれど、その視線はすぐにアムロの手元へ落ちた。
「持ってきたのか。その回路を試したのだろう。どうだった?」
アムロは部屋へ入った。
ララァは戸口の近くに立ち、父子の間へは入らなかった。
机の上には新しい回路図が広げられていた。新しいといっても、使われている規格は古く、ガンダムへ組み込めるものではない。壁際の端末では、浮きドック周辺で起きた戦闘について、サイド6の報道番組が映像を繰り返していた。
遠くから撮影された白い機体が、リック・ドムを撃ち抜いている。
「見たぞ。あれがガンダムだな。あの反応速度なら、私の回路がうまく働いたはずだ」
テムの声には、以前の技術者だった頃の強さが少し戻っていた。
アムロは回路板を見下ろした。本当のことを言えばいい。
こんな部品は使えない。ガンダムの反応は教育型コンピューターと機体そのものの学習、そして整備班の調整で上がっている。十二機を倒したのも、この回路のおかげではない。説明ならできる。けれど、目の前の父がその説明を聞く姿を、もう想像できなかった。
「効いたよ」
自分の声が、ひどく遠く聞こえた。
「前より機体がついてきた。敵が動く前に反応できた」
嘘ではない部分を混ぜたせいで、余計に苦しくなった。テムの顔が明るくなる。
「そうだろう。私の計算に間違いはなかった。軍の連中は新しい部品ばかりを欲しがるが、重要なのは組み方だ。信号の無駄を減らせば、まだ速くできる」
アムロではなく、ガンダムを見ている。それでも、父が嬉しそうに笑ったことに、胸のどこかが安心してしまった。
笑ってほしかった。
自分が生きて戻ってきたことを喜んでほしかった。その代わりでも、父の顔から苦しそうな影が消えたことを、完全には否定できなかった。
「父さん、ホワイトベースはもうすぐここを出る」
「そうか。なら時間がないな。次は補助回路を二系統に分けよう。片方が焼けても、もう片方で反応を維持できる」
「そうじゃないんだ」
アムロの声が少し強くなった。テムの手が止まる。
「一緒に来ないか。艦には医務室もある。父さんが作ったガンダムもあるし、整備の人たちだって——」
「私はここでやることがある」
返事は早かった。
「今の環境では部品が足りないが、設計は続けられる。お前が実戦記録を持ってくれば、ガンダムはもっとよくなる」
「僕は記録を届けに来たんじゃない」
テムは黙った。アムロは拳を握った。怒りたいのか、泣きたいのか、自分でも分からない。
「僕は、サイド7からずっと戦ってきた。何度も死にそうになった。怖かったし、今だって怖い。父さんが生きているって分かった時、本当に……」
言葉が続かなかった。テムはアムロを見ていた。今度こそ届くかもしれない。そう思った時間は、ほんの数秒だった。
「だからこそ、ガンダムの反応を上げなければならない」
テムは机の上の図面を持ち上げた。
「パイロットの負担を機体が吸収すれば、生存率は上がる。お前が乗るなら、なおさらだ。この配線を見ろ。ここを——」
アムロの指から力が抜けた。怒鳴ることもできなかった。父は自分を心配していないわけではない。ただ、その心配さえガンダムの回路を通さなければ外へ出せなくなっている。
生きている。
目の前にいる。
それでも、サイド7にいた父親は帰ってこない。アムロは古い回路板を机の上へ置いた。
「これは、父さんが持っていて」
「まだ改良できる。次に来る時までに——」
「もう来ないよ」
テムの口が止まった。アムロは父の顔を見た。
「僕はホワイトベースに戻る。ガンダムにも乗る。でも、それはこの回路があるからじゃない。父さんに言われたからでもない」
「僕が決めて乗るんだ」
テムは何かを言おうとした。けれど言葉になる前に、壁の端末から戦闘映像の音が流れた。白いガンダムが一機を撃ち抜き、続けてもう一機へ照準を移す。
テムの視線がそちらへ動く。それで十分だった。
「さよなら、父さん」
返事を待たず、アムロは背を向けた。
戸口までの数歩が、戦場でどれだけ機体を動かした時より長く感じる。途中で一度だけ立ち止まりそうになったが、振り返らなかった。ララァも何も言わず、アムロの後について部屋を出た。扉が閉まる直前、テムの声が聞こえた。
「アムロ、次の回路はもっと——」
最後まで聞かず、扉が閉じた。
◇
建物を出てからも、ララァは何も尋ねなかった。アムロは来た時より速く歩いていた。止まれば、さっきの部屋へ戻ってしまいそうだった。移動車の停留所が見えたところで、ようやく足が止まる。
「嘘をついた」
アムロは自分の手を見た。回路板を持っていた跡が、掌へ薄く残っている。
「あの回路は使えない。それなのに、効いたって言った」
「はい」
「父さんは、嬉しそうだった」
ララァは少しだけうつむいた。
「僕が生きていたからじゃない。自分の回路が役に立ったと思ったからだ」
「そうですね」
否定されなかったことが、かえって苦しかった。アムロは唇を噛み、街の天井を見上げた。作られた夕方の光が、一定の明るさで通路を照らしている。
「それでも、嬉しそうな顔を見たかったんだと思う」
ララァは隣に立ったまま、しばらく何も言わなかった。
「帰りましょう、アムロ」
「ああ」
二人はホワイトベースへ戻る移動車に乗った。
アムロは窓際へ座り、遠ざかる建物を一度だけ見た。それから顔を前へ戻し、二度と振り返らなかった。
◇
部屋に残ったテムは、机の上の回路板を両手で持ち上げた。端末では、戦闘映像の再放送が続いている。
『連邦軍所属とみられる白いモビルスーツは、短時間で複数のジオン軍機を撃破——』
「やはり成功していた」
テムは回路板の表面を撫でた。
「あの動きなら、信号遅延は半分以下になっている。アムロにも分かったはずだ。次はもっと速くできる」
近隣の技術者へ見せなければならない。自分の計算が正しかったことを伝え、次の部品を集める必要がある。アムロが戻るまでに、さらに優れた回路を作らなければならない。
テムは回路板と図面を抱え、部屋の外へ出た。古い集合住宅の外部通路は狭く、階段の手すりも低い。下の階から人の声が聞こえ、テムはそちらへ身を乗り出した。
「見てくれ。ガンダムが勝った。私の回路が動いたんだ」
返事を待たず、階段へ足をかける。
抱えていた図面がずれ、回路板の端が手すりへ当たった。
テムは落としかけた部品へ手を伸ばした。
足が一段を踏み外す。
身体が手すりへぶつかり、支えようとした腕が空を切った。
回路板が階段へ落ち、乾いた音を立てる。続いて、テムの身体が低い手すりを越えた。
声は途中で途切れた。
数階下の通路へ重い音が響き、周囲の住民が部屋から飛び出してくる。階段には図面と小さな電子部品が散らばり、中央の回路板だけが、端子を上に向けたまま残っていた。
駆けつけた救急員が呼吸と脈を確認したが、どちらも戻らなかった。
開いたままの部屋では、ガンダムの戦闘映像だけが繰り返し流れ続けていた。
テムの最期は劇場版映像と小説版結末の混合です