移動車が減速を始めた時、アムロはまだ窓の外を見ていた。父の住む建物はもう見えない。似た形の集合住宅と店舗が後ろへ流れ、人工の夕方を作っていた照明も、港湾区画へ近づくにつれて白く強いものへ変わっている。
向かいに座るララァは何も話さなかった。
静かな車内へ運行案内が流れたのは、帰艦予定時刻まで四十分ほどになった頃だった。
『港湾第四区画で交通規制が実施されています。当車両は次の停留所で運行を停止します。軍用艦艇の入出港および警備活動に伴う措置です。復旧時刻は未定となっています』
「未定って……」
アムロは座席横の路線表示を確認した。次の停留所からホワイトベースが接舷している港までは、歩けばかなりかかる。別の移動車へ乗り継ごうにも、港へ向かう路線はすべて規制区画を通っていた。通信機を取り出すと、ホワイトベースからの受信表示は出ている。ただし周辺の回線が混雑しているらしく、送信は何度か途切れた。
「こちらアムロです。交通規制で移動車が止まりました。別の経路を探して戻ります」
『了解。現在位置を送って。帰艦が遅れる場合は、必ずもう一度連絡して』
フラウの声が雑音に混じりながら返ってきた。
「分かった」
通信を切ると、ララァが路線図をのぞき込んだ。
「ここから北側の連絡路へ出れば、港の手前までは行けるようです」
「貨物用の道路だな。一般車は少ないけど、歩けない距離じゃない」
父の部屋を出た時より、頭は少しだけ動くようになっていた。別れたことを後悔していないとは言えない。それでも、もう一度引き返したところで、父の目が自分へ戻るとは思えなかった。
扉の閉じる直前まで、父は次の回路について話していた。アムロは膝の上で拳を握り、息を吐いた。
「行こう。艦を待たせるわけにはいかない」
移動車は規制区画の手前で停止した。二人が降りると、天井に組み込まれた散水装置から細かな雨が降り始めた。植物区画の湿度調整を兼ねた人工降雨らしく、歩道の人々が次々と屋根のある通路へ移動していく。
アムロとララァは上着の襟を立て、港湾区画へ続く北側連絡路へ向かった。
◇
貨物道路へ出ると、人通りはほとんどなくなった。
倉庫と整備施設が並ぶ道路を、軍や行政機関の車両だけが時折通り過ぎていく。港へ近づくほど検問が増え、遠くでは警備艇の発進を知らせる放送が流れていた。
「ホワイトベースが戻ったからかな」
「それだけではないと思います」
ララァが足を止めた。アムロも一歩遅れて立ち止まる。
「どうした?」
「誰かが来ます」
車両の走行音なら、アムロにも聞こえていた。けれどララァが見ているのは、まだ姿の見えない道路の先だった。ただ、何かを確かめようとするように目を細めている。
次の瞬間、アムロの胸の奥にも硬いものが触れた。
はっきりと人間の形を持った圧だった。一台の車両が角を曲がった。
軍用の小型車だが、武装はなく、サイド6の通行許可証が前面へ掲げられている。運転席に座っていた男の軍服を見た瞬間、アムロの身体が強張った。
ジオン軍。そして、顔の上半分を覆う仮面。
車両は二人の少し手前で速度を落とした。
「この先は徒歩で通れる道ではない。港へ向かうのなら乗りたまえ」
窓を下げた男が、落ち着いた声で言った。その声を聞いた瞬間、アムロの中で、何度も通信越しに聞いた声が重なった。
赤い彗星。
何度撃退しても、別の角度から戻ってくる敵。
「シャア……」
名前が、考えるより先に口から出た。男の視線がアムロへ向く。
「ん?私を知っているのか」
聞き返す声に動揺はない。けれど、仮面の奥の目だけがわずかに細くなった。
アムロは返事に詰まった。赤い彗星の名を知っている人間は少なくない。だが、声だけで本人だと分かった理由を説明することはできなかった。
「有名だからです。連邦にいれば、名前くらいは聞きます」
「なるほど」
シャアはアムロの上着と靴へ視線を動かした。外出用の上着で階級章は隠れている。それでも歩き方や身体の使い方から、ただの民間人ではないと気づいたのかもしれない。
「連邦軍の関係者か」
「……そうです」
「なら、なおさらこの場所を歩き続けるべきではない。中立コロニーとはいえ、今は双方の軍人が港へ集まっている」
敵だと分かっている。
この男が何度もホワイトベースを狙い、アムロたちを殺そうとしたことも知っている。それでも、ここでできることはなかった。サイド6の中でジオン軍人へ飛びかかれば、先に中立を破るのはこちらになる。そもそも武器もなく、ララァまで巻き込むことになる。
アムロが迷っている間に、ララァが車両へ一歩近づいた。
「港まで行かれるのですか」
「ああ。少なくとも検問所の手前までは行ける。君たちの目的地も同じだろう」
シャアがララァを見た。その瞬間、空気がわずかに変わった。
ララァの肩が小さく揺れ、シャアの指がハンドルの上で止まる。
二人とも何かを言ったわけではない。ただ、初めて相手の存在を確かめるように、視線だけが長く重なった。
アムロの胸の奥に、さっきとは別のざわつきが広がった。シャアの圧は鋭く、こちらを測るようだった。ララァから感じるものはもっと柔らかい。けれど二人の間には、アムロには分からない何かが一瞬だけ触れたように見えた。
「あなたは……」
ララァが言いかけて、口を閉じた。シャアも問い返さなかった。
「乗るかね。規制が解除されるのを待つなら、それでも構わないが」
アムロは港へ続く道を見た。帰艦時刻は迫っている。シャアと同じ車両へ乗ることには抵抗があったが、ここで立ち止まり続けても状況は変わらない。
「港の検問所までお願いします」
アムロが答えると、シャアは後部座席のロックを外した。
「賢明だ」
ララァが先に乗り、アムロも隣へ座る。扉が閉じると、車両は人工雨の中をゆっくりと走り始めた。狭い車内には、エンジンと雨粒が外装へ当たる音だけが続いた。
「君たちは兄妹ではないようだな」
前を見たまま、シャアが言った。
「違います。同じ艦に乗っています」
「同じ艦?」
アムロは自分が余計なことを言ったと気づいた。シャアはすぐには追及せず、前方の検問表示へ目を向ける。
「連邦艦が再入港したと聞いている。その関係者か」
「答えなければいけませんか」
「いや。ここは尋問室ではない」
声は穏やかだった。それが余計に気に入らなかった。戦場なら、シャアはもっと分かりやすい敵だった。赤い機体が撃ち、こちらも撃ち返す。それだけでいい。
生身の男は、立ち往生した二人を車へ乗せ、何でもない顔で港へ運んでいる。
「君は、私が怖いのか」
突然聞かれ、アムロは顔を上げた。
「怖くないと言ったら、嘘になりますね」
「正直だな」
「でも、ここで何かするつもりはありません。そっちも何もしないでしょう」
シャアが小さく笑った。
「少年に警告されるとは思わなかったな」
馬鹿にしているようには聞こえなかった。アムロは仮面の横顔を見た。機体に乗っていなくてもやはり間違いない。この男は自分が何度も戦ってきた相手だ。
シャアもバックミラー越しにアムロを見ていた。
「名前を聞いても?」
一瞬迷ったが、隠しても検問で身分証を見せることになる。
「アムロです。アムロ・レイ」
「アムロ・レイか」
シャアはその名を一度だけ繰り返した。
「私はララァ・スンです」
続けて名乗ったララァへ、シャアの視線が移る。
「ララァ・スン……」
今度は、少し長い間があった。シャアが何を感じたのか、アムロには分からない。ララァも前を向いたまま、膝の上で指を重ねている。
やがて港湾検問所の灯りが見えてきた。
「ここから先は連邦側の管理区域だ。私は入れない」
車両が停止し、後部座席のロックが外れる。アムロは扉を開ける前に、運転席を見た。
「どうして助けたんです」
「道に困っている子どもを見つけた。それだけでは不満かね」
「あなたはジオン軍人でしょう」
「君も連邦軍人なのだろう。それでも、ここは戦場ではない」
シャアはそれ以上説明しなかった。ララァが車を降り、アムロも続く。
「ありがとうございました」
ララァが頭を下げる。シャアは短くうなずいた。だが車を出す前に、もう一度ララァを見た。視線が重なり、二人とも何も言わない。車両は向きを変え、人工雨の向こうへ消えていった。
アムロはその姿が見えなくなるまで、道路から目を離せなかった。
「あの人がシャア……」
「はい」
「ララァは何か感じたのか」
ララァはすぐに答えなかった。
「強い人だと思いました。でも、それ以上は分かりません」
「僕も同じだ。敵だって分かるのに、機体に乗っていないと……変な感じがする」
警備員に帰艦許可証を提示し、二人はホワイトベースへ続く通路へ入った。
後ろを振り返っても、赤い彗星の姿はもうなかった。
◇
アムロとララァが戻ってきたのは、指定時刻の十分前だった。
俺は一号機の点検結果を受け取ったところで、二人がブライトさんに呼ばれたと聞いた。右腕と肩は正常値へ戻り、推進剤の補充も進んでいる。すぐに出撃できる状態ではないが、出港までには間に合う見込みだった。
ブリッジ横の小会議室へ入ると、アムロがちょうど報告を始めていた。
「シャア・アズナブル本人です。向こうから名乗ったわけじゃありません。でも、仮面と軍服、それに声で分かりました」
「声だけで断定するな」
ブライトさんはそう言ったが、報告を軽く扱ってはいなかった。
「車両の所属表示は確認したか」
「ジオン軍の通行許可証がありました。シャアとつぶやいてしまったところ、私を知っているのか、と言いました」
「シャアは君たちの所属に気づいたのか?」
「連邦艦の関係者とはわかったでしょうが。でも、僕がホワイトベースに乗っているとは気づいていないと思います」
ララァにも確認が向けられる。
「あの男について他に分かったことはあるか?」
「特に分かったことはありません。ただ、とても強く感じました。私を見た時、向こうも少し驚いていたと思います」
「驚いていた?接点でもあるのか?」
「ないと思います」
ララァの返事ははっきりしていた。
俺は二人を見た。
前世の記憶では、ララァは赤い彗星の側にいた。アムロが出会う時にも、シャアと一緒だったはずだ。けれど今回は違う。ララァはアムロと並んで帰ってきた。出会わせずに済ませることもできた。それでもララァが同行を選び、立っていた側も変わっている。それだけで全部が同じ流れへ戻るわけじゃないと思えたから任せた。
アムロは父親について何も話さなかった。俺も聞かなかった。
その顔を見れば、思っていたような再会にはならなかったことくらいは分かる。けれど、何を話し何を置いてきたのかは、アムロが自分から言うまで待つしかない。
「シャアがサイド6内部にいるなら、ザンジバルも近くにいる可能性が高い」
ブライトさんが立ち上がった。
「出港予定を繰り上げる。全機の点検を急がせろ。領空外へ出た直後に戦闘へ入る可能性がある」
「サイド6警備局から連絡です」
通信席のセイラさんが振り返った。
「カムラン・ブルームより、領空境界まで警備艇を随伴させるとの申し出が来ています」
ミライさんが航路表示を確認する。
「警備艇がいれば、少なくとも境界線を越えるまでは撃たれにくいわ。ただし、その先で待たれていた場合、退路は限られます」
「申し出を受ける。境界通過後の散開航路を作ってくれ」
命令がブリッジから各区画へ流れた。格納庫では整備員が白と黒のガンダムへ戻り、二機のガンキャノンとコアブースターにも発進準備灯がともる。
正面モニターには、サイド6領空から外へ伸びる細い航路が表示された。
その終点よりさらに先。
管制局の監視範囲ぎりぎりの暗闇に、出力を落とした複数の熱源が並んでいた。