黒いガンダムの宇宙世紀   作:いずりょう

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第88話 止まったあとで

 アレックスの安全化が終わったのは、艦内時間で日付が変わる少し前だった。

 

 反応炉は待機出力まで落とされ、武装と推進系には外部から二重の遮断がかけられた。試験班は戦闘中の記録を三つの記憶媒体へ複製し、取り外せる端末と予備部品を別の保管箱へ移していく。固定架の操作盤には赤い札が下がり、誰が見ても勝手に起動できない状態になった。

 

 アレックスそのものは、何も変わらず立っている。

 

 頭部カメラも消えたまま、腕も脚も動かない。少し前までアムロの動きへ追いついていた機体とは思えなかった。

 

「記録の回収は終わりました。残っている診断は、工場設備へ移してからになります」

 

 クリスさんがブライトさんへ端末を渡した。声はいつもどおりだった。

 

「分かった。試験班は交代要員だけ残せ。明日の作戦へ支障を出すな」

 

「ですが、輸送前の状態との照合がまだ途中です」

 

「今夜中に終える必要はない。機体は出さないと決めた」

 

 ブライトさんは言い切った。

 

「中尉も休め。明日はジム・コマンドで出てもらう」

 

「……了解しました」

 

 クリスさんは短く答えた。

 

 アムロはアレックスの足元で、回収された操縦記録を見ていた。少し離れた場所には二号機がある。整備班がシート設定を戻し、火器と推進剤の最終確認を始めていた。

 

「二号機の状態は?」

 

 アムロが整備員へ聞く。

 

「問題ない。お前がアレックスへ乗っていた間も、いつでも出せるようにしてある」

 

「操縦系の補正値は変えてないですよね」

 

「変えてない。確認するなら今のうちだ」

 

 アムロは一度だけアレックスを見上げ、それから二号機へ向かった。未練がないわけじゃない。それでも、動かない機体の前で立ち止まり続けることはしなかった。格納庫から人が減っていく。俺も一号機の確認を終え、いったん外へ出た。

 

 通路へ出たところで、ララァが食事区画から戻ってきた。両手に温めた飲料パックを持っている。

 

「まだ終わらないのですか?」

 

「作業は終わったよ。たぶん、クリスさんだけ残ってる」

 

 俺が格納庫の方を見ると、ララァも少しだけ視線を向けた。

 

「では、こちらを」

 

 二つとも差し出される。

 

「ララァの分じゃないの?」

 

「私はもういただきました」

 

「最初から二つ持ってたよね」

 

「必要になると思っただけです」

 

 それ以上は言わず、ララァは医療区画の方へ戻っていった。俺は温かいパックを二つ持って、格納庫へ引き返した。

 

 ◇

 

 クリスさんはアレックスの前ではなく、ジム・コマンドの横にいた。明日の装備一覧を端末へ表示し、曳航索と救助用の固定具を一つずつ確認している。作業用手袋は外していたが、右手にはまだ片方が握られていた。

 

「夜食です」

 

 声をかけると、クリスさんが顔を上げる。

 

「まだ起きてたの?」

 

「それ、俺が言う側ですよ」

 

「私は仕事です」

 

「俺も機体の確認をしてました」

 

「終わったんでしょう?」

 

「クリスさんも終わったはずです」

 

 返事がない。俺は飲料パックを作業台へ固定し、開いたままの工具箱を閉じた。曳航索の番号を一覧と照らし合わせ、使わない予備固定具を収納棚へ戻す。

 

「明日も曳航装備を持っていくんですね」

 

「ええ。大型作戦なら、損傷機も増えるでしょうから」

 

「推進剤を食いません?」

 

「その分、予備弾倉を一つ減らします。私は前へ出て撃ち続ける役じゃないもの」

 

 いつもの答えだった。何を持つかより、何のために出るかを先に決める。クリスさんは端末へ指を滑らせたが、画面はもう最終確認済みになっている。操作する項目は残っていなかった。

 

「冷めますよ」

 

「分かってるわ」

 

 飲料パックを手に取る。それでも口はつけなかった。俺も自分の分を開け、少しだけ飲む。熱すぎて舌をやりそうになった。

 

「……さっきの戦闘」

 

 クリスさんが言った。俺は黙って続きを待った。

 

「照準を置いて、相手が入ってきて、撃った。命中を確認して、次にアレックスを見た。そこまでは訓練と変わらなかったの」

 

 握っていた手袋が、ゆっくり折れ曲がる。

 

「戻ってから記録を見た時も、最初は敵機停止としか思わなかった。でも作業が終わったら、あの機体にも人が乗っていたんだって、急に……」

 

 言葉が止まった。

 

「撃たなければ、こちらが狙われていた。軍人なら撃つべきだった。それは分かってるわ」

 

 俺は何か言おうとして、やめた。正しかったとか、仕方なかったとか、そんな言葉ならすぐ出せる。でも今のクリスさんが聞きたいのは、判定じゃない気がした。

 

「俺も、帰ってから来ることがあります」

 

「今でも?」

 

「ありますよ。戦ってる間は次を見るしかないから。戻って手が空いてから思い出すんです」

 

 何度戦っても同じなのかと聞かれたら、分からない。慣れた部分はある。考えないようになった部分もある。それを胸を張って説明できるほど、俺は自分のことを分かっていなかった。

 

「どうしてるの?」

 

「うまくできてませんね」

 

 正直に答えた。

 

「食べられない時は、そのまま寝たこともあります。でも次の日に動けなくなって、怒られました」

 

「誰に?」

 

「フラウとか、ミライさんとか、いろんな人に」

 

 クリスさんの口元が少しだけ動いた。

 

「だから、半分でも飲んでください。明日も乗るんでしょう?」

 

「乗るわ」

 

「じゃあ必要です」

 

 俺がそう言うと、クリスさんはようやく飲料パックへ口をつけた。一口だけ飲んで、また手元を見る。

 

「年下に言わせることじゃないわね」

 

「俺から来たんですから、そこは気にしなくていいですよ」

 

「そういうところが、子どもらしくないのよ」

 

「何を言えばいいか分からなくて、食べ物を持ってきただけです」

 

「それは少し子どもらしいかも」

 

「どっちなんですか」

 

 今度は小さく笑った。平気になったわけじゃない。手袋を握る指にはまだ力が入っているし、飲む間隔も遅い。

 

 それでも、俺たちは残っていた工具を片づけた。クリスさんが飲み終わるまで、俺も先には帰らなかった。

 

 ◇

 

 十二月二十四日。

 

 早朝のブリーフィングルームには、出撃要員と各区画の責任者が集められていた。

 

 正面画面にはソロモン宙域と連邦艦隊の進入経路が表示されている。マゼランとサラミスの艦隊、その前へ展開する突撃艇、後方の補給艦。モビルスーツ隊は複数の進入軸へ分かれ、ホワイトベースはワッケイン少将の艦隊前方で、進路を塞ぐ敵機動部隊を崩す役目になっていた。

 

「二号機と一号機は前衛部隊の進路確保。敵の集団を見つけても、二機だけで奥へ入るな」

 

 ブライトさんが俺とアムロを見る。

 

「カイとハヤトはホワイトベース周辺から火力支援。前衛が開けた経路を維持しろ。セイラは左舷外側の警戒と通信中継。クリス中尉は近傍防空と損傷機の回収支援だ」

 

「了解」

 

「分かりました」

 

「今回は艦隊戦だ。自分の敵だけを見るな。ホワイトベースも、お前たちだけを当てにして前へ出るわけではない」

 

 画面では友軍のジム隊とボール部隊が配置を変えていた。俺たちはその一部だ。ホワイトベースだけが強くても、ソロモン全部を相手にできるわけじゃない。

 

 ブリーフィングが終わると、各自が格納庫へ散った。

 

 アムロはガンダムのコックピットへ入り、操縦桿とペダルの遊びを確かめている。俺が昇降用ワイヤーの途中で声をかけると、開いたハッチから返事が来た。

 

「どうしたの?」

 

「重いのかなって」

 

「やっぱり心配だよね」

 

「アレックスよりは。でも、どこで遅れるかは分かってる。ガンダムがついてこられるところまでなら、僕が合わせられるよ」

 

 声に迷いはなかった。

 

「いままでの機体に戻るだけだね」

 

「ずっと乗ってきた機体だよ」

 

「そっか」

 

 二号機のハッチが閉じる。

 

 一号機にはビーム・ライフル、腰部のビームガン、シールド、対艦刀が積まれていた。対艦刀の固定具を引くと、重い反応が腕へ返ってくる。整備表示は正常。推進剤、冷却、姿勢制御にも新しい警告はない。

 

 ソロモンには、ビグ・ザムがいるはずだ。

 

 前世で見た流れなら、あの巨大な機体へスレッガーが突っ込む。でも、この艦にスレッガーはいない。だからといって、誰かが同じように死ぬと決まったわけでもない。

 

 俺が知っているのは、もう古い形だけだ。でも問題のシールドの弱点はわかっている。今は目の前の命令と、実際に見える戦場を見るしかない。

 

 隣ではクリスさんがジム・コマンドへ乗り込んでいた。背部には曳航装備、腰には救助用の固定具。武装はビーム・ガンと予備弾倉を絞り、推進剤に余裕を持たせている。

 

「レン君」

 

「はい」

 

「今日は、救助される側にならないでね」

 

「努力します」

 

「努力ではなく、守ってください」

 

「……分かりました」

 

 クリスさんの手袋は、もう両手にきちんとはめられていた。格納庫を出る直前、ララァが通路の端に立っていた。医療区画へ運ぶ物資箱を固定している。

 

「行ってらっしゃい」

 

「行ってきます」

 

 それだけだった。

 

 ◇

 

 ホワイトベースが所定の位置へ進むにつれ、周囲の通信量が増えていった。

 

 メインカメラの向こうでは、マゼランとサラミスが何列もの艦列を作っている。その間を補給艇と連絡艇が動き、前方には小型突撃艇パブリクが散開していた。さらに近い位置では、ジムが小隊ごとに機体を寄せ、ボール部隊が砲身をソロモンへ向けている。

 

 遠くに見えるソロモンは、岩の塊にしか見えない。けれど、その周囲ではもう光が走り始めていた。

 

『第一次突入部隊、前進開始』

 

 艦隊通信が流れる。パブリクが加速し、敵の迎撃射線へ入っていく。前方に薄い撹乱膜が広がり、その内側へサラミス艦隊が進んだ。

 

 敵の砲火が返る。

 

 光の筋が膜の中で散り、別の砲弾が艦列の間を抜けた。友軍艦は隊形を崩さず、空いた場所を後続艦が埋める。ジム隊も命令を待たずに飛び出すのではなく、艦砲の射線が開くタイミングへ合わせて前へ出ていた。

 

 ホワイトベースの船体が大きく震える。

 

『各機、発進準備。予定どおり出す』

 

 ブライトさんの声が入った。

 

 先にセイラのコアブースターが飛び出し、左舷側へ回る。続けてカイとハヤトのガンキャノンが発進し、ホワイトベースの前へ砲撃位置を取った。

 

『クリス中尉、発進どうぞ』

 

『ジム・コマンド、出ます』

 

 青灰色の機体がカタパルトを離れ、艦の右側へつく。動きに迷いはない。

 

『アムロ、行きまーす!』

 

 白い二号機が発進する。

 

 アレックスほど鋭くはない。それでも、カタパルトを離れた直後の姿勢は一度も揺れなかった。アムロは二号機が動ける速度を知っている。

 

『レン少尉、進路クリア。発進してください』

 

「了解。レン・イズミ、一号機、出ます!」

 

 加速が身体をシートへ押しつける。

 

 黒い一号機がホワイトベースを離れた。右前方に白い二号機、少し後ろにクリスさんのジム・コマンド。さらにその向こうでは、何十機もの友軍機が同じ要塞へ向かっている。

 

 格納庫には、止まったアレックスが残っている。

 

 動ける機体は、全部前へ出た。

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