丸いやつには、余計なことを言わずに関わる。
そう決めた。
決めたのだが、決めたからといって簡単に守れるなら、前世の俺は積みゲーなんて作っていない。人間は決意だけで行動を制御できる生き物ではない。少なくとも俺は無理だった。
数日後、俺は工作室で丸い外装パーツを横から見ながら、ものすごく口を出したくなっていた。
「レン、今、何か言いたそうな顔をしてる」
アムロが端末から顔を上げずに言った。
こいつ、そういうところも少し鋭くなってきたな。
「言いたいことはあるけど、言うとまた余計なことになるかなって考えてる」
「レンが余計なことを考えるのはいつものことだろ。言えばいいよ。変だったら聞かなかったことにするから」
「上級生、優しいようで意外と雑」
「全部聞くとは言ってない」
「そこは聞いてよ」
アムロは少しだけ笑った。
前より柔らかい。ぶっきらぼうなのは変わらないが、機械の話をしている時は、こちらの軽口にもちゃんと返してくれるようになった。二つ上の機械好きの上級生。テンパ予備軍。前世の画面越しではなく、今は工作室で少し話せる相手。
慣れてきた。
慣れてきてしまった。
それが少し怖い。
「それ、音が出るところ、横に寄せすぎると、呼んだ時に声が片側から出てる感じにならない?」
「それは分かってる。でも正面を決めると、丸い意味が少し減るんだよ。どっちを向いてても反応するなら、音もできるだけ全体から出てる感じにしたい」
「じゃあ小さい穴を何個かに分けるとか」
「穴を増やすと外装の強度が落ちる」
「出た。今度はアムロが外装を気にしてる」
「レンがうるさいからだろ」
「人のせいにするのはよくないと思います」
「最初に外装の話をしたの、レンだろ」
「それはまあ、そう」
言い返せなかった。
俺が可愛げだの、怒られにくさだの、落とした時の角だの言い始めたせいで、アムロは外装を前より気にするようになった。いいことなのか、歴史改変なのか、ただの工作室トークなのか。もう分からない。分からないが、丸いやつは少しずつ丸いやつらしくなっている。
まだ完成はしていない。
名前もない。
でも、呼んだら返事をする予定らしい。
やっぱりハロ方面だよな、これ。
口には出さない。絶対に出さない。
「二人とも、また機械の話になると長いね」
入り口からフラウの声がした。
アムロが少しだけ肩をすくめる。俺は作業台の横から顔を上げた。フラウは呆れたような顔をしているが、声は柔らかい。完全に怒っているわけではない。アムロを呼びに来たついでに、いつものやつを見に来たという感じだ。
「今日はまだ片付け時間じゃないよ」
アムロが言うと、フラウは少し笑った。
「そう言う時のアムロは、だいたい片付け時間を忘れるから先に言いに来たの。レンくんも、アムロといると機械の話ばかりになるでしょう」
「だいたいそうです。でも、嫌ではないです。分からないところが多いので、聞いてると面白いですし」
「レンくんも十分話してると思うけどな」
「口は少し出ます」
「少し?」
「……まあまあ出ます」
フラウが笑った。
アムロまで横で小さく笑っている。
「そこは否定しないんだな」
「否定すると先生に見つかった時に困るから。僕は最近、正直路線でいくことにしてる」
「正直なら、口がかなり出ます、じゃない?」
「フラウさん、厳しい」
「だって見てると、二人とも楽しそうに言い合ってるもの」
楽しそう。
そう見えるのか。
実際、楽しいのだと思う。機械の話は楽しい。アムロの反応は速いし、フラウの茶化しは温かい。先生も上級生たちも、俺たちを危険物ではなく、少し変な機械好きとして扱ってくれる。
普通の日常だ。
だからこそ、胸の奥が少し冷える。
U.C.0079。
日付が近づいている。
俺だけが、それをカウントダウンみたいに見ている。
学校の端末に表示される日付。居住区の予定表。搬送区画の通行制限。普段より増えた作業員。軍関係者の足音。父さんと母さんの帰宅時間。全部が、少しずつ「その日」へ寄っていく。
前世で見たアニメなら、始まりの名場面だ。
現地民としては、普通に胃が痛い。
「レン?」
フラウに呼ばれて、俺は少し遅れて返事をした。
「あ、ごめんなさい。ちょっと考えてました」
「また機械のこと?」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「片付けまでが工作だなって」
「それ、先生の受け売りでしょ」
「便利なので使ってます」
フラウがまた笑う。
俺も笑った。
笑えた。
まだ笑える。
その日の帰り道、俺はいつもの通路を少し遠回りした。
もちろん、怪しまれない範囲でだ。先生にも母さんにも言われている。危ない場所には近づかない。表示を見る。作業中の区画には入らない。俺はいい子なので守る。いい子なので、境界線の少し手前までしか行かない。
我ながら言い方が最悪である。
搬送区画に近い通路では、以前より人の流れが増えていた。コンテナが運ばれ、作業ポッドの音が響き、警告表示が一時的な通行制限を知らせている。表示の文言は一般向けで、細かい内容は伏せられている。だが父さんと母さんの仕事、サイド7、連邦軍、そして俺の前世知識を合わせれば、だいたい嫌な方向にしかならない。
V作戦。
そう口に出せない単語が、頭の奥で重くなる。
俺は表示を見ながら、通路の分岐を覚え直した。非常灯の位置。退避扉。搬送区画へ向かうルート。学校から家までの別経路。工作室から居住区へ戻る道。アムロが使いそうな通路。フラウが通りそうな居住区側の道。
全部を覚えたところで、全部を守れるわけではない。
それでも、見ないよりはマシだ。
「レン」
急に声をかけられて、俺は振り向いた。
父さんだった。作業服に近い軍服姿で、手には端末を持っている。少し疲れた顔をしているが、俺を見る目はいつもの父さんだ。忙しい技術少佐。施設管理の人。俺の父親。
「最近、外の区画へ行きすぎていないか。興味があるのは分かるが、搬送区画は遊び場じゃないぞ」
「分かってるよ。見るだけ。……って言うと先生にも怒られたから、ちゃんと近づきすぎないようにする」
「見るだけ、はだいたい口か手が出る言い方だな」
「父さんまで先生みたいなこと言う」
「先生が正しいということだ」
父さんは少し笑って、俺の頭に軽く手を置いた。
その手の重さが、妙に現実的だった。
「レンが機械に興味を持つのは嬉しい。だが、今は動いている荷物も人も多い。予定外の搬入もある。安全な場所と危ない場所の境目が、いつもより分かりにくい。だから、表示だけは必ず見なさい」
「うん。表示を見る。黄色い線は越えない。赤は近づかない。作業中は止まらない」
「よく覚えているな」
「母さんにも言われてるから」
「そうか。なら大丈夫……と言いたいが、お前は少し賢すぎるからな。分かったつもりで近づきすぎるなよ」
「はい」
俺が素直に返事をすると、父さんは少しだけ目を細めた。
「いい返事だ。少し怪しいが」
「いい返事なのに疑われてる」
「日頃の行いだな」
「僕、悪いことはしてないよ」
「悪いことはしていない。だが、変なところを見る」
否定できない。
父さんまでそれを言うのか。
家に戻ると、母さんも遅れて帰ってきた。
夕食は簡単なものだった。忙しい時の和泉家は、温かい食事が出るだけで十分ありがたい。父さんは食べながら端末を確認し、母さんはそれを見て「食事中くらい置いたら」と言う。父さんが「あと一件だけ」と返し、母さんが「その一件が三件になるでしょう」と言う。
普通の家庭だ。
少し忙しいが、冷えてはいない。
「レン、今日も工作室だったの?」
母さんが俺の皿に少し野菜を追加しながら聞いた。
追加しないでほしい。いや、食べるけど。
「うん。アムロの丸いやつを少し見た。まだ完成してないけど、音が出るかもしれない」
「アムロくん?」
「二つ上の、機械が得意な人。前に話した上級生」
「ああ、最近よく名前が出る子ね。仲良くしてもらっているの?」
「機械の話をするくらい。僕が横から変なところを見る係」
「係なの?」
「たぶん。正式採用はまだです」
母さんは笑った。
父さんは少し興味を持ったように顔を上げた。
「二つ上で、音声反応まで作っているのか。なかなか面白いな」
「アムロは制御とかログを見るのが早いよ。僕とは、見てるところが違う感じ」
「そういう相手は大事にしなさい。自分と違う見方をする人間は、機械でも仕事でも役に立つ」
「友達を工具みたいに言わないで」
「そう聞こえたか?」
「少し」
父さんは苦笑した。
母さんがそこで、少し真面目な声を混ぜた。
「レン、友達といる時も表示を見るのよ。楽しい時ほど周りを見なくなるから。アムロくんと機械の話をしていても、危ない場所には近づかないこと」
「うん。慌てた時ほど表示を見る。怖い時に走り出さない」
「よろしい」
母さんは満足そうに頷いた。
俺は野菜を食べながら、胸の奥でその言葉を繰り返した。
慌てた時ほど表示を見る。
怖い時に走り出さない。
たぶん、もうすぐ必要になる。
必要になってほしくないが、必要になる。
夕食の後、父さんと母さんはまた仕事に戻った。家に帰ってきたのに、また出ていく。珍しいことではない。最近は特にそうだ。
「遅くなるかもしれない。先に寝ていなさい」
父さんが上着を着ながら言った。
「端末は時間を守るのよ。あと、通路の外には出ないこと」
母さんが念を押す。
「分かってる。二人とも、気をつけて」
俺がそう言うと、父さんが少し笑った。
「それは本来、親が子どもに言う言葉だな」
「言ってもいいでしょ」
「ああ。ありがとう、レン」
母さんも柔らかく笑って、俺の髪を軽く整えた。
「大丈夫よ。仕事を片付けて戻るだけだから」
仕事を片付けて戻るだけ。
その言葉が、少しだけ痛かった。
俺は何か言いかけて、結局やめた。
未来を話せない。
サイド7が襲われるなんて言えない。V作戦も、ザクも、ジーンも、コロニーの穴も言えない。言ったところで信じられるかどうか分からないし、信じられたら信じられたで、アムロがRX-78-2に乗る流れが壊れるかもしれない。
ジークアクスの知識が頭をよぎる。
アムロがガンダムに乗らない未来。
シャアにガンダムを取られる可能性。
それは駄目だ。
2号機はアムロ。
俺が行くなら、1号機だ。
二人が出ていった後、俺は自室で端末を開いた。
公開情報で見られる範囲の搬送予定。施設の通行制限。居住区の警告表示。学校の予定。何度も確認した。もちろん、核心には触れられない。子どもの端末で見られる情報なんて限られている。それでも、周辺の動きは見える。
搬送区画の制限が増えている。
整備区画に近い通路の一部が、短時間だけ閉じられている。
詳しい理由は出ていない。ただ、表示の文面がいつもより少しだけ硬い。
そして、その向こうにあるものを、俺は一度だけ見ている。
整備区画の奥。
タンクやキャノン系の部品とは少し離された場所。
被せものの下に立つ、人型の機体。
見た目だけなら、完成しているようにも見えた。
RX-78-1。
1号機がある。
やっぱりORIGIN混じりか。いや、MSVも混ざってるのか。というか、俺、ORIGINあまり知らないんだけど。
未来知識、頼れるようで肝心なところで雑すぎる。
それでも方針は決まっていた。
2号機には触らない。
アムロが乗る流れは残す。
俺が向かうなら、整備区画の1号機。
動くかどうかも分からない。
それでも、俺が守れる可能性があるのは、あれだ。
たぶん、全部は救えない。
その考えが、胸の奥に沈む。
俺は端末を閉じた。
部屋の外では、いつもの空調音がしている。通路を誰かが歩く音もする。サイド7の夜は、今日も普通だった。工作室ではアムロの丸いやつが少しずつ形になっていて、フラウはアムロを呼びに来て、先生は片付けまでが工作だと言う。父さんと母さんは忙しいが、帰ってきたらちゃんと俺に声をかける。
普通だ。
普通すぎる。
だから怖い。
明日も普通に続けばいい。
そう思う時点で、たぶんもう普通じゃない。
俺は暗くなった端末の画面に映る自分の顔を見た。
まだ子どもの顔だ。
でも、その奥で、前世三十五歳の俺が静かに息を吐いている。
そろそろだ。