異世界でとんかつ屋さんとして生きていきたい   作:藤沢春

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35 母からの手紙

 母から手紙をもらった。

 どのくらいぶりだろう。僕がセンチュリオンを離れ、この『アレクセル家』の養子として迎えられてからというもの、実家に顔を出せたことは一度もなかった。

 

 手紙の内容からして、相変わらず父も母も元気にしているようだし、僕自身も変わらずこちらで元気にやっている。

 それにしても、なぜ今この時期に、母は僕に手紙をよこしたのだろうか。文面からは悲壮感のようなものは見受けられず、実家に特別な節目があるわけでもなさそうだった。ただ単純に、僕に会いたくなっただけなのかもしれない。

 

 僕が迎えられたアレクセル家では男子が生まれず、養子とはいっても、ここの長女に婿として入る形、いわゆる婿養子だった。当時、母はこの養子縁組に反対したそうだ。しかし一方で、僕のいたチャーチル家には女子がいなかった。五男である僕は、婿入りという選択肢が妥当だったのだろう。

 

 このアレクセル家の末娘と、ほぼ「交換」という形で、互いに引き取られたのだった。母が胸に秘めていた何かの想いは、残念ながら叶うことはなかった。

 

 その後、縁談は滞りなく進み、晴れて僕はアレクセル家の婿養子として迎えられ、名目上は『長男』となった。十六歳で引き取られて以来、何不自由ない生活を送らせてもらっている。こちらの長女『エカチェリア』とも良好な関係を築けているので、このまま十八歳になる頃には、特に障害もなく結婚するのだろう。

 

 こちらの家にはもちろん思惑は多々ある。しかし僕にとっても利点のほうが多かった。正直に言えば、実家にいるより生活水準ははるかに高い。不自由を感じたことは一度もなく、長女のエカチェリアとも本当にうまくやっている。エカチェリアは気立てがよく、僕に対してもとても気さくだ。

 

 お互いに結婚相手として強く意識しているわけではなく、今は少しずつ歩み寄り、相手を知っていく段階だった。エカチェリアは学園の成績も悪くない。すべてにおいて優秀というほどではないが、僕にとっては構えずにいられる存在で、一緒にいてとても過ごしやすい。ほんの少しの野心にも似た狡猾さを除けば、僕には「当たり」だった。もっともそうした思惑は、双方の奥底に確かに存在しているのだが。

 

 今はこちらの国の学園に通わせてもらい、魔法科学をクラブ活動で仮入部という形で専攻している。

 これほどお金がかかる分野だとは知らず、もし駄目なら諦めるつもりで義両親に相談したところ、意外にも「このまま続けていい」と言われた。

 

 将来のことを深く考えていたわけではないが、どうやら魔法科学は将来性のある分野らしい。こちらのアレクセル家では、これまで魔法科学を専攻した者はいなかったそうで、その点でも僕に使い道があると判断したのだろう。いわゆる先行投資という形で、僕はそのままクラブ活動を続けることになった。

 どうやら僕には、魔法の才があるらしい。成績は目に見えて伸びていくだろう。

 

 僕は五人兄弟の末っ子ということもあり、正直、甘やかされて育った面は否定できない。自分でも分かるほどにわがままだ。気に入らないことはすぐ口に出してしまうし、食べ物の好き嫌いも多かった。そんな末っ子にも悲哀はある。服はすべてお下がり、美味しいものは兄たちに先に取られ、自分の番が回ってくる頃には、ほとんど残り物しかない。取っ組み合いになれば一番弱いのは明らかで、口喧嘩をすれば論理的に打ち負かされる。いつの間にか、兄たちに歯向かおうという気持ちは失われていった。

 

 こうして今、母への返信を書いていても、母に対する愛情は確かにある。それでも、実家に帰りたいかと問われれば、答えは否だ。実家で僕が優位に立てた瞬間などほとんど記憶にはなく、そうなるよう育てられた覚えもない。あくまで家族の末として扱われ、人として尊重された感覚は薄かった。あのまま中学を卒業するまであの家にいたら、自分から家を出てハンターにでもなっていたかもしれない。いや、そんな腕っ節もない。どこかの工場で雇ってもらうのが精一杯だっただろう。

 

 こうして母が再び連絡をくれたことは、正直に言って嬉しかった。母の温もりだけは、今でも忘れられない。理屈では割り切れないのだ、親子愛というものは。

 

 僕が返信を書いて送ってから数日後、また母から手紙が届いた。そんな頻繁にやりとりするような内容を書いたつもりはなかったし、ましてやこのアレクセル家に対して、「実家の母と文通している」など知られれば、不審に思われかねない。しかし、二通目の手紙の内容は、驚くほど簡潔だった。

 

 ──ティガー、あなたに久しぶりに会いたいわ──

 

 内容は、ほぼそれだけだった。

 僕だって会いたい。それは間違いない。だが、一度家を出ると決め、縁組まで交わした以上、平たく言えば、もう「他人」同然だ。未練がましく頻繁に会うなど、世間的に許されることではないだろう。それを押し切ってまで会いに行く理由は、どこにあるというのだ。

 

 二通目の手紙を読み、僕は自室の椅子に浅く腰掛け、天井を仰いだ。脳裏に浮かぶのは母の顔、そして父の顔。地元の風景や、親しかった友人たちの姿。こちらに婿入りしてから約一年、皆、変わっただろうか。いや、案外変わっていないかもしれない。

 

 母は、僕のためによく手袋を編んでくれた。兄たちとの取っ組み合いで負けて泣いていた僕を、母はよく慰めてくれた。泣き止むまで、お腹に抱えて頭を撫でてくれた。

 

 そんなことを考えていた時、不意にドアをノックする音が響いた。エカチェリアだった。

 ぼんやりとしていた思考が、一気に現実へ引き戻される。

 そして僕は、決断した。

 

 母に会いに行こう。

 

 エカチェリアや義両親、義理の妹たちは、食事の席で僕を気遣ってくれた。そろそろ向こうの家族に会いたくなる頃ではないかと、心配してくれていたらしい。その優しさに、かえって恐縮してしまう。知らず知らずのうちに、気を遣わせていたことが申し訳なかった。

 

 皆は快く背中を押してくれ、エカチェリアにも一緒に行こうと申し出たが、「水入らずで行ってらっしゃいな」と言われ、僕はひとり、母の待つ『王都ミンチェスティ』へ向かうことになった。

 

 

 

 王都を訪れるのは久しぶりだった。幼い頃、まだ建設途中だった『ミンチェスティ大聖堂』に、社会科見学で来たきりだ。あの頃は街も今ほど華やかではなく、どちらかといえば「戦争」の名残が色濃く残っていた。

 

 僕にとって、この『センチュリオン王国』は、歴史的な研究対象としての興味しかない。養子先の国と同盟関係にありながらも、どこか腹の底に別の思惑を抱えているように見える。形だけの同盟が盤石なはずもなく、いずれは大小問わず火種が生まれるものだ。

 

 僕が学園で専攻している『魔法科学』も、歴史的にはすでに滅びた古典魔法を置き換えた技術だ。今は魔導の根源である『魔力』だけが残り、軍事利用の方法は失われている。そのかすかに残された魔力をどうにか平和利用できないか、という試みなのだ。このセンチュリオン王国は、もともと軍事色の濃い国家だったはずだ。そんな国にこの魔法科学の研究で遅れをとるわけにはいかない。

 

 今では文化が花開き、街は多くの店で賑わい、観光客も増えている。だが、僕にはそれが薄い飾りのように思えてならない。見せかけの栄華だろう。

 そういった意味でも、僕は今の養子先に感謝している。この国の行く末に、僕自身の興味はほとんどなかったのだから。

 

 

 久しぶりに会った母は、ほとんど変わっていなかった。

 一年も顔を合わせていなければ、もっと大きく変わっているものだと勝手に思い込んでいたが、実際には頬のふくらみが少しすっきりした程度に見える。屈託のない笑顔で微笑む母の顔を見て、僕が嬉しくないはずがなかった。思わず僕の手を取ってぎゅっと握る母の姿に、しばし目を細めてしまう。

 

 母の勧めで、二人でランチをすることになった。

 その店は最近オープンしたばかりらしく、少し変わった料理を出すと評判だという。僕が養子に入る際に仲介してくれた、アレクセル家の親戚にあたる人が、以前この店を訪れ、大層感激したらしい。母もその話を聞いて以来、ずっと気になっていたようだった。

 

 店の前に来て中を覗き見た時、まず目に飛び込んできた光景は、あらゆる常識を打ち砕くものだった。

 調理をしているのはネコで、僕と歳がそう変わらない娘が二人、配膳や接客をしている。美味しい料理だとか、値段がお手頃だとか、そんな前情報よりも先に、「大丈夫か、この店は」と思ってしまったのが正直なところだ。

 

 だが、その不安はすぐに杞憂に終わった。

 理由は明白で、この混雑ぶりだった。昼時ということを差し引いても、店の外には行列ができ、弁当も飛ぶように売れている。何より、店内から漂う芳ばしい匂いと、実に美味しそうに料理を頬張る客たちの表情。そして視界に入る、正体のよく分からない料理が盛られた大きな皿には、たっぷりの野菜や果物が彩りよく並び、その中央には、ふっくらと湯気を立てる白い穀物のようなものが鎮座していた。

 

 食べなくても分かる。

 これは、きっと美味しい。

 

 ようやく僕と母の番が来て、席へ案内された。

 対応してくれた女性は、見た目こそ少し冷ややかで、言葉遣いにも独特の癖があるが、立ち居振る舞いからは気品がにじみ出ていた。正直、僕とは住む世界が違う人のように感じたが、その笑顔はとても魅力的だった。料理の説明も実に丁寧で、初めての僕たちにも分かりやすく噛み砕いて説明してくれる。その姿は、もはや普通の料理屋の枠を軽く超えている。

 

 ここまで気配りと心遣いの行き届いた店は、そう多くない。若輩な僕にも、それくらいは分かった。最初に抱いた不安など、とうに霧散していた。

 

 母は酒を嗜む人だ。

 夕食時や外食の際には、よく「軽く一杯」と言って父と飲んでいたらしい。ここでは昼でも酒が飲めるようで、特にこの『あげもの』に合う酒があるのだという。母はそれを迷いなく注文し、花が咲いたような明るい笑顔で、酒と料理を楽しんでいた。

 

 一方の僕は、この見慣れぬ料理に夢中だった。

 これほど食感がよく、温かく、しかも味がしっかりしている料理は、今まで食べたことがない。それに量も尋常ではなかった。さらに驚いたことに、先ほどの白銀の髪の女性が、断りもなく僕の『ご飯』をおかわりしてくれるのだ。空腹だった僕にとって、それは本当にありがたく、気付けば無言でむしゃむしゃと食べ続けていた。

 

 食後、二人で紅茶を注文した。

 その際、冷たい紅茶もできると聞いて、思わず耳を疑った。そんなものは聞いたことがない。興味本位で、母と二人で注文してみることにした。運ばれてきた紅茶は、これがまた実に美味しかった。冷たい塊が紅茶の色に溶け込むように、透き通るガラスの中で揺れている。

 

 この国ではまず見かけない黒髪の女性が、仕組みを説明してくれた。

 魔導エネルギー装置を使っているのだという。考えてみれば、これは僕が専攻している『魔法科学』の応用だった。まさか、こんな形で活用されているとは思わなかった。これは確かに、将来性のある分野だと実感する。

 

 そんな話を母としているうちに、いつの間にか長居をしてしまっていた。

 さすがに店に迷惑だろうと母が言い出し、僕たちは席を立つことにしたが、黒髪の女性は終始にこやかに見送ってくれた。次に来る時は声をかけてくれれば、もっとゆっくりできる席を用意するとのことだ。なんとも、行き届いたもてなしだと感じる。

 

 母と、その黒髪の女性——この店の店主である『さくらさん』と少し言葉を交わし、穏やかに別れの挨拶をした。帰り際、料理に励んでいた『ネコ』にも目を向けると、きちんとお辞儀をして「ありがとう」と言ってくれた。なぜかそのネコは、僕をもう一度見るようなしぐさをした。

 

 母と話した内容は、取り留めのないことばかりだった。

 特に会わなくても分かるような近況報告や、僕の生活の話が中心だった。そういえば、家族のことはあまり話題にしなかった気がする。今度は父も一緒に、三人でこの『とんかつ さくら』を訪れよう。そんな言葉を交わして、僕たちはそれぞれの帰路についた。

 

 空を見上げ、僕は少しだけノスタルジーに浸った。

 母は相変わらず優しく、思いやりに満ちた女性だった。僕は別の家族の一員になったが、それでも母は母なのだと感じた。また機会があれば、エカチェリアを連れて来よう。きっと母も、エカチェリアを気に入ってくれるはずだ。

 

 

 ふと振り返ると、竹が通された『とんかつ さくら』の大きな布を片づける、さくらさんの姿が見えた。

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