異世界でとんかつ屋さんとして生きていきたい   作:藤沢春

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42 運動会

「それは無理だにゃ」

「やっぱりそうですよね……残念です……」

 

 とある日のランチタイムが始まる一時間ほど前、午前十時頃のこと。 厨房の脇にある小窓で、きなこが二人の大人の女性と何やら対話していた。

 

 その様子を(うかが)うと、きなこは非常に困っていて、対する二人もしゅんと肩を落としている。流石(さすが)にさくらも気になり、二人の間に立ち入って事情を尋ねてみることにした。

 

「どうしたの?きなこ」

「この『先生方』がお弁当の注文をしに来たんにゃけど……」

「そうなの?ぜひお受けしたらいいじゃない」

 

 さくらは明るく応じた。弁当の仕出しは普段から行っているし、多少の注文数であれば、これまでもなんとか対応してきたからだ。

 

「いやいや、さくら。三〇〇個にゃ」

「ええっ?三〇〇!?それは……ちょっと多すぎるね」

「ですよね……」

 

 当然ながら、それは「とんかつ さくら」のキャパシティを超えていた。 店主であるさくらからも追い打ちをかけるように断られ、先生方はより一層がっくりしてしまった。

 

「うーん……でも、一体どうしてそれほどの数が必要なんですか?」

 

 さくらは気を取り直して(たず)ねた。なにか大きなイベントでもあるのだろうと。

 

「はい。実は今度の日曜日に、ブルーウッド公園で小学生の運動会があるんですよ」

「なるほど、それは大掛かりな行事ですね」

 

 運動会。その言葉を聞いてさくらの身体はぴくっと反応する。

 

「いつもは別の店に依頼しているのですが、今回は事情があって断られてしまったんです……」

「にゃるほど。でもどうして、うちに来たんにゃ?」

 

 きなこの問いに、もう一人の先生が申し訳なさそうに答える。

 

「私がつい、『新しくできた「とんかつ屋さん」にお願いしてみようかしら』と口走ってしまったんです。そうしましたら、それを聞きつけた子供たちが『そこがいい!そこがいい!』と聞かなくなってしまいまして……」

 

 どうやらその先生がいうには、学校中でこの『とんかつ さくら』の噂は(ひそ)かに伝わっていたようで、そこのお弁当を食べてみたいという期待で盛り上がってしまったようだった。

 

「きなこ」

「にゃ?」

 

「やるよ」

 

 さくらの瞳に、決意の炎が燃え上がっていた。

 

「や、やるって……何をにゃ……?」

 

「三〇〇個。やっちゃうよ!」

 

「ええええ!!??」

 

 さくらは鼻息も荒く、両手で拳を握りしめて仁王立ちになった。 その力強い言葉と姿を目の当たりにし、二人の先生はよかったと胸を撫で下ろし、感謝して店を後にした。

 

 

 

 その日のランチタイム営業終了後。

 

「とは言ったものの……」

 

 言葉の勢いとは裏腹に、さくらは少しばかり安請(やすう)()いをしてしまったかもしれない、という思いに駆られていた。

 

「まあ、やってできないことはないにゃ」

「うむ。私も手伝うぞ」

 

 フリーゼもその大役(たいやく)を買って出て、頼もしく胸に手を当てて言った。

 

「やるからには、まずは入念に準備しましょう」

 

 さくらは思考を巡らせる。当日になって「できませんでした」では済まされない。 もし失敗すれば、今後「とんかつ さくら」が積み上げるべき信頼は地に落ちるだろう。 そうならないためにも、事前のシミュレーションが不可欠だと考えた。

 

 そこで、まずは予行練習を行うことになった。 その日の夜、リゼロッテにも相談を持ちかけ、実際にどれほどの弁当を作れるのか、試験的に稼働(かどう)してみることにしたのである。

 

 まず直面した課題は、大量の米を炊くための設備不足だった。 十分な量を(まかな)える(かま)がないため、バレットに依頼して大きな寸胴鍋(ずんどうなべ)を二つ発注した。

 

「てめえ、ふざけんじゃねえ。いきなりそんな薄くてでけえ鍋が作れるわけ……なに?運動会?子供たちの笑顔?おい!鉄もってこい!」

 

  バレットはそう言って、ガッツンガッツンと大急ぎで弟子たちとともに鉄を打ち、翌日にはそれが届き、これで三〇〇人前の炊飯(すいはん)は可能となった。

 

 

 

 また別の日の、中休みの時間には、リゼロッテの家に仕えるメイド二名が「とんかつ さくら」を訪れた。 当日の彼女たちは、弁当制作を支える精鋭(せいえい)部隊となるのだ。 主に炊飯や副菜の調理、そして盛り付けを担当してもらうことになった。

 

「今日はよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。さくら様のお噂は予々(かねがね)(うかが)っておりました。その料理の腕前を拝見できるのを楽しみにして参りました。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 挨拶もそこそこに、さくらたちは早速練習に取り掛かった。

 

「奥様に以前教えていただいたのですが、どうもうまく炊き上がらないのです」

 

 どうやら先日、フリージア夫人に伝授した「米」の炊き方のコツは、メイドたちに正確には伝わっていなかったようだ。

 

「いつもはどうされているんですか?」

「この穀物(こくもつ)は、いつも『リゾット』のように調理しております。それ以外の方法があるとは存じませんでした」

 

 メイドたちは、この米に似た穀物の適切な調理法を知らなかったのである。

 

「この穀物は、たっぷりのお水を使うんですよ」

「ええっ?それでは、より一層べちゃべちゃになりませんか?」

「短時間の加熱ではそうなんですけど、じっくりと時間をかけて『()く』のがコツなんですよ」

 

 さくらは米の炊き方の基礎を丁寧にレクチャーした。

 

 初めは弱火でじっくり温め、様子を見守りながら一気に強火にして沸騰させる。 素早く米を混ぜた後は極弱火にし、蓋をして重石をのせ、そこから十五分間じっくりと火を通す。

 

 (かす)かにおこげの香りが漂い始めたところで火を止め、鍋をひっくり返してさらに十五分間蒸らすのだ。 仕上げに綿の詰まった大きなミトンを被せ、熱を逃さないよう保温する。

 

「……これほどまでに手間をかけていたのですね……」

「そうなんですよ。でも、その分だけ仕上がりが全然違うでしょう?」

「ええ、とても。ここまで丁寧に扱うからこそ、こんなに真っ白で美しい粒になるのですね」

 

 メイド二人は感嘆(かんたん)の声を上げた。 これまで一つの食材をここまで徹底して磨き上げた経験がなかったからだ。

 

 食に対する日本人の探究心は並外れており、良いものをさらに高みへと昇華させ、アレンジの幅を広げていく。 そして、どんなに小さな一粒でも無駄にしない精神こそが、さくらの料理の根底に流れる哲学だった。

 

「さあ、これでお米の炊き方は完璧ですね。では次に、付け合わせを作ってもらいましょう!」

 

 こうしてさくらときなこ、フリーゼ、そしてフリージア家のメイド二名で、まずは今夜の予約分である仕出し弁当五十個の制作に取り掛かった。 メイドたちも楽しげに、和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気の中で作業は進んでいった。

 

 

 

「冷めても美味しい揚げ物を作りましょうなのです」

「子供たちが喜んでくれて、冷めても味が落ちないのは、ヒレかつ、白身フライ、それからエビフライだにゃ」

 

 夜の営業終了後。さくらときなこ、そしてリゼロッテの三人は、弁当に入れる揚げ物の種類を厳選(げんせん)していた。

 

「そして今回は、これを使ってみようと思います」

 

 さくらが営業中に密かに仕込んでおいた「あるもの」を冷蔵庫から取り出した。

 

「これは何なのですか?」

「タルタルソースだよ」

「何だにゃ、それは」

 

 さくらはタルタルソースに使用されている素材について説明を()えた。 今回は子供向けなので、本番ではピクルスを抜く予定だが、今取り出した試作品には含まれている。

 

 リゼロッテときなこが、それを口に運んだ。

 

「むむっ!」

「にゃにゃっ!」

 

 二人は目を丸くして驚いた。 一般的なソースとは一線を(かく)す、その独特で奥深い味わいに歓喜の声を上げる。

 

「さくらちゃん、これ、すごく美味しいのです!きっとお子様たちも大喜びだと思いますなのです」

「これはいけるにゃぁ。特にエビフライとの相性が抜群だにゃ」

 

 二人は揚げ物を口に運ぶ手が止まらなくなってしまった。

 

「そっか、よかった!これなら自信を持って出せそうだね」

「はいなのです。この『たるたるそおす』だけでも、ご飯が何杯でも食べられちゃうのです」

「よし、明日の仕出し弁当から、これをつけてみようにゃ」

 

 深夜まで続く試作。 さくらときなこたちの新しい一歩は、止まることを知らなかった。

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