「はぁ……疲れた……」
「ようやく終わった……」
男の名はダミアン・ストラホフ、二十八歳独身。彼女なし。ミンチェスティからブルーウッド・ノース地区へ向かう中間あたりの場所に住んでいる。いつもの帰宅時刻ごろ、大型マーケット『グランデ・マルシェ』に立ち寄る。夕暮れ時は安くなった
「うわ、なんで今日は半額スタンプがついていないんだ……」
ダミアンはがっかりした。特に趣味もなく、食に対するこだわりもない。そんな彼が
「くそぅ……今日はついてないな……」
とぼとぼと店を出るダミアン。そのまま帰ろうとしたとき、通りすがりの女性とぶつかりそうになり、声をかけられた。
「先輩?ダミアン先輩じゃないですか。どうしたんですか、そんなにしょんぼりして」
「……ああ、ユリアさんか……うん……放っておいてくれないか……」
彼女は職場の
「いやいや、そんな姿を見て
この時期の
「いや……君も外回りで大変だろうに……そんなに元気はつらつとしていて、いいねぇ……」
「私は今の仕事が大好きですから!やりがいがあります!」
そう言ってユリアは、力強く
「へぇ……そうかい……それじゃあ僕はこれで……」
「ちょっとちょっと!なんで帰ろうとするんですか。ほら、一緒にご飯でも食べに行きましょう!」
「ええ……嫌だよ……僕は
「何言ってるんですか。たまにはいいじゃないですか。どうせ先輩、普段から全然お金を使っていないんでしょう?」
「人の財布の中身を
「いいから、早く!」
ユリアに無理やり腕を
「私、ここに入ってみたかったんですよね」
「うわ……すごく混んでいるじゃないか……僕は嫌だよ、並ぶのは」
「それだけ
二人は行列の
「先輩、楽しみですね!」
「そうかな……あと、その『先輩』っていうの、やめてくれないか? 学生気分が抜けていないね」
「あ、すみません。ずっと体育会系で育ってきたので、つい癖になっちゃってるんですよね」
そんな話をしながら待つうちに、ようやく二人の順番が来て、店の中へと案内された。
「いらっしゃいませなのです。お
「はい!職場の先輩と来ました!あ、また言っちゃった!」
「とてもお元気なのです。ではこちらへどうぞなのです」
ダミアンとユリアはすぐに席へ案内され、メニューの説明を受けた。
「先輩、お酒も飲めるみたいですよ。少し飲みましょうよ」
「僕はいいよ……」
「ハイボールってやつを二つお願いします!」
「かしこまりましたなのです。少々お待ちくださいませなのです」
ユリアに勝手に注文され、おつまみも
「先輩、楽しみですね!」
「君はさっきからそれしか言っていないじゃないか」
「だって、お腹が空いたんですもん!」
正反対のテンションの二人の前に、すぐに冷えたハイボールが運ばれてきた。同時におつまみとして、魚のフライ、エビフライ、
「お待たせしましたなのです。こちらのお味噌汁は、お二人にサービスですと
どうやらこの味噌汁は、くたびれた様子のダミアンのために店主がサービスしてくれたものだった。
「先輩、どういうことでしょうね?」
「わからないけれど……まあ、食べてみるよ」
ダミアンはそう言うと、さっそくその味噌汁に手をつけた。一口すすって「あつっ」と口を離したが、
「…………はぁぁぁああぁぁ………………」
ダミアンは目を閉じ、がっくりと肩を落として、お
「先輩……?美味しくなかったんですか?」
ユリアは心配そうに、ダミアンの顔を下から
「この『味噌汁』が、本当に美味しいんだ。疲れがどこかへ飛んでいってしまったよ」
「そんなに?でも本当に、美味しそうに飲んでましたもんね」
二人はハイボールで乾杯し、おつまみの漬物にも手を伸ばす。
「これもうまいな。なんだか不思議な味がする」
「そうですね、コリコリしてて美味しい!」
「これもなんだか、疲れが取れる気がするよ」
「
二人は運ばれてきた食事を楽しみながら、そんな話を
「お二人は同じ職場なんですか?」
店主がふいに二人に問いかけてきた。なぜこの人は話しかけてくるのだろうと思いつつも、二人は店主と会話を続けてみることにした。
「ええ、職場の同僚なんですよ」
「後輩です!」
「そうなんですか。とても仲がよさそうですものね」
ダミアンは眉を八の字にして首を
「そうなんです!私は先輩を尊敬しているんです!」
「ええ?なんだって?そんなこと今まで
「そんなこと、面と向かって言えるわけないじゃないですか」
「うふふ。積極的ですね」
店主はそんなユリアを見て、
「どんなところを尊敬しているんですか?」
店主が問いかけると、ダミアンは「まだ続くのか」と思ったが、次のユリアの言葉にハッとさせられた。
「はい、もちろん仕事の上でも信頼できる先輩なんですけど」
それまでの元気な様子とは打って変わり、ユリアの顔に少し影が差した。
「私が今の部署に異動になったのは、怪我をしたからなんです。私は公務員でありながら、
ダミアンは、どこか遠くを見るような目をした。
「そんな時に、先輩が声をかけてくれたんです。『この部署は大変だけれど、きっと君にもやれることはあるよ』って」
店内に、しんとした
「『人生は一度きりだよ。怪我は残念だったけれど、僕にできることがあれば何でもするから相談してね』って。『これからたくさんいいことがあるように僕も協力するよ』って。私はその一言にとても救われたんです」
「ぼ、僕はそんなことを言ったっけ?」
「言いましたよ。忘れちゃったんですか?」
ユリアは少しうつむき、照れくさそうにしている。
「あらら。これはこれは、思わせぶりなことを言ってしまいましたね」
店主もまた、ユリアを助けるように言葉を
「いや……ええと……忘れたというかなんというか……」
「ああ、先輩。そうやって誤魔化すところがありますよね。ひどいなぁ」
呆然とするダミアンだったが、思い直して姿勢を正した。
「そうだねごめん。ユリアさんすまない。僕は仕事の忙しさにかまけて大事なことを
ダミアンは
「でも決して心にも無い言葉は言ってないつもりだ。それは信じてほしい。仕事以外何もできない僕は今、とてもだらしない生活をしていて、人様と関われるような状態じゃない。けれど、誰かがいてくれたらな、と思うこともあるんだ」
ダミアンはまっすぐに、ユリアを見つめた。
「え……じゃあ先輩……私が」
「あ、いやちょっと待ってね!す、すぐには僕も心の準備が……」
「うふふ……先輩のそういうダメダメで情けないところも好きです。あ、言っちゃった」
二人して顔を真っ赤にし、必死に汗をぬぐうダミアンとユリア。店主は小さく拍手をして、二人を祝福した。
「はいユリアちゃん、あーん」
「あーん」
あの日以来、ダミアンとユリアはこの店の常連となり、すっかり熱々な様子を見せていた。周りの客が目をそらすほど、見ているこちらが恥ずかしくなるような仲の良さだ。
二人は結婚を決めたらしく、ユリアは仕事を辞めるという。忙しいダミアンを支えながら、二人は幸せな家庭を作っていくのだろう。
とんかつ屋の店主はそんな二人を見つめながら、どこか懐かしい気持ちに