異世界でとんかつ屋さんとして生きていきたい   作:藤沢春

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61 呪文

 グラン・パレスへの一日から数日経ったある日。さくらときなこはエリックに連れられ、ブルーウッド・イースト地区にある鉄鋼商会(てっこうしょうかい)へと召集されていた。そこにはすでにライテス、フリーゼ、バレット、ジェイムズ、そして魔導科学の教育長ロベルト・ハーンズの姿があった。ほかにもバレットの弟子たちが数名集結しており、鉄鋼商会の事務所にはただならぬ熱気が漂っている。

 

「よし、さくらが来たな。はじめるとすっか」

 バレットの一言で皆の姿勢が変わった。椅子を深く座り直す者もいれば、あえて立ち上がる者もいる。

 

「さくらさん、きなこさん、大丈夫ですか」

 エリックが二人の様子を確認する。心構えか、あるいは覚悟か。二人には彼の気遣わしげな表情が見てとれた。

 

「大丈夫です」

「平気にゃ」

 二人はやや陰りはあるものの、つとめて笑顔で返した。そこにはほんの少しの期待感も混ざっているようだった。

 

 

「では、まずはわたくしからお話しなくてはなりませんね」

 教育長のロベルトが口火を切った。

 

「先日訪れたグラン・パレスへの道中、通称『さくら樽』が爆発した件から始めます。というより、これが『すべてである』と言っても過言ではありません」

 ロベルトの言葉には確信が見え隠れし、表情にも明るさがある。普段の彼は研究職特有の余裕のなさを感じさせたが、今の口上(こうじょう)には不穏な気配が一切なかった。

 

「こちらをご覧ください」

 ロベルトが一つの小さな樽を指し示した。

 

「これは『さくら樽』のミニチュア版です。バレットさんとジェイムズさんに急遽作っていただきました。もちろん『さくらウイスキー』も入っております。……もったいないですが」

 余計な一言を挟みつつも、ロベルトは平静を保って先を促す。

 

「結論から申し上げますと、さくらさんときなこさんの何らかの『共鳴』により、樽の内部の圧力が上がると予想しています。それによりウイスキーの熟成が急変し、香りや風味に変化が生じると仮定しました」

 

「木の焼き入れや薬草は関係なかったのか」

 ロベルトの仮説に対し、バレットが問いを投げる。

 

「そうとも限りませんが、小さな要因に過ぎなかったことは否めません。残念ながら、そちらの追求は徒労(とろう)でした。現にその二つを様々に試しても、ウイスキーの味にほとんど変化は見られませんでしたから」

 バレットとジェイムズは納得のいかない様子だったが、ロベルトはすかさずフォローを入れた。

 

「しかしながら、お二人の製作した樽でなければ、今回のような結果には至らなかったとわたくしは確信しております。はい」

 職人二人の溜飲はわずかに下がったようで、軽く鼻息を漏らして聞き入る姿勢に戻った。

 

 

「さて、本題の内圧が上がる件についてですが、ここでさくらさんのお店『とんかつ さくら』の地下室に着目しました。最近そこでは『味噌』なるものも始められたそうですね」

 水を向けられたさくらは、「はい」と短く返事をして頷いた。

 

「先日、さくらさんに聞き取りを行いました。本来、彼女の故郷では味噌の熟成には長い月日を要するそうですが、なぜかあの室内では短期間での醸成(じょうせい)が可能であるとのこと。似たようなもので『つけもの』というのもあり、それも同様です。通常、短期間でこれほど美味しくはなりません」

 黒板に重要事項を書き込みながら、ロベルトの口調は滑らかに続く。

 

「あの地下室には他にも興味深いものが多々ありましたが、今は割愛しましょう。今回、なぜ店での実験を行わないのか。それは、わたくしが『あの部屋で何かが起きている』わけではないと考えたからです!」

 ロベルトはチョークを持つ指を鋭く尖らせ、部屋の隅へと突き出した。決めのポーズをとった彼に対し、皆の反応は思いのほか薄い。

 

「おほん……では、一体何が起きているのかを実際に確かめてみましょう。さくらさん、きなこさん、こちらへよろしいですか?」

 少し照れ隠しのような仕草をしたあと、ロベルトは二人を小さな樽が置かれたテーブルの前へと誘導した。

 

 

「では、いつも通りにお願いできますか?」

 

 (うなが)されたさくらときなこは互いに頷き合い、視線を交わして再確認する。さくらがきなこを抱き上げ、目を(つむ)った。そして『儀式』が始まった。

 

 ごくり、と誰かが喉を鳴らす音が静まり返った部屋にこだまする。これほどまでに冷たく、そして熱い冷や汗を流す瞬間があっただろうか。一同は固唾(かたず)を呑んで見守った。

 

 

「さあ……お二人とも、始めてください……」

 

 ロベルトは確信していた。二人の儀式の内容を知る者は自分しかいない。長年研究に励み、時には好物の酒を断ち、家族のために予算を削りながら苦労を重ねてようやく辿り着いたのだ。アオやカナタがいなければ助成金すら出ず、人脈にも恵まれなかった。前王やこの不思議な少女と魔獣に出会わなかった人生だってあったはずだ。この男にとって、これはようやく巡り合えた『奇跡』だった。研究を続けてきて本当に良かったという思いが、彼の一筋の涙に集約されていた。

 

 

 

 そして

 さくらときなこは

 『詠唱』した。

 

 

 

「「おいしくなーれ」」

 

 

 

 二人は目を瞑り、さくらはきなこを抱いたまま、樽の上に手のひらをかざした。その詠唱とともに、ぐるぐると大きな円を描きながら言葉を紡いでいく。

 

 フリーゼは堪えきれずに吹き出した。ライテス、バレット、ジェイムズ、エリック、そして弟子たちは目を丸くしている。熱心に円を描き続ける二人を、一同は開いた口が塞がらないまま凝視していた。

 

 やがてさくらときなこはそっと手を下げ、きなこを床に下ろした。そして二人は顔を赤らめながら丁寧にお辞儀をした。

 

「私はなんとなく知っていたのだ」

 フリーゼが張り詰めた空気に風穴を開けた。

 

「二人が地下室でたびたび何かをしているのを……しかし、私はその場にいてはならないような気がして、今まで黙っていたのだ」

 フリーゼは微笑を浮かべつつ、少し申し訳なさそうに俯いた。

 

「おい、さくら。こりゃ一体なんだってんだ」

 たまらずバレットが突っ込みを入れると、他の面々もようやく我に返ったようだった。

 

「だって……」

 さくらときなこは申し訳なさそうに肩を丸める。

 

「恥ずかしいんですもん……」

 その姿に、思わず一同は見惚れてしまった。フリーゼがきなこに向ける瞳には、まるでハートマークが浮かんでいるかのようだ。

 

「ええ、ではわたくしから説明させていただきます」

 ロベルトはこの柔らかい雰囲気を壊さないよう、声を潜めて言った。

 

「以前お伺いした際、わたくしはこの儀式を拝見しました。お二人はいつもこうされているのですよね?」

 問いかけに二人は深く頷いた。そしてさくらが自らの言葉で説明を足す。

 

「ずっとやってきたことなんです。『おまじない』って言うんですよ。これをやるのとやらないのとでは、本当に出来上がりが違うんです。気持ちなんです、理屈じゃなくて。作る人の、目一杯の愛情なんです」

 さくらは顔を真っ赤にしながら言い切った。

 

「このように、さくらさんの『愛情』が詰まっているからこそ、料理もお酒も美味しく仕上がるのです。わかりましたか、皆さん」

 ロベルトは科学を超越した何かを見出し、これこそが研究であり、魔法なのだと主張した。

 

「「そんなのわかるかー!」」

 

 主にバレットとジェイムズが叫んだ。今までの苦労は何だったのかと言わんばかりの剣幕である。

「まあまあ、そう言わずに。そういう反応になるのは分かっていましたよ」

 ロベルトは二人をなだめるように、チョークを持った手をひらひらとさせた。

 

 

「とにかく、お二人の『おまじない』が功を奏していたわけです。では、さっそく見てみましょう」

 ロベルトがテーブルの小さな樽の天板を静かに割ると、わずかな内圧があったのか、プシュッという音とともに中身が露わになった。

 

「ではバレットさん。既存のウイスキーと、今この樽から出したものを飲み比べていただけますか?」

 促されたバレットは二つのグラスを口にした。

 

「うむ……まだ若い気はするが、こっちのウイスキーはもう『始まってる』な」

 樽から出したグラスを高く掲げ、バレットは評価を下した。

 

「そうでしょう。ですが、本質はこのウイスキーではないのです」

 ロベルトが再びポーズを決めるが、バレットはそれを鋭く睨みつける。

 

 

「失礼……では皆さんに質問です。この問題の大きな転換点となったのは、何でしょうか」

 皆、答えが近いところにあると感じつつも、確信を持てずにいた。その大役を引き受けるように、一人の若者が一歩前に出た。

 

「あのグラン・パレスの崖で起きた『爆発』ですね」

 

「その通り!あれがなければ、解決には至らなかったでしょう。それでは、もう一度このミニチュア樽に同じことをしてもらえますか?」

 さくらときなこは顔を見合わせ、少し決まり悪そうにしながらも再び手をかざして儀式を終えた。

 

「ありがとうございます。では表へ出ましょう。わたくしがこの樽を投げますので、皆さんは下がっていてください。さくらさんときなこさんは、投げた瞬間に手をかざしてください」

 広場の中央に向かってロベルトが樽を投じる。同時に二人が手をかざした瞬間、樽は小さな爆発を起こした。

 

「はい、ありがとうございます。あの日と同じように爆発しましたね。起爆のきっかけはおそらくお二人、もしくは魔獣であるきなこさんでしょう」

 さくらときなこは少し身を縮め、困ったような表情を浮かべた。

 

 

「今回の中身はただの水です。飛び散った水を見ればわかりますが、あの日、お酒が瞬時に蒸発して温泉が湧くほどの威力だったのに比べれば、今回はわたくしの予想通り、この程度の小さな爆発でした。さて、ここでまた問題です」

 

 先ほどまで薄笑いを浮かべていたロベルトが、急に真面目な顔で目を細めた。一同は少々気味の悪いものを見るような目を向けたが、彼はさらに真剣な表情で続けた。

 

 

 

「もしこれが酒や水ではなく、『魔力(まりょく)』だとしたら、どうなると思いますか?」

 

 

 

 その言葉に、ほぼ全員が顔を青ざめさせた。そこまでの想像力を持っていた者はいなかったのだ。ライテスとフリーゼだけが、わずかに瞼を震わせた。

 さくらは気丈(きじょう)に振る舞いつつも、どこか観念したような表情を見せる。きなこは拳をぎゅっと握りしめ、静かに前を見据えていた。

 長い沈黙が流れた。皆、隣の者の顔を見ることすらできず、自分の胸に浮かんだ恐ろしい予測を口にできぬまま立ち尽くしていた。

 

 

「ロベルト……今日はもう、(しめ)えだ」

 

「わかりました。今回はここまでとしましょう。研究を続けるにあたり、またお二人の協力が必要になりますが……少し時間を空けることにします」

 ロベルトは二人の様子を察し、すぐに言葉を収めた。こうして、この日の検証は幕を閉じた。

 

 

「さくら」

 

 バレットが、立ち去ろうとするさくらの背中に声をかけた。

 

「はい」

 

「嫌ならもうやめちまってもいいんだ」

 

 その言葉に、さくらときなこが振り向いた。あまりにも穏やかで優しい表情を浮かべるバレットに、さくらは思わず駆け寄り、しがみついた。

 

 

 その頃エリックが外に出た時、一つの影が、街へと消えていった。

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