異世界でとんかつ屋さんとして生きていきたい   作:藤沢春

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74 揺れる想い

 フリーゼの告白、そして父猫との対話の翌日、さくらときなこの二人は『とんかつ さくら』を臨時休業しようと考えていた。リゼロッテが参加しているチェス大会の成績がすこぶる順調で、次なる試合へと勝ち進んでいるためにアルバイトを休まねばならず、ちょうど人手が不足していたことも重なって、さくらときなこにとっては店を休むのに都合の良い折だった。

 

 そんなリゼロッテから「土曜のランチタイムにはシフトに入りたい」との連絡が届いた。あの丘の上での対話から自宅へ帰ってきてから泥のように眠っていたさくらときなこだったが、いずれ彼女には全てを打ち明けなければならないと考えており、さくらときなこはこの機会に、昼過ぎに訪れてきた彼女へ真実を話す決意を固めたのだった。

 

 

「…………」

 

 ことの経緯(いきさつ)を丁寧に説明していくうちに、リゼロッテの表情からは生気(せいき)が消えていき、顔色も青ざめ、ひどく困惑した様子を見せた。さくらときなこ、そしてリゼロッテの三人は、二階の座敷にて膝を突き合わせて対話する形をとっていた。

 

「さくらちゃんは……」

 

 (うつむ)いたままのリゼロッテの表情は、さくらたちの位置からはうかがい知ることができなかった。沈黙(ちんもく)の後、彼女はようやく重い口を開き始めた。

 

「さくらちゃんのことは……ずっと不思議な女の子だと思っていました」

 

 その声にはいつになく重みがあった。普段の少し変わった語尾(ごび)の調子は影を潜め、続く言葉もどこか意味深な響きを帯びていた。

 

「初めて出会った時はわたくしと同い年で、でもどこか大人びていて……それはそう、お店を経営されているくらいですから、きっと見た目の年齢よりもずっと多くの経験を積まれてきた方なのだと、そう勝手に思っておりました」

 

 淡々と、それでいて過去を(いと)おしむように語るリゼロッテ。さくらときなこはその言葉のひとつひとつを漏らさぬよう、真剣に耳を傾けた。

 

「わたくしも初めてのアルバイトということで、とても緊張していました。接客など(つと)まるのかと母に心配されながらも、思い切ってこの世界へ飛び込んで……そうしたら、こんなにも(ほが)らかな同い年の女性とネコチャンがお店を切り盛りされていると知って、とても心が弾んだのを覚えています」

 

 リゼロッテはエプロンの(すそ)をぎゅっと掴んだ。その肩は少し強張っており、これから話す内容への緊張と気恥ずかしさが混ざり合っているようだった。

 

「なんというか……同じ学年の女の子たちとはまるで違う包容力や豪快さがあって、それでいて細やかな繊細さも持ち合わせている。何事にも真剣でありながら、どこか柔軟な余裕もあって……そんな緩急をつけるようなメリハリは、わたくしたちのような未熟な学生には到底真似できないものだと感じていました。わたくしは、さくらちゃんの笑顔やお客様への温かな言葉、思いやり、時にはお説教のような厳しさも、その全てをひとつとて見逃さず、聞き逃さず、心に深く刻み込んできました」

 

 さくらへの募る思いが溢れ出すように、リゼロッテは言葉を紡いでいく。

 

「わたくしには戦争や兵器、戦闘魔法といった物騒なことはよく分かりません。そんな世界とは無縁の環境で育ちましたし、そうした分野からは隔絶(かくぜつ)された……いえ、むしろ遠ざけられるようにして育てられたのだと思います。エクレール女学院の校風も同じです。わたくしたちはあくまで淑女(しゅくじょ)として、(きよ)らかな存在として教育されます。ですので、こう申し上げては失礼かもしれませんが、フリーゼ様はそうした在り方からは完全に外れていると言っても過言ではございません」

 

 これほどまでに物事をはっきりと口にする彼女を初めて見て、さくらときなこは少し肝を冷やした。いつもの振る舞いとは明らかに違う。しかし普段はどこかで猫をかぶっていたのだろうか、と二人は妙な納得感を抱いていた。

 

「フリーゼ様がどのような御方なのかは、お二人のお話からおおよそ理解できました。彼女の抱える葛藤(かっとう)も分かります。ですが、共感することは致しかねます。ましてや復讐のために殺生を行うなど、わたくしの辞書にはございません。そして、これからはその『御人(おひと)』とは、金輪際(こんりんざい)関わることはございません」

 

 辛辣(しんらつ)にきっぱりと言い切るリゼロッテ。やや肉の厚い顔に浮かぶニキビが年相応の幼さを映し、普段の話しぶりも思春期の娘らしいものだったが、やはり良家(りょうけ)の子女としての毅然(きぜん)とした立ち居振る舞いがそこには確かにあった。

 

 さくらときなこは、少し面食らったような表情を浮かべていた。さくらは(かす)かに眉をひそめ、きなこは口を少し開けたまま、彼女の様子をうかがっている。

 

「さくらちゃんのことは、まだよく飲み込めていません。今のお話を聞いて、自分の中で噛み砕いて理解するには相応の時間が必要です。いえ、いくら考えたところで導き出される答えなど、大したものではないのかもしれませんけれど」

 

 リゼロッテが少しだけ顔を上げたように、さくらには見えた。

 

「さくらちゃんのなさっていることは、とても重大なことなのでしょう。それは単なるきっかけに過ぎないのかもしれませんが、事の発端であることは間違いございませんし、それを止められないのもさくらちゃんの宿命、業と言えるのかもしれません。ですが、さくらちゃんの持つ知識や知恵、あらゆるものの見方や考え方、想像力、そして発想。その全てはこのセンチュリオンのために役立てられるべきだと、わたくしは考えます」

 

 リゼロッテの表情は硬かった。瞼を伏せ、眉間に(しわ)を寄せたその言葉には、強い意志が込められていた。

 

「わたくしの言っていることは、とても呑気で詮無きことなのでしょう。ですが、これから多方面から多くの意見を聞くことになる際の、ひとつの考えとして、どうか頭の片隅に留めていただけたら幸いです」

 

 彼女はあくまで一人の友人としての個人的な意見であることを強調した。

 

 そしてリゼロッテは胸にそっと手を当て、ひとつ深く深呼吸をすると、再び言葉を繋いだ。

 

「わたくしはフリージア家の長女として、定められた貴族の家へ(とつ)がなければなりません。これはわたくしが産声(うぶごえ)を上げた瞬間から決まっていた宿命です。いまこうして楽しく過ごせている時間は、決して永遠ではございません。ほんのわずかな青春(せいしゅん)の日々は、いずれ泡沫(うたかた)の淡い記憶となるでしょう。だからこそ少しでも多く、一分一秒でも長く、わたくしはさくらちゃんときなこちゃんと……そして」

 

 リゼロッテは一度目を閉じ、一呼吸、深く吸って吐いて、固く結んだ唇を震わせて潤んだ瞳を二人に向けた。

 

「そして、ぼたんちゃんと四人でまた、このお店で働きたいです。たくさんの思い出を作りたい。わがままかもしれませんが、わたくしはこの幸せな時間を失いたくありません。自分が甘ちゃんであることを自覚はしています。それでも、どうしても……わたくしのささやかな人生の、こんなにも些末(さまつ)な女の願いをどうか聞いてはいただけませんか?どうか……どうかさくらちゃんがいなくならないように……わたくしに何かできることはございませんか……?わたくしの力では、やはり及ばないのでしょうか……お願いです……せっかく……せっかく大好きなさくらちゃんときなこちゃんに出会えたのに……いなくなってしまうのはとても辛いです……ああ……」

 

 リゼロッテはついに堰を切ったように涙を流した。力尽きたように畳に額を擦りつけ、さくらときなこに懇願(こんがん)しながら床を叩いた。わなわなと震えるその肩を、さくらは両手でしっかりと抱き止めた。そして、しゃくりあげるように息を乱すリゼロッテを、優しく、強く抱きしめるのだった。

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