さくらときなこ、そしてエリック・ヤングの3人は、とんかつさくらの二階にある座敷にて、これからのことを話し合っていた。
この場はエリックからの提案によるもので、まずはさくらときなこに対し、これまでの経緯に至った事柄を膝を突き合わせて話すことにしたのである。それは父猫すら知らなかった部分も含んでおり、エリックは二人の正面に座り、真摯に対峙していた。そんなエリックの、どこか覚悟が決まったような佇まいを目にして、さくらときなこも彼に倣うように背筋を伸ばすのだった。
「さくらさん、今まで黙っていて申し訳ありませんでした」
エリックはまず、これまで刑事として接する中で、王家の事情や自身が組織のなかで裏の活動をしていた事実を隠しながら行動していたことを真摯に謝罪した。
「いえ。私の方こそ、もっと早い段階で説明できていればよかったのですけれど」
さくらはさくらで、自らの生い立ちをエリックに話し終えていた。そして改めて頭を下げた。
「信じてもらえないかもしれない、そういったお気持ちがあったのでしょうか」
「そうですね……あとは……単純に怖かったというのもあります」
「よく分かります。そんなお気持ちをあらかじめ汲み取ることができず、申し訳なく思っております」
「いえいえ、エリックさんにはものすごくよくしてもらったと思っていますよ。本当に頼りになる方でした」
さくらは心からの屈託のない笑顔をエリックに向けた。それはまるで白紙のキャンバスに描かれた白い雲のように、透明で偽りのないものだった。
「そう言っていただけると、これまで動いてきた甲斐があります」
「エリックさんこそ、いろんなことを隠し通すのは大変だったんじゃないですか?」
「そうですね。私は刑事でしたから、職務上、守るべきものがありました。しかし、今はそれももうすべて投げうって来てしまいましたよ」
エリックは珍しく目尻に皺をよせ、ふっと息を吐き出す。
「ええ?そうなんですか?」
「はい。私には今や、肩書きどころか今後の収入すら見込めなくなってしまいました」
思わず頭を掻くエリックに、さくらは目を丸くした。普段は見せたことのない彼の人間味のある表情に、さくらは思わず口元を押さえた。
「うふふ、そんなエリックさんの表情、初めて見ました。でもそんな笑顔を浮かべている場合ではない事態なんじゃないですか?」
「ええ、その通りですね。本日こちらに伺った用件を、順を追って説明いたします」
エリックは改めて姿勢を正し、あらかじめ用意しておいた組織図を畳の上に広げた。
「まず、私たち警視庁の中枢とは別に、外部組織からなるいくつかの特殊部隊が存在します。国民保護を目的とした一般的なもののほかに、表沙汰には一切されない部隊があるんです。それこそが『SSS』と呼ばれるものです」
「それが、フリーゼ様が所属していた組織なんですか?」
「そうです。そのSSSは索敵や潜入、そして暗殺を目的とした、センチュリオンの中でも極めて暗部を担う地下組織です。組織の前身は、古くはライテスイーボーン・センチュリオンがまだ帝王に即位する前から存在しています。覚えていますでしょうか。グラン・パレスへ赴いた際、その地におられた方たちのことを」
「ええ、とても印象的な方達でした。たしかライテス様の姪御さんだとおっしゃっていましたね」
「そうです。実はあの姪御様、アリシアクリアストリム・ヴァンデンバーグ様は、ライテス帝王の前の国王であるレヴィニアスヴォルガード・センチュリオンの長女です。彼女はSSSの前身のメンバーであり、ライテス前王のクーデターの加担者でもあります」
「ええ!?」
つい昨日、父猫からライテスがクーデターを起こして政権を乗っ取ったことは聞いていたが、意外な家系のつながりにさくらときなこはさすがに驚きを隠せなかった。つまりはアリシアが、実の父親を退けてライテスの体制転覆計画に関与していたということになる。さくらはその事実に何よりも驚愕した。
「レヴィニアスヴォルガード・センチュリオンの悪政が極まったその頃、ライテス様はクーデターを計画し、実行に移しました。ライテス様に追従した加担者は次の人物たちです。まずパルデスブレイディオ現王、アリシア様、その夫であるアドリアーノ様、メテオクロス様、そしてレンジャーの中でも選りすぐりの特殊部隊。さらに」
エリックは少し間を置き、ネクタイを軽く緩めてから、改めてさくらの瞳をまっすぐに見つめた。
「そしてもう一人。現在ブルーウッド中央地区にて雑貨店を営んでいる、クラシェド・ローゲンスです」
「なんですって?まさかあの人が……」
またしても身近で意外な人物の名前が登場したことに、この人はどこまで自分たちを驚かすつもりなのだろうと、さくらときなこは困惑した。あのような穏やかそうに見えた初老の町の店主が、そんな大それた組織の一員だったという事実に、さくらの顰めた眉は一向に戻ることはなかった。
「ええ。当時、彼はライテス様の右腕として躍動していたようです。相当な武芸の腕前と、古代戦闘魔術を駆使する大変な武闘派だったと聞いています」
「屋台を始めた頃、すごくお世話になったんですよ。とてもそんな方には見えなくて……」
「はい。身を潜め、立場を隠し、市井の様子を窺いながら市民に紛れ込む。ある時には実行部隊、そしてまたある時には裏から組織を操作して暗躍する存在です。そもそもSSSは彼が設立しました。SSS内では『コードネーム:CL【鴉】』と呼ばれています。まさに『黒き翼を持った影の支配者』、それがかの男の正体です」
「まあ……なんてこと……でも、あの方は王族ではないですよね?そんな雰囲気はしませんでしたけれど」
「その通りなのですが、実は彼、ライテス帝王のご令室であるエリザベート・ロザリア・センチュリオンの弟です」
さくらは、いままでの点と点が線で繋がったかのような出来事や人物相関に驚きつつも、さらに新たな線が現れたことによって、もはや理解が追いつかないでいた。さくらときなこはもう言葉を発することもなく、ただ圧倒されて言葉を失っていた。
「そんな彼がなぜ、今のような状況になっているのかについてはまた後ほどお話しします。ライテス様が政権を奪取したのち、これまでの悪政を正し、植民地を解放し、民衆の信頼を回復させようと様々な政策を行ってきました。このあたりからは、この国の歴史学習でも出てくるところです。しかし、ある一つのことを除いては、ですが」
エリックは含みのある言い方で言葉を濁し、さくらたちの表情を窺った。さくらたちは言葉を返すことはなく、その視線のみでエリックに応え、次の言葉を静かに待った。
「さくらさんは先ほどフリーゼ様からお聞きしたそうですが、部外者的な立場から少し付け加えをさせていただきます。ご存じの通り、その後ライテス様のご令室であるエリザベート様が、他国の何者かによって殺害されます。おそらくロシェリアの諜報部隊による犯行だと睨んで今まで動いてきました。しかし、なぜエリザベート様が殺されなければならなかったのか。その理由について疑問に思いませんでしたか?」
エリックは問いかけるような口調で言葉を投げかけた。さくらはエリックの質問の意図と真意を察していた。しかしあえて首を縦に振ることはせず、いまだエリックの険しく潜められた眉を見つめていた。
「すでに想像されている通りだとは思います。エリザベート様は我が国の経済全体を担っておられました。まずこの国を再興させ、発展させるためには国民の信頼と、多大な資金が必要不可欠であると考えられたのです。そこで観光客を多く呼び寄せるために、あらゆる施策を打たれました。結果としてここセンチュリオン、王都ミンチェスティは多くの人々で賑わうようになります。そして、その大勢の観光客にさらに金を使わせようとしたのです。そうです、あの『店舗拡大事業計画』の草案が出来上がりました。それはまさに、エリザベート様自身の提案によるものでした」
「そんなにも根深くて、考えられた制度だったんですね。でもいつからか、その計画自体に疑問を持つようにはなっていましたよ。こんなにお店を増やしてしまって、てんてこ舞いにならないのかなって」
「実際、現在は飽和状態ですし、受け皿も足りていません。しかし、そのおかげで国の収益は右肩上がりになり、税務署員も調査や監査が追いつかなくなるほどの大変な状況になりました。そうした経緯でセンチュリオンの資金は潤沢になったんです。ですが、そこを他国に狙われました。発案者であり財政の
さくらときなこの表情は、話が進むにつれて次第に重く、硬いものとなっていった。次に繋がる話をこのまま聞いてしまっていいものなのか、それすら判断できずに二人の身体は硬直していた。
「話を元に戻しましょう。エリザベート様が狙われた一番の理由は、財政の中枢を崩壊させるためです。しかし、事態はそんな単純なものではありません。首長一人の命を奪ったところで場当たり的でしかなく、後先を考えないただの愚策のようにも思えます。結果としてロシェリアは大きな遺恨を残しただけとなりました。いや、それどころか敵国にとっては予想を遥かに超える仕返しが待っていたんです。そうです。王女フリーゼ様を兵器として生まれ変わらせ、ロシェリアの中心人物たちを次々に暗殺させていきました。この秘密工作の首謀者であり、フリーゼ様の身体に魔導装置を組み込んだ張本人。それこそが、クラシェド・ローゲンスです」
「
さくらは思わず叫んでいた。古びた鉄の鈍器で胸を強く打たれたような重い痛みが、心臓の奥底を締め付ける。その痛ましい苦しさに耐えかねて、胸を押さえつけながら力なく畳へと前のめりに崩れ落ちた。きなこでさえ思わず目を細め、眉間にぐっと力が入るほどであった。そんな
エリックは、あまりに言葉を選ばずに真実を話してしまったことを後悔し、二人に深く頭を下げながら詫びた。さくらの激しい動悸が収まるまでに、どれほどの時間がかかっただろうか。その間、エリックはずっと申し訳なさそうな顔を二人に向け続けていた。
「ごめんなさい……エリックさん、続けてください」
「大丈夫でしょうか」
「ええ。私たちは、きちんと現実に向き合う覚悟でいます。最後まで聞かなければなりません」
「かしこまりました。では、続けます。その頃、フリーゼ様はある病気を発症されました。エリザベート様が殺害されたことによる、心身の喪失が原因と考えられています。そこにクラシェド・ローゲンスが付け入ったんです。『憎くないのか』と。少し話は逸れますが、フリーゼ様が現在学院に通えずにいるのは、この出来事が原因です。クラシェド・ローゲンスによる精神的な操作があるというよりも、心身症による影響が強いためです」
「本人からも聞きましたよ。『二つの精神が宿ってしまっている』って」
「ええ。フリーゼ様の容体はそう容易なものではない、というのが魔導医の見解です。その魔導医とは、ご存じの通りロベルト・ハーンズ先生です。普段はその立場を隠しています」
「やっぱり……そんな気がしていました。ただの研究者ではないと思っていましたし、あまりに内情に詳しいな、って。では、あの雑貨店の店主とはグルなのですか?」
「半分は。しかし、そのあたりの関係は複雑なのでしょう。互いの利害が一致しない限りは、大きな動きを見せないように思えます。この辺りは二人の腹の探り合いなのでしょうね。もともとハーンズ先生はSSSのメンバーではありませんし、どちらかといえばフリーゼ様の回復を心から願っている節があります。当然といえば当然のことですが」
本来の仕事である『医師』としての理性と矜持が働いているのでしょう、とエリックは言葉を付け加えた。
「いま聞いたお話のあとのことは、フリーゼ様自身から聞きました。自分の意思とは関係なく、身体が勝手に動いてしまうことがあるって。でも、心の中に憎しみがあること自体は否定しませんでした」
「人間誰しも、どんな形であれ恨みの感情は持つものなのだと思います。幼い彼女にとっては、特に過酷なものでした。私はフリーゼ様の学業の教育係を拝命しておりますが、たびたびその心の傷がフラッシュバックするんです。抑制は効かず、駄々っ子のように激しく暴れることも多々ありました。私にはどうすることもできず、ただただ、その様子を傍で見守るしかありませんでした」
エリックは悔しそうに歯噛みした。その鈍い音がさくらときなこの脳裏に響く。エリックは内情をすべて知りながらも、自分自身が無力であったことを切なく痛感していた。
「エリック」
これまで静観を貫いていたきなこの口が、ようやく動いた。
「はい」
「いままでお疲れ様だったにゃ」
エリックはハッとした。きなこのあまりにもストレートで純粋な労いの言葉に、思わず顔をふっと上げた。
「お前の働きがあったからこそ、フリーゼはフリーゼでいられる時間があったと思うにゃ。お前がいなかったら、今頃フリーゼはただの抜け殻だったかもしれないにゃ。本当に根気がいったことだろうにゃ。よくやったにゃ」
きなこの表情には、優しさと労い、そしてすべてを包み込むような温かさがあった。
「…………ありがとうございます。報われる思いです」
エリックはそれまで伸ばしていた背筋を丸め、ズボンの膝をきつく握りしめながら、静かに身体を震わせた。
その後、3人はさくらときなこが用意した冷たい飲み物で乾いた喉を潤し、軽く食事をとることにした。