異世界でとんかつ屋さんとして生きていきたい   作:藤沢春

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78 二律背反

「なんとでもほざいてください」

 

 姿を現した者の片頬に浮かんだ笑みは、きなことエリックの心を乱すには十分すぎるほど、あまりに醜悪(しゅうあく)なものだった。

 

「『クラシェド・ローゲンス』……だったか。以前は世話になったな」

 

 きなこはなおも大地に響き渡るような声で、雑貨店店主であるクラシェド・ローゲンスの名を呼んだ。世話になったことは確かだった。しかし、初めから彼の中に何かが秘められていたのかどうか、さくらときなこには分からずにいたのだった。

 

「ずいぶんと立派な御姿(おすがた)になられましたねぇ。以前お見かけした時よりも、(まと)覇気(はき)がまるで違います。流石は『大いなる戦神・キャットシー』の末裔といったところでしょうか」

 

 ローゲンスは皮肉を交えてそう言い、くっくと喉を鳴らして笑った。かつて対面した時の、互いに穏やかだったやり取りの場ではなく、きなこの素性をすべて見抜いているかのような響きが、たったその一言に含まれていた。

 

御託(ごたく)はいい。お前の企みは分かっている。おとなしくフリーゼの支配を解け」

 

 『さもなくば身の安全は保証しない』と、暗に脅しを付け加えるようにきなこは交渉を試みた。

 きなこが僅かに身の毛を逆だて始めた瞬間、ローゲンスの少し斜め前へと、フリーゼがどこからともなく隼の飛翔のごとく舞い降りた。ようやく月明かりに照らされたフリーゼの表情は、いまにも崩れ去ってしまいそうな脆さを感じさせた。それは石灰岩の彫刻のように白く、今にもひび割れてしまいそうなほどの薄い透明感を帯びた、酷く儚げな顔つきだった。

 

「そちらこそ、私の邪魔をしないでいただけますか」

 

「我らに対するお前の目的は何だ」

 

「ひとまず、そちらの『異邦人(いほうじん)』には消え失せてもらいます。なにかと都合が悪いものでしてね。まあなに、殺しはしません」

 

 ローゲンスは片腕を重々しく持ち上げながら、手のひらをさくらに向けた。そして、ローゲンスの身勝手な言い分が始まった。

 

「その異邦人が現れてからというもの、前王はずいぶんと腑抜(ふぬ)けになってしまいましてね。あともう少し尽力してほしいのですが……あなたたちが余計な真似をして掻き乱すものだから、この世界の均衡(きんこう)が崩れてしまっているんですよ。自覚がないというのは非常に厄介ですね」

 

 ローゲンスは心底困り果てたような(ふう)を装ってきなこにそう告げた。隠しきれない嫌悪感をきなこたちに向けながら、カツカツと靴底を鳴らしてフリーゼと共に近づいてくる。

 

「おまけに姫の心まで懐柔(かいじゅう)しようとするとは思いませんでした。この子は私の大事な兵器(おもちゃ)なんですよ。(もてあそ)んでもらっては困ります」

 

「弄んでいるのはお前のほうだろう」

 

 きなこは燃える怒りとともに更なるオーラを放ち始め、これまでなりを潜めていた爪を指先から輝く光とともに突き出し、ミンチェスティの美しい石畳を切り裂いた。

 

「あなたたちには関係のないことでしょう。これは私の家族、ひいてはセンチュリオンという国家のためでもあるのです。前王もパルデスもそれは容認していた。なにしろ、失ったものが大きすぎたのですから」

 

「あなたのお姉さんのことですか」

 

 エリックに支えられて立ち上がり、きなこの(かたわ)らに寄り添いながらさくらが対話に加わった。さくらの右頬は少し擦りむいてうっすらと血が滲み、きなこの体当たりの衝撃が残っているのか片腕を押さえながらも、さくらは眉をひそめ、明確な敵意を宿した冷徹な視線をローゲンスに向けた。

 

「ええ、そうですよ。国家にとって優秀な頭脳、非常に惜しい存在を失いました。そして、大事な家族を殺されるという感情が理解できますか?あなた方にはわからないでしょうねぇ」

 

「残念ながら、私にはわかりません。不当な手段で家族を奪われることなど、とても受け入れられません。そんなことがあってはいけないとも強く思います。ですが、それが復讐の連鎖を生み出していいという理由にはなりません」

 

「綺麗事を並べるのはやめていただきたい。そんな単純なものではないんですよ。復讐?ただの復讐だとでも思っているのですか?違いますよ。叩き潰すのです。憎い敵をすべて、掃討するためです。皆殺しにするまで終わらないんですよ。いいえ、終わらせないのです」

 

「そんなことができるわけないだろう」

 

 きなこの中で、何かが蠢き出していた。

 

「まあ、できるわけはないでしょうねぇ。それでもやるのです。やるしかないんですよ。その決意と覚悟がなければ、このような大事を起こそうなどとは思いませんよ」

 

 ローゲンスは自嘲気味に首を振り、大袈裟に両手を広げながらそう言った。

 

「だからといって、フリーゼ様を巻き込む必要はなかったはずです。幼気(いたいけ)な王女の姿を変えてまで、なぜそのような真似を」

 

「彼女が望んだことなのですよ。はっきりと言いました。『仕返しがしたい』と」

 

「幼い子供に正常な判断ができるわけがないでしょう」

 

 ついに痺れを切らし、エリックが口を尖らせた。普段は冷静なエリックにとっても、あまりに非道な論法だと感じたのだろう。

 

「そうかもしれませんねぇ。しかし、あの時の彼女の表情はあなたたちには想像もつかないと思いますよ。なにしろ私の『魔導の力』は人の感情に大きく左右されます。彼女に本物の復讐心がなければ、このような姿にはならなかったのですから」

 

詭弁(きべん)だ。聞いていられぬ。ライテスやパルデスが真に納得したとは思えん」

 

 きなこは(あふ)れ出る憎悪を抑えきれず、今にも飛びかかりそうになる。さくらはその身体にそっと手を添えた。

 

「あなたはそれが正しかったと思っているのですか?今でも正しいことをしていると思っているのですか?」

 

 さくらはきなこの震える身体を制しながら、ローゲンスに問いただした。さくらの心の奥底にも小さな灯火が灯り始めていたが、今はそれを懸命に抑え込んでいた。

 

愚問(ぐもん)ですな」

 

 たった一言、ローゲンスはそう吐き捨てた。

 

「私はそうは思いません。一人の人間の人格という命を奪っておきながら、自分を正当化するなんて、少なくとも私にはできません。尊い命を、決して他人に左右されたくはありません」

 

「あなたがそう思うのは自由ですが、それを言うなら私にだって信念があります。今は失われた、かつて存在していたであろう『神』が言いました。『あらゆる生命、そして神は、万物(ばんぶつ)に宿る』と。私は信じます。この世界はそのようにできているのです。すべては神の御心(みこころ)のままに、我々は生かされているのですよ」

 

 ローゲンスは陶酔したかのように、大言壮語(たいげんそうご)を並べ立てた。その表情、そして身振り手振りは、まるで芝居でもしているかのような大袈裟な劇場型の役者のようだった。

 

「私は」

 

 さくらは細めた(まぶた)をほんの少し見開いて、目頭に力を込めながら、乾いた喉を潤すように一度唾を飲み込んでから唇を開いた。

 

「あなたには理解してもらえない、到底理解できないかもしれませんが、私は何度もこの命のまま輪廻(りんね)しています。そして、ずっとやりたくもないことに手を染めてきました。何度も(あらが)ってきましたけれど、その運命を断ち切れずに、今もこの命を(とも)しています。魂は消えゆくもの、そしてその魂は冥土(めいど)にいくものだと、この子の父親であるキャットシーは言っていました。でも、私は違っていたんです。何度も何度も、繰り返し繰り返し」

 

「くだらん、なんなのだそれは」

 

「死んでしまった誰かの命も、どこかにその命が宿っていると、そうは思いませんか?」

 

世迷言(よまいごと)を言うな。そんなことあるわけがないだろう」

 

 さくらはほんの少し顔を伏せ、肩を震わせた。

 

「そうやってあなたは、目の前にある不都合な現実から逃げ出して、目を背け、本当は怯えながら生きている。あらゆる現実を否定して歪め、すでに起こってしまった悲劇を、最初から無かったことにまでしようとしている」

 

「一体、何が言いたい」

 

 ローゲンスの声音から余裕が消え、低く地を這うような苛立ちが混じる。しかし、さくらは怯むことなく言葉を重ねた。

 

「何をそんなに恐れているの?実体のない抽象的な概念を信じ込み、人を脅かして支配し、そして、かつて失った大切なものがもし形を変えて帰ってきたとしても、それを素直に迎え入れようとする(ふところ)の深ささえない。あなたは一体、何にそこまで(おのの)いているの?まるで寒さに凍える仔犬のよう」

 

「もういいです。あなたの言っている意味など、私にはさっぱり理解できません。これ以上あなたと対話を続けていても、お互いに相容れることは決してないでしょう。もとより、分かり合うつもりなど毛頭ありませんでしたがね」

 

 さくらの諫言(かんげん)に聞く耳を持たず、ローゲンスは痺れを切らしてフリーゼにかけていた行動制御の魔術を解いた。その刹那、フリーゼはほんの一瞬、グレイに染まっていた瞳に光が宿った。しかし、その光はすぐに消え、また闇の色へと移り変わっていった。

 

「さくら、もう無駄だ」

「さくらさん、決裂です」

 

 きなこはさくらにさがるよう目配せをし、エリックはきなこの暗黙の指示に従い、さくらを誘導しようとする。

 

「ローゲンスさん」

 

 さくらは最後にと、ローゲンスに一言申し入れた。

 

「何でしょう」

 

「お世話になりました」

 

 さくらがそう告げると、フリーゼの手から苦無が放たれた。

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