「さくらよ。きなこよ」
「はい」
「にゃ」
王の呼びかけに、顔をすっと上げ、どこかすっきりした表情を浮かべる二人だった。本日の『会の儀』、本丸の登場である。文官の誘導により、さくらときなこ以外の者たちは、
「まずは」
パルデスも、さくらときなこに向ける顔にわずかな微笑を浮かべていた。
「フリーゼを助けてくれて、本当にありがとう」
さくらときなこはその、あまりに率直で温かい素朴な口調にハッとする。紛れもなく、父親としての言葉だった。
「い、いえいえ!私はただ、ぼた……フリーゼ様を助けたい一心で!」
慌てたさくらだったが、きなこにちらりと顔を覗かれ、すぐに背筋を正して王に向き直った。
「は、はい……とんでもございません。もったいないお言葉です。こちらこそありがとうございます。フリーゼ様との関係を壊したくなくて、必死でした」
「命を狙われもしたが」
「ええ……そうですね。しかしあれは本当のフリーゼ様ではありませんよね。あくまで操られていて本来の人格ではなかったので……なにしろフリーゼ様も私も、きなこも、無事でよかったです!」
さくらは努めて屈託のない笑顔を作った。作り笑いの潤んだ瞳には、遥か遠き咲良の面影が宿っている。
「そう言ってくれると、我の心も救われよう。さくら、きなこ、お前たちも無事でいてくれて、ほっとしているぞ」
さくらときなこはお互いを見つめ合い、ふっと鼻息を漏らした。心から安心したような表情だった。
「特にきなこよ」
「なんにゃ」
「お主のさくらを
パルデスは胸の奥底から響くような熱い思いをきなこに寄せた。
「ボクの力は分かりきっていたことにゃ。一瞬は諦めたにゃ。でもやるしかなかったにゃ」
きなこもどこか安堵感を滲ませる。しかし、やはり期待通りにならなかったあの時のことを思い出し、手負いの身体は今はただ生々しいままだった。
「ありがとう、きなこ」
ここ数日で何度伝えたか分からない感謝の言葉を、改めてこの場で述べるさくらだった。
「フリーゼについてだが、さくらの進言通り、一時王家から離脱させ、辺境にて静養させることにした」
さくらときなこはため息をついた。ようやく安住の時を過ごせるのかと思い、フリーゼの心の回復を願った。
「そして王女という立場も取りやめ、継承権は白紙とする」
本日何回目か分からないざわめきがまた起こった。
「なに、親子としての関係性は変わらん。まあこれについてはそう長くない間にまた議論を交わし、行く末を見守りながら、立場や考え方を変えていこうと思っておる」
王位継承についても、
「あの……フリーゼ様は今後どうなるんでしょうか?」
「ふむ。そのことを含め、少し我の疑問にも答えてくれぬか」
パルデスは少し眉をひそめ、髭をさすりながらさくらの問いに問いで返した。
「大いなる戦神・キャットシーの申したことについてだが」
さくらときなこは自然と丸まっていた背中を伸ばし、正座の姿勢を崩さぬまま太ももの付け根あたりに手を置き、眼光鋭くパルデスを射るように見た。
「まずさくら、自分自身ではどう思っておるのだ」
「はい。先ほど父猫さんがおっしゃった通り、私の魂は彷徨った結果、今ここにいます。私はおそらく、この地の遠い未来から来たのだと思います」
パルデス王が直接手のひらを掲げ、場を静粛にさせる。
「ずっと長い間、私は遠い星から来たのだと思っていました。そしてずっとずっと遠い昔、遠い過去、そんな時代を進んできたのだと思っていたんです。でもフリーゼ様との対決中に、傷ついたきなこが『ここで死んではフリーゼもろともゾーンに入ってしまう。さくらもまた彷徨うことになる。どうしたらいい』って
さくらはそこまで言い終えると、少しうつむき、深く息を吐いた。きなこは心配そうにさくらを見つめるが、さくらは無言の笑顔で『大丈夫だよ』と応えた。パルデスも口を挟むことなく、ただ静かにさくらの続きを待ち続けた。
そしてさくらはまた語り出す。
「いままで違和感はたくさんありました。なんだか似てるなぁとか、なんだか随分私に近寄ってくるなぁとかそんな単純なことで、普段誰にでも感じることくらいなものです。今でもぼたんちゃんが私の前世だと言われても、自分自身納得はできません。あの時頭の中で響いてきたこと、ようやく私の中での『運命の鎖』が断ち切れたと思った時も、それは概念的なことが崩れ去っただけに過ぎなくて、私の勝手な思い込みなんだろうなって、今でも少しは思います。でもたった一つ、確かなものが私たちにはあります」
さくらは胸に手を当て、瞼を閉じて深呼吸をする。そしてまた、目頭に力を入れながらも穏やかな目つきでパルデスを見据えた。
「きなこのことが、大好きなんですよ」
にっこりと微笑み、涙を滲ませる。そっときなこに寄り添い、その背中をさすった。きなこは少し身体をこわばらせながらも、仕方ないといった様子でその手の力を受け入れた。
パルデスは笑い、マリスフラウルも口に手を当てて微笑んだ。ライテスはただ静かにさくらときなこを見つめていた。
「ようやく私の魂は解放されました。数々の私の罪はあの瞬間、遥か彼方へ消え去りました。一つ前の魂のとき、添い遂げてくれた夫が私とともに悔恨の日々を過ごしてくれたおかげだと思ってます。そして今、きなこと父猫さん、母猫ちゃんが全てを打ち破ってくれました。私は輪廻の夜明けを感じました。もしかしたら私の魂はこの地、この時代で終わってしまいますが、ようやく冥土へと旅立つことができるのではないかなって思っています」
後方で待機している群衆のなか、エリックが胸の内ポケットからハンカチを取り出し、そっと目頭を抑えていた。
さくらは頬を伝う涙を拭い、パルデスに問う。
「私はこれでやっと、兵器開発をしなくてもいいんでしょうか。今ここにいる以上、やはり開発は進んでしまうんでしょうか」
パルデスは目を細め、さくらを見つめながら数秒、沈黙した。そしてゆっくりとマリスを、ライテスを順にみやり、さくらに目を向けて話し出した。
「さくらとフリーゼの対話の中で、お主がいなくなればそのような事が起きなくなり、戦争へと向かうこともなくなるのではないかと、エリックからの言伝で聞いた。そのことについて話そう」
「はい。お願いします」
「さくらの
パルデスは一旦喉を潤すようにコップの水に手をのばし、そしてまた続ける。
「しかしもともと我らセンチュリオンと帝政ロシェリアは、ダルテニア大陸の地続きな同一民族だ。クラシェドの語りで知ったであろうが、我が母・エリザベートはロシェリア国民である。申し添えると、父上は政略的でなく自ら望んで相手を探したのだ。意外であろう」
パルデスは少し微笑むようにして横目でライテスを見る。ライテスは照れ隠しをするわけでもなく、ただ静かに佇んでいた。
「我らが独善的にことを進めることは決してない。備えとして軍は持つ。これは軍事外交として基礎中の基礎だ。しかし余計な武器は持たぬ。人間というものは必ず戦争を起こす生き物だ。歴史が全てそれを物語っていることは言うまでもない。ゆえに、さくらがいるから、いたから戦争兵器が生まれるのではなく、もともと人間というものはそれに向かってしまうものであり、絶対に戦争をやめないものだ。草の根が絶えるまで争う。そんな歴史を繰り返す。残酷で、愚かなものだな」
パルデスは強く言い切った。彼なりの戦争論があり、君主たる政治姿勢がそこにはあった。さくらは心の中でほんの少しだけ、胸を撫で下ろした。そこまで強く言い切ってくれる者はこれまでいなかったかもしれないと、さくらはパルデスに
「兵器の使用最終決定権はあくまで我にある。各要害に軍を配備しておるが、その首長に通達が行くまで兵器の使用は認めておらん。使う使わないは、開発者に関係はない。そうは思わんか」
パルデスはさくらに問う。深く、そして重くその質問はのしかかった。さくらは口を閉ざし、小さく頷いた。
「今後ロシェリアとの協議が再開する。同じ轍を踏まぬよう、慎重にことを進めねばならん。そして二度と歯向かってこないよう、圧倒的に抑えつける必要がある」
物理的にも精神的にも、と付け加えるようにパルデスは強く語った。
「さくらの発明した基礎理論全て、平和的に変換利用する。これはハイドライト家とザナディア家からの申し付けだ。彼らの倅たちが率先して開発に携わっていたらしいな。その倅たちが高校に入学したと同時に、すぐに王政に陳情を申し立ててきた。『魔法科学の手厚い補助をお願いします』だと。なかなか聡明で狡猾なやつらだ。すぐに半分の助成を認めたがな」
アオとカナタがそんなことをしていたなんて、さくらときなこはただただ驚いた。最初からただの学生ではないとは思っていたが、随分多方面に優秀な子達なんだなと今更ながら感心するさくらだった。
「その『イーヴィルエンジン』と呼ばれるもの、いとこの家で試すことにもなったぞ」
かつてグラン・パレスに赴いた際、温泉をみつけ、リウマチに悩むアリシアのためにお湯を運ぶ考案をしていた。その湯の汲み上げに使うよう変換利用しようというのだ。これこそ健全なる平和利用であった。
「どうださくら、自分のものがこうして生まれ変わっていく様は痛快であろう」
「ええ……そうですね。以前にも似たようなことはありましたけど、ここまで皆さんの生活に役立てることを実感するのは初めてです。なんていうか、胸が熱くなります」
さくらは感動もひとしおだった。その姿を見たパルデスは暖かい眼差しを向けるが、また目頭に力を入れ、再び語り出した。
「そうした発展した文明も、いつかは必ず滅ぶ運命にある。それが数百年前にあった。民心も環境も腐り、戦争に明け暮れた大地は、取り戻すのに最早何百年かかるか分からぬ。ごく少数の賢者を残し、また新しい文明を作るのにどれだけの労力や年数が必要なのか。途方も無い繰り返しの作業を経て今が存在する。人間にしても文明にしても、確実なる継承が必要であり、また、古きから新しきを
パルデスは演説を終え、さくらに向かい、改めて問う。そして願う。王として。国民として。そして、人間として。
「貸して欲しい。その、そなたの、力の源が、今我等のこの国の民衆には、そなたそのものが必要だ」
パルデスは届かない手を差し伸べる。さくらはそれを黙って受け止めた。
「この国の
宮殿に差し込む穏やかな冬の陽光は虹色に反射し、その光を一身に受けたパルデス王の表情は暖かかった。
眼鏡をかけた少女の宮殿に響き渡る