異世界でとんかつ屋さんとして生きていきたい   作:藤沢春

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後日譚:ある歴史学者の綴り『in the Rain』

 人類は『天国』という概念があるからこそ、貧しくても、勉強が苦手でも、剣の腕が振るわなくても、たとえどんなに虐げられたとしても、世界が戦争に明け暮れる時代に生まれたとしても、いつかは天国に行けるという希望を持てる。だから神様は必要なんだと思う。逆境の中で学ぶことはたくさんあるけれど、人間はわざわざそれを好んで求めたりはしない。いつだって平穏がありがたいし、ありふれた日常はとても尊い。それこそが毎日を生きる糧であり、忘れがちだけど忘れてはいけないことだ。

 

 僕の先祖に夫婦揃って歴史学者がいた。二人は王立図書館の司書でもあり、歴史小説家でもあった。僕はその先祖『ナナミュウス・バレンシア』と『リカルディア・バレンシア』の遺志を継ぎ、このグラン・パレス防衛大学の考古学者として働いている。僕の学者としてのルーツである先祖が記した歴史学の著書「The Science of Cherry Blossoms and the History」は当時、いや今でも考古学者や歴史学者の必須文献としてだけでなく、文芸誌や科学誌でも大きく取り上げられ、こうして今なおこの本の名は世界に轟いている。こういった歴史や文献から学ぶことは非常に多いのだ。それだけでなく、先祖がその中で語る人物『Sakura Shizukawa』について詳しく紐解いているのは、彼女が間違いなく今このセンチュリオンだけでなく周辺国にも大きな影響を与えたであろう人物だったからだ。多くの発明や着想、哲学や神学論、薬学や物理学に至るまで多方面に影響を与え、多くの論理の(いしずえ)となった。

 中でも『アオーウィック・ハイドライト』と『カナタディバウス・ザナディア』という二人の魔法科学者がこの著書の中で強く主張している「あらゆる発明の平和利用」という項目は、今やこのセンチュリオンのみならず、世界中で広まっている分野であり、人類の生活基盤となっていて、もはやなくてはならないものとなっている。アオーウィックとカナタディバウスはそれぞれが違った目線から『さくら』の生み出した発明を発展させ続けた、いわばこの本の中でいう最大の功労者だった。いくら『さくら』の発明がセンセーショナルなものであっても、アオーウィックとカナタディバウス両氏がいなければ、それを形にすることは決してなかったのだ。

 

 世界的なチェスプレイヤーで数々のタイトルを総なめにし、絶頂期の中であっさりと引退した『リゼロッテ・ザナディア』は自身の著書でこう語っている。「わたくしの愚かで浅慮な物の見方は、彼女が多くを変えてくれた。わたくしの人生はあの時、十六歳にして一変した。甘ったれだった少女は、あの時姿を変えた。言うまでもなく、彼女のおかげだった」と。

 つまりリゼロッテにしてみれば、さくらと出会っていなければその人生は実に平々凡々で、たった数年しかない青春時代を美しいものとすら思えず、他人の痛みなどもわからずに他家の貴族に嫁ぎ、つまらない大人になっていただろうと語っているのだ。

 

 時の王女『フリーゼマジカルスウォーデン・センチュリオン』が忽然と姿を消し、その後に全く違う分野の第一人者として再び姿を現した時には、世間は大いに騒然としたという。なぜ王女たる者がそのような道に染まっていったのかは、あらゆる文献を見てもどこにも記されてはいなかったが、数々の学者の論説や推測では『さくら』の存在が大きく関わっているとのことだった。

 事実、確定されている状況的な証拠をまとめあげた本が多く出回っているが、王女と『さくら』は血のつながりはないものの、遺伝子のレベルでつながりがあったのではないかということだ。今となっては確認のしようもないが、この問題は多くの学者の格好の研究材料であり、僕のような考古学者としては大いなる浪漫であるのだ。

 

 

『さくら』という人は、たった一つの小さな食堂を経営するだけの人物だった。普段は朝から晩まで店を切り盛りし、多くの客を楽しませていた。週に一日しかない定休日には、お供のネコと一緒に王立公園まで足を運び、弁当を売り捌き、ペーパー芝居を演じ、そして子ども達と陽が沈むまで遊び倒す。そうしてまた店へと帰り、同じ日常を繰り返す。

 彼女の矜持である『日常に潜む課題をアイデアにする』という信念こそが、新たな発明を生み、協力者がいるからこそ、その発想を形にできた。『さくら』はいつだって楽しむことを忘れず、日常が平和であることを神に祈り、感謝した。平和を享受できる一瞬一瞬を彼女は絶対に忘れなかった。

 

『さくら』が残した印象的な言葉「きっと終わりは来る。そう信じて私は生きている。終わりは決して新たな始まりではなく、安らぎであり、解放である」この言葉の解釈は多くの論者の長年の研究課題となっている。しかしきっと、この言葉は『さくら』にしかわからないものなのかもしれないと僕は思う。死ぬことが幸福なのだという論は、どのような境地に達したら出てくるものなのだろうか。

 先祖が記した『さくら』についての歴史書には、他にも彼女についての苦悩が多く書かれている。彼女の出自については触れてはいなかったが、きっと不幸な生い立ちだったのだろう。逆境の中をもがき続け、ようやく手にした店を死ぬまで守り続け、その生涯をお供のネコと共に終えた彼女の人生は、きっと苦労の連続であったに違いない。しかしその中で多くのことを学び、達し、人々に影響を与えた。

 

 つくづく『さくら』という人物に会ってみたかった。そして教えを乞いたい。顔も知らない僕の先祖は今頃『さくら』という人物と新聞を片手に、互いに好き勝手な時事の放談でもしているのだろうか。天国という場所は人間同士の争いはないのだろうか。痛みも忘れ、世情から離れ、病気や怪我も知らず、平常に過ごせる美しき場所なのだろうか。僕は決して呑気な欲望など望んではいないが、希望は常に胸に持っていたい。果たすべき使命を終えたならば、僕という人生はその時終えるだろう。好きなだけ本を読み、できるならば人に道を説きたい。

『さくら』という人物と同じ時代を生きた先祖の夫婦は嬉しかったのだろうか。それとも妬んだりもしたんだろうか。『さくら』に関する本を読んでいると、そんなことを思ったりもする。

 

 僕はこの何度読み返したかわからない先祖の著書を常にブリーフケースに入れ、暇さえあればまた読み直す。いついかなる場所でどこから読み直しても、新たな発見があるこの文献には不思議な魅力があり、まるで魔法にかけられたような気分をいつでも味わえる。

 

 

「先生」

 

 僕がどこかノスタルジックな思いに浸り、まるで宇宙の彼方へと旅立たせてくれるこの文献を読み耽っていたところ、急激に現実へと引き戻された。いずこからか声をかけられたのだ。僕は思わずこの研究室の椅子から飛び上がるように尻を浮かせて驚いた。

 

「なんだ、カガミくんじゃないか。まったく、驚かさないでほしいな」

「ちゃんとノックしましたよ、バレンシア先生。それにしても、またその本を読んでおられたんですか」

「え?ああ……それよりカガミくん。どうしたんですか?」

 

 僕はなんだかいつもこの本に虜にさせられている様子を見られているのだと思うと急に恥ずかしくなり、大切な本を後ろ手に隠し、デスクの隅へと追いやりながら『カガミ・サリアリヴァ・ヤング』に向き合った。

 

「はい、発掘が進められていたグラン・パレス南西『ヴァンデンバーグ地方』の遺跡調査隊からの報告が上がりまして。複数の出土品の中に、先生の喜びそうな内容も入っていますよ」

「な、なんだって!?そ、それは僕がずっと追い求めていた『さくら=フリーゼ』を確定する証拠が出てきたとでもいうのか?」

「ええ。きっとそうだと思います。すぐに出発なさいますか?」

「ああ、すぐに行く。カガミくんも一緒に来たまえ」

「かしこまりました。では車を手配いたします。お電話お借りしますね。もしもし、すぐに来てちょうだい。私と『ユーマレスク・バレンシア』先生よ」

 

 僕は慌ただしく準備を進め、何日滞在するかわからないヴァンデンバーグ地方への調査旅行にもかかわらず、ほぼ着の身着のままで出かけようとしていた。

 

「先生、パンツくらい数枚は持たないと」

「きみ、男のパンツを触るもんじゃない」

「いいじゃないですか。どうせいずれ一緒に洗うようになるんですし」

「なにを言っているの?」

「いいから早く出ましょう。私も早く出土品を見たいんですから」

 

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