クロト サイド
「よーし、しゅっぱーつ!」
交代でログアウト休憩を挟んだ後、アリシャの朗らかな声と共にオレ達は蝶の谷へと分け入った。
「カァ?」
「……なんでもねぇよ。なんでも、な……」
ログアウト中に親父と鉢合わせしたのは予想外だったし、その事で動揺しているのは紛れもない事実だが……今はそれに囚われている暇は無い。先程から残っているしこりを無理矢理自分の中に押し込めて、改めて前に目を向ける。
ダンジョンではあるものの、谷という名の通り日光が差し込んでいる為、ここでは飛行可能らしい。その反面出現するmobも飛行型が多く、特に小型のワイバーンはタフな上に攻撃力も相当な為に中々に厄介だと説明があった。だがそれはあくまで幼体に過ぎないと補足された時に、成体バージョンとうっかり鉢合わせしないようにと咄嗟に内心で祈ったのは、まあ仕方ないだろう……実際のところ、成体の方はネームドではあるが夜行性なので完全な取り越し苦労ではあったが。
「―――ラァッ!」
「グギャァ!?」
小型ワイバーンのかぎ爪の引っかきを受け流して背中に取り付き、首筋を一息に斬り裂く。SAO内でもよく世話になったカウンター系のソードスキル……の模倣だが、染み付いた動きにあわせて半ばオートパイロットで体が動いてくれる為に、感覚を取り戻すのはさほど手間がかからなかった。首筋を斬り裂かれたワイバーンのHPゲージが全損するのを確認するや否や、オレは次の標的を定めた。
「ふっ!」
取り付いていたワイバーンを足場にして踏ん張り、翅とあわせてロケットの如く加速。後方で聞きなれた爆砕音が響くのを聞きながら、鱗粉をまき散らす甲虫型のmobへと突撃する。鱗粉の範囲内に入った途端に表現しがたい異臭に苛まれるが、努めて無視。甲殻の隙間に突き立てた短剣を手放し、二振り目を左手で抜き放ち左下から右上へと一閃。
「ハアッ!」
垂直に振り下ろし、次は右下から左上へと斬り上げ、最後に再び振り下ろす。八の字を描くような剣線が特徴的だったソードスキル、『インフィニット』を模倣した連撃は四割程残っていたmobのHPを消し飛ばし、その身をポリゴン片へと変えさせた。
「よっと……にしてもひっでぇニオイだったな」
「……そこに突貫しようって考える人、まずいないって言った筈だったよネ?」
手放していた右手の短剣を回収しながらぼやくと、呆れた様子のアリシャがポーションを差し出してくれた。
「デバフつくのは鱗粉の中に五秒いたら、だろ?その前にやれるって確信があったから突っ込んだだけだ」
「物理アタッカー泣かせの筈なんだけどナー……mobを足場にするとか、色々常識破りだよキミ」
「……そりゃどーも」
憂さ晴らしにmob狩りをしていた時はゲームの攻略サイトを調べるなんて事はしなかった……というか、そんな発想が欠落していた。その為ゲーム内のセオリーなんて知る事はなく、我流で倒してきたのだ。
(けど……どっかでちゃんと調べねぇとな)
ポーションを飲み干しながら、そんな事を考える。今のオレ―――クロトのステータスはどういうワケかSAOでの能力を引き継いでいるらしくやたらと高い。つまりオレのやり方は悪く言えばステータス任せのごり押しであり、いつまでもそれが通用するとは限らない。
(ホント……情けなくなっちまったよ……サクラ……キリト……アスナ)
今は無き彼の城で心を通じ合わせた大切な人達を想う。例えそれが、届かないと分かっていても……そうせずにはいられなかった。
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無事に谷を抜けてから少し。オレ達は適当な台地に降り立っていたシルフと思しき集団と顔を合わせていた。
「ちょっと遅れちゃったみたいかナ?ゴメンねサクヤちゃん」
「気にするな。こちらが予定より早く来すぎただけさ」
道中で教えてもらっていたが、サクヤと呼ばれたプレイヤーがシルフの領主らしい。ほとんど黒に近いダークグリーンの長髪に刃のような鋭さを感じさせる美貌が特徴的な、和風の装束が似合う女性プレイヤーだ。
「だが、ルーも予定より大分早いな?蝶の谷を抜けるのにもうしばらくかかると思っていたのだが」
「とーっても頼りになる助っ人がいたからネー」
「ほう?……そういえば一人、近衛隊とは別の者がいるが……彼の事か?」
こちらに視線が向けられるのを感じたオレは、とりあえず会釈をしておく。アリシャが友人感覚で話している様子から察するに、向こうも礼儀等にそこまで細かく気にするようなタチではないだろう。
「―――前は他のゲームやってたみたいでサ、初めて会った時は地上戦だとぶっちぎりなのに補助コントローラー無しじゃ飛べなかったんだヨ」
「そうか。あまり弄り過ぎて愛想をつかされないように気をつけておけよ」
「ヒドイなぁもうっ。そんなにイタズラしてないもん」
……別にオレを話題にしなくていいだろうに。というか交渉はいつから始まるんだ?
「世界樹攻略、か……」
ストレージにどうにか押し込んでいたテーブルや椅子を並べる近衛隊の連中の向こう側に聳え立つ世界樹へと視線を向け、ぼんやりと呟く。もしここに
(きっと……いや、間違いなく協力するだろうな。アイツは……お人好しだし)
虚しい。不意に思い出した親友はもういないのに……それなのに、彼がいたらどうするだろうかと考えてしまう。そんな事をしたってアイツは帰ってこないし、胸の痛みが消える事も無いというのに。
いつの間にか会議が始まっていたが、一度思考の海に沈みだしたオレには全く入ってこなかった。
(キリト……)
夕日を背に半ば透けた身で儚く微笑んでいた彼の姿が、脳裏をよぎる。次いでフラッシュバックするのは、ヒースクリフ……いや、茅場晶彦と相打ちを果たし、砕け散った後ろ姿。
こんな筈じゃなかった。オレ達は誰もアイツが犠牲になる事を望んじゃいなかった。アスナとの未来が、ハルとの日常が、ユイとの再会が……キリトを待っていた筈だった。
(オレは……!)
あの時何かができた筈だと叫ぶ一方で、そんなものは無かったと冷ややかに囁く自分がいる。何度も繰り返し、それでいて答えの出ない自問自答に、オレは苛まれる。
「カアァ!カアァ!!」
「っ!?敵だ!!」
肩にとまっていたヤタが弾かれたように鳴き声を上げる。特大の警告を示すそれに反応したオレはすぐさま周囲を見回しながら叫んだ。
「な……何だあれは!?」
異常はすぐに見つかった。南東方向から黒い影の群れが此方向けてまっすぐに迫っている。ヤタが付与してくれる索敵スキルと種族補正によって強化された視力を活用すると、深紅に煌く翅が見えた。
「赤い翅って確か―――」
「―――サラマンダーだネ!方角からしてもそれ以外当てはまらないヨ!」
各々の武器を構えながらも、この場にいた誰もが大なり小なり取り乱している。本来この会談は極秘だと聞いている以上、お互いにこの情報は慎重に扱っていたと思われる。
「何故ここにサラマンダーが……!」
「情報が漏れていたのか?だが一体どこから!?」
「んな事は後だ!クソッ、今から飛んだって加速しきってる向こうに追いつかれる……!」
翅の飛行速度は自らの脚で走るよりも圧倒的に速い。ヤタの索敵範囲ギリギリにいた筈の連中は、気づけばその距離を半ばにまで縮めている。
「……百はいかねぇが、五十は越えてるのは間違いねぇ。どうやら連中、大分前から会談の情報を握ってたみたいだぜ?」
「……信じたくはないが、誰かが裏切っていたのだろう。我々が討たれればシルフとケットシーは大幅に勢力を落とすと共に関係が悪化するのは目に見えている。サラマンダーからすればメリットだらけだ」
「サクヤちゃんってば、冷静に考察してる場合じゃないヨ!」
「つかアンタらはさっさと逃げろ!いつまでそこにいやがるんだよ!!」
二振りの短剣を引き抜き、足に力を籠める。
(まだ……もう少し……!)
こちらから突撃しても、向こうが魔法や弓矢で迎撃しきれないギリギリの距離。その瞬間が来るのを、逸る心を押さえつけて待つ。時間感覚が引き伸ばされ、非常に長く感じられる一秒、また一秒と時が過ぎていく。
(指揮官は……アイツか……?)
五人ずつのくさび型のフォーメーションで迫るサラマンダー達の中でも、一際レアリティの高そうな防具に身を包み両手剣を背負ったプレイヤーに目をつける。向こうの指揮系統は解らないが、仮に指揮官を強襲し打ち取る事ができれば……部下であろう他のサラマンダー達は混乱し、一時的に烏合の衆となるだろう。そうなれば領主二人がこの場から離脱するきっかけができる。
(……分の悪い賭けだが……お前ならこんぐらいの無茶、やってみせるだろ?キリト……!)
僅かに振り返って不敵な笑みを浮かべる黒衣の後ろ姿が脳裏に蘇る。あの表情をした後、アイツはサラリととんでもない事をしでかしてきたのだ。それこそ、思いついた悪戯を試そうとするかの如く。今まで散々振り回されてきたその背中に、負けるものかと闘志が頭をもたげる。それによって高揚したためか、こんな状況で口角が吊り上がる。だがそれに構う事なく刻一刻と迫るタイミングに備え、飛び出す為に限界まで力を溜め―――
(三……二……一……)
―――漆黒の弾丸が、轟音と共に降り立った。
「双方、剣を引けぇ!!」
次いでこの場に響き渡る、誰かの叫び声。どうやらサラマンダー達の後ろから隕石の如く飛来した何者かが、周囲の者達の反応をよそに叫んだらしい。というかあり得ないだろって言いたくなる声量を発した本人はあろう事かオレの目の前に降り立った為、思考が若干他人事っぽくなった。
「一体、ドコのバカだよ……!?」
アバターに鼓膜があれば間違いなく破れていただろう大音量をいきなり二連続で聞く羽目になったオレは思わず悪態をつく。もうもうと立ち込めていた土煙が薄れると、身の丈に迫る大剣を担いだ黒衣の背中が現れる。そこから伸びるクリアグレーの翅からして、十中八九スプリガンだろう。よほど度胸があるのか、この場にいる者達ほぼ全員からの視線を一身に浴びながらも、全く臆した様子は無かった。
「指揮官に話がある!」
声からして少年と思しきスプリガンはふてぶてしい態度を崩さずにサラマンダー達へと叫ぶ。彼に気圧されたのか、サラマンダー達は僅かに後ずさる。スプリガンの連れと思われるプレイヤー達が領主の傍へと降り立つのが視界の端で見えたが、誰もがスプリガンの少年に釘付けな為に止める者はいない。僅かな沈黙の後、サラマンダー達が左右へと別れ……オレが指揮官だろうと睨んでいた両手剣使いがスプリガンの少年の前へと降り立った。
(アイツ……強いな)
直接対峙している訳では無いが、それでもサラマンダーの指揮官からにじみ出るプレッシャーから強者である事が察せられた。だが……
「スプリガン風情がこんな所で何をしている。どちらにせよ殺す事に変わりはないが、その度胸に免じて話だけは聞いてやろう」
だが、そんな強者と対峙している筈の黒衣の少年は顔色一つ変えていない。サラマンダーの指揮官から片時も離されない瞳には力強い光が宿っており、彼の精神の強靭さを窺わせる。そんな彼に人知れずオレは安心し―――?
(何だ……?)
―――
「俺は
「は……?」
黒衣の少年が名乗り上げた。