クロト サイド
「俺は
「は……?」
黒衣の少年の名乗りに、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。およそ二カ月前、今は無き鋼鉄の浮遊城に囚われたオレ達を解放するためにその命を散らした親友と同じ名前だと……?
キリト、という名前は決して珍しいものではないだろう。それは彼自身もそう言っていたし、普通に考えれば同じキャラネームの別人の筈だ。
「この場を襲うという事はつまり……サラマンダーは我々四種族との全面戦争を望むという事だな?」
なのにオレは……この背中に、そしてこれだけの事をしでかしておきながらなお堂々とした態度を崩さぬクソ度胸に既視感を、そして頼もしさを感じている。
「スプリガンとウンディーネが同盟だと……?」
そしてサラマンダーの指揮官は、キリトと名乗った少年の言葉に驚いていた。それは彼の部下たちも同じだったが、そんな中でもいち早くサラマンダーの指揮官は表情を戻す。
「たった一人の護衛しかいない貴様が大使だと、そういうのか?」
「ああ、そうだ。この場にはシルフ・ケットシーとの貿易交渉に来ただけだからな。だが会議が襲われたとあればただじゃすまないぞ?四種族で同盟を組み、サラマンダーと対抗する事はまず間違いないだろう」
……いや、それ絶対ブラフだろ。と、喉まで出かかった言葉を何とか吞み込むが、向こうにとっちゃ頭の痛い話だ。大使を名乗る少年がスプリガンの領主でない事は明白であり、この場でキルしても組織としては旨みはほぼゼロ。だが彼がターゲットであるシルフ・ケットシーの領主を討つ事を妨害してくるのは間違いない為、切り捨てなければならない。尤も、一見して大した装備もないし、肝心のウンディーネがいない以上は彼の言葉なぞ取るに足らないと考えるだろう。
しかし……もし本当に彼が大使であった場合……それもこの場でキルされる事を前提として敢えて信用されないであろう装いで来ていた場合、スプリガン―――彼の言葉が本当であれば同盟関係にあるウンディーネも―――は種族として無傷のままサラマンダーへと攻める大義名分を得てしまう。
領主を討たれ大幅に弱体化したシルフ・ケットシーだけが相手ならば勝てるだろう。だが万が一そこにマイナー種族とはいえ勢力としては無傷なまま戦う理由を得たスプリガンと、ウンディーネが加われば……サラマンダーが四種族の物量に押しつぶされる事は火を見るよりも明らかなのだ。
この場にいる者達を打ち取れば、莫大な利益を得られる。だがその直後に四種族からの袋叩きに遭う
「……僅か二人、それも大した装備もない貴様の言葉……にわかには信じがたいな」
(ダメか……!)
だが所詮、それはキリトと名乗る少年の言葉が真実であれば、である。何よりオレ達ケットシーとサクヤ達シルフは少年の言葉がでっちあげである事なんて分かり切っているのだ。元々この場にスプリガン・ウンディーネの大使が来るなんてあり得ないのだから。全員がそれを気取られないよう、表情を動かす者はいなかったが……サラマンダーの指揮官は黒衣の少年の言葉をブラフと切り捨てた。
「だが……それを言えばそんな装備でスプリガン領からこの場までダンジョンを、それも二人で乗り越えてきた事も信じがたいな。おれの攻撃を三十秒耐えきれたなら、貴様を大使として認めてやろう」
「……へぇ、随分と気前がいいね。
「フン。剣を交えれば貴様が手を抜いているかどうかなど、すぐにわかる」
「成程、その通りだ」
……あの指揮官、ただの脳筋ってワケじゃねぇな。確かに各領地から世界樹までの間には等しく山脈が立ちはだかっていて、それぞれにそこを通過するための道としてダンジョンが存在する。勿論そこに出現するmobは相当強く、一級品とは思えない装備のプレイヤーがごく少人数で突破するなんてまず考えられない。だとすればプレイヤー側に装備品の質と人数の不足による不利を跳ね返せるだけの強さがある……あの指揮官は瞬時にそこまで考えたのだろう。彼と剣を交え、強さが本物であるならば後退を。そうで無ければ偶然ここまでたどり着いただけの雑魚の虚言に過ぎなかった、と。どのみちこっちはサラマンダー達に囲まれていてまず逃げられないのだ。
真紅の偉丈夫と黒衣の少年が、各々の背中から長大な剣を抜き放つ。次いで両者は翅を震わせ浮かび上がり……ある程度の高度で同時に止まった。
沈黙。だが両者の間では既に何度も鍔迫り合いが繰り返されているのだろう。見ているこちらまで、彼等からの殺気で全身の産毛までピリピリと張り詰めるようなこの感覚。それはSAOで実力者同士の決闘、そのカウントダウン中に幾度となく経験してきたものだ。
相手の初撃はどんな軌道か。自分はそれを避けるのか、迎え撃つのか。それともこちらが先に仕掛けるのか。そして相手はどう動き、自分はそれを踏まえて―――そんなシミュレーションを繰り返して予め対策をとり、相手には対策を取らせない。水面下での戦いは既に始まっている。
「まずいな……」
「え……?」
「何なの?」
サクヤの呟きに、黒衣の少年と共に飛来したシルフとスプリガンの少女達が反応する声が聞こえてきた。
「あのサラマンダーの両手剣、レジェンダリーウェポン紹介サイトで見た事がある。
「な、名前くらいは……」
彼女達のやり取りを聞いていると、彼等に動きがあった。
―――空を覆う雲の隙間から光の柱のように幾本も零れた日光の一つが、ユージーンの両手剣に当たりまばゆく反射する。
それを合図に、真紅の偉丈夫は黒衣の少年へと迫る。予備動作の無い高速の突進により、二人の距離は刹那の時間でゼロとなる。だが少年もそれに即座に対応してみせた。弧を描きながら迫る両手剣を迎え撃つ為に、最小限の動きで巨剣を掲げる。相手の一撃を受け流し、そのままカウンターを叩き込む算段か―――そう思った次の瞬間、あり得ない事が起きた。
「なっ!?」
「い、今のは!?」
ユージーンの両手剣が巨剣と衝突する瞬間に刀身が霞み、すり抜けたのだ。しかも巨剣をすり抜けた後は普通に実体を保っているのか、少年の胴へとぶち当たる。彼は体制を立て直す暇すらなく、地面へと叩き付けられた。僅か一合の間に起きた異常事態に、シルフとスプリガンの少女達は絶句する。
「魔剣グラムには、エセリアルシフトっていう、剣や盾で受けようとしても非実体化してすり抜けてくるエクストラ効果があるんだヨ!」
「そんな……!」
「いくらお宝武器だからってズル過ぎるよ!」
アリシャの解説に少女達が驚愕する隣で、オレはもう一つの事実に同じだけの衝撃を受けていた。
(アイツ、あの距離で反応してやがった……!)
強化した視力により、全てを見る事ができた。黒衣の少年が初見であるエセリアルシフトに驚愕しながらも、僅かとはいえ
「オオォォォ!」
雄たけびと共に、土埃の中から黒い弾丸がユージーンへと襲い掛かる。だが真紅の偉丈夫は少年の突進をしっかりとガードし、ダメージは殆ど見受けられない。黒衣の少年も防がれる事を想定していたのか、迷う事なく巨剣を振るう。しかしユージーンも魔剣グラムの性能におぶさっているだけの弱者ではないようで、高速で繰り出される重い斬撃を的確に防御してみせる。防がれて尚、黒衣の少年は手を休める事なく剣を振るい続けるが、今一つ攻め切れていない様子にオレは違和感を覚えた。
(空中戦に慣れてない……?いや、あの動き……何で……!?)
何故……何故あのスプリガンの少年に、
「ッ!……おい!もう三十秒経っただろ!さっきの宣言はどうした!?」
ユージーンが少年の腹を深々と斬り裂いた瞬間、堪えきれずにオレは叫んだ。戦士として真剣勝負に水を差すのは気が引けたが、こっちは何が何でも領主たるアリシャ達を討たせる訳にはいかない。
「けほっ……そういやそうだったな。所詮は口約束、とか言って踏み倒すのか?」
「すまんな、今はお前ほどの猛者との闘いに滾って仕方がない。その約束は首を取るまでに変更だ」
ニィ、と獰猛な笑みを浮かべる真紅の偉丈夫から、はち切れんばかりの殺気と闘争心が溢れだす。
「……そうかよ。ならこっちもどうにかアンタの首を取るしかないか」
相手の様子を理解しながらも、黒衣の少年は能面のように表情を消し去る。使命の為に己の心を殺した闇色の瞳に、オレは息を吞んだ。
―――オレは……あの瞳を、
あぁ、そうだ……そうだった。あの瞳をした少年はたった一人、アイツしかいない。こんな簡単な事すら分からない程、オレは腐っていたんだ。
―――信じよう。彼が、
再び打ち合う両者。縦横無尽に空を駆け巡る黒と紅が幾度となく交差し、その度にダメージエフェクトが鮮血のように飛び散る。
「……いかんな。プレイヤー側は互角だろうが、武器の性能が違い過ぎる。あの魔剣グラムに対抗できるとすれば、聖剣エクスキャリバーしかないと言われているが―――」
「―――そっちは入手方法すら不明だった筈だヨ……」
「キリト君……!」
「だ、大丈夫だって。キリトならきっと……」
険しい表情で呟くサクヤとしょんぼりと猫耳を垂れ下げるアリシャ。そしてキリトの連れらしいシルフの少女が祈るように手を握り合わせ、スプリガンの少女がそれを宥める。皆彼の敗色が濃い事を察しているのか、一様に不安げに声が震えていた。
「なぁアンタ等、ちょっといいか?」
「うにゃ、クロト君?」
突然オレに話かけられたからか、四人とも驚いた様子でこちらを見る。
「あの両手剣……あの効果って連続で使えるのか?」
「何を言っている?それができるからこそ彼はユージーン将軍の攻撃を防げないだろう」
「あー、そうじゃなくてだな……一回の斬撃で剣を二本とか、剣と盾とか……二段構えの防御をすり抜けるのかって聞きたいんだよ」
「うーん、実物持ってるのはユージーン将軍だけだから確証はないけド……流石にそれはできないんじゃないかナー?」
アリシャの言葉に、それが妥当だろうと皆が頷く。幾らなんでもエクストラ効果のリキャストタイムが一秒未満なんて事があったら、それこそゲームバランスが崩壊するだろう。例えそれが超級のレア武器であっても。
「だが、そんな事を聞いてどうする?彼の劣勢は変わらないのだぞ」
「ちょいと考えがあってな……」
訝しむサクヤ達には悪いが、とりあえず彼女達の装備を確認する。
(サクヤの太刀は……長すぎるな。アリシャはクロ―、スプリガンの方は短剣で論外……)
オレのストレージ内に片手剣は無いし、この場で見つからなければそれこそお陀仏は確定になる。半ば祈る気持ちで残るシルフの少女を見て―――
「悪い、それ借りるぞ!」
「え?ちょ、ちょっとぉ!?」
こうしている間もキリトは刻一刻と追い詰められている。彼女には悪いが、時間が惜しいのだから許してほしい。少々無遠慮にシルフの少女が腰に帯びていた剣を鞘から引き抜くと、素早く
(刀か……?いや、昔はこんな片刃で反りのある剣だってぶん回してた……!)
SAOでも刀っぽい外見の片手剣は結構あったし、コイツの長さはキリトが振り慣れた剣と同等。唯一惜しいのは重さがアイツの要求には足りない事だが、そこら辺は何とかできる筈。なら、あとは届かせるだけだ。
「―――ねえキミ!一体何のつもりなのよ!」
「用が済んだなら、それリーファに返しなさいよ!」
叫ぶ彼女達をスルーし、オレは空を駆ける漆黒の背を睨む。アイツの動きは記憶に焼き付いた通り……今!
「相棒ぉぉぉ!!」
あらん限りの声と共に、手にした得物を振りかぶる。一瞬だけこちらを見た彼と、目が合った。
―――受け取れ!
―――ああ!
刹那の時間で充分だった。声を出さずとも通じ合ったと確信しながら、オレは構えた得物をブン投げる。オレの腕を離れた刀はまっすぐに飛んでいく。
「ぬううぉぉ!」
真紅の弾丸となってユージーンが迫る中、キリトはこちらを見る事なく左手で刀を受け取った。なおも迫る真紅の偉丈夫より放たれた斬撃が、迎撃の為に繰り出された巨剣をすり抜ける。
透過した魔剣は黒衣の少年へと襲い掛かり……甲高い金属音と共に、弾かれた。コンマ数秒差で振り抜かれた左手の刀によって。
―――さぁ、見せてやれ……キリト!
「おぉ―――あああああぁぁぁ!」
雷鳴の如き雄たけびと共に、漆黒の剣閃がユージーンを斬り裂いた。ここから……
気づけばアインクラッド編完結から約一年……時間が経つのが早いです……