大和 サイド
―――憎い。
和人の話を聞き、須郷という男へ抱いた感情はそれだった。己の欲を満たす為にアスナの昏睡を利用するなど、性根が腐っているにも程がある。
「―――おそらく、須郷はアスナ達が昏睡している事に一枚噛んでいる。だから俺は、スクリーンショットの撮られた世界樹に向かっていたんだ」
「そうか……サンキューな、話してくれて。……キツかったろ」
だがその憎しみも、眼前で苦しんでいる相棒に比べれば些末なものだ。手の届くところに須郷が居るなら話は別だが、少なくとも今は抑えられる。
「お前ほどじゃ、なかったさ……クラインやエギル達はちゃんとSAOから解放されているんだって、確認できていたから」
「……そうか」
昏睡状態が続くアスナ達の許へと二日と空けずに見舞いへと来ていたらしい和人は、そう言って肩を竦める。オレよりもマシ、というのは彼の強がりだろう。目の前で眠り続ける彼女達を前にして、発狂せずにい続けた和人の苦痛は、決して生半可なものでは無い筈だ。
「―――とりあえず、メンテが終わったらすぐにログインしよう。まずはアルンの周辺を探索したい」
「おう」
今後の方針が固まった所で、オレ達は互いの拳を軽くぶつける。幾度となく繰り返してきた筈なのだが、現実世界では初めてだった故か微妙に感覚が異なり、どちらからともなく苦笑する。
「待っていてくれ、サクラ」
最後にもう一度だけ、眠り続ける最愛の少女の手を握りしめ、オレ達は病室を後にした。
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クロト サイド
定期メンテが終了したと解るや否や、オレは再び妖精の世界へと身を投じた。瞼を開くと、寸分違わぬタイミングでログインしてきた黒衣の少年と目が合う。その事にどちらともなく苦笑するが、すぐに表情を改める。
「ユイ、いるか?」
キリトが呟くように虚空へと呼びかけると、すぐに光が収束し小さな人型を生み出す。
「ふあぁ……おはようございます、パパ、クロトさん」
鈴を転がすような可愛らしい声と共に、身長十センチ程度の姿となったユイが微笑む。かつて鋼鉄の浮遊城では極僅かな時しか共にいられなかったが、それでも彼女はキリトとアスナを両親として慕い、二人もまたユイを娘として愛した。それは紛れもない事実であり、例え誰であろうとキリト達の親子の絆を否定させはしない。
とはいえユイがこの世界でナビゲーションピクシーに分類されている事や、花びらをかたどったワンピースを纏ったピクシーとしての姿を見た時は非常に驚いた。特に呼び方が「クーにぃ」から「クロトさん」へと変わったのは、彼女が成長したからだと思いたい。……寂しくないと言えば嘘になるが。
「カァ?」
「ふふ、ヤタさんだって忘れてませんよ。えーいっ」
「カ、カアァ!」
自分は?と言いたげな様子で鳴いたヤタに、彼女は無邪気に飛び乗る。小さな体はヤタの背中に騎乗するには丁度いいサイズで、彼女は不思議な肌触りを誇る濡れ葉色の羽毛を全身で堪能するかの様にしがみつく。一方でヤタも嫌がる様子は無く、背中から上がる歓声に気を良くしたのか狭い部屋の中を器用に飛び回る。
「アスナにも、見せてやりたいな……」
「出来るさ。オレ達なら、何だってな」
年相応にはしゃぐユイを見つめながらそう呟くキリト。オレはそんな相棒の肩を軽く叩いて、頷いて見せた。
「―――楽しかったですー」
程なくして、満足そうに表情を綻ばせたユイはキリトの肩へと舞い降りた。ヤタは相変わらず無遠慮にオレの頭に乗っかるが、もうとっくに慣れた事なので放っておく。
慈しみを込めて娘の頭を撫でるキリトに温かいものが胸に広がるのを自覚しながら、オレは彼を促して部屋から出る。
「もー、遅いよ」
「へいへい、待たせて悪かったって」
宿屋を出ると、一足先にチェックアウトを済ましていたフィリアとリーファの姿があった。髪や瞳、肌の色さえ除けば殆どSAOの時と大差のないスプリガンの少女にひらひらと手を振る。どうせ待っていたって五分かそこらだろうに。
(ま、フィリアとはいっつもこんな感じだったし、本気で怒っちゃいないだろ)
そう割り切って、オレはアルンの街を見渡す。やはりというか何と言うか、様々な種族のプレイヤー達で道はごった返していた。誰も彼もが互いの種族を気にした様子は無く、中には非常に仲睦まじい様子の二人組までいた。
(サクラは、どの種族を選ぶんだろうな……)
気づけば、そんな事を考える自分がいた。歌うのが好きな彼女なら、
円錐形の積層構造をしているアルンの街を歩きながら、中央へと目を向けて……オレ達は絶句した。
「あれが……」
「世界樹、だね……」
どれだけ顔を上げて目を凝らしても、頂上が全く見えない白亜の大樹。地面から伸びる幾本もの巨大な根が寄り合わさって空へと伸びているそれは、樹と呼ぶ事を躊躇う程に大きかった。
「えっと……あの頂上にも街があって、そこにいる妖精王オベイロンに謁見できた種族がアルフに転生できる……だったか?」
「うん。だからその為に登ろう、っていうのがグランドクエストの趣旨だね」
確認するように発した呟きに、フィリアがそう補足する。横で言葉を交わすキリトとリーファの声を拾うと、どうやってもグランドクエストを避けて登る、なんて事はシステムによって封じられているらしかった。
「けどまぁ、自分で確かめてみなきゃ何も始まらねぇだろ?」
「あぁ。とにかく行ってみよう」
軽く肩を竦めてそう言ってみると、すぐさまキリトが頷き、残り二人も特に異論を挟む事は無かった。雑多な街道を進み、世界樹が最早巨大な壁にしか見えなくなった頃、突如としてユイが父親のポケットから飛び出す。
「ママが……!」
「ユイ?」
「ママ達が、この上にいます!!」
ユイの叫びに、オレ達二人は揃って息を吞む。次いで、この身を焼き尽くさんばかりに燃え上がる想いに任せて、直上へと飛翔する。
「ちょ、キリト君!?」
「あぁもうっ!待ちなさいよ二人共!」
後ろで声を上げるフィリア達を置き去りに、オレとキリトは競うように加速し続ける。上にまだ積みあがっていた街が遥か下となり、やがて雲を突き抜け―――
「がっ!?」
「ぐっ!?」
―――不可視の障壁にぶち当たったのは、果たしてどちらが先だったか。ノックバックによって一瞬意識に空白ができるが、すぐさま体制を立て直して再び突撃。
「この……!」
「クソがぁあ!」
肩口からの体当たりに動じない障壁にひたすら拳を叩き付けるが、壊れる気配は全く無い。ならばと一旦距離を取り、最大限の加速で渾身の蹴りを叩き込んでも結果は変わらない。
「キリト君やめて!クロト君も!その壁はあたし達プレイヤーには絶対越えられないんだよ!!」
「ちょっとは落ち着きなさいって!」
何度目かの突撃をしようとした所で、追いついた二人に……キリトはリーファに、オレはフィリアによって引き止められる。
「それでも……行かなきゃならないんだ……!」
「ンな所で、止まってられるかよ……!」
越えられない?ふざけるな。そんなものが、身を焦がすこの想いを止める理由になりはしない。
「警告モードでなら届くかもしれません!……ママ!私です!ユイですっ!!」
小さな体で懸命に彼方へと叫ぶユイ。だが彼女が呼びかけても、何の変化も起きなかった。
「何でだよ……!」
理不尽にオレ達を阻み続ける障壁を睨み、現実であれば砕けんばかりに強く歯を食いしばる。沸騰していると錯覚する程に熱を帯びた体を震わせ、羽交い絞めにしてくるフィリアを力任せに振り解こうともがく。
「だから!落ち着きなさいって言ってるでしょ!」
「いいから……放せ!」
中々離れない事に苛立ちが募る。そしてそれが爆発する―――直前、障壁の向こうで何かが煌いた。
「……カード?」
落下してきたソレは、まるで最初からそこを目指していたかの様に、キリトの手に収まった。現実世界ならばともかく、
「これは……システム管理用のアクセス・コードです!」
「!?」
にわかに信じがたい内容にオレとキリトは思わず互いに顔を見合わせるが、すぐさまユイへと向き直る。
「ユイ、それがあればGM権限を行使できるか?」
「いえ……それには対応するコンソールが必要です。私では……システムメニューを呼び出せません……」
「それだけ分かれば充分だよ。なぁ、相棒?」
辛そうに顔を伏せる娘の頭を優しく撫でると、相棒は静かな炎が滾る瞳をこちらへ向ける。誰もが呆けていた為にフィリアの拘束は外れており、オレは容易に相棒の傍らへと移動できた。
「コイツが普通のアイテムじゃあない事、今ここで落ちてきた事……間違いねぇ。上には二人がいて、ユイの声が届いたんだ」
「あぁ。自分達はここにいるんだって、それを伝える為に……これを落としたんだ……!」
か細く、頼り無いものであっても……この場所を目指した事は間違いじゃなかったと確信させてくれるだけの希望が見えたのだ。ならば―――
「行くぞ」
「ああ」
―――後は、突き進むだけだ!
オレ達二人の想いは寸分のズレ無く一致し、同時に地表へ向けて加速した。ログイン前に確認した攻略サイトでグランドクエストを受注できる大扉のおおよその位置は分かっている。迷いなく突き進み、巨大な騎士の像が両脇に控える大扉の目の前へと轟音と共に降り立つ。
「―――未だ天の高みを知らぬ者よ、王の城へと至らんと欲するか?」
右手の石像からの問い掛けと共に、目の前にグランドクエストを受注するか否かのウィンドウが表示された。
「パパ、クロトさん……本当にいいんですか?リーファさん達を置き去りにしてしまって。それに……今までの情報から考察すれば、いくらお二人でもかなりの危険が伴うかと―――」
「―――どうだっていい」
迷わずにイエスボタンをタッチし、クエストを受諾する。
「クロト、さん……?」
「オレ達二人に、できねぇ事なんざねぇんだよ」
「そうだ。二人でなら、きっとできる……ユイだって一秒でも早く
「……はい」
確かにオレかキリト、そのどちらか一人だけであればできない事ばかりだろう。けれど……無二の相棒とならば、例え何が相手であろうとも負ける筈が無い。
「―――さすればそなたらが背の双翼の、天翔に足る事を示すがよい」
「望む所だ……!」
左手の石像の台詞と共に、大扉が開け放たれた。二人揃って獰猛な笑みを浮かべ、大きく開かれた扉へと入る。
「ユイ、しっかり頭を引っ込めてろよ」
「パパ、クロトさん……どうかご武運を……!」
ポケット内に引っ込んだユイをキリトが一撫でした直後、真っ暗だったドーム全体に一気に明かりが灯る。咄嗟に左手で目を庇うも、アインクラッドのフロアボス用の部屋と何処か似た空気が満ちていくのが肌で感じられ、オレ達は無言でそれぞれの得物を引き抜く。光に慣れた目から手を退けると、ドームはSAOのボス部屋の数倍はありそうな直径を誇り、尋常ではない高さに天蓋として円形のゲートが閉じた状態でそこにあった。
「遅れたら置いてくぞ?」
「ハッ、こっちのセリフだっつーの」
短く軽口を叩き、互いの拳を軽くぶつける。腰を落として翅と両足に力を籠め、息を吸って……吐いて……吸って―――
「「行くぞっ!!」」
―――オレ達は矢の如く飛翔した。
(待ってろよ……サクラ!)
誰よりも大切な少女の許へと、力の限り突き進む。しかし当然、オレ達を阻むものがある。天蓋周りの窓が一斉に輝き、白銀の鎧を纏った、身長三メートルに届くであろう巨躯の守護騎士……ガーディアンたちが次々と生み出されていった。
「……」
顔全体を覆う鏡のようなマスクが無機質に輝き、自身の身の丈に迫る大剣構えてこちらへと向かってくる。その間もリポップが止まる事は無く、瞬く間にガーディアンは数えるのもバカらしい程の数にまで膨れ上がる。だが―――
「そこを退けええぇぇ!!」
「邪魔だああぁぁ!!」
―――だが、
少し前に厳しい評価をいただきました……良薬は口に苦しと言いますし、真摯に受け止めて、今後に活かせるように精進します。