SAO~黒の剣士と遊撃手~   作:KAIMU

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 まだゲ須郷のターンです


八十七話 狂乱

 クロト サイド

 

 響き渡る、アスナの悲鳴。そして地に伏し、愛する人の声に何の反応も示さない相棒。

 

 「ハァ……ハァ……ようやく大人しくなったか、このクソガキが」

 

 悪態をつきながら立ち上がった須郷は、溜まった鬱憤を晴らすように沈黙したキリトをさらに踏みつける。その光景を前にした瞬間―――何かが切れる、音がした。

 

 「テメエエェェェッ!!殺す!テメェはぜってぇ許さねええぇぇぇ!!」

 

 己の全てを焦がさんばかりに猛り狂う憎悪の炎。それが全身を駆け巡り、四肢が力を宿す。

 

 「ったく、煩いったらありゃしない。刺した剣の座標は固定してあるんだから、僕の許し無しに立てないってのに」

 

 「ぐ……お……ぉ!」

 

 激情に任せて力を振り絞るが、この身を貫く大剣が楔のように全く動かない。それでもなお起き上がろうと動けば動く程、突き立てられた大剣が腹をさらに斬り裂き新たな痛みが突き抜けていく。怒りと痛みに歪む表情を繕う余裕は一切無く、懸命に右手を須郷へ伸ばすが……

 

 「目障りだ。その手を下せ」

 

 ヤツが新たに呼び出した剣によって、四肢を貫かれた。突如増加した痛覚に、息が詰まる。

 

 「クロト!クロトぉ!」

 

 「チッ……コイツも泣かないか。つまらんガキ共め……システムコマンド!ペイン・アブソーバー、レベル6に変更ぉ!」

 

 その宣言と共に、突き立てられた剣達から今までの比ではない痛みが迸った。冷たい刃に貫かれた箇所が焼けるように発熱する感覚に、視界がぼやける。

 

 「がぁっ!?……ぐ……ぅ……!」

 

 「おぉ?そろそろ我慢の限界かな?」

 

幾らか留飲が下がったのか、余裕を取り戻した様子でせせら笑う須郷。不快でしかないその声を聴覚が拾い上げるが、今のオレは悲鳴を堪えて呻く事しかできない。

 

 「これで解っただろう?それ以上痛い目に遭いたくなかったら、二人仲良く静かに這いつくばっている事さ!」

 

 「ぃ……ぐ、ぅ……!」

 

 熱いのか、冷たいのか……それとも痛いのか。徐々に感覚が蝕まれ、他の事が頭から抜け落ちそうだ。

 

 「―――さぁて、いよいよお待ちかねのメインディッシュと行こうかなぁ!アッハハハ!」

 

 (やめろ……!)

 

 制止の声すら、もう出せない。ヤツのブーツが立てる足音が、ゆっくりと響く。

 

 「そうやって嗤っていられるのも、今だけですよ?」

 

 「おやおやぁ?サクラ君も中々面白い事を言うねぇ。あれだけ痛めつけられた二人が、また立ち上がるとでも?そんな奇跡、僕の世界で起こるワケ無いだろ。クックッ!」

 

 「立ちますよ……あの二人なら、絶対に……!」

 

 「いいねいいねぇ!その空元気がいつまで持つのか……今からゾクゾクするよ。さぁ、たっぷり楽しませておくれよ!!」

 

 隠し切れない震えが滲んだ声で、気丈に立ち向かうサクラ。そんな彼女をあざ笑う須郷が、隠す気の無い興奮した叫びを上げるのと同時に、布が裂ける音が耳朶を打った。

 

 「恥辱に歪んだその表情……そそるねぇ、クヒャヒャ。NPCの女どもじゃあそんな顔できないよ」

 

 「負け、ない……!貴方になんか……」

 

 「ククク……そうこなくっちゃね」

 

 サクラが、辱められている。その事実が再び須郷への憎悪を滾らせるが―――体が動かない。震えるばかりの四肢は言う事を聞かず、起き上がる事が叶わないのだ。

 

 「あ……ぁ……」

 

 「こっちにリアクションしてくれないのはどうかと思ったけど……うーん、その泣き顔は最高だねぇ……キリト君を痛めつけた甲斐があったよ」

 

 もう一度、布が裂ける音。次いで須郷のねっとりとした声が否が応でも聴覚を刺激する。

 

 「アスナ君……現実世界じゃぁ、もう僕との結婚はほぼ確定しているんだよ。式は来週だけど、初夜は前倒しで今夜済ませてしまおうか……現実の体でね」

 

 「っ!?」

 

 須郷の囁きと、どちらかが息を呑む声。聴覚ですら少しずつ精彩を欠いていき、サクラとアスナ、今どちらが弄ばれているのかが分からなくなっていく。

 

 「さ、最っ低!変態!ロリコン!女の敵!貴方なんか性犯罪者も同然よ!!」

 

 「いけないなぁサクラ君……女の子がそんな口きいちゃ。どうせもうすぐスイッチ一つで僕に服従するようになるんだから、別にいいだろう?ねぇ、アスナ君?」

 

 「ぁ……ゃ……」

 

 喉の奥に籠らせたような須郷の笑い声が耳朶に届く。こんなゲス野郎に何もできない自分が恨めしい。

 

 「アスナさん、しっかりして!負けちゃ―――ひぅっ!?」

 

 「ハハハ!君だってアスナ君の心配してる余裕は無いだろう?気まぐれで触れただけで、そんな声上げちゃうんだからさ!ホント、アスナ君に負けないくらい立派に育ってくれちゃってさぁ!!」

 

 「う、ぅ……」

 

 「クック……クヒャヒャ、クッハハハハ!もう最高だね!もっともっと、良い声を聞かせてくれよ!!」

 

 憎い。憎い憎い憎い……!それだけの感情に心が侵食され、染まっていく。

 

 「その涙……一体どんな味なんだろうか。そぉれ」

 

 「ゃ……嫌ぁ……!」

 

 「やめて!アスナさんに触らないで!」

 

 べちゃり、と湿ったモノが触れる音がした直後、じゅるり、と身の毛がよだつ不快音が聴覚を侵す。

 

 「あぁ……甘い!なんて甘美なんだ!……でもまだだ。まだ足りない……そう、君の全てを、僕に捧げておくれよぉ!!」

 

 最高潮に達した須郷の絶叫と共に、怖気の走る音がこの空間に響いていく。それも二度や三度ではなく……数える事すら忌避する程に何度も、何度も。

 

 「―――もう、いやぁ……助けて、キリト君……たす、けて……」

 

 「そうだよ!もっと絶望しろ、泣き叫べ!君はもう、僕のモノなんだからなぁ!クヒャヒャ!クッハハハハ―――はぅあぁ!?」

 

 「え、嘘……?」

 

 どれくらい経っただろうか……曖昧な意識の中ではっきりと区別できたのは、折れる寸前のアスナのか細い声と、高笑いから突然奇声を上げた須郷と、戸惑ったサクラの声。そして―――

 

 「―――ぇ、せ……アスナを、返せ……!」

 

 動かなくなっていた筈のキリトの、ひどくひび割れた声だった。

 

 「キリ、ト……?」

 

 都合の良い幻聴ではないかと一抹の不安を抱えたまま、何とか首を巡らせて両目を瞬かせて……取り戻した視界に映っていたのは、須郷の片足を横たわったまま掴み続ける黒衣の少年。

 

 「な、ぁ……おま、何で……何で動けるんだよぉ!?」

 

 「返せよ……アスナを……!」

 

 刺さっていた筈の大剣は無く、あるのは背中から片足にかけて続く一筋のダメージエフェクトのみ。ぎょっとしてキリトが倒れていた場所を見ると、あの大剣は変わらず床に突き立てられたまま。

 

 (キリト、お前……!?)

 

 まさか……本当に、這って須郷の足元までたどり着いたのか……!?自らの大剣に体が斬り裂かれていく事も厭わずに!?

 

 「アスナを……返せ……!」

 

 「し、しす、システムコマンドォ!オブジェクトID、エクスキャリバーをジェネレートォッ!!」

 

 半狂乱になった須郷が右手を翳した次の瞬間、一目で最高クラスのレアリティを誇ると解る黄金の長剣が現れる。危ない、そうキリトに叫ぶよりも先に須郷が滅茶苦茶に黄金の剣を振り回すが、刃筋も何もない出鱈目な動きはただキリトや床を叩くだけだ。

 

 「このっ!はな、離せ!何なんだよコイツ!?」

 

 「返せぇええ……!アスナ、を……返せ……!」

 

 「ヒィッ!?い、痛ッ!!ゾンビが!ぼ、僕に触れるなぁ!!」

 

 メキメキと骨が軋む音が、異様なまでに明瞭に聞こえる。明らかにキリトの様子がおかしい。怨念のような声色で、ずっとアスナを返せと繰り返し続ける彼は、どう見たって正気じゃない。

 

 「キリト、君……!」

 

 「アスナ……!アスナ……!」

 

 黄金の剣が幾度も体を打ち据える中、アスナの声に一瞬反応を示す相棒。骨が軋む音が一層大きくなり、それに伴って須郷から悲鳴が上がる。

 

 「ああああ!痛い痛い痛い!システムコマンド!ペイン・アブソーバーをレベル10にぃぃぃ!!」

 

 痛みが僅かに引いた、気がした。ずっと刺さったままだった為、痛みが突然ゼロになる事は無く、暫くは残留し続けるだろう。だが、さっきまでよりはずっと楽になる。けれど……それが逆に、苦しむきっかけになる。

 

 (オレは……ダメだ……)

 

 戻ってきた思考が直面したのは。自らの無力さや不甲斐なさだったから。

 

 ―――今のキリトの様に、愛する者を救う為に……躊躇いなく狂気に身を堕とす事ができるか?

 

 できない。殺人鬼以上のバケモノに、なりたくない……!

 

 ―――自らの苦痛を厭わず、他人の為に立ち上がれるか?

 

 無理だ。痛みに挫けて這いつくばったままでいる今の姿が、その証拠だ……

 

 ―――立ちますよ……あの二人なら、絶対に……!

 

 ごめんサクラ……オレはもう、その信頼に応えられない……

 

 須郷の悲鳴とも奇声ともつかない甲高い声が、急速に遠のいていく。怨霊の如く虚ろな声も、彼を案ずるアスナとサクラの声も、全て……

 

 (オレじゃ……ダメだったんだ……)

 

 キリトとの差を突き付けられた心は冷え、ひび割れていく。自分の限界を思い知らされ、あふれ出した涙は悔しさからくるものか、それとも別の感情からくるものなのか……?

 

 ―――ぼやけた視界の中で、ついに黄金の剣がキリトの右腕を斬り飛ばす。

 

 切断面からゆっくりとポリゴン片へと変わっていく彼の腕の様に、この胸の内に宿していた想いがバラバラになっていき……もう見たくない一心で目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『逃げ出すのか?』

 

 ―――オレは英雄(キリト)じゃないんだよ。アイツができた事全部、オレにできると思わないでくれ。

 

 『諦めるのか?君は彼の隣で、あんなにも抗い続けていたのに?』

 

 ―――それが何になったってんだよ。全部GMの掌の上で踊っていただけじゃないか……あの時も、今も……ずっと。

 

 『それは君の……君達の戦いを汚す言葉だ。意志の力をもってシステムに定められた事象を塗り替えたのは、君が最初だろう?』

 

 ―――だからどうした。あんなの、キリトだってできたじゃないか。

 

 『言った筈だ。君にも彼と同じ資格があると。信じた者の為ならば、君は何度でも立ち上がり、手を尽くしてきたじゃないか』

 

 ―――アンタは……一体……?

 

 『さぁ、立ちたまえ!クロト君!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今まで凍っていたと錯覚するほど、全身が熱を取り戻す。仮想世界も現実世界も関係なく、今この胸の内にある心臓が、痛い程に激しく鼓動を打ち鳴らす。

 

 「ぐっ……おおぉ……!」

 

 床に貼り付けられた四肢に、少しずつ力が籠る。そう、まだ動ける(・・・・・)

 

 (なら……立てよ!立って戦うんだ!!)

 

 しわがれた声を張り上げ、体は少しずつ起き上がる。両手に刺さったままの剣達が酷く邪魔だ。

 

 「ハァ……ハァ……なぁ!?お、お前もかよ!?何なんだよお前等!?何でまだ動けるんだよぉ!?」

 

 「……るせぇ……助けるって……今度こそ、最後まで力になるって……誓ったんだよ」

 

 突き立てられた剣に斬り裂かれながらも左腕を解放し、右腕の剣を掴む。

 

 「だ、誰に……何にだよ!?どうすりゃそんな、システムに逆らえるんだよぉ!?」

 

 「ハッ!そんなモン、決まってんだろ……オレ自身にだ!!」

 

 グシャリと右腕に突き立てられた剣を握りつぶす。自由になった両腕で力いっぱい地面を叩き、剣が刺さったままの状態で立ち上がる。腹の大剣は自重でズルリと抜け落ちた。

 

 「あああもう!どいつもこいつも……鬱陶しいんだよぉおおお!!」

 

 半ば発狂しながら斬りかかってくる須郷。ド素人丸出しの動きに対して、今更遅れを取る理由は無く、振り下ろされるヤツの右腕を、左手で捕まえる。

 

 「この、はな―――」

 

 「―――オラァッ!」

 

 右の拳をモロに受けた須郷は、それだけであっけなくオレの左側に転がる。それを横目に見ながら、両足に刺さっていた剣を引き抜いて捨てる。あんなにも苦しめられていた重力魔法とやらは、いつの間にか消えていた。

 

 「剣持ってんのに間合いが近すぎ……棒切れぶん回した事すら無ぇのかよ」

 

 「よくも……よくも僕の、神の顔を……!システムコマンドォッ!!」

 

 『―――システムコマンド、IDオベイロンのスーパーバイザ権限を剥奪』

 

 初めて聞く筈の、それでいて何処か聞き覚えのある声が、静かに響いた。同時に須郷の周囲に展開し続けていた全てのウィンドウが消え、残ったのは手を掲げたままの姿勢で固まる須郷のみ。驚愕に見開かれた両目からは今にも眼球が飛び出そうで気色悪い。

 

 「そ、その声……何で……何でアンタが……!?」

 

 パクパクと口許を戦慄かせながら、焦点の合わない両目をせわしなく動かす須郷。ヤツの取り乱しようは異常で、相手が誰なのか予想がつかない。

 

 『やれやれ。他者を激しく見下すうえに、想定外の事態に非常に脆い……先生の教えの一片でも肝に銘じていれば、もう少しまともになっていただろうに……残念だよ、須郷君』

 

 「ヤタ……?」

 

 須郷の呪縛に囚われた時からずっと静かに伏していただけだった使い魔から、不思議な声は発せられていた。だが何故がヤタは飛んでおらず、自らの足でオレと須郷の間に立っているのだ。

 

 『あぁ、すまないねクロト君。少しばかりこの子の体を借りさせて貰っているよ』

 

 「は?何言って……ってかアンタ誰だよ?」

 

 『ふむ……丁度プログラムの再構築も終わった所だ。久しぶりにこの姿を晒そうか』

 

 ヤタの口が大きく開かれたと思った次の瞬間、そこから大量のポリゴンデータが吐き出される。呆然と眺めていく内に水の様に出てきたデータは何か、いや人の足を形作り……段々と足首、膝と下から順番に人の姿を形成していく。

 

 『この姿では初めまして、だな。クロト君』

 

 「な、アンタは……!?」

 

 「何で……何でアンタが生きてるんだよ!茅場ァ(・・・)!!」

 

 須郷の絶叫が耳朶を叩く中、オレも驚愕に目を見開いた。だって、その姿を持つ人間が、この場にいる筈が無いのだから。

 くたびれた白衣を身に纏い、彼の城の聖騎士と共通する無機質な瞳が特徴の、鋭角的な顔立ちの男性。見間違える筈が無い。SAO唯一のGMにしてラスボス。キリトと刺し違えた筈の男が、眼前に現れた。




 反撃、開始

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