便利屋68 黄金将軍   作:まーろう

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11 シュウ

 その後の会議でも、目立った進展はなかった。

 

 巡航ミサイルの件はこちらにも驚きだったが、結局は確実な情報といえないらしい。鷲羽シルバなる人物の行方も掴めてない以上、話は振り出しに戻った。

 

 昼食時。第一回会議は一時解散の空気が濃厚になってきた。午前中を監視に費やしたせいだろうか、アルも適度な空腹を覚えつつあった。軽い昼食を取りたくなっていたし、このタイミングで一度、他の社員たちと情報共有をしたほうがいいだろう。

 

 形式ばかりの総括が終わると、四人の代表が離れた円卓が片付けられる。給仕たちが忙しそうに動き回っている。ラウンジの一階は細長いビュッフェテーブルが設置され、すぐに立食会場へ様変わりした。テーブルの上には、あらゆる類のサラダやコールドミートが並べられ、好み次第でスープやパンが選べるようになっている。

 

 乗船する者は誰でも、無料でこの食事にありつくことができる。アルもこの恩恵を存分に享受しようと、軽やかな足取りで一階への階段を下りた。すでに各校ともめいめいの好物を皿に取り、小島のように区分けされた丸テーブルで歓談に興じている。つい先ほどまでの険悪な空気はさっぱり霧散していた。

 

「私はどうも別の考えなんだ」風紀委員会が集結しているテーブルから聞こえてきた。遠巻きに見ると、ゲヘナ学園の生徒たちに混ざって、だぶついた和装のラムが世間話をしている。目線の先にいるのは、料理を小山ほどに盛ったバットだった。「二四号の件は警備の数に対して穴が多かったな」

 

「そうか?お前ならどう動かすんだ……」

 

 アルはなるべくそちらへ近づかないようにして、ビュッフェテーブルへ近づいた。トリニティ生が塊を作っている区画の端、窓際に設けられた小さなテーブルでイサミとカンナが何やら立ち話をしている。どちらともパンを二つに少量の野菜しか取っていない。テーブルを挟んで触れられそうな距離で顔を合わせているが、二人の佇まいからは親密な関係には見えず、二人とも仕事一筋という雰囲気を纏っているため、そのせいで二人は気の合う友人というより密会をする仕事人同士に見えた。同盟ホストと会場を取り仕切る者同士の密会ね、そう心の中でアルはつぶやいた。

 

 薄いハムを数枚皿に取り、ずらっと並んだ色とりどりの野菜たちから好みのものを選ぶと、最後に腹持ちのよさそうなスライスされたバゲットを取った。ちょうど目線の先でムツキたちがテーブルを確保している。ラウンジの角に近い、海を望める窓に面した席だった。

 

「昼食、ご一緒してもいいでしょうか?ファルアさん」隣から呼びかけてきたシュウの声には、多分の嬉しさが混じっていた。アルは怪しい動きがなかったか、こちらの事情を知らないカヨコやハルカと話をしたかったが、観察対象からの接触は魅力的な機会に思えた。シュウは続けた。「お一人でしょうか?それとも、先ほどのご友人とお待ち合わせでしょうか?よろしければ、クロノススクールの方々とお話をする機会をいただけませんか?あなた方とお話をさせてもらえれば、アリウスの印象を改善するために良いと思うんです」

 

 アルは親しみを込めて会釈し、「ええ、喜んで」と答えた。「こちらは一人よ。こちらこそ学校の代表とお話しできれば素晴らしい機会でしょう」

 

 視界の端でムツキが手を振っていたが、気づかないふりをして手近なテーブルに落ち着いた。今頃は事情を知らないカヨコが不審に思っているかもしれない。ムツキが上手く説明してくれるのを心の中で願った。

 

 アルの向かい側に立った彼女の皿には、小さなチキンの胸肉とトマト数切れ、よく焼いたトーストが乗っている。シュウは心配そうな声でいった。「先ほどの会議の様子は見ていましたか?」

 

「仕事ぶりはたしかに拝見したわ。あなたたちには特に厄介な話題でしょうね」

 

「そうなんです。本当はアリウススクワッドの方が来るのが望ましいでしょうけど、このご時世で思うように動けないそうで……」

 

 それからアルとシュウは、近頃のアリウス自治区復興の様子や、アリウスが直面するNASS問題について会話を交わした。シュウはこちらのどんな記者然とした質問にもきっちり答えて、その都度に母校の潔白を主張する論説を挟んだ。だがそれもそのはずで、アルはあえて彼女が答えやすい質問や話題を振った。そして彼女が明るい話題を膨らませているあいだに、アルはこの女の印象を少しずつ積み重ねていった。

 

 こうして間近に接すると、シュウの態度は会議の席とは大違いだった。バットにひたすら攻めたてられていた時と違い、今は親密さをにじませたものになった。シュウはこちらが危険性のない味方であると認識しているようだったし、アリウス分校やNASSについての会話で気づいたが、彼女の愛校心は限りなく本物に近いようだった。シュウは自分の使命を自覚して、課題解決へ向けて奔走していることも感じ取っていた。本心を聞き出すには時間が足りないだろうとも思ってたが、彼女は案外あけすけに本心を語ってくれた。アルはシュウを裏表のない人物という判を押す寸前まで評価したし、会議の席での僅かな疑念がなければ完全に気を許していただろう。しかしその疑念も──巡航ミサイルについて知らないと語ったことも、事前に知らされてなかったと考えれば熟考もなしに受け入れてしまうほどだった。

 

「ごめんなさい、私ばかり話してしまって」シュウの頬は少し赤くなっていた。「こんなに自分のことを話したのは久しぶりなんです。イサミさんの他だと、あなたが初めてかも」

 

 アルは接待の話題を止め、そろそろ彼女の素性に近づこうと決心した。「そういえば先に会った時も、彼女と一緒だったわね。あなたたちはどういう関係なの?」

 

 シュウは視線をそらすと、少し困ったような顔になった。「なんて説明したら……」言葉を選ぶ仕草のあと、彼女は急に小声になった。「このことはどこにも書かないと誓ってくれますか?」

 

 アルは高ぶる好奇心が声にでないよう、なんとか自制した。安心を与える微笑で答える。「誓うわ」

 

 シュウは大きく息を吸い、静かに話し始めた。「アリウスが外交を正常化するまで、どういう道のりがあったかは知ってますか?」

 

「情報が一般公開されてから、大まかな概要は把握したわ」思いついて付け加える。「概要っていうのは、つまり教科書に載るような流れのことだけど」

 

「アリウスが長年にわたって内戦状態にあり、それをマダムが平定したことは?」

 

「そこまでたいしては知らないわ。突然現れた大人の方針で、アリウスは思想統制や軍事教育を受け続けていた。エデン条約調印式で攻撃を敢行したけど、ゲヘナとトリニティに形成を巻き返されて失敗。マダムという大人も、その後で倒された。だいたいこんなところかしら」

 

 シュウは頷いた。「私が物心ついた歳には、アリウスはマダムの支配下にありました」先ほどまでの親し気な調子は影を潜めた。「マダムは虚無思想と殺人技術を軸として、すさんだアリウス生を徹底して統制しました。もともと資源の少ない土地柄なうえに、人権を度外視した体制だったので、およそ文化や社会的生活と呼べるものが育つ余地はなかったんです。”バニタス・バニタータム(全ては虚しい)”、これが私たちが唯一共有できる文化と呼べるものでした」

 

 今から考えれば信じられないといいたげに、彼女は首を横に振った。外界には知らない文化が山ほどある、こんな単純なことすらも統制された環境では知る術はなかった。ただ与えられた環境に順応して、同じ境遇の苦しみを同胞と分かち合うのがせめてもの慰めだったという。

 

「でも私は耐えられませんでした」シュウは贖罪をするように告げた。「自分たちの環境が普通じゃないことにおぼろげながら気づいたのは、憎悪の対象であったトリニティ総合学園の存在を知ったときでした。私は十二歳で、マダムについてあまり良い思い出はありません」

 

「マダムはどんな人だったの」アルは聞いた。シュウは少しずつ思い出して話した。実際ベアトリーチェという名の大人は、傲慢で、サディスティックで、専制君主のような人物だったらしい。

 

「私が逃げ出したとき──そのときは十三歳になる手前でした。まだ外界との出入りに迷宮のようなカタコンベを使うのが当たり前だったので、私は瓦礫に紛れやすいカムフラージュを施して、年長のアリウス生たちを尾行して脱走しました。カタコンベを出てからは、流木につかまって川を渡って、百鬼夜行の自治区まで辿りついたんです。私はそこで、生まれて初めて美しい自然や文化というものに触れることができました。余所者を拒まない百鬼夜行の土地柄もあって、このままここで生涯を過ごすのも悪くないと思えました。でも私は外界で生きる術を持っていなかった。しばらく身を隠していたところを、イサミさんに助けてもらったんです。彼女とは、そこで知り合いました。とまあ、だいたいこんなところです」

 

 暗い気持ちが顔に出ていたからだろうか、シュウはこちらへ無理に笑ってみせた。同情の拒絶かもしれない。

 

 イサミはエデン条約事件の前に、いち早くアリウス生のシュウに接触していた。この時点で条約締結は話題となっていたので、シュウも調印式襲撃計画を当然ながら知っていたし、トリニティ生で標的となるイサミへ計画の全容を打ち明けた。イサミは礼として、トロント派の権力を行使して彼女の書類を偽造した。シュウは百鬼夜行の一学生として暮らせる身分証明を与えてもらったのだ。「調印式の襲撃を知ったときは、正直にいって、ぞっとしました。トリニティとゲヘナへ宣戦布告をして、スクワッドや昔の仲間がテロリストとなったとわかった時には絶望しました。襲撃を知っていながら、自分には何もできなかった。悲劇を止めることができなかったんです。だからNASSが暴れ始めた時に、私の人生の目標を悟ったんです」

 

「目標?」

 

「あのエデン条約事件で、陣営にかかわらず何百何千という人々が傷つきました。アリウスはテロリストの烙印を押され、今度はNASSの被害に苦しんでいます。あの事件で傷を負った人たち──あの人たちにこそ、私の人生を捧げるべきだと思ったんです。いまさら脱走兵の汚名を返上しようとは思いません。それでも、私はアリウスのために何か具体的な行動を起こしたかったんです」

 

「それが対策班に参加を決めた理由なのね?」

 

「NASSの最初の事件があってから、私はすぐに学籍を戻すための最初の行動を取りました。その日のうちに百鬼夜行を飛び出して、トリニティにいるイサミさんに百鬼夜行の学籍を抹消してもらうよう頼んだんです。その時の私は転入生と思えないくらい百鬼夜行に馴染んでたけど、とにかく行方不明で通報される前に情報処理をしてもらえるように話したんです。最初は過剰反応だといわましたけど、なんとか説得して、退路を断ってくれるようにまで頼み込んだんです。それがものをいったのかもしれません」穏やかな表情に悔いはなさそうだった。「その時にはもうアリウスの外交は正常化されていて、百鬼夜行からの転入生という体も取れたのですが、やはり私の根はアリウス生なんです。元の名で自治区へ戻って、当然ながらアリウスに残っていた人たちからは、裏切者や脱走兵と激しく非難されました。それでも姫様が直々に私を呼んで、面接をしてくれたんです。最初に聞いたときは耳を疑いましたよ。だってアリウスの生徒会長、秤アツコだっていったんですから。彼女が全てのお膳立てを整えてくれたんです。私の学籍はアリウスに戻って、その一員としてアリウスの持つ情報を教え込まれたというわけなんです。そして今、ここに……」

 

「そして対策班でイサミと再会したってことね。縁の力ってすごいわね」

 

「もう一人の私を知ってるから、イサミさんも会うたびに気にかけてくれるんです。私のわがままにも嫌な顔をせずに協力してくれて、とても良い人ですよ」

 

 アルはこれまでのシュウの言動を振り返り、数瞬だけ考え込んだ。作り物の経歴を用意している連中というのは、決まって不必要に詳しい細部まで語りたがる。その点でシュウの話は、すらすらと語れただけでなく、いたずらに詳細にわたることはなかった。彼女の身の上話には、アルの勘に引っかかるような不審な点は何一つなかった。彼女はたぶん真実を語っているのだろう。詳細不明な身分調書の謎も、齟齬なく説明がつく。アルは巡航ミサイルの一点のみ警戒することにして、残りの九十九パーセントではシュウを信頼することにした。

 

 とはいえ今度は別の懸念が浮上した。美談に違いなかったが、アルは嫌な胸騒ぎがするのを感じ取った。エデン条約調印式の襲撃があった直後、その凄惨な光景が取材に来ていたカメラから全土へ中継された。便利屋も街頭テレビやラジオで報を知った。一時は終末論までささやかれたほどの騒ぎだったのだ。もしトリニティが襲撃を事前に察知できていれば、何らかの対策を打って未来を変えられたかもしれない。イサミは事前に全てを知っていながら、何の報告もしなかった可能性がある。とっくに解決した昔の事件の小さな引っかかりとはいえ、このエデン同盟においては新しい一面が明らかになったといえないだろうか?

 

「あの、ファルアさん」シュウが遠慮がちにいった。「正直なところ、私はイサミさん以外のメンバーには完全に心を許せません。言動からも察せる通り、特にバットさんはアリウスの私を目の敵にしてるんです。あなたが味方になってくれれば心強いんですけど……」

 

 アルは小さく唸った。いよいよ単に面白がるだけでは済まなくなってきた。ラムにつづいて、今度はシュウが味方を求めてきた。相互信頼という前提から遠ざかり、誰も隣の人間を信用していないという実態が露になったのだ。

 

「できれば力になりたいけど、私はあくまで一記者の身よ。だけど、そうね。たしかにこの同盟が油断ならないものであるのは確かだわ。私もしばらく同盟の取材を続けるつもりだし、新しくわかったことがあれば互いに共有しましょう」

 

「私を信じてくれるんですか」

 

「さっきの身の上話を聞いて、あなたが嘘をつくような理由はないわ。あなたは正真正銘アリウスの生徒よ。一連の事件で傷ついた人々のためになりたい、あなたの思いを私は信じる」

 

 かすれた墨のような瞳に、少しばかり生気が戻った。脱走兵から学校の看板を背負う代表への一大出世とは、尋常でないプレッシャーに違いない。一人で使命を抱え込みすぎていたのだろう。胸中を吐露して、シュウはいくらかすっきりした表情をしていた。

 

「シュウ」近づいてきたのはイサミだった。ちょうどカンナと会合を終えたイサミが、静かに呼びかけた。「午後の会議の前に、少しばかり話がある。水を差すようだが、切り上げてくれ」

 

「わかりました」

 

 シュウは返事をして、最後にアルへ小声で伝えてきた。「私も信じてますよ、ファルアさん。あなたがいてくれれば安心です」無邪気なような笑みを作り、それからイサミの後を小鴨のようについていった。

 

 ラムのこぼした危惧は間違いだっただろうか。おそらくそうではない。素性がわからないうちは、自分たちもシュウを怪しんでいた。だがそれは単に、相手への無知から生じたつまらない疑惑に過ぎなかった。シュウはほぼ白だ、ラムにもそう伝えて問題ない。テーブルを挟んだすぐそこに、まだ彼女の匂いが残っているように感じた。

 

 イサミとシュウが離れたのを確認して、ムツキがテーブルに近づいた。カヨコとハルカも揃って、角がぶつかりそうなくらい身を寄せる。

 

 カヨコが口を開いた。「だいたいの事情は聞いたよ。何を話してたの」

 

 アルはこれまで聞いた話を包み隠さず打ち明けた。ラムからの依頼、シュウの過去、イサミやバットへの懸念を伝えるあいだ、カヨコは黙って耳を傾けていた。

 

 話終えると、ハルカがこぼした。「さすがアル……ファルア様です。出会ってほんの少しで、ここまで情報を聞き出せるなんて」

 

 アルは腕を前で組んだ。「シュウに限らず、対策班のメンバーは信頼に足る仲間を欲しがってるわ。そこで私のエージェントとしての素質が認められてたってわけよ」

 

 カヨコがため息をついた。「社長、自信満々なのはわかるけど、さすがにおかしいと思わないの?」

 

「おかしいって?」

 

「最初はラム、次にシュウ。しかも後者は顔を合わせて間もない。いきなり見ず知らずの人間に、そこまであけすけに本性を明かすとは考えにくいよ」

 

 アルはきょとんとした。「なら二人が私に寄せてくれている信頼は何なの?」

 

「罠かもしれない」カヨコが鋭い目つきを向ける。「これは社長を対策班の謎におびき寄せるための罠の可能性がある。何が狙いかまではわからないけど……」

 

「ちょっといい?」ムツキが口を挟んだ。「外の警備の子たち、まだ戻ってきてなくない?」

 

 警備局の職員の交代時間はとっくに過ぎている。だが顔ぶれが変わる気配が一向にない。

 

 いや、違う。アルがラウンジを見回すと、昇降口の前で立ち往生する職員たちが目に留まった。しきりに何かいい合っている。把手を捻ったりしているが、扉は固く閉ざされて動かない。首をかしげて戸惑っている。

 

「上階へ向かうわよ」ムツキたちに命じると、アルは翻って階段を駆け上り出した。ムツキ、カヨコ、ハルカが後に続く。階段ですれ違った職員たちが驚き退けるが、気にする暇はなかった。最上階である四階空中通路へ辿り着くと、船尾方面のハッチへ近づく。鉄製の扉に覗き窓はついてない。元の持ち主が襲撃を警戒しての設計だった。

 

 慎重に把手へ触れる。外から固定されているためか、ぴくりとも動かなかった。踵を返してもう一方の扉へ走る。対策班メンバーに気を取られて、本来の目的への警戒ができていなかった。左舷船尾方面への扉を確かめる。把手は頼もしい感触で動いた。

 

 客室廊下に出た。この区画に敵影は見えない。信じられないが、敵は船外警備を一掃して、残りの乗組員を閉じ込めようとした。だが船外だけで百に近い警備がいたはずだ。まともにやりあえば、銃撃音が船内まで聞こえてくるはずだが。

 

 アルは突き当たりの扉へ向けて、一直線に駆け出した。ところが客室扉を五つほど通り過ぎたとき、背後から扉が乱暴に開け放たれる音とともに、室内から飛び出した兵士が水平に構えたアサルトライフルでハルカを押し出した。襲撃班はガスマスクを被り、白い野戦服の上に防弾ベスト姿だった。直感でNASSの兵士だと確信した。ハルカの頭が窓に叩きつけられ、ガラスにひびが入る。

 

 ハルカのスイッチがオンになった。深い紫色の瞳が怒りに燃え上がる。逆に敵の胸ぐらを握りしめ、密着すると強烈な膝蹴りを敵の脇腹へ見舞った。着膨れした体が折れ曲がる。敵の握力が緩むと、ハルカは側にまわって重心を落とし、一本背負いの体勢を作った。がしゃんとガラスが砕けたかと思うと、窓枠に体が吸い込まれ、敵は空虚な叫びを上げながら船外へ投げ出された。

 

 割れた窓から潮風が強烈に吹き込む。ややあって、わずかに水飛沫の上がる音がした。今の音に敵側は気づいただろうか。アルは腰からワルサーを抜くと、突き当たりの扉まで一気に近づく。軋む音が目立たぬよう慎重に開くと、アルたちは屋外甲板へ躍り出た。

 

 愕然とした。広場のように見渡しの良い船尾甲板に、警備局の職員たちがうつ伏せで倒れている。NASSのコマンド部隊は見当たらないが、すでに乗船したとみて間違いない。奥の手すりから救命梯子が垂れている。船内にNASSの乗船を手引きした者がいるのは確定的となった。

 

 カヨコが指揮官のように指示を出した。「それぞれ武器を回収に行こう。社長は屋上階だから、私も同行する。ムツキとハルカは二人一組で向かって。体勢が整ったら、甲板で迎え撃とう」

 

 ムツキとハルカは頷くと、キャビンを回って船首方面へ走っていった。こちらもぐずぐずしてはいられない。NASSが乗船してからどれだけの時間が経過してしまったのだろう。そのあいだに爆弾やなんらかの工作がされた可能性は高い。アルとカヨコは通路に設置された、上階へつづく階段を駆け上がりだした。最上階の操舵室までは階段を登るしかない。

 

 右舷の五階に上がった。すぐ脇で警備員が倒れている。まだ微かに息があった。気絶しているだけのようだ。後続のカヨコが這い上がるまでに、周りを警戒したが動きはない。続く六階、七階も気絶した職員がのびているばかりだった。 

 

 八階へ上がる。ここから先は居住区ではないため、機能性を重視した無機質な光景になる。アルが階段から顔を出すと、通路を巡回していたコマンドの一人と目が合った。

 

 船内から脱出した者がいると思っていなかったのだろう。敵の銃口は床へだらしなく下がっていた。はっと息を呑んだのが、ガスマスク越しでも見て取れる。一秒もしないうちに、アルは鉄板の床に腕をそえて、すかさずトリガーを引いた。けたたましい銃撃音がした瞬間、コマンドはがくんと大きくのけぞった。ガスマスクが割れ、緑色の破片が舞った。

 

 銃声の音で、すぐに敵が群がってくるに違いない。アルは操舵室のある九階に繋がる階段に足をかけた。先を見上げる。待ち伏せしていた次のコマンドは一抹の油断もなく、アルの姿が目に映るや俯角に構えたライフルのトリガーを引き絞った。やかましい掃射音とともに連続で銃火が閃き、跳弾の火花が飛び散る。アルはぎりぎりで身を翻して死角へ退避した。

 

 船橋下の通路で膠着状態が続くのは避けたかった。一か所に留まれば袋の鼠にされてしまう。ライフルの掃射がぴたりと止むと、アルは反撃に打って出た。階段を登った先に敵の姿はない。空になった弾倉を取り換えにかかるはずだ。青空へ向けて威嚇射撃をしながら、アルは一段飛ばしで最後の階段を這いのぼった。

 

 最上階の船橋だ。甲板以上の強風が吹きつけるなか、先ほどのコマンドは新たな弾倉を装填した直後だった。先ほどと同じく、床を遮蔽にしながら敵を狙い撃つ。うっと唸って、敵は銃を落とすと前傾のまま倒れ込んだ。

 

 操舵室屋上のアンテナ支柱に愛用のスナイパーライフルが隠されている。ところが操舵室内から一斉掃射が浴びせられた。アルは身をかがめざるをえなかった。正面の舷窓が割れ、ガラス片が降りかかる。

 

 NASS部隊の大半が操舵室へ集結しているようだった。比較にならないほどの銃撃の前には、アルの拳銃では太刀打ちできない。何人いるか想像もつかない以上、下手に動くこともできなかった。

 

 背後下方でカヨコが怒鳴った。「社長!耳を塞いで!」

 

 慌てて両手で鼓膜を守った。何をするのか、想像は容易についた。

 

 爆発のような銃撃音がして、衝撃波が押し寄せた。塞いでいても聴覚が轟音で鈍り、耳鳴りもする。

 

 すぐに銃撃が止んだ。アルはかぶりを振って、身を起こした。操舵室内からの攻撃はなかった。頭や耳を押さえて、敵部隊の全員がうずくまっている。

 

 操舵室へつながる扉の横に、屋上へ伸びるはしごが設置されている。拳銃のスライド部分をくわえ、アルははしごをよじ登った。大型客船の頭脳とも呼べるアンテナマストは各種レーダーを搭載しており、先端までに見晴台が四つも設けられている。預かった鍵を取り出し、小さな鍵穴のついた火災警報器に駆け寄ると、慎重に差し込んで捻った。蓋はすっと開き、一秒の後には、アルの手元に愛用のスナイパーライフルが戻ってきた。

 

 弾倉を装填すると、階下からカヨコが呼んだ。「武器は見つかった?すぐに戻ってきて」

 

 アルははしごを降りると、操舵室へ入った。ここの職員たちもやはり襲われていたが、NASS兵も全員が突っ伏している。その中で一人たたずむカヨコの姿があった。「社長、これを見て」

 

 アルは操舵装置に近づき、目の回りそうなコンピュータたちを見た。今のところ問題なく動いているが、船長や乗組員が倒されていて、一体自分に何ができる?あいにく船長のような操船技術はもっていないのよ。

 

 カヨコがある一点を指さした。目盛りのついたダイヤルが最大まで捻られている。「ざっと確認したけど、破損した計器は一つもなかった。操舵室のなかでここだけ、異常な値に操作されていた」

 

 アルは聞いた。「何のダイヤルなの?」

 

「この船のレーダーだよ。屋上のアンテナから発する電波の強度が最大まで引き上げられている」

 

「レーダー?ということは……」

 

 カヨコが頷いた。「NASSもあれだけのヴァルキューレ警備局員とまともにやり合うつもりは初めからなかった。隠密のうちに船内へ私たちを閉じ込めて、船の電波を最大まで引き上げたら脱出するつもりだったんだろうね。船に爆弾を設置したとでも思わせれば、こんな小さなダイヤルの変化には誰も気づかない」

 

 だんだんわかってきた。客船のレーダーを最大限まで強くすれば、電波誘導は容易になり、客船は巨大な的となる。船外にいる警備員たちを始末して、残りを船内に閉じ込めれば、反撃を受けるどころか乗船にすら気づかれにくい。洋上のど真ん中では、増援を警戒することもない。あとは隠密のうちに遠くまで逃走するだけでよかったのだ。大規模破壊に巻き込まれないよう、遠洋の果てまで。バットの指摘は正しかった。NASSは巡航ミサイルを使うつもりだ。この攻撃を許せば、エデン条約調印式の悪夢の再来となるだろう。NASSの悪名はたちまち世界へ轟くこととなる。

 

 アルは急き立てた。「一刻も早くレーダーを切るべきじゃないの」

 

 カヨコが制した。「完全に切るわけにはいかない。船の運行にどんな支障をきたすか分からない以上、私たちにこの装置はいじれない。船内から別の乗組員を連れてくれば、何とかしてくれるかもしれないけど……」

 

 窓の外で大きな音がして、アルは驚き、カヨコの話は途切れた。同時に腰を落として、ゆっくりと舷窓から顔を出す。

 

 階下の甲板にNASS兵が何人か走り出てきた。いきなり背後から銃撃され、敵の一人が激しく転倒する。残りのメンバーは次々に手すりを飛び越えて、追跡を逃れるように海へ飛び込んでいった。船内に閉じ込められていた警備員たちの制服が目につく。小さな爆発音があちこちで連鎖して、音のした辺りから警備員が船外へ躍り出る。ムツキとハルカが手当たり次第に、施錠された扉を破壊して回っているのだろう。

 

 アルとカヨコは操舵室を出て、再び屋上デッキに出た。NASSを追跡しなければいけない。回るように階段を駆け下りる途中、紺のジャケットに金ボタンの制服姿の乗組員とすれ違った。スナイパーライフルを抱える記者姿のアルにひどく驚いていたが、事情を説明する時間も惜しい。操舵装置に詳しい者を向かわせてほしい、と早口で告げ、船首甲板へ降り立った。冬眠明けの野生動物みたいに辺りを見回し、倒れ伏す仲間へ駆け寄る警備員たちのなかに、自分の武器を回収したムツキとハルカがいた。船尾へ逃げる敵を追っているとわかると、アルとカヨコも通路を後方へ疾走した。

 

 警備員たちは船首方面の出口から脱出したらしく、船尾甲板は人気がない。だがNASSのコマンド兵の一人が、手すりにかかったはしごへ向かっていた。ムツキの機関銃がかすめるが、コマンド兵は手すりを乗り越えた。跳馬のように体を回転させると、船外へ姿を消した。

 

 エンジン音が下方から鳴り響いた。武器を構えた四人は手すりへ駆け寄ると、船体下方へ目をやる。

 

 全長三十メートルはあるだろう青い高速艇が唸りを上げて、加速しながら海へ飛び出した。驚異の加速力だった。最後に飛び乗ったコマンド兵は甲板で転げながら、振り落とされないよう必死に耐えている。

 

 はしごが垂らされた外壁の真下、喫水線のふちに同型と思われる高速艇がもう一隻係留されていた。先ほど倒したNASS兵たちが使う予定だったのだろう。

 

 アルは声を張った。「あれで追うわよ!ムツキ、運転してちょうだい」

 

 返事を待たず、手すりを乗り越えると、はしごを掴みつつアルは甲板へ着地した。後を追ってムツキ、カヨコ、ハルカも乗船する。

 

「カヨコちゃん、手伝って!」ムツキは操縦室へ入ると、操舵席に飛び込む。「カヨコちゃん、レーダーを見てて」続いて計器へ目を走らせる。「燃料、油圧……以下省略!異常なしだよ!」

 

 カヨコがいった。「レーダーも異常なし。ムツキ、お願い」

 

 ムツキは前方へ向き直った。興奮混じりに声を張り上げた。「それじゃ行くよ──出航!」

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