便利屋68 黄金将軍   作:まーろう

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14 悪辣な狙い

 深夜にさしかかろうとしていた。グッドイヤー分署内の来客用の四人部屋は、二段重ねのベッド二台が、入り口の扉を挟むように備え付けられている。扉の向かいには腰ほどの小さな箱型デスク、その上にブラインド付きの窓がついているだけで、他の設備はない。軍隊宿舎のような簡素な部屋だった。

 

 カヨコは下段のベッドに腰かけていた。まだワイシャツにスラックス姿だった。部屋は消灯しているが、どうにも横になろうと思えない。グッドイヤー分署の職員たちは、夜間のあいだは警備を続けると話していた。シーサイド・セレナーデ号へ乗船を手引きした職員がいた以上、ここも完全に安全だとはいいきれない。用心をしておくに越したことはない。

 

 向かいのベッドではハルカが横になって、静かに寝息を立てている。四人でベッドを決める際、扉に近い場所へ自ら陣取るといって聞かなかった。傍らにはショットガンを横たえて、火急の際にすぐさま反撃をできるよう身構えている。その上に収まるアルもやはり、枕の下にワルサーを忍ばせてから眠りについた。ムツキは扉の把手に紐を括りつけ、その先にガラスのコップを繋いで、簡素な警告装置を作っていた。もし敵が把手を捻れば、落下したコップが床で割れ、侵入に気づけるという具合だ。ムツキの思考の柔軟さには、ときどき驚かされる。

 

 イサミと思わぬ形で再会したからだろうか。どうにも心穏やかではいられない。ブラインドの隙間から、仄かに月明かりが差し込んでいる。ふと綿棒を持つ手が止まっているのに気づいた。手持無沙汰なのを紛らわすため、自分の拳銃の清掃をしていた。

 

 サイレンサーとマガジンを取り外したカヨコの拳銃──デモンズロアはずっと軽くなっていた。スライドを取り外し、綿棒につけたオイルを内側の金属部に塗る。こうして摩擦を軽減することで、給弾不良やがたつきを抑える。何度も繰り返してきた作業なだけに、暗い室内でも支障はなかった。

 

 黙々と一人で作業に勤しむのも久しぶりだった。普段の事務所では、ほとんど常に誰かがいるため、たまの休日くらいしか一人になることはない。以前までは孤独でも何とも思わなかったはずが、ムツキではないがどこかつまらなく感じるようになった。昔から考えると、大きな変化だ。イサミに指摘されるのも無理はない。

 

 四人が揃っていながら、室内にはささやかな寝息の音しかない。窓の外からさざ波の音が厳かに響いてくる。兵員宿舎のような光景。全てが噛み合わない環境で、自分がいまどこにいるかわからなくなる。

 

 綿棒の先をオイルの入った小瓶の口へ差し込む。ふとそのとき、窓の外からかすかな物音を聞いた。

 

 カヨコは手を止めた。聴覚に意識を集中する。コンクリートの地面を駆け抜ける足音。しかも複数が重なっている。足音は遠ざかり、角を曲がったのか、急に途絶えた。おそらく建物の外壁を回り込むように移動している。警備員がわざわざ建物の側を走って移動する必要などない。

 

 カヨコはそっとスライドを元通りに組み直し、マガジンとサイレンサーを装着した。靴は履いている。そっとベッドから腰を浮かせ、物音を立てないよう仕掛けをどかすと、そっと扉から廊下へ出た。

 

 節電のため、天井の裸電球は消灯していた。廊下の暗がりのなか、足音の向かったほうへ足早に進む。清掃のためにベッドのライトをつけなかったのは正解だ。暗順応は充分だった。

 

 突き当りでカヨコは一瞬、どちらへ曲がるべきか迷った。非常口をあらわす緑のランプは右を示している。ここは建物の角で、左は廊下が続くが、右は外の非常階段へつながっている。

 

 角の壁に身を寄せ、廊下の先をのぞく。黒く収束する先に、人の気配はない。カヨコは右へ折れ、そっと扉を開いた。途端に潮の匂いが流入する。らせん状の金属板の階段は金網で覆われていた。金網へ顔を近づけると、先ほど便利屋の部屋の下を駆け抜けたと思わしき集団の影があった。カヨコの読み通り、壁伝いに分署を回り込み、外の非常口のランプが示す扉へ近づいていく。敵は四人組だった。緑に照らされ、ちらと見えた手元には、銃身の大きな拳銃が握られている。カヨコのものと同様、サイレンサーを付けているに違いない。暗殺目的の可能性が一気に高まった。

 

 カヨコは階段を静かに降りて、金網の外へ出ようとした。ところが四人組の最後尾が急に振り向き、周囲を警戒した。カヨコは金網のなかで身を屈めた。白いワイシャツで出てきたのは失敗だったかもしれない。ジャケットを羽織ってくるべきだった。警備員が巡回していたこともあり、分署内での隠密行動を想定していなかった。昼間の船上で内在していたスパイは全員判明したと思っていたが、まさかまだ生き残りがいたのだろうか。

 

 非常口の扉を開け、四人組は分署へ侵入した。すかさず金網から抜け出し、足早に非常口の明かりの下へ近づく。把手へ手を伸ばしたとき、非常口の扉の向こう側で起こっている修羅場の音がかすかに聞こえた。

 

 うわずった悲鳴──それも急に途切れたかと思うと、弱弱しい呻きにかわる。誰かが床に倒れる音。銃器を取り落とす音。建物へ侵入した四人組は物音が響くのも恐れず、内部にいた警備員へ襲いかかった。標的が事態を察知しても、逃げられないほど接近した証だ。間もなく暗殺がおこなわれようとしている。

 

 カヨコは扉を開けると、油断なく建物内へ銃口を向けた。

 

 真っ先に気づいたのは、尋常じゃない鉄さびのような臭いだった。ついで足元を埋め尽くす赤い池。殺人ハウスへ足を踏み入れたようだった。制服を着た五人の警備員はばらばらに倒れ、廊下の床や壁に赤い飛沫が広がっている。それまで恐ろしい光景は何度も見てきたカヨコも、この惨状には吐き気が込み上げた。

 

 苦しみもがく警備員たちはまだ息があった。それぞれ胸元や背中、腕などをざっくりと斬られている。片手用のコマンドナイフでは、どう振るおうとこんな傷はつくれない。刃渡りの長い、百鬼夜行の伝統的な刀に違いなかった。

 

 カヨコは血の池にひざまづき、口の聞けそうな一人に尋ねた。「しっかりして。何があったの」

 

 警備員は口から血を吐いている。息も絶え絶えに応えた。「四人組……怪しい四人組がきて……」

 

「そんなことはわかってる。相手の特徴は?」

 

「えっと……背の高いリーダーが異常に長い刀を持ってて……そいつは顔をマスクで隠してた……他のやつらは普通の拳銃しか持ってなかったけど……」

 

 カヨコは廊下の先を見た。赤い足跡が侵入者の行く先を示している。もし標的が見つかれば、敵はわめいたりされる前に斬り伏せてしまうだろう。銃を使うよりずっと静かで、確実に絶命へ追いやれる。

 

 壁の火災警報器がカヨコの目に留まった。しかし警報を流せば、敵がどんな行動に打って出るか予想がつかない。標的でない警備員すら容赦なく斬り捨てるような相手だ。無暗に刺激すると返って危ない。

 

 警備員は咳き込みながら、カヨコへ哀願した。「お、お願い……助けて……血が止まらないの」

 

 カヨコは勇気づけるようにいった。「助けを呼んでくる。敵を刺激したくないから警報機は使わないで」壁に備えつけられていた赤十字の医療箱を取り、腕の動く警備員へ渡す。「ここで少し耐えてて。大丈夫、すぐに他の人が来るから」

 

 立ち上がると拳銃を構えて、カヨコは足跡を追った。四対の足跡は途中で二手へ別れたりせず、まっすぐ標的へと向かっていく。敵の目的地へ近づくにつれ、段々とカヨコにも狙いがわかってきた。早歩きから駆け出すと、急いで角を曲がる。赤い足跡が折れた先の扉が開いていた。隙間から明かりが漏れ、中からは怯えるような声が聞こえる。

 

 カヨコは部屋へ飛び込みざま、拳銃を部屋の中へ向け怒鳴った。「動かないで!」

 

 部屋の中央には人影が四つ立っていた。足跡は紛れもなく彼女たちのものだ。革のブーツに血がべっとりと付着している。そのうち野戦服の二人が反応して振り向いた。

 

 やはり襲撃犯はNASSだった。たった今こちらの存在に気づいたらしく、ガスマスクの下ではっとしたのがわかった。拳銃を戸口に立つカヨコへ向けようとする。カヨコはそれより早く、二回トリガーを引いた。狙いを変えて、すかさずもう二発。ほとんど同時に二人とも仕留めた。ガスマスクを貫き、二人の敵兵がその場にくずおれる。

 

 残るは四人組のリーダーともう一人だけだ。ここでようやく、壁に背を預け、床にうずくまるシュウの姿が見えた。敵の今度の狙いはシュウだった。やせた体をわなわなと震わせ、目の前の襲撃者にくぎ付けになっている。すでに右腕を斬られたあとらしく、上腕部に赤い染みがにじんでいた。

 

 リーダー格と思われる灰色の長髪を一括りにした人物は、カヨコの奇襲にも動じず背を向けたまま、仁王立ちでシュウを見下していた。右手に握る刀から、赤い液体が滴る。警備員を斬撃したのも彼女に違いない。灰色の髪がゆっくりと振り向いた。

 

 カヨコは愕然とした。思わず目をしばたき、見覚えのある顔を凝視した。襲撃犯の正体に息を呑む。

 

 目の前の人物は、錠前サオリと瓜二つだった。だが微妙に違う。肌の色や、髪も黒ではなく灰色だが、それ以外の面ではそっくりだ。黒い面頬のようなマスクやナイフみたいに鋭い顔立ちは、過酷な環境での生まれをあらわしている。黒いインナーに、白いミリタリーパーカーは袖を腰で結んでいる。しかしサオリとは全くの別人であることを、カヨコは知っていた。

 

 豹藤ギル。ゲヘナ自治区を縄張りとする中退生で、度重なる暴行窃盗の罪から指名手配されている。昨年に発生した宝石商殺傷事件の犯人は、粗野な機械人グループではなく、この女だと目されていた。銃よりも近接武器を好んで使い、そのため被害の重さは小競り合いの銃撃戦をはるかにしのぐ。尋常ならざる危険性から、風紀委員会は公開手配をかけていたが、やはり先月からぱたりと行方が途絶えていた。

 

 胸糞の悪いこじつけだとカヨコは思った。考えるまでもない。ギルをリーダーに据えた四人組──彼女たちは明らかにアリウススクワッドを意識している。巡航ミサイルに続き、今度はスクワッドときた。悪趣味にもほどがある。あたかもアリウスへの当てつけのように、NASSはエデン条約事件にかかわる要素を再現し続けている。

 

 さらに不可解な配役が、この状況にさらなる謎を投げかけていた。鷲羽シルバに豹籐ギル。事件の再現は完璧でも、演者は三流もいいところだ。どちらも学校を中退し、風紀委員会に追われている。ゲヘナのごろつきばかりを使うのは何故だ。

 

 カヨコは毅然とした態度で命令した。「刀を捨てて、その子から離れて。ゆっくりと」

 

 ギルの顔は黒いマスクで覆われていたが、にやっと笑っているのがわかった。「……これは厄介なことになったな」機械人のような、電子的な声でいった。

 

 聞き覚えのある低い声だ。電子装置で声質までサオリに似せている。刀を捨てるどころか、身体の前で戦うように構えた。

 

「サオリの真似事はやめて」

 

「便利屋68。残念だが、その提案は受け入れられない」

 

 カヨコは目を細めた。奇妙な喋り方だ。録音した音声を流しているみたいに聞こえる。

 

「与えられた仕事は、何があっても遂行する」ギルは淡々と続けた。「トリニティとゲヘナを、キヴォトスから消し去る」

 

 カヨコはチャンスを逃さず拳銃のトリガーを引いた。相手までの距離は三メートルもない。命中は必至に思えた。

 

 拳銃側面から薬莢が飛び出した瞬間、ギルが目にもとまらぬ速さで刀を振った。信じられないことだが、彼女は銃弾を刀で跳ね返した!カヨコはそんな光景は一度も現実で見たことがなかった。床へ落下した薬莢が虚ろな音を立てた。

 

 カヨコは立て続けに銃弾を撃った。ただの一発もギルへ命中しなかった。残りの弾は三発しかない。予備のマガジンは船上で使い果たした。装弾されていた十三発が全てになる。無暗に撃ち続ければ、攻撃手段がなくなる。

 

 攻めあぐねていると、ギルは刀を振り上げて、強力な弓で放たれたみたいに勢いよく飛び出した。カヨコはほとんどすれすれのところで刀を避けた。ところが縦に振り下ろされた刀がいきなり向きを変え、すばやく水平に繰り出された。シャツが切り裂かれ、刀の先端が肋骨をかすめる。カヨコは反射的に体を丸めて、床へ転がるように退避した。

 

 ギルは縦横無尽に刀を振り回した。壁、床、天井のあらゆるものが、瞬時に斬られていく。カヨコは身をよじり、躱しつづけるしかなかった。少しでも動きを止めれば、腕か頭が切り離されてしまう。カヨコは高速で動き回る刀から目を離さないまま、手元にも意識を向けていた。あの攻撃ができれば勝機はあるかもしれないが、その準備にはまだ時間がいる。

 

 シュウは部屋の隅で固まったまま身動きできずにいた。残った一人のNASS兵に銃口を向けられているからだ。彼女を人質に取られては、残された銃弾での反撃も難しい。

 

 ギルは天井すれすれまで飛び上がると、切っ先を下へ向け、頭上から串刺しにしようとした。カヨコは本能に反して、わざと避けるのを我慢した。手先の感覚だけでおこなっていた準備が完了したのだ。銀色の刃が迫ると、予測したギルの着地点の裏へ回り込んだ。攻撃が成功するほど、相手はその手法を多用する。ギルは先ほどと同じように、宙で刀の方向を変えるだろう。

 

 ギルは相手の虚をつくように、刀を急転換させた。その動きをカヨコは予測済みだった。無我夢中で武器を持つ腕に掴みかかると、手から刀を奪おうともがいた。残ったNASS兵が銃を向けるが、ギルも近くにいるので中々トリガーを引けずにいる。

 

 カヨコはチャンスとばかりに武器をギルの眼前へ構えた。サイレンサーを外したデモンズロア、指はすでにトリガーへかかっている。銃口は顔の真横にあった。刀を持つ腕の旋回範囲内で、カヨコはトリガーを引き絞った。

 

 紫色の閃光を放ち、デモンズロアはこの世の物とは思えない悲鳴を上げた。強力な閃光手榴弾が目の前で炸裂したも同然の衝撃に、ギルは声帯の壊れた獣みたいな声で叫んだ。マスクでくぐもっているので、こちらのほうが地声だとわかる。目をつむり、大きく頭をのけぞらせた。

 

 ギルはものすごい腕力で、まるで片手で猫を抱え上げるみたいにカヨコの体を持ち上げ、頭から床へ叩きつけた。頭部を強打し、一瞬目の前が真っ暗になった。気づけば無防備な姿で仰向けに倒されていた。

 

 激痛による麻痺が全身へ広がる前に、あわてて起き上がろうとする。だが思い通りに腕へ力が入らない。頭がふらふらする。ギルは左手で目元を覆っていたが、刀の先端を正確に振るい、カヨコの喉仏に触れた。指の隙間から、敵愾心に満ちた眼差しで見下ろす。刀を高々と振り上げた。

 

 カヨコはもう二発弾の残った拳銃を握っていた。だが銃口を向けるより早く、刀が体へ到達してしまう。鋭く光る刃が風を切り、カヨコ目掛けて振り下ろされた。激痛を覚悟して目を閉じた。

 

「そこで止まれ!」どすを効かせた叫びに、思わずびくついた。扉の方からだ。異様な物音を聞きつけ、駆けつけてきたに違いない。銃撃音が部屋へ轟く。矢継ぎ早の発砲に、シュン、カンと刀ではじく音が応える。カヨコは目を開けた。

 

 戸口に立つ女は、両手で拳銃を構えていた。ヴァルキューレ制式拳銃の銃口から、一筋の煙が立ち昇る。

 

 カヨコは思わず名を呼んだ。「カンナ」

 

 汗をにじませたカンナは、水色の制服姿のままだった。カヨコと同様に襲撃を警戒していたらしい。さすがに敷地内での暗殺は想定外だったらしく、とっさの事態に緊張して、息が乱れていた。

 

 ギルの行動は迅速だった。カヨコにまたがるように立っていた彼女は、楽しみに水を差した犯人を睨みつける。公開手配されている顔に気づかないはずがない。拳銃を向けながら、カンナは愕然としていた。

 

 廊下から複数の足音が近づいてくる。ギルは人間離れした跳躍をすると、天井にぶつかる直前で姿を消した。取り残された唯一のNASS兵が絶句してうろたえた。チームリーダーを探そうとあちこち見回す。カヨコはそのとき、敵の背後で刀身が揺れるのが見えた気がした。

 

 突然背から腰にかけて斬撃を受け、NASS兵が苦痛の叫びをあげた。刀が空を切る音がする。ギルはつばめのごとく飛び回り、壁や床を利用して狙いを撹乱している。

 

 閉じていたガラス窓がばらばらに割れ、灰色になびく影は外へ飛び出した。カヨコは跳ね起きて、割れた窓枠から拳銃をギルへ向けようとした。

 

 だが消灯された敷地内は、自然の闇しかない。ギルはとっくに闇に紛れて、姿を消していた。いずれにせよ手負いの体では、走って捕まえることも難しい。それどころか無暗に追いかければ、一方的な反撃を喰らう。

 

 カヨコはため息をついたが、安堵には程遠かった。部屋の中へ向き直る。床に血が飛び散り、凄惨な光景となっていた。三人の敵兵は死にかけだった。余計なことを喋らせないためか、ギルは味方にも躊躇なく刀を振るった。これでは指名手配されるのも無理はない。

 

 応援に駆け付けたヴァルキューレ警備局員たちが一目見てたじろいだ。だが意を決して部屋へ踏み込んでくると、シュウを引き立たせて保護した。間近で赤い液体が降りかかったシュウはすくみあがっていた。警備局員の肩を借りると、連れられて修羅場を後にした。

 

 カンナはカヨコの近くへ歩み寄った。「無事か」

 

「うん」まだ戦闘の緊張が抜けていない。命を守ろうとアドレナリンが巡っている。吹っ飛んだ落ち着きを取り戻そうと、深い呼吸を心がけた。「あいつは……」

 

「ああ、豹藤ギルだ。間違いない」

 

 やはりそうか。カヨコの記憶違いではなかった。

 

「事態を職員へ通達した。埠頭に包囲網を敷いて……」

 

 ふとカヨコの注意が喚起された。先ほどシュウを連れて出た職員たちの赤い足跡の形が不自然だった。ヴァルキューレの制式な靴ではなく、市販されてない軍用ブーツだ。倒れているNASS兵の靴裏の模様と一致する。

 

 部屋の外からエンジン音がこだました。暗い敷地内に一筋の光を照射しながら、一台の車が爆走してくる。黄色い車体のジープがタイヤをきしませながら止まった。車両へ近づくとトランクを開け放ったのは、先ほどの警備局員だった。雑に拘束したシュウの身柄を乱暴に放り込み、自らも乗り込むと大急ぎで埠頭へ逃走していく。

 

 目にするやカヨコは割れた窓を大きく飛び越え、逃走するジープの赤いテールランプを追いかけた。全力疾走したが、距離は開く一方だ。辺りを見回すと、駐輪された白いバイクが目に止まった。ホンダのCB750だった。分署内ゆえの油断からか、キーは差したままになっている。

 

 腰のホルスターへ銃を仕舞うと、シートに跨った。スタンドを戻して、鍵を捻る。スターターを押し込むと、並列四気筒のエンジンが轟いた。アクセルターンでバイクを逃走経路へ反転させる。そのときサイドミラーに人影が写った。肩から斜めに弾帯のベルトを吊り下げている。彼女は背後からバイクへ近づくと、カヨコの了承も受けないうちにシートの後ろへ飛び乗った。

 

「カヨコちゃん、早く出して!」機関銃を持ったムツキが、左手をカヨコの胴へ回した。

 

 カヨコはバイクを発進させた。強烈な向かい風を顔面で受けた。分署から埠頭へ出て、海沿いのルートを突っ走る。無線機に話しかける職員を二人追い抜いた。切羽詰まった様子から、侵入に気づいてなかったと見える。懐中電灯をつけて巡回していれば、侵入者からは遠目でも位置がわかる。状況は侵入者に分があった。巡回の隙間を見計らっての行動は容易なはずだ。

 

 車体は二人乗りでも、頼もしい速度で走行が可能だった。速度計は七十から百を行き来している。直線では百二十まで難なくとどいた。ガソリンの残量だけが心配だった。給油ランプが黄色く灯っている。最後に給油をしたのがいつなのか定かではないが、せめてジープへ追いつくまでは耐えてもらわねば困る。

 

 せりだした地形に合わせてカーブを曲がっていると、前方に赤いテールランプが見えてきた。追いついた。敵との距離が縮まりつつある。だがジープが速度を上げた。ヘッドライトから追跡に気づいたようだ。

 

 それでもジープとバイクの速度差は歴然だった。ジープの車体後方に迫ると、車両のナンバープレートの文字がにわかに読めた。車両はヴァルキューレ警備局のものだった。グッドイヤー分署に配備されていた車両だろう。あちらもキーが車両内にあったに違いない。

 

 背中に密着していたムツキが動いた。バンパーに足をかけて、カヨコの肩から顔を出すと、前方の車両へ機関銃を向ける。拳銃よりはるかに重量はあるが、キヴォトス人の腕力なら片手でも余裕で扱える。トリガーを引こうとしたムツキの手が止まった。後方を振り返る。理由はカヨコにも、すぐにわかった。バイクのエンジン音に混ざり、異様な物音が近づいてくる。より大きな排気量と馬力を直感させる唸り。

 

 サイドミラーにいきなり別のヘッドライトの光が走り、黄色い巨体がバイクの背後に出現した。怪物の咆哮みたいな轟音とともに追い上げてくる。カヨコはとっさに速度を上げて、かろうじて追突を免れた。

 

 トラック一台がぎりぎりすれ違える広さの道路いっぱいに黄色い可動式排土板が横たわっている。すぐにブルドーザーの前部だとわかった。バックミラーに収まりきらないほど大きな車体が、小さなバイクを撥ね飛ばさんとばかりに真後ろへ急接近する。速度を上げようにも、前方のジープが行く手を阻んだ。海沿いの道路は狭く、追い越そうにも的確に進路を塞がれる。自然と舌打ちが漏れた。敵車両二台に挟まれ孤立無援のまま、残り少ない燃料で走行を強いられている。

 

 ムツキが背後で大声を上げた。「シュウちゃんが狙いじゃなかったの!?」

 

 カヨコは怒鳴った。「最初からこれを狙ってた!私たちは誘いだされたんだ」

 

 狙われたのは便利屋だった。敵はシュウを囮にすることで、便利屋への狙いを悟られないようにしていた。もう敵に正体が割れている。クロノススクールの新聞記者の隠れ蓑もここまでだった。

 

 軽くなった車体を傾ける。思い返せば不自然だった。なぜ都合よくキーがささったままのバイクが駐輪されていたのか。あの時は無我夢中の行動だったため、違和感へ注意を向けられなかった。おそらく襲撃前にタンクから燃料を抜いていたのだろう。わかりやすい場所へ置かれていたのも、ジープの追跡に他の手段へとらわれないようにするため。この状況へ追い込むためだ。悪魔的なほど完璧に計算された計画だった。

 

 恐ろしい唸りがもう背後まで迫ってきた。前方のジープとの距離も縮まっている。あまりにも悪辣な狙いだった。わざと速度を落として、二人を排土板へ巻き込もうとしている。今すぐ状況を打開しなければ、数秒のうちに気色の悪いことになる。

 

 ムツキが機関銃をブルドーザーへ仰角に向けた。運転席を狙い、トリガーを引き絞る。バックミラーで銃火が激しく点滅し、掃射音が耳をつんざく。ブルドーザーの勢いは収まらない。排土板を少し上へ移動させ、運転席への被弾を防いでいた。跳弾の金属音だけが響き渡る。たちまち弾帯を撃ち尽くすと、ムツキはシートへ跨りなおした。大胆にも両手を離して、肩にかけた新しい弾帯を装填する。それ以上の追加の弾はない。

 

 ムツキはバンパーへ足をかけて、にわかに立ち上がると機関銃を両手でしっかりと構えた。ニーグリップでカヨコの体を掴み、銃口を背後ではなく前方のジープへ向けた。

 

 頭上から激しい銃撃音を上げ、ムツキは車体左後方のタイヤへ掃射を開始した。跳弾の火花が連続で散る。バリバリと裂ける音がして、タイヤから煙が昇るとジープが左へかしいだ。突然のことで制御しきれず、車体側面が切り立った岩壁へ接触した。金属のボディが削られ、サイドミラーやライトが道路へ散らばる。なおも速度を緩めず走行していた。進行方向の右手がわずかに開けた。

 

 カヨコは限界までアクセルを捻り、ジープを追い越そうと隙間へ飛び込んだ。ほとんど真横へ並んだとき、横目に運転席の敵の姿を捉えた。持ち直そうと、必死にステアリングを操作している。追い抜こうとするバイクに気づくと、妨害しようと目いっぱい右へステアリングを切った。

 

 ジープが急に道路中央へ戻り、バイクのリアバンパーへ少し接触した。尾輪がすべり、転倒しそうになる。前方から光を受けたガードレールが迫る。揺れるハンドルを力づくで押さえ、紙一重で安定を取り戻すと、倒れる寸前までバイクを傾けてカーブを曲がりきった。

 

 カヨコはサイドミラーをちらと見た。助手席から敵兵が身を乗り出したのがわかる。ガスマスクを被っており、黒々としたアリウス制式アサルトライフルを向けてきた。

 

 カヨコは姿勢を低くして、逃走に転じた。背後からアサルトライフルの掃射が襲う。弾丸が耳元をかすめ飛ぶ。命中した片方のサイドミラーが割れた。小さく悪態をつく。一難去ったが、危機に変わりはない。

 

 直線にさしかかると、ムツキがいった。「カヨコちゃん、前にいれて」

 

 何をする気か聞く前に、ムツキはもぞもぞと動き出した。カヨコの胴を両手で掴み、バイクの右側面に乗り出した。腕の下から頭を通すと、白髪の小さな顔が急接近する。ムツキは燃料タンクにまたがり、カヨコと向き合って抱き合う姿勢になった。上目遣いでいたずらっぽい笑みを浮かべる。首には取材用のカメラをさげていた。確認したのは一瞬だけで、すぐに前方へ注意を戻した。なるべくサイドミラーを視認しないよう目線をそむける。

 

 ムツキはカメラを掴むと、レンズを後方のジープとブルドーザーへ向けた。敵も困惑しているに違いない。至って罪のなさそうにいった。「はい、チーズ!」

 

 控えめなシャッター音に反して、一瞬だけ辺りが真昼のように照らし出された。カヨコは最初、敵がどうなったのかわからなかった。数秒後には、残ったサイドミラーが全ての一部始終を映した。

 

 最初に異変が起こったのは後方を走っていたブルドーザーだった。運転席は車体のはるか上に乗っていたため、カメラのフラッシュをもろに喰らった。見えないなかで直進させようとしたのだろうが、車体は徐々に右へずれていく。ガードレールを容易く突き破り、ブルドーザーはまっすぐ海へ落下し、水柱を高々と巻き上げた。

 

 ジープも制御を失い、再び左の岩壁へぶつかった。そのまま走行を続け、カーブへ直進のまま突っ込むと、ジープは壁へ乗り上げるようにひっくり返った。横倒しになったジープが摩擦の火花を散らしながら滑り、タイヤを激しく空転させていた。

 

 カヨコはアクセルターンで、バイクを横向けに急停止させた。進路を反転させ、事故を起こしたジープへ近づく。ムツキはカメラの下から現像されて出てきた写真を確認した。「ばっちり撮れてるよ、カメラマンになれるね」

 

 ジープの下から敵兵が這い出そうともがいている。バイクを停止させると、カヨコはホルスターから拳銃を抜いた。見下ろしながら俯角に構える。窮地を脱しようと辺りを見回していたが、諦めた敵は両手を力なく上げた。ムツキが車体の後方へ回り、トランクを開ける。

 

 シュウは手足を拘束され、天地が逆さまの状態になっていた。激しいジェットコースターに無理やり乗せられたようにぐったりして、声にならない呻きを漏らす。なんとか生きてはいるようだ。

 

 運転席のモニターはまだついていた。女性の問いかけるような声が聞こえてくる。

 

「どうしました?何かあったのですか?」

 

 降伏した敵が呼びかけにはっとした。何か喋られる前に、カヨコはガスマスクへ一発撃った。頭部を床へ打ち付けて、敵はそのまま脱力する。通信はつないだままだった。おそらく作戦指揮官──マダム二世だろうか。

 

 静かに駆け寄ってくる音を聞いた。カヨコはそちらを見た。ムツキとシュウだった。カヨコは人差し指を口へ近づけ、静かにするよう伝えた。

 

 なんとかここで情報を得たい。カヨコはハンカチで口を押さえ、くぐもった落ち着いた声でいった。「いえ、マダム」

 

 沈黙があった。やがて大人の女性のような声が告げてきた。「ネズミがいると思ったら、やはりあなたでしたか。愚かな子どもたち──あなたこそ私の敵対者で、間違いはありません。いいでしょう、バシリカでお待ちしております。──もし到達できるのなら、ですが」

 

 通信が切れて、モニターが消えた。声に聞き覚えはないが、バシリカという言葉は覚えがある。主に儀式や集会に使われる空間のことだ。だがアリウスにとっては特別な意味を持つ場所となる。

 

 シュウは慄然としていた。「今のは……」

 

 ムツキが尋ねた。「シュウちゃん、今の声を知ってるの?」

 

「忘れたくても、忘れられないです」シュウはいった。「いえ、アリウスの生徒は決して忘れてはいけません。マダム──ベアトリーチェの声です」

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