ヴァルキューレ警察学校の中央支局、十五階立てのビルのような校舎は中心街近くに建っている。各分署から様々な事件事故の報告が集まり、中央支局は総元締めとして情報の群れをさばいている。あらゆる事態に対処するための設備が整っており、凶悪犯を拘留しておく牢屋も地下に備えてある。
出身校によって態度を変えたりしないあたりが、アルは好ましく思えた。大抵の場合はゲヘナ出身とわかるや、余所の人々は嫌な顔をする。だが各自治区へ分署を置いているヴァルキューレともなれば、あの問題児学校かと肚のなかで思うだけで、いちいち態度に出したりしない。あまりにも補導されるゲヘナ生が多いので、反応していたら体力が持たないだけかもしれないが。
五階の会議室に便利屋の四人は集まっていた。部屋のカーテンは閉じられている。暗い部屋の中央円卓に置かれた四角い投影機から、前方のスクリーンへパソコンの音声ファイルが一覧で映し出されている。カーソルは一つのデータ──日付が書かれている──の上で止まっていた。
カンナは円卓の一席に座っていた。投影機に繋がれたノートパソコンの前で、険しい表情が白く照らされている。
カヨコは体を傾けて座っている。脇下の切り傷のためだった。服の下には白いガーゼが貼られている。昨晩に海沿いの道路で立ち往生していたところを、アルとハルカは後から追いついた。横転したジープの影のほか、割れたガードレールの先で水没していたブルドーザーを見たときの衝撃は忘れられない。同時にそら恐ろしくもなった。
キヴォトスの犯罪において、もっとも重大なのは殺意や悪意の有無とされる。神秘に守られて、死が縁遠いものである学園都市ならではの価値観だ。NASSの過去の攻撃行動も、あえていうなら被害を意図的に押さえていたと思われる。名も知れぬアリウス生やトリニティ生への攻撃において、これまで命を奪うような一線は越えてこなかった。
しかし便利屋や対策班に対して、ここまで明確な殺意があらわになった攻撃は初めてだ。粛清対象への露骨な攻撃意志が表面化してきている。作戦失敗が続き、手段を選ばなくなってきたのだろうか。マダム二世の声明文がここしばらく途絶えていることも、一連の不気味さを一層強調している。
全員が席につくと、カンナが口を開いた。「いいか。ヴァルキューレが所有する車両には、専用の通信機が備えられている。車載器での会話内容は、すべて自動的に録音される。昨晩のNASSの通信も記録が残っていた」
マウスをクリックすると、スクリーンが切り替わる。スピーカーからくぐもった風音が聴こえてくる。エンジン音がこだまするなか、隣から掃射音が混じってくる。呼び出し音が鳴る。すぐに通話がつながった。
少女の声が切羽詰まった様子でいった。「こちら黙示録の天使。マダム、至急応答願います」
砂嵐のようなノイズが反響する。電子音がかなり混じった、抑揚のない声が応えた。「任務終了まで通信は禁じている」
「相手は想定以上に手強いです。挟み撃ちは失敗しました」
「任務を続行しろ。それが君たちの役割だ」
「あとから連中が追ってきます。我々だけでは太刀打ちできません。増援を要請します」
「増援などシナリオには入っていない」
運転手は絶句した。遠くでは攻撃が継続されている。しばらくして、困惑した声が問い返した。「シナリオですって?マダム、いったいどういう……」
いいかけたが、反射的な悲鳴で中断された。ムツキがフラッシュを炸裂させたのだろう。車体が岩壁へぶつかる騒々しい音が響く。岩肌を削る激しい音が続く。驚いたような声がして、車体が固い地面へ横転すると、判別すらままならない雑音が鳴り続ける。金属をひっかく嫌な音は、徐々に低くなって途絶えた。
相手はいっさい声を変えず、機械的にたずねた。「どうした、応答しろ」
バイクのエンジン音が近くで止んだ。足音が近づいてくる。
すると先方の声質はまるっきり変貌し、今度は大人の女性の声でたずねた。「どうしました。なにかあったのですか」
沈黙があった。しばらくしてカヨコの声が応じた。「いえ、マダム」
「……ネズミがいると思ったら、やはりあなたでしたか。愚かな子どもたち──あなたこそ私の敵対者で、間違いはありません。いいでしょう、バシリカでお待ちしております。──もし到達できるのなら、ですが」
通話は切れた。録音はこれだけだった。
カンナがいった。「録音前半の声の主は、現時点ではわからん。だが後半の声について、確認のためアリウス生徒会へ協力を要請した。アリウス自治区内でのベアトリーチェの通信記録が残っている。照合の結果、録音後半とベアトリーチェの声は九十九パーセント一致した」
カヨコがため息をついていった。「実は生きてた、なんてわけない。本物のマダム二世は、録音の前半部分」
ムツキは鼻を鳴らした。「私たちに聞かれると思って、声を変えたんだよ。こんなのは撹乱に過ぎないね」
「バシリカなんてのも、口からでまかせ。あいつが儀式をおこなった場所で、それ以上の意味なんてない」
現場にいた二人が話していると、カンナが咳ばらいをした。「それに鷲羽シルバと豹藤ギル、どちらもゲヘナ生だ。そうなるとこれまでの大言壮語な声明文も怪しくなってくる。少なくとも、現アリウスの疑いは晴れるかもしれない。次に怪しいのは」目つきが厳しくなる。「ゲヘナ学園──お前たちの母校だ」
アルは疑問を呈した。「でも二人ともゲヘナではお尋ね者よ。風紀委員会とは敵対関係にあるわ──私たちもだけど。NASS隊員もヘルメット団だったわけだし、悪趣味なヘルメット団の犯行とは考えられないかしら?」
「それなら攻撃ヘリやブルドーザーはどうやって調達したんだ?」
「それは……」アルは口ごもった。
カヨコが肩をすくめた。「風紀委員会とは仲が悪くても、万魔殿とは仲良くできたかもしれない」
ハルカがうなずいた。「た、たしかにあの人たちならやりそうなことですね。風紀委員会が忙しいときを狙えば、ヒナ委員長にも気づかれにくいですし」
カンナも腑に落ちたようだった。「なるほど。たしかに万魔殿なら車両や兵装、人員を調達できる。資金も潤沢にある。それにエデン条約事件でも、万魔殿はアリウスと結託していた。結局はアリウスに裏切られたわけだが……せいぜい正体がばれないようにすれば、トリニティやアリウスに対して悪事を働き放題になる」
全員の表情に納得の色が浮かんだ。ムツキとカヨコは小さく頷きあっている。万魔殿なら何をしでかしても不思議ではない。認識は共通していた。
アルもその点では内心同意だった。しかしどうしてもわからないことがある。百鬼夜行を巻き込んだのはなぜなのか。巡航ミサイルは対策班全員を吹っ飛ばしかけた。ゲヘナと百鬼夜行は友好関係にある。わざわざ敵を増やしてどうするつもりなのだろう。
アルの疑問を察したムツキがいった。「ゲヘナ側も対策班にはバットちゃんを送ってるし、痛み分けのつもりだったんじゃない?自分たちも風紀委員会を一名失ったから、自分たちじゃないっていい張れるし」
本当にそれだけなのだろうか。どうにも単純すぎる気がしてならない。
ハルカが疑問を呈した。「あの……それから録音でいってたシナリオって何なのでしょうか。役割とも口にしていましたし、そこも気になるんですけど……」
カンナがパソコンへ向き直り、マウスを動かしだした。「それなら手がかりがある。お前たちが高速艇から持ち帰った証拠品の解析が、ちょうど終わったところだ」
スクリーンが切り替わった。アルも見覚えのある指令書が映し出された。意味不明な文字の羅列の上に、翻訳された内容が横書きされている。
同志、南波クラビス
読後焼却せよ。シーサイド・セレナーデ号へ乗船後、チームⅡ、Ⅳとともに客船上部への侵入を命ずる。客船への工作はチームⅠの役割となる。同志クラビスはブリッジ上部から甲板の動きを監視し、行動後はすみやかに高速艇へ戻り、客船から離れること。例によってシナリオにない行動をとった場合、同志も粛清対象とする。
部屋の誰かが息を呑んだ。アルも顔をしかめて、スクリーンを見つめていた。
カンナが説明した。「役割、シナリオ……いずれの要素も指令書の内容と合致する。おそらくNASSで統一されている言い回しだろう」
ムツキが尋ねた。「この南波クラビスって誰?」
「シュウやアリウス生徒会が証言してくれた。以前のアリウス分校で、スクワッドに次ぐ実力者だったそうだ。ベアトリーチェは従順な彼女を重宝していたらしい」
「そんなやつまで参加してるんだ。アリウス……」ムツキはふと思いついたようにいった。「ゲヘナだけじゃなくて、昔のアリウス生も参加しているの?」
「そうだ」カンナは頭をかきむしった。「どうにもわからなくなってきた」
アリウスも元を辿ればトリニティの一派、ゲヘナとは犬猿の仲のはずだ。ましてや昔気質のアリウス生が、万魔殿の指示に従うなどありえない。
カヨコは呆れた様子だった「まあ、豹藤ギルみたいな要員を用意したのがマコトだとしても、作戦の立案者はあいつじゃない。あんな周到な計画を組めるとは思えない」
カンナがいった。「そのことなんだが、話を聞いてるうちに、一つの可能性として考えたことがある」
「まだ何かあるの?」
部屋の電気がつけられた。カンナが取り出したのは、大判の封筒だった。赤い文字で極秘と書かれている。封筒を開くと、いくらかの資料の束を円卓へ置いた。椅子から腰を浮かせ、資料を見下ろしながら緊張の声を響かせた。「司令塔と思われるマダム二世の正体は不明だが、昨晩に二人を狙った攻撃計画が、昔にあった事件の手口と酷似していることに気づいた」
アルは眉をひそめた。「昔の事件?」
「宝石を積んだトリニティのワゴン車が襲撃された事件だ。電光石火のスピードで強奪され、そのまま消息を絶ち、現在でも未解決のままになっている」
カンナは事件の詳細を語り出した。ちょうど二ヶ月前、サンジュエリーコレクションという宝石類をトリニティのワゴン車が運んでいた。サンジュエリーとは、ワイルドハント芸術学園の有名な美術家、虹鯨サンにちなんでつけられた名称だ。宝石の加工技術にかけて彼女に敵うものは学園におらず、キヴォトスでも広く名が知られている。独創的なデザイン性、宝石そのものの持ち味を活かした技術が高く評価され、上流階級のあいだで彼女の作品を身に着けることは、ある種のステータスとも思われている。そのためコレクションは、うら若き令嬢たちの憧れの的でもあった。
作品の価値について、トリニティも同じ意見だったらしい。サンは抜け目ない女だったので、ワイルドハント自治区の身近にある美術館に財源となる基金を寄付して、自分の計り知れぬ値打ちとなる芸術品たちを展示させていた。おそらく自分の名を後世に残す意図があったのだろう。だから名だたる巨匠たちの名に並べて、自分の名が残るように、こういう手を使ったわけだ。
トリニティはどういう手を使ったのか、この値段のつけられないような美術品たちの構内一般公開にこぎつけた。厳重な警備の手を回した上で、美術品たちを乗せた装甲車型ワゴン二台は、遠くワイルドハントからトリニティまで一番安全とされたルートで移動することになった。もちろん事前に運行ルートの情報を知っていたのは、双方の上級生徒数人だけである。一台の装甲車が先導し、二台のワゴンを挟んで、後尾にもう一台の装甲車がつくという隊列だ。
厳重な警備に混乱が生じ始めたのは、一車線の跨線橋へ入った直後だった。いきなりワゴン車の一台が規定のルートを外れて、トリニティとはまったく異なるルートへ入ったのだ。運転手はどれも信頼できる人間たちから選ばれていたので、まさかそんな凶行に走るとは誰一人考えてはいなかった。先頭を走っていた装甲車は驚きながらも、ワゴンにあわせて強引に進路変更をして、暴走するワゴンを追跡した。取り残されたもう一台のワゴンと最後尾の装甲車は、規定のルートをそのまま走ったが、やはり途中からワゴンは全力疾走を始めた。
装甲車は絶えず無線で路肩へ車を止めるよう呼びかけたが、先方から応答はなかった。油断すれば引き離される速度だったため、装甲車は追跡に意識を集中しており、背後から忍び寄る脅威への注意が疎かになってしまっていた。
あとになって二台の装甲車へ乗っていた警備員たちは、このときの出来事について同じような証言をしたらしい。「巨大なタンクローリーがいきなり背後に出現した。尋常でないスピードで爆走して、しかも前のワゴンに挟まれて、距離が縮まっていった。巨大なタイヤがますます迫り、下手をすると死刑執行を箱のなかで座って待っているのと同じ結果を招きかねなかった。だから車の外に飛び出したのは、一種本能的な反応だった……」
装甲車から脱出したあと、ワゴンの行方を知る者は誰一人としていなかった。しかしコレクションのほうは、あとになって田舎の古物商店に陳列されているのが見つかった。店主の話では、店先のシャッター前に整然と並べて置かれていたらしい。
こうなると唯一の手掛かりはタンクローリーだった。だがヴァルキューレ陸運局は間もなく、それぞれの装甲車を襲ったタンクローリーのナンバープレートに記された番号は──警備員たちの手で正確にメモされていた──いかなる車両にも発行したことがない番号であると発覚した。
一部始終が語られるあいだ、便利屋の四人はいずれも黙っていた。カンナは長い語りに一息つくと、アルにうながした。「これをどう思う」
アルは静かに口を開いた。「確かに使われた手法は同じね。でもこれだけで犯人が共通だと考えるのは早計じゃないかしら」
カンナはアルをじっと見据えた。「だが実行犯も共通している……豹藤ギルだ」
ざわっとした驚きが会議室にひろがる。アルも息を呑んだ。手口だけでなく実行犯も同じと来れば、単なる模倣犯とは考えにくい。むしろ逆だ。同一犯の可能性すらある。
カヨコが聞いた。「豹藤ギルが司令塔の可能性はある?」
カンナは首を横に振った。「それはないな。豹藤ギルは前科こそ多いが、手口は共通して荒っぽい。しかしこの事件だけは別だ。警備員の証言では、初めに暴走したワゴンに乗っていたのがやつらしい。計画性があるなら前からそうしただろう。しかもギルは口蓋裂を患っているから、意思の疎通もままならない」
「なら司令塔が別にいることになる。事件について、もっと詳しい情報はないの?」
NASSについて手詰まりな分、別角度から攻めれば突破口が見つかるかもしれない。首尾よくいけば、マダム二世の正体にもたどり着ける。アルは期待の眼差しでカンナを見た。
ところがカンナは神妙な面持ちをしていた。説明を終えた資料をひとまとめにして、端を揃えて封筒へ戻す。カンナは静かに告げた。「今話した以上の情報はない」
部屋が静まり返った。ムツキとハルカが顔を見合わせる。ムツキはカンナへ聞いた。「どうして?」
「調査が打ち止められたからだ」
「でも話を聞くかぎり大事件だよ?きちんと捜査しなきゃ駄目じゃないの?」
「問題のコレクションが、今は美術館へ無事戻っている。事件自体がもみ消された。正式な事件とならなかった以上、調査の続行はできない」
カヨコが怪訝な顔をした。「なにそれ。そんな馬鹿げた話があると思う?トリニティも事実を解明しないまま、対外的に恥をかかされて終わりで納得してるの?」
カンナは前で腕を組んだ。「私も同意見だが、現にそのトリニティから捜査の打ち止めが通告されている」
再び室内が静まり返った。ハルカがおずおずといった。「被害者側のトリニティから、ですか……」
カンナはうなずいた。「そうだ。何の意図があるにせよ、トリニティからの通達がでたからには、ヴァルキューレは手を引かざるを得なかった」
ヴァルキューレ警察学校は特質上、各自治区へ分署を配置している。それぞれ事件事故の捜査活動などをおこなう権限を持つ一方、自治区を治めている学校へは忖度せざるを得ない。ヴァルキューレの微妙な立場をあらわしている。
カヨコが口を開いた。「ちょっといいかな。コレクションの件は、ワイルドハントと合同で進められてたんでしょ。調査を打ち止めさせたからって、不手際の隠ぺいなんてできるわけない」
カンナはカヨコを見た。「つまりなんだ」
「自分たちの落ち度を隠すのが目的とは考えにくい。それに盗品があっさり見つかったから、何事もなく終わりなんてのも虫が良すぎる。トリニティはむしろ、事件を詳しく探られる前に、調査を止めさせたんだと思う」
アルも同調した。「ありえるわ。それに犯人側の動機も行動も意味不明よ」
カンナもわかってはいるようだった。しかし通告にたてつくとなると大きな問題がある。ヴァルキューレもトリニティと問題を起こしたくないだろう。争ったら最後、弱体化しているヴァルキューレに勝ち目はない。
カンナは静かにつぶやいた。「……公安局長を長くやると、何が正義かわからなくなる時がある。不条理に向き合ったり、理不尽に立たされるたび、自分たちの至らなさを痛感する。法を守るべきであるはずのヴァルキューレが、一部の人間の得に手を貸していると思うと尚更だ」
アルはいった。「あなたたちは一学校としての立場があるから仕方ないわ。波風を立てないように振る舞う必要もあるでしょうし」
「われわれは法の下でしか動けない。正式な事件でないからには、手の出しようがない」カンナは据わった目でアルを見た。「お前たちは違うか?」
「私たちはアウトローよ。何にも縛られないわ」
「今から私は独り言をいう。お前たちはそれを偶然聞いてしまった。いいな?」
「わかってるわ」
カンナはつぶやいた。「……コレクションの誘致をおこなったのはトリニティのトロント派だ。ワゴン車の手配をしたのもな」
アルはあっさりといった。「なら話は早いわ。トリニティへ行きましょう。NASSとの繋がりがわかるかもしれないわ」
カヨコはため息をついた。「まあ、それしか方法はないか。でもトリニティ……私たちが出向くには、そうとう骨の折れる場所だね」
カンナは静かに続けた。「すまない。だが今回は私個人としても手を貸せない。忍び込む方法はそちらで考えてくれ」