便利屋68 黄金将軍   作:まーろう

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17 異郷でのひととき

 トリニティ自治区はゲヘナ自治区に隣接している。犬猿の仲ではあるものの、長い境界線に検問などはない。あくまで険悪なのは学校同士であって、自治区内のその他の住民たちは自由に行き来することができる。だがアルたちはトラックの荷台に隠れて、トリニティ自治区へ入るしかなかった。トリニティ生に扮しているからには、ゲヘナ側から徒歩で入るのを見られるわけにはいかないからだ。

 

 トラックから出たら、バスに乗り換えて学園前へ移動する。揺れる車内には白いセーラー服の女学生がぼちぼち入っている。女が三人寄ればかしましいというが、車内は静かな時間が流れていた。並んで座る二人組は控えめな声で話し、一人席では読書に興じている者などがいる。お嬢様学校というだけはある。

 

 アナウンスが学園前と告げると、学生たちは一斉に下車した。晴天となりそうな朝の九時、アルは圧倒されるような気持ちでトリニティ総合学園前に立ちつくした。

 

 ゲヘナ学園との格差は想像以上だった。周囲を幅のある水路で囲み、その奥には壮麗な建造物が軒を連ねる。緑の豊かな庭園も見える。異国情緒ただよう眺めだった。レンガ造りの長い高架橋の先は、幻想のようなトリニティの世界が広がっている。

 

 高架橋の目の前には、駅の改札に似た検問が敷かれている。どの生徒も学生証をかざし、自動で開くフェンスを通過する。車両は一台ずつ通行許可証を提示して、遮断機が上がると中へ入っていく。アルも電子チップが内蔵された学生証を取り出した。新しく偽造された、風紀委員用の学生証だ。トリニティ総合学園二年生、氷王アル。顔写真の横に、刻印が捺してあった。危なげなく通過すると、五分も経たずに構内へ入る事ができた。

 

 人工島の水路沿いはクルセイダー巡航戦車が走行し、絶えず敷地外へ目を光らせている。正義実現委員会の学生たちは、指定の黒いセーラー服で、小隊を組んで警備に当たる。紫と水色の派手な髪色の生徒は自警団だろう。あちこちを警備の生徒が闊歩し、白いセーラー服の学生は気にも留めずに通り過ぎる。トリニティ生によっても、防衛意識には差があるようだ。

 

 ベレー帽にセーラー服姿のカヨコが、アルの隣に立った。サイズの大きな帽子を被っているのは、悪魔の象徴ともいえる角を隠すためだった。アルもやはりベレー帽で角が隠れるようにしていた。カヨコが小声でつぶやいた。「この警備じゃ余所者はまず入れない。さすがにこの景色は、私も初めてだよ。白昼堂々とトリニティへ入場できるなんて思わなかった」

 

 トリニティ・スクエアには二人以上の学生の小グループが多い。四人組の便利屋が溶け込むのに支障はなかった。よくある仲良しグループの一つとしか思われていないはずだ。講義はないのだろうか、皆がそれぞれ自由な時間を過ごしている。ゲヘナのようにガラが悪くないのも好ましい。

 

 ムツキは何ともなさそうだったが、ハルカは少し浮足立っている。二人とも身軽なセーラー服姿だった。武器はトラックに紛れこませて搬入している。鞄の一つも持たず、アサルトライフルや拳銃の入ったホルスターを肩から下げている。トリニティ自治区内で簡単に入手できる代物ばかりだった。

 

 ムツキがつぶやいた。「百鬼夜行みたく遊べそうなところはなさそうだね」

 

 アルは小声で返した。「お遊び気分はしまいなさい。私たちは仕事で来たのよ。トリニティ生らしく振舞わないと」

 

「といっても本当はここの学生じゃないんだから、教室とかに入ろうにも無理じゃん。いまは遊びに来たふりをするのが一番だよ。せっかくだから楽しまないと損だよね、ハルカちゃん?」

 

 ハルカは控えめにいった。「わ、私は皆さんが楽しんでくれれば、それで……」

 

「ハールカちゃん?キラキラしたトリニティにいるんだから、かわいー元気なハルカちゃんじゃないとだよね?」

 

「は、はい……」

 

 ムツキは自然に振舞っているが、アルはいつ正体がばれるか気が気でなかった。カヨコも同じ心境のようで、帽子が落ちないよう片手でずっと押さえている。スクエアの大噴水はトリニティ校舎のど真ん中だ。バレれば逃げ道など、すぐになくなる。

 

 突然シャッター音が鳴り、思わずアルはびくっとした。振り向くと、ムツキがスマホを向けていた。「クフフ、アルちゃんの貴重な格好はばっちり収めたよ」

 

 アルは呆れ気味にいった。「こんな時に写真って、あなたすごいわね」

 

 カヨコがため息をつく。「……まあ、これが一番自然なのかな」

 

「カヨコちゃんも撮ってあげるよ。ほら、近くに寄って!」

 

 ムツキはハルカと肩を組むと、カメラを自分から遠くへ持ちあげた。画面に全員が映り込むと、器用にシャッターボタンを押す。写真が保存された。

 

 アルはムツキが、自然な雰囲気を装いたがっているのに気づいた。もちろん素も入っているだろうが、実際ムツキの振る舞いは正しいものだった。周囲を警戒すれば、それだけ怪しまれてしまう。アルの緊張を緩和しようとしたのだろう。警戒心を完全に解くわけにはいかないが、いくらか心は軽くなった。

 

 金髪をサイドテールにした、背の低い女がほほ笑みながら近づいてきた。日焼け止めを塗った白い肌に丸い耳。トリニティ生にありがちな白い翼といったものはない。ショルダーストラップをつけたM4カービンを肩から下げている。高級品なのは一目でわかった。フリップアップサイトにレールシステム。ハイダーもカスタムされている。

 

 女は警戒心を持たせないよう近づくと、お淑やかに挨拶した。「ごきげんよう、里村アカネです」小声で続けた。「風紀委員会の潜入工作員をしています。お見知りおきを」

 

 アルたちに軽く会釈した。てっきりスカートの裾を持ち上げたりするものだと思っていたので、挨拶の単純さにあっけにとられた。アルも倣って、頭を少し下げる。「私がアルよ。それからムツキ、カヨコ、ハルカ」

 

 アカネは内緒話のように尋ねた。「噂はかねがね聞いています。まさか風紀委員会の伝手で来るとは思いませんでしたけどね。いったいどういう風の吹き回しなんです?」

 

「込み入った事情があるのよ。今は協力することになってるわ」

 

「まあ、私は命令をこなすだけですので、深入りはしませんが……」アカネは本校舎へ歩き出した。「では参りましょうか」

 

 五人は本校舎へ向かい始めた。事前の協議で、現地工作員のアカネが構内での便宜を図ってくれることになっていた。同時にトリニティの文化に明るくない便利屋が、トロント派の現トップである七宮スペルに接触できるよう指導する役割もある。

 

 先ほどの挨拶のことを伝えると、アカネは微笑した。「そんな古風なスタイルは今時はやりませんよ。しかし皆さんにも、その古い常識をアップデートしてもらわなければなりません。そのために私が呼ばれたのでしょうからね。付け焼き刃にはなりますが、トリニティの習慣や風俗に慣れてもらって、いざという時に失敗をしにくくしなければいけません。狭い島ですからね。やらかした場合、あなたたちも私も取り返しがつかなくなります」

 

「トロント派のトップとはなるべく早く会いたいのだけど、その機会はあるかしら?」

 

 アカネはわずかに振り返った。「ええ、七宮スペル様は今日、ご自身のトロントが主催するティータイムのパーティーに出席します。それまではトリニティの校舎を巡り、空気に慣れてもらいます。皆さんの訓練教育が目的ですから」

 

 噴水のあった広場を出ると、三階建ての邸宅がずらりと並ぶ通りに入る。淡い水色の屋根の下には、上げ下げ窓が規則正しく並ぶ。途中で何人かの女学生とすれ違った。風紀委員会の小隊ともだ。アカネが先頭に立って、群れの横を通り抜ける。誰もこちらを気に留めない。

 

 イサミからおかしな噂が伝わったりして、自分たちの正体が発覚していないことには安心した。しかしここまで見過ごされると、失望と不安が入り混じった複雑な気持ちになる。ゲヘナ生を四人も見逃すトリニティの警備体制は大丈夫なのだろうか?これでもゲヘナ自治区では指名手配されているし、銀行口座も凍結されている身だ。それなりに顔は通っていると思っていたが、ゲヘナの外では相手にすらされない。なぜだか無性に悔しく思えた。どうやらイサミが思うより、節穴というのは多いらしい。

 

 アカネは周りの建物へ手を振った。「この辺りはトリニティ生向けの学生寮です。といっても居住しているのは、主に正義実現委員会の人たちですけどね。夜間の非常時にも出動できるよう、構内に居住区があるんですよ」

 

「こりゃ恐ろしいね」ムツキは冗談めかした。「夜中に小屋の中の番犬たちを起こさないよう注意しなきゃ」

 

「駄目ですよ、ムツキさん。トリニティ第一ヶ条、正義実現委員会には敬意を払うこと。あの人たちはトリニティ防衛のかなめです。黒い指定セーラー服には礼儀正しくすること。わかりましたか?」

 

「はーい、先生」

 

「それから、私の生徒であるうちは、そのゲヘナ風の皮肉や冗談も口にしないこと。大事な任務中なんですからね」

 

「はいはい」ムツキは諦めたようにいった。

 

 碁盤の目のような居住区は、それ以上は別に面白いものもなかった。いずれにせよスペルに謁見できるまで暇があるし、アカネはせっかくトリニティへ足を運んだなら、大聖堂を見ていくべきだとさかんに強調した。

 

 宗教施設と聞いて、アルは心のなかで身構えた。「勧誘なら丁重にお断りするわ。神様をあてにするのは、ひどい腹痛に悩まされた時だけと決めてるのよ」

 

 アカネは笑った。「アルさん、ゲヘナの人たちがいつでも信仰心というやつを恐れたり、見下してしまうのが残念でなりませんよ。それにシスターフッドは無理な勧誘なんてしません。これから見に行くトリニティ大聖堂は、いわば世界遺産や天然記念物のようなものですよ」

 

「あら、それは見ものね!」

 

 背の高い大聖堂の偉容は、遠くからでも目に入った。入口は建物西側である。白い大理石と水色の石材が積み上げられ、天にそびえる巨人のようにそそり立つ二つの尖塔を見上げる。天に近づくため高く、光を取り入れるため明るく、という文句をそっくり体現しているといっても過言ではない。外壁のフライング・バットレスや正面のポインテッド・アーチといった装飾は、どれも天へ向けられた矢のように伸びている。

 

 身廊へ向かう空間には、石造りの円柱が垂直に林立している。天井はリブ・ウォールト様式で支えられている。しゃれた立派なアーチとモザイク壁画を観覧しながら、四人はアカネの熱心な説明を受けた。ステンドグラスの光で七色に染まる廊下を、身廊と側廊をジグザグに行き来して、細かい装飾を眺めたりもした。アカネの話によると、天井のモザイクに描かれた行列の絵は、典礼具を捧げ持った聖職者たちが祭壇へ向かう様子らしい。なるほど確かに行列らが向かう奥の突き当りは、アプシスという半円型の祭壇になっていた。平日はミサや礼拝などは休みらしいが、熱心な数人の生徒が祈りを捧げている。五人は並べられた長椅子の後ろに立って、その様子を遠巻きに眺めていた。

 

 アカネがひそひそといった。「あの人たちの動作を見ましたか?太陽の女神様たちに祈りを捧げていたんです。祭壇は信者の方が使う場所なので、私たちはここからお祈りしていきましょう」

 

 アカネは両手を顔の前で軽く握り、目をつむった。アルは祈るように頭を少し垂れて、直立したまま黙祷を捧げた。十秒ほどそのままで、アカネが姿勢を解くと、五人は無言のまま退散した。

 

「よくできました」アカネは満足そうだった。「周りの信者たちとも謙遜ない振る舞いでしたよ。シスターフッドの人たちも目もくれていませんでした。ところでどんなお祈りをしました?」

 

「何も祈れなかったわ。色々迷っているうちに、時間が来てしまったのよ」

 

「アルさん、女神様はそこを気に留めてくれますよ。これから先、もっと様々なことへ注意を向けられるよう助けてくれるでしょう」

 

 大聖堂から出たときには、日がずいぶん高く昇っていた。トリニティ・スクエアも制服の群れが多くなっている。カヨコがNASS侵入の現場を見てみたいといったので、聖堂外壁を回り込み、アスファルトで舗装された水路岸の沿道に入った。

 

 トリニティ本校舎のある人工島と自治区を隔てる水路は、一級河川にも迫るほど広大な流域を誇る。深さはおよそ十メートル。中型の船舶までなら、なんなく通行できてしまう。だからといって構内へ船で近づくのは自殺行為だ。沿道は戦車が定期的に巡回しているし、波も起伏もない水路は向こう岸まで簡単に見通せてしまう。何気なく背後を見上げると、水路に近い建物の屋上にサーチライトの姿があった。ますます侵入が不可能に思えてくる。成功したNASSの水中移動作戦は、おそらく最適解だろう。

 

 アカネが説明した。「実行犯であるチームⅠは水中装具一式を身に着けていました。地下水道から排水溝を塞ぐフェンスを切断し、あとは泳ぎで島へ接近したそうです」

 

 カヨコが疑問を呈した。「十人も一度に上陸すれば、巡回してる警備係の目にとまるんじゃないの」

 

「正実の証言では、NASSは黒いウェットスーツだったそうです。構内が明るく照らされていても、島の端まで光が届くわけじゃありません。闇に溶け込むのは容易だったでしょう。それに最新の調査だと、接近する巡航戦車の駆動音は水中でも充分聞き取れたようなので……」

 

「そこまで計算に入ってれば、たしかに出し抜けたか」

 

 遠く対岸の建物のシルエットが鏡のような水面に映る。アルは罠の仕掛けられた小瓶にまんまと飛び入った蠅のような心境だった。地政学的にも強固な防御。逃げ出そうにも水路が行く手を阻む。罠の口は固く閉ざされてしまったのだろうか?

 

 ムツキはこちらの憂慮を読み取ったらしい。隣に立って、事もなさげにいった。「ここでドンパチ始めるつもりは、さすがにないよ。ご覧の通り、安全圏ははるか向こうだからね」

 

 アルはアカネに聞こえないよう小声で尋ねた。「ムツキ、どうしてアカネがいるのに、わざわざ私たちに手を貸したのだと思う?」

 

「さあ?でもアカネちゃんはお茶とかモダン美術ってやつに少々凝りすぎてるよ。私たちのほうが自然に接触できると思ったんじゃない?」

 

 ムツキの考えには一理あった。銃器こそ持っているものの、彼女が戦闘で役に立つか怪しい。やはり便利屋の腕が必要なのだろうか。ただし戦闘ではなく、外交手腕の方になるが。

 

 アカネが不思議そうな顔をこちらへ向けてくる。ムツキはとりとめもないことをつぶやいた。「見てくれを綺麗に整えても、敵の襲来を警戒しての設計なのが見え見えだね」

 

「ゲヘナは少しも意図を隠そうとしないのが問題なんですよ。トリニティは心情を態度に出したりは決してしません。静かに動じず、不都合は微笑んで耐える。淑女たるものの振る舞いです」

 

「アカネちゃんは無理難題を押し付ける先生だよ」

 

「ムツキさん、あなたがゲヘナ出身なのを隠すには、郷に入りては郷に従うのがいいんです。さあ、そろそろパンクしてしまいそうな体を落ち着ける時間ですよ」

 

 構内の庭園は丸テーブルと椅子のセットがまばらに配置されている。芝を刈ったあとの青々とした香りが漂う。購買部のモダンなカフェで軽食を買うと、五人が座れるテーブルへ落ち着いた。

 

 アカネは皿やカトラリーを器用に並べた。「イレブンジズ──つまり昼食前の小休止にしましょう。ここで簡単な軽食を取ります。マナーも一緒にお教えします」

 

 アルは聞いた。「トリニティ生は一日に何回食事を取るの?」

 

「トリニティ生にとって空腹は大敵です。お腹がなるなんて、とてもはしたないことだと思われてるんです。それに食事の場でがっつくのも恥ずかしいことなので、こうして適度にお腹を満たしているんですよ。朝食、イレブンジズ、昼食、アフターヌーンティー、夕食、夕食後のティーという流れで、だいたい五、六回ほどです」

 

「胃袋の悩みは学園共通なのね」

 

「ゲヘナの人たちはお腹が鳴る音なんて気にしないのでは?」

 

「そうね。あなたたちよりかは、ずっと聞き慣れてるわ」

 

 よく焼いたトーストに蜂蜜と香りの良いマーマレードが並ぶ。アカネは紅茶に砂糖とコンデンスミルクのどちらを入れるか尋ねたが、アルは断固としてコーヒーを譲らなかった。

 

 パンは手に入れやすい安物だった。ただし蜂蜜とマーマレードは、どちらも香りがよく、アルも思わず褒める。アカネは自分が気に入ってる食文化への賛辞と、想定よりも出来の良いテーブルマナーに満足げだった。これならアフターヌーンのパーティに参加しても問題ないとのお墨付きもいただいた。

 

 主食があらかた片付くと、アルは遅まきながら任務の責任感から、トロント派の概要についてアカネへ尋ねた。彼女は紅茶を一口飲むと、静かに切り出した。

 

「そもそもトリニティの歴史のなかで、トロントと名の付く派閥は存在しませんでした」目をつむり、思い出にふけるように語る。「トリニティはささいな違いも含めれば、実に多様な思想が渦巻いていて、なかには良からぬ思想を持つ過激な人物もいます。ティーパーティに反抗したり、決して素行のよい人たちばかりじゃないんです。ティーパーティーにとって頭痛の種のようなものでしょう。そんなときイサミ様が目覚ましい功績をあげていました。もともと主要三派に属さない、一工作員に過ぎなかったイサミ様の伝説のような活躍はすぐに話題になり、慕って持ち上げる人たちが現れるようになったんです。固定化したティーパーティーに新風を吹き込んでくれると盛んにもてはやされました。本人は大して気にしてはなかったそうですけどね。ティーパーティーはそんなイサミ様に目を付けました。

 

 それまで名もなかった有象無象をトロントと一括りにして、叙勲と同時に派閥のトップに据えたんです。彼女を妄信する人々からすれば、期待が形となった瞬間だったでしょう。ですがほどなくイサミ様はトロントを抜け、同時に情報部も辞職しました。その後を継いだのが、彼女の直属の後輩にあたる七宮スペル様です。やはり情報部の出ですが、彼女自身は現場へ出張っていたわけではなく、後方支援が主な仕事だったようです。いちおう反逆者の炙り出しに貢献していますが、イサミ様の手柄を横流ししてもらっただけとの噂もあります。なんにせよ噂の範疇ですけどね。イサミ様と同時期に身を引いてからは、トロント派の頭領になって政治をしています。象徴だったイサミ様が抜けてから、最盛期よりは組織も弱化しつつありますが、それでも他と一線を画す大グループであるのは変わりません。主要三派にも引けをとらない。近々ティーパーティの第四席が設置されるとの噂もあります。ですが私にいわせれば、当分はないでしょうね」

 

「どうしてそういえるの?」

 

「トリニティが歴史と伝統を重んじる校風なのはご存知でしょう?トロントに唯一足りないのは、歴史的正統性です。それがない限り、トリニティの保守層はトロントのティーパーティ入りを拒み続けるでしょうからね」

 

「アフターヌーンパーティーを催すのは、対外的なイメージアップってところかしら」

 

「その認識で間違いないでしょう。雑多な思想の集団で、しかも情報部上がりの軍人が治めるトロントは、余所からみれば危険な集団です。団体としての活動権を認めてもらうには、ティーパーティーなど他派閥との外交を重視せざるを得ません。なんとかティーパーティー入りを認めてもらおうと、こうした会食をおこなってるんですよ。維持費も他の派閥よりずっと納めていますし、保持する装備は校舎防衛に貸し出しています。ティーパーティーからすれば都合のいいグループです」

 

「トロントの宿願はよくわかった」カヨコはソーサーへカップを置いた。「問題はイサミの叙勲のあたりかな」

 

「どういうこと?」アルはきいた。

 

「現役の情報部員に異例の叙勲。名誉をくれて現役から退かせる。与えられたポストも蓋を開ければ、厄介者たちの世話役を押し付けられたようなもの。栄転どころか左遷だよ。昇進だなんて飛びつくはずがない」

 

 アルにも飲み込めた。引退前のイサミには多くの噂が付きまとっていた。ティーパーティー転覆を画策しているという、根も葉もない情報まで流布されている。もしティーパーティーの耳に入れば、首脳陣は心穏やかでいられるはずがない。ただちに自分たちから遠ざけようとするはずだ。

 

「……まさか」アカネの表情が曇り出した。

 

「何か知ってるの?」

 

「エデン条約調印式を間近に控えていた時期のことです。ティーパーティーのホスト、桐藤ナギサ様は極秘裏にトリニティの内定調査をおこなっていました。条約締結を失敗させんとする裏切者を炙り出そうとしたんです。ゲヘナの万魔殿は裏切者の正体を知っていましたが、わざと泳がせていました。イサミ様の叙勲と続く辞職は、ちょうどこの頃です」

 

 体内に不快な電流のようなものが流れた。アルは思考を口にした。「ティーパーティーの意向一つで、イサミは追いやられたというの」

 

「トリニティ構内では、ティーパーティーの発言は絶対的なものですから……」

 

 埠頭でのイサミの話を思い返す。ティーパーティーはイサミを追い払った。彼女自身は内心どう考えていたのだろう。仕事に忠実な性格だった。しかし言葉の節々には、ときおり自棄の色がのぞいていた。強制ともいえる転向に納得していなかったのではないか。多大な貢献をしたにも関わらず、ゴミを掃き捨てるような扱いをされれば、上層部へ恨みの一つも覚えるはずだ。

 

 恨みですって?アルの中にひっかかるものがあった。シュウの学籍改竄をしたあと、イサミは調印式襲撃について何の報告もしていない。新たな疑惑が、急激に確信へ変わりつつある。

 

「社長」カヨコがいった。「NASS隊員を用意したのは万魔殿かもしれないけど、奴らの兵装──アリウス制式銃を入手する術は一般人にはない。もともと厳しかった流通制限が、NASSの登場でさらに絞めつけられてるからね。バットの話が事実だとして、シュウは昔のアリウス生とのパイプがある。もし武器がそこから流れ出てるとしたら?指示役を果たしているのは……」

 

 アルは唸った。「氷野イサミよ。NASSがエデン条約事件の再現をするのも、内情に精通したイサミ流の報復と考えられるもの。トリニティを貶めて、ゲヘナに利する作戦。動機が当てはまるやつなんて、彼女しかいないわ」

 

 テーブルに沈黙が降りた。厄介な問題だが、否定しきれない。対策班メンバーへの疑惑が、次々と明らかになっていく。初めにラム。次にバット、シュウ。ついにはイサミまでもが関与を疑われ、敵味方の区別がつかなくなりつつある。

 

 トリニティとゲヘナは現時点で、軍事的な協力関係にはない。だからこそNASS対策班は多校間同盟の象徴として、エデン条約に次ぐ協力体制の第一歩となるはずだった。だが実体は、そんな願いとは正反対の顔を見せつつある。学園の垣根を超えた軍事同盟が、最悪の形へと変貌していく。

 

 ムツキが肩をすくめた。「まさに祭りだね。パーティーに出席する前の話題には持ってこいだよ」

 

 アカネはひやひやした調子でいった。「繰り返しますけど、くれぐれもパーティーの席で問題を起こさないでくださいよ」

 

 アルは口元を歪めてみせた。「心配ないわ。うまくやるわよ」

 

「……なにか悪いことでも考えてませんね?」

 

「今のところは」アルは残ったコーヒーを一息で飲み干すと、淑やかさのなかにアウトローの片鱗を見せた。「イサミ直属の後輩だった七宮スペルと話せるのよ?このさい一切合切を暴き出してやるわ」

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