便利屋68 黄金将軍   作:まーろう

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18 顔をつきあわせて

 アフターヌーンティーはトリニティで最も素晴らしい文化の一つとされている。ゲヘナ流にいうならおやつの時間だが、トリニティ生にはそれ以上の意味がある。腹がなるのは淑女にあってはならないことであり、生理現象を収めるために間食を取ったのが始まりとされる。紅茶と茶菓子を囲み、他愛のない歓談を優雅に楽しむひと時。それはいつしか情報交換などを兼ねた社交の場としての機能も含むようになった。

 

 石造りの階段を登った先には、アルの想像通りの光景があった。開放感のある荘園を見下ろせるよう設計されたベランダで、白い制服たちが小鳥のようにおしゃべりをし合っている。しかし人数が多いためか、椅子に座っているのはごく僅かだった。他の面々は立ちながら、話に興じている。マナー厳守の堅苦しい会ではないのだろう。

 

 テーブルには絵に描いたような食卓がある。しゃれた装飾の入ったティーポット、曲線の多い薄い白のカップ、テーブル中央には三段重ねになった木製のケーキスタンドに茶菓子たちが並ぶ。サンドイッチ、スコーン、ケーキという定番の面々が揃っていた。

 

 アルたちは、ここまで既に二回も食事を済ませていたが、トリニティの食文化が好きになりつつあった。たしかに胃袋のことには、すごく気を遣ってくれる。空腹に悩まされない幸せというやつは、知りすぎるくらい知っている。

 

 防波堤を兼ねる堀のような用水路も、緑の荘園の背景となれば、さながら湖面のようだった。午後の日差しを受ける葉が、微風にそよぐ。刈りたての野草、薔薇とラベンダー、それから名も知らない数種類のハーブが混ざりあった、古い時代を感じさせる香り。アルはなんとなく、幼少の頃にも嗅いだような香りだと思った。

 

 隣でムツキがささやいた。「あの子かな。スペルちゃんって子は」

 

 階級が高い人物は一目でわかる。着席しているのは、身なりの良い代表格だけのようだ。いずれも椅子に腰を落ち着けて、とてもくつろいでいる。その中に一人だけ、明らかに態度の異なる人物がいた。終始周りの顔色をうかがい、何かにつけてぺこぺことお辞儀をしている。椅子に座っているものの、周りの人物たちと同じ立場には見えない。

 

 ミルクティー色の髪をした少女。彼女がトロント派の現トップ、七宮スペルに違いない。小さな白いベレー帽に細い赤いリボンをつけて、首から十字架のついたペンダントを下げている。腰からは羽毛の生えた控えめな翼が伸びている。体が名を表すとは、このことだろう。きょろきょろと落ち着きなく周囲を見回したり、お辞儀とうなずきの混ざったような挨拶を繰り返す態度は、肩書きに完全に負けていた。

 

 事実は早く浮き彫りにするに限る。アルがまっすぐ彼女のテーブルへ向かおうとすると、アカネが小声で呼び止めた。「待ってください。あのお方へ、ご挨拶をするのが先です」

 

 手で示した先には、他とは一線を画す雰囲気をまとう存在が二つあった。一つはスペルの隣に座っている、黒いセーラー服の有翼生徒。漆黒の長髪に赤い瞳、左目の目尻には泣きぼくろがある。胸元がはちきれそうなほどの豊満な体形だ。制服も特別にあつらえたように見える。肉体的な成長が著しい生徒は、それだけで戦闘では有利になる。正義実現委員会、それも委員長クラスの人物に違いない。

 

 もう一人の存在は、この場の誰よりも大きく権威があるように感じられた。スペルの対面に座って、同じく純白の翼が肩甲骨辺りから生えている。熱心に話す彼女と対照的に、ただ目の前の菓子にしか興味がなさそうだ。ホワイトベージュの頭髪、編んだ髪に白い花飾りをつけている。黄色い瞳に端麗な顔立ちは、見る者の関心を引き付ける魅力を放っている。金のラインの入った制服、そして何よりティーカップの描かれたバッジ。トリニティにおける最高機関、ティーパーティーの象徴だ。

 

 アルも彼女を見たことがあった。エデン条約調印式が執り行われた日、テレビが盛んに彼女の姿を映していたからだ。会場となった大聖堂では、多数の生徒たちを率いていた。トリニティの顔として遜色ない振る舞いは、中継が途切れるまで決して乱れがなかった。

 

 アカネがテーブルへ歩み寄った。「ナギサ様、ハスミ様。ご挨拶させていただけますか?」

 

 二人が振り向いた。ナギサ様と呼ばれた人物の視線が、茶菓子からこちらへと向く。「ごきげんよう。あなたは……」

 

 アカネは微笑を浮かべた。「トリニティ自警団の二年生、里村アカネです。お二人のお姿が見えたので、ぜひご挨拶をと」

 

「ああ、自警団の方ですか。いつもご苦労様です」短いが、心からねぎらう言葉だった。柔らかな顔つきのまま、視線をこちらへ向ける。しかし黄色い瞳には、こちらを品定めするような色があった。「お連れの方々も自警団のお仲間でしょうか?」

 

 アルは落ち着いた口調で応じた。「ええ、同じく自警団二年生の氷王アルです。お見知りおきを」

 

 ハスミが口を開いた。「見かけない顔ですが、新しい入団者ですか?」

 

「そんなところです。物騒な世の中ですから」

 

「担当は何です?遅刻者対応か、喧嘩の調停でしょうか」

 

「ネオアリウスです」

 

 着席する三人とも、すぐに返事はなかった。ナギサとハスミはわずかに表情を変えたが、内心は表出させなかった。テーブルで向き合うスペルの表情だけが凍りついていた。

 

「……お名前だけでなく、お仕事まであの人に似ているとは。これは不思議な縁ですね」沈黙を破ったナギサは向かいの席に目を向けた。「ちょうどイサミさんと関わりの深い方とお話していたんです。こちらはトロント派の代表、七宮スペルさん」

 

 名を呼ばれた少女は慌てて腰を浮かせ、テーブルを回って歩み寄る。「お近づきになれて光栄ですね、アルさん」手を差し伸べた。

 

 かっちりした握手を交わすと、ハスミが何やらナギサへ耳打ちした。ナギサはただ「わかりました、そろそろ……」

 

 カップに残った茶を飲み干すと、ナギサは立ち上がった。「校務がありますので、私はこれにて失礼します。楽しい時間をありがとうございました」それからもう一度、アルへ品定めするような視線を向けた。「あなたのご担当については、スペルさんが詳しいですよ。NASS対策班も彼女の発案です。お話なさってみると良いかもしれません。失礼」

 

 ナギサとハスミはベランダを横切っていった。スペルが唖然とした顔でナギサの背中を見送る。アルの背後では、ハルカが不安そうな表情を浮かべていた。カヨコもため息をついていたが、あの場で割って入れるはずもない。

 

 アルはなんら気にする様子もなく、ナギサが座っていた席へ腰かける。スペルが面食らったような顔になった。用があるのは彼女であって、ナギサやハスミではない。それに二人とも、スペルの話に興味などなさそうに見えた。話を切り上げたいというサインに鈍感な相手に、心底うんざりしていた頃合いだろう。今の場面は大胆に踏み込むだけの価値があった。厄介なやつを上手くあしらえた、そう思ってるだろうが、こちらの望み通りの展開だ。

 

 ムツキは近くのテーブルに陣取り、房のままのブドウを一粒もぎとった。激励するような笑みで紫色の粒をかかげると、口へ放り込む。アカネはムツキの近くで、不満の顔を向けていた。いいつけを速攻で破ったことに困惑しているのだろう。アルはささやかな反抗というやつをやってみたかったのだ。うんざりするほどのトリニティ式洗脳は、もうたくさんだ。アルの頭には自信と、ようやく本題にかかれるという高揚感しかなかった。

 

 アルはスペルを見上げた。「よろしくスペルさん。トロント派のトップとお話ができるなんて嬉しいわ」

 

 スペルは敵愾心がこもった目つきで見返してきた。だがあいにくパーティーの席で声を荒げたりできるはずもない。そんな真似は淑女として言語道断のはずだ。じっと見つめながら、自分の席へと座り直す。図々しさに抗議する眼差しを視界の端に捉えながら、通りかかった給仕を呼び止め、紅茶の代わりにコーヒーを注文した。ハルカを連れたカヨコが呆れ半分の微笑を向けていた。

 

「アルさん」スペルはもう友好的な声色ではなかった。「いったい何のつもりですか」

 

「話した通りよ。私たちはNASSへ対抗すべく、このところ毎日走り回ってるの。イサミさんのお知り合いなら、事態解決の糸口も見えてると思ったのよ」

 

「どういう立派な業績をあげるつもりか知りませんが、会ったばかりの詮索好きにお話しすることはありません」

 

「詮索好きというのは半分当たってるわ」アルはふっと笑った。「こういう仕事は、あなたは嫌いかもしれないわね。秘密をいっぱい抱え込んでいるなら尚更」

 

「わかっているなら結構です。さて、もしあなたが席から立ち上がってどこかへ歩いていってくれさえすれば、今日のアフタヌーンティーはお開きで、私もゆうゆうと帰り支度ができるのですけど」

 

 コーヒーが来ると、二人は口をつぐんだ。給仕係をつかまえると、アルはいった。「お代わりを二つ、スペルさんの分も十分以内に持ってきてちょうだい」テーブルの側から追いやった。「ねえ、そう焦らないでちょうだい。あなたも私もNASSに歯止めをかけたいのは一緒よ」

 

「では言い方を変えましょう。NASSは我々だけで対処するので、邪魔しないでください」

 

「キヴォトス全体の問題よ。あなたたちだけじゃ手に余る」

 

「イサミ様も動いておられます。トリニティ生であれば、この意味がわかるでしょう?手出しは不要です」

 

「対策班にイサミさんが招集されたのも、トロント派からの推薦があったからかしら?」

 

「当たり前でしょう。この事態を解決するのは、あの方こそ相応しいのですから」

 

 そういう魂胆もあるのね、とアルは肚の中でつぶやいた。NASS問題が長引くほど、トリニティやアリウスの権威失墜につながる。イサミが対策班を主導して、颯爽とNASS問題を解決してみせれば汚名返上。どちらへ転んでも、彼女だけは甘い蜜を吸える。現にお膳立てを整えたのは──整えさせられたのかも知らないが──影響力が残っている古巣のトロントだ。

 

 アルは尋ねた。「さっきナギサさんと話していたのも、NASS問題に協力してもらうためじゃないの?」

 

 スペルは首を横に振った。「いま他所へ協力を要請すれば、トロントは力のない団体だと評されてしまいます。あの方の残したものを駄目にしないためにも、私がなんとかしないと」

 

「あなたの動機はトロントのためだけなの?」

 

「そうです!」

 

「だからずっと秘密主義なのね。自分たちの周りを探らせないよう、誰も近づけようとしない」

 

 スペルは言葉に詰まった。「どういうことですか」

 

「あなたの関心は自分とトロントの階級だけよ。そうでしょう?もっともトリニティはたいがい、格付けに熱心みたいだけど」

 

「誰でも立場は大切でしょう」

 

「いい、スペルさん?イサミさんは仕事一筋で、NASS問題に熱心に取り組むよう振舞ってるわ。エデン条約事件で疑いをかけられ、失脚させられたのは分かっているのよ。あなたたちは彼女の名誉を回復させようとしている。そのために対応を独占している……違うかしら」

 

「何を言ってるのかさっぱり」

 

「スペル、つまらない演技はやめなさい。私はすでに知っているわ。あなたのイサミがNASSに一枚噛んでいることくらいは」

 

 スペルが目を見開いた。アルの話すことが信じられないというように、驚き、怖がっている。その様子が全てを物語っていた。

 

 アルは追及を緩めなかった。「トリニティの対応が芳しくないわけがわかったわ。あなたは手柄を取られないように情報を独占している。イサミだけが有利になるようにするためよ。そのなかにはマダム二世の情報も当然あるでしょうね」

 

「わたしは……」

 

「マダム二世の正体を知っている」

 

 スペルは荒々しく頭を振った。「そんなの知りません。とにかく、私は何も知らないんです」ひどい怯えようだった。誰かに話が聞かれてないか、辺りをしきりに見回している。

 

 このまま追及しても否定を繰り返すだけだ。アルは別角度から攻めることにした。「なら次の質問よ。二ヶ月前に捜査中止を命じた事件、襲撃された二台のワゴン車はトロントのものだったそうね。学校間の物資のやり取りには、品名と総量を自己申告する義務があるわ」

 

 スペルは歯をくいしばった。「あなたは何者ですか。いったい何を嗅ぎまわってるんです」

 

「残らず回収されたはずのコレクションが、申告した総重量と合わなかったそうよ。美術品に偽装して、ほかに何を運んでいたのかしら?」

 

「やめてください!」スペルは小声で非難した。「大きな声でいわないで。ようやくほとぼりが冷めてきたんです」

 

「忘れられては困るわ。襲撃の実行犯がNASSで活動していた。知っていることを洗いざらい話してもらおうかしら」

 

 スペルは恐怖に震えていた。単なる身分の危機に怯えてるのではない。ナイフを喉元に突き付けられているような、命の危険に瀕したような様子だ。唇を小刻みに揺らし、ようやく声を絞り出す。「……いまは話せません」

 

「どうして?」

 

「ここが茶会の席だからです!誰が聞いてるかわかりません。お開きにして、それから誰もいない場所まで移動しないと」

 

「あなたが私たちのことを言いふらさないという約束ができるかしら」

 

「側で見張ってくれて構いませんから」スペルは両拳を固く握り、深々と頭を垂れた。「後生ですから、どうかこの場は収めてください。お願いです……」

 

 悲痛な叫びだった。アルはやれやれと思うほかなかった。ティーパーティー第四席を期待される派閥の現トップがどんな怪物かと思えば、イサミとはまるで大違いだ。彼女自身、イサミの功績で仕立てられた傀儡では、隠し持つ情報も期待できるかどうか怪しい。なによりイサミが、こんなやつに重要な機密を任せる理由などない。

 

 アルはゆっくりとカップを持ち上げると、黒く映る顔を見つめ、考え込む仕草をみせた。大きく一口でほぼ飲み干した。カジノで味わった本物とは違う、水出しの安っぽい一杯だ。スペルを見つめ、あらんばかりの圧を声に込めていった。「あなたの本性を吹聴しない口止め料としては、妥当な出来の一杯だわ。私の仲間たちはすぐそこにいる。妙な動きをみせれば、今まで積み上げてきたキャリアが崩壊する。肝に銘じておくことね」

 

 アルはカップをソーサーへ戻すと、帽子を押さえて立ち上がった。席から離れるあいだ、スペルは一言も発さず縮こまったままだった。

 

 これだけ釘を刺しておけば問題ないだろう。不審な挙動を見せて、身を危険に晒すのは彼女のほうだ。なりふり構わず喚かれる可能性も捨て切れないが、体面を気にしてばかりのこういう女に限れば心配ない。

 

 近くに立っていたムツキとアカネへ歩み寄る。声をひそめアカネが抗議した。「せめて態度だけでも繕ってください。ティーパーティーを追い払うなんて、不敬もいいところです」

 

「トリニティ生ならそうでしょうね。あいにくゲヘナの人間に通用するルールじゃないの」果実が半分以下に減ったブドウをつまむと、テーブルへ背を向ける。スペルは横目でこちらを伺いながら、いそいそと立ち上がった。

 

 ムツキは愉快そうな表情だった。「なんの話をしてたの?」

 

「過去の話よ。茶会が終わり次第、真相を語ってくれるという約束を取り付けたわ。彼女から目を離さないで」

 

 アカネは顔をしかめた。「いったいどんな手を使ったんですか」

 

「私は便利屋68の社長よ?交渉なんてお手の物よ」

 

 テーブルからスペルが離れると、身なりの良い制服が数人ほど近づく。出席していた他派閥のリーダーらしい。スペルは深々と頭を下げ、客の背中を見送った。それが済むと、コーヒーを淹れてきた給仕に片づけを命じる。わざとらしく声を張り、たびたびこちらの様子を気にしていた。

 

 別のテーブルから、カヨコが目で問いかけてきた。アルは頷いて、スペルの方へ顎をしゃくった。意図を汲み取ると、カヨコはハルカを連れて、スペルとの距離をつめた。

 

 会場が片付けられていくのを見守りながら、アルはなんとなくスペルの身振りを観察していた。きつく脅しすぎたかしら?こちらを気にする様子はたびたびあるが、別の何かを絶えず警戒しているようにもみえる。周りのトリニティ生かと思ったが、視線の先は建物の影や屋上など、尾行が身を隠すにはうってつけの場所ばかりだ。派閥のトップは常に狙われる立場だし、警戒を怠らないのが常なのだろう。

 

 下級生たちが召使のようにぱたぱたと動き回るのを尻目に、スペルはこちらへ歩み寄ってきた。目線を足元へ落とし、いかにも申し訳なさそうに小声で訴えた。「どうしても処理しないといけない公務があるんです。その、そちらを先に済ませてからでも……」

 

 カヨコとハルカが彼女を挟むように歩み寄る。アルが厳しい目を向けると、慌てて気遣いをしめした。「目の届くところでやります。お時間は取らせないように終わらせますから」

 

 アルはげんなりしたが、ここまで腰を低くされては、突っぱねるにも良心が痛む。悟られないようぶっきらぼうに許可すると、スペルが執務をおこなう学生寮の一つへ向かった。

 

 典型的な集合住宅の外見は、トリニティでも大して変わらなかった。一回り小さいエグゼクティブデスクがある部屋へ通されると、そこで日がとっぷり落ちるまで待たされるはめになった。スペルは仕事の処理も遅く、さらに監視の目があるためか終始おぼつかない手際だった。見かねたアルが手を貸してやらなければ、真夜中までかかっていただろう。

 

 目先の仕事を終えたスペルは、初めこそ緊張で固くなっていたが、いまは別のことに没頭したおかげで気が紛れたようだった。デスクから重い腰を上げ、うんと伸びをしてから、重大な予約のことを思い出したらしい。「お待たせしました。ここは人の出入りがあるので、また場所を移しても構いませんか」

 

 カヨコが苦言を呈そうとしたが、アルは片手で制した。もう話さえ聞ければ、場所なんてどうでもよかった。どうせトリニティ構内にいる限り、スペルも派閥の手下に襲わせるなどできまい。仮に何かを企んでいようと、全員で迎え撃てばいいだけのことだ。

 

 寮の外は思いのほか明るかった。整備された区画では街灯がともり、周囲をあたたかく照らしている。しかし向こうの古書館や中央図書館、水路や沿道は闇に染まっている。実際に見て、十人ものNASS隊員が影に隠れるのに支障がなかったのがわかる。

 

 夜の構内を歩くあいだ、警戒に当たる正実や巡航戦車の姿がたびたび目に入った。アカネの話では、最初の襲撃があってから警戒が一層厳しくなったらしい。トリニティ構内は軍事施設さながらだった。こんなところにずっといれば、日に日に危険度は増していく。スペルの口を割ったら、速やかに撤収すべきだ。

 

 人気のないところへ誘われる前に、回収するべきものがある。アルたちは彼女を連れて、強引に宿舎の裏手へと回った。そこは正実の武器庫で、搬入された弾薬の入った箱などが山積みになっている。送り状を懐中電灯で照らすと、受取人にヒョウオウ・アルと書かれたひときわ大きな段ボール箱があった。ひざまづいて開梱すると、緩衝材に収まって愛用の狙撃銃が横たわっていた。

 

 ムツキやカヨコ、ハルカの武器も、それぞれの偽名宛てで配送されていた。武器を取り戻すと、なんだか構内にひしめく警備たちも、いくらか怖くなくなったように感じる。ぽかんとしながら見守っていたスペルへ向き直ると「もうすぐ着きます」彼女はそれだけ口にした。

 

 狭い室内では聞き耳があるかもしれないが、外では警備が厳しい。ただし体育館の広い室内なら人目に触れず警戒もしやすい、スペルはイサミからの受け売りのようなことを話した。たしかに体育館は使用されておらず、外の警備もほとんどいない。鉄製の扉は鍵が開いたままだった。内部は消灯している。盗み聞きの心配はなさそうだ。

 

 足を踏み入れると、靴音が大きく響いた。高い天井に広々とした空間だった。狭い空中通路が二階内壁をはしり、正面には幕の閉じたステージがある。床は何色ものテープが巡り、バスケやバレーのコートを描く。

 

 鉄棒の張り巡らされた窓から、月明かりが縞模様に差し込んでいた。前を歩いていたスペルは館内中心で立ち止まると、こちらへゆっくりと振り向いた。緊張に晒され続けた割に、いまの彼女は冷静そのものだ。「お待たせしました。ここなら大丈夫です」

 

 カヨコやハルカが油断なく、後方へ目を走らせる。銃器を携えたまま、ムツキとアカネも異常がないことを確認した。二階の観客席、空中通路、正面のステージなど、いずれも闇に覆われてひっそりとしている。

 

 スペルは自身の無害さを見せつけるように、下げていた両手を広げた。「私は何も持っていませんよ。銃を降ろしてください」

 

 狙いは一体何なのだろう。茶会で同席してから、不審な動きなど少しもなかった。部下を待機させておくのは不可能だ。巡回する警備員に発見されるのを期待しているのだろうか。そんな狙いならアカネが勘づくはずだ。

 

 極秘情報に通じている自警団員を怪しく思わないのだろうか。少なくとも普通のトリニティ生でないのは気づいているはずだ。目的は不明だが、話を聞きだすには武器を収めるしかない。

 

 アルは狙撃銃を横向けで持ち、ゆっくりと歩み寄った。「それじゃ茶会での話の続きといきましょうか」

 

「もちろんです。何からお話しましょうか」

 

「テーマはNASSについて、あなたが知っている全てよ」

 

「例えばマダム二世の正体、とかでしょうか」

 

「ぜひ聞かせてほしいわ。本当に知っているなら」アルはムツキたちから数歩離れた。

 

 その刹那、二階後方の観客席から雄叫びが上がり、人影がいくらも飛び出してきた。手すりを難なく跳躍し、油断のない重武装で身を固め、黒々としたアサルトライフルの銃口を宙で向けてくる。

 

 アルは瞬時に横へ飛び出し、射線から外れた。銃声が騒々しく反響すると、先ほどまで立っていた木製の床にぶすぶすと穴が開く。かろうじて奇襲から逃れたが、長大な狙撃銃を持ったままの転倒では、すぐに身動きは取れない。床へ倒れる直前で、狙撃銃を縦に抱えて床へ転がった。ベレー帽が脱げると、スペルがあっと大口を開けた。

 

 カヨコとハルカが真っ先に反撃に出た。拳銃と散弾銃が同時に唸り、バランスを崩した敵兵二人が床へ激しく打ちつけられる。それ以外の敵兵は足から着地を成功させ、水平に構えたアサルトライフルから連続して銃火をひらめかせた。割れんばかりの掃射音がいくつも重なる。これでは警備を呼び寄せるも同然だ。

 

 ムツキとアカネも撃ち返した。銃撃を受けて倒れ込む敵兵が、繰り返す明滅に照らし出される。そのなかでもガスマスクを被った顔が判別できた。片膝立ちになったアルは視界の端で、修羅場からひとり離脱したスペルの後ろ姿を捉えた。館内側面の扉へと逃走していく。

 

 疑いは揺るぎないものとなった。NASSの襲撃に驚いたようすもなく、すぐさま逃げに転じたのが証左だ。だがここで奴を取り逃せば、真実は再び闇の中へ消え去るどころか、たちまち命の危険に晒される。

 

 アルはスナイパーライフルを目線で構えて、スペルの頭部を銃撃した。扉へ手をかけたところだったが、あいにく鍵がかかっていたらしい。一撃で仕留めた。横っ飛びになったスペルが、床にもんどりうって倒れる。側頭部を押さえ、苦痛でのたうちまわっていた。

 

 アルはスペルに駆け寄ると、よれた制服の肩を掴んで引き立たせた。言葉にならない呻きをあげているが、今となってはまったく可哀想などと思わない。先に奇襲を仕掛けたのだから自業自得だ。

 

 ステージ前まで連れて行くと、アルは制服を手放した。スペルはステージとの段差に背を預け、力なく床へへたり込んだ。数歩距離を置き、アルは至近距離からスナイパーライフルを顔面へ向けた。大口径の銃口を目の当たりにすると、スペルは恐れおののいた態度をしめした。撃たないでとしきりに訴えている。

 

 アルは凄みのある声を響かせた。「自分から襲わせておいて、虫のいい話ね」

 

「ち、違います」スペルは戦々恐々としながら弁明した。「あの人たちは私の味方でもないんです。むしろ逆で、私を監視するためにずっと張り付いていたんですよ」

 

「つまらない嘘ね。次は本当のことをいいなさい」

 

「本当なんです。信じてください」

 

「わざわざ体育館まで呼び寄せたのは?夜になるまで時間を稼いだのも、NASSが自在に動けるタイミングを作るためでしょう」

 

「それは……」

 

 いつの間にか銃声は止み、ムツキたちが駆け寄ってきた。ハルカはスペルにも襲い掛かりそうだったが、カヨコが何とか背後から捕まえていた。

 

 ムツキは涼しい顔で報告した。「全員戦闘不能だよ、アルちゃん」

 

「みんな、よくやったわ。後はこいつから全てを聞き出すだけよ」アルは冷ややかな目つきで見下ろした。「なぜ私たちを襲ってきたのかしら」

 

 スペルは縮こまりながら応えた。「あなたたちが私から情報を得ようとしたからに決まってるじゃないですか!あいつらは私が口を滑らせないように監視していたんです。誰かが私から情報を聞き出そうとしたら、夜になるまで待って、ここに連れてきて始末することになってるんです。場合によっては、私の生死も問わないと」

 

「そう、ならやっぱりマダム二世のことを知っているのね」

 

 スペルは俯きがちになり、口をつぐんだ。この上なく情けない有様に、カヨコが軽蔑するような視線を送る。気持ちは分からんでもない。このような手合いに会うたび、アルも不快な気分にさせられてきた。何よりも自分が大切な連中は、都合が悪くなると決まって同じことをする。

 

 周囲を警戒していたアカネが提言した。「早く情報を聞きだしてください。いつ警備が押し寄せるか分かりません」

 

 カヨコも同意をしめした。「クラビスもスペルを狙ってるはず。一刻も早く吐かせないと……」

 

 後方の正面扉が勢いよく開け放たれ、話は遮られた。アルは即座に身を捻り、新たな人影を狙撃銃で狙いすました。早くも増援が来たか。それとも正義実現委員会か。油断なく目線を敵影へと走らせる。ムツキやカヨコたちも同時に振り向いた。

 

 人影は一つだけだった。やはりアリウス製のアサルトライフルを構えて、向こうもこちらを狙っていた。だが銃声はなかった。アルの指はトリガーにかかっていたものの引いてはいない。やはり向こうも同様だった。

 

 ずっと暗がりにいたおかげで、距離が開いていようと相手の姿は目視できた。アルは思わず息を呑んだ。「あなたは──」

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