便利屋68 黄金将軍   作:まーろう

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19 のっぴきならない事態

 月がまばゆい夜空の下、南波クラビスはトリニティ大聖堂の屋根に立っていた。

 

 二本の角錐型尖塔のあいだから、夜のトリニティ学園構内をくまなく眺められる。やはり多くの正義実現委員会が、夜でも警戒に当たっている。自警団はいないらしい。眼下には噴水広場が広がり、奥には立派なアーチ門の中央図書館が鎮座していた。左脇へ目をやれば、暗黒の区画に古書館が見えている。警備の脆弱さは明らかだ。反省を生かしてか、暗がりのなかで黒いセーラー服がうごめいている。

 

 クラビスは立っている建造物へ目をやった。火と灰に染まったあの日、この古聖堂に巡航ミサイルの狙いをつけた。ミサイルは大空を飛翔して、寸分の狂いもなく尖頭アーチ型の聖堂に着弾した。すさまじい激震は、クラビスがいた地点まで届いた。西方の彼方に爆発の火柱が上がっているのを見た。アナウンサーがライブ映像で、しきりに惨状を報じていたのを覚えている。そう昔のことではなかったはずが、聖堂は修復をほぼ終えている。学園を象徴する建造物なだけに、復旧を急いだのだろう。

 

 遠くにはビル群の夜景が望める。キヴォトス中心部の繁栄ぶりには、毎度ながら目を見張るものがある。アリウス自治区にはないきらめき。嫉妬心と憎悪を刺激されたのを覚えている。同胞たちと身を寄せ合って、明日の命を願いながら夜を越していた。トリニティは平和ぼけた日々を浪費しているのに、自分たちはいつまでも駒のような扱いか。激しい憤りが湧いた。気づけば本当にゲームの駒として、マダムの指示に従ってテロ行為を働いていた。

 

 油断なく敷地全体へ目を通す。客船で荷物に紛れて下船してから、電送で新たな指示を受けた。それから数日間、クラビスはトリニティ総合学園内に潜伏していた。公には気づかれてないが、NASSの小隊程度の人数が常に隠れている。観察に徹するうち、それらしき人物たちを何度か発見した。

 

 部室会館と学生寮にも目を走らせる。七宮スペルという人物を監視するのが任務だった。対策班を発案した根源、昼間に学生寮へ消えるまで数人を連れていた。さすがに夜間も警戒しているのだろう。

 

 ところが寮の玄関から数人が出てきた。六人グループにいるのは、なんと七宮スペルだった。何事か話しながら、宿舎のあいだを進んでいく。一緒にいるのは五人の制服たち。茶会が終わってから、ずっと彼女について回っていた。ここからでは素顔が判別できないが、彼女の護衛だろうか。

 

 六人は宿舎の裏に隠れた。クラビスは動き出そうとしたが、タイミング悪く正義実現委員会が現れた。四人小隊で、油断なく周囲を警戒している。そのためクラビスはすぐに動けなかった。宿舎裏に消えたスペルたちに動きはない。

 

 やがて再び姿を現すと、スペルに続く制服たちがなんと武装していた。ベレー帽のひとりは狙撃手に違いない。不用意に動けば、事態を察知される恐れがある。屋根に伏せて、六人の姿を目で追った。体育館の正面入り口に達すると、六人は中へ入って扉を閉じた。

 

 その光景を確認してから数秒、眼下の正義実現委員会も遠ざかると、クラビスは迅速に動き出した。傍らに置いたレザーバッグを背負う。聖堂側面から地面へ垂れさがるフライング・バットレスの影に身を隠す。高い屋根から、装飾の施された柱頭やアーチ型のステンドグラスの枠へ飛び移りながら、徐々に地面へ近づく。あと五メートルの高さまで来ると、迷わず空中へ身を投げ、前転で衝撃を逃がしつつ着地した。

 

 体育館の方角へ、靴音を殺しながら、素早く忍び寄る。数日ほど潜伏したことで、警備が巡回に来る間隔は掴んでいた。遠くに部室会館が見える。体育館は会館に併設されている。

 

 クラビスは芝生の上を突っ切っていった。地面には僅かな窪みもない。いざとなったら伏せるだけでは見つかってしまう。生垣の影を移るようにして、走っては止まり、また走っては陰で止まるを繰り返した。

 

 部室会館へ近づく頃には、目につく警備もだいぶ少なくなった。すぐ目の前に部室会館と体育館が迫る。どちらも明かりは消灯している。

 

 正面入口の前に、数段ののぼり階段がある。クラビスは体育館前に立った。前に倒されたNASS兵から剝ぎ取ったガスマスクを装着すると、コッキングを済ませたアリウス制式アサルトライフルを構える。とはいえ構内での射撃はしない方が賢明だ。戦闘は可能な限り避けるべきだ。

 

 そう思った瞬間、いきなり室内からけたたましい掃射音が轟いた。耳で捉えた音を分析するより早く、本能が体を突き動かした。敏捷に扉の陰に退避する。わずかに開いた扉の隙間から、閃光が激しく点滅する。室内からの銃声が不自然に拡張されて聞こえる。クラビスは舌打ちをした。これではすぐに警備が群がってくる。

 

 銃声が激しさを増した。矢継ぎ早の発砲や、ひときわ重く響く銃撃音は、NASSのアサルトライフルと音色が異なる。しかも急に静寂が戻った。駆ける足音と何人かの声が聞こえる。

 

 右手でアサルトライフルを持ち、左手を扉の把手へかける。こうなった以上、隠密行動など不可能だ。迅速に事実を確認するしかない。

 

 鉄製の扉を押し出すと同時に、内側へ激しく蹴り込んだ。姿勢を低くし、銃口を正面のステージへ向ける。不意の銃撃はなかった。

 

 スペルはステージ手前にへたりこんでいた。五人の制服が取り囲む。全員の視線がこちらへ集まっていた。狙撃銃を持った女が振り向きざま、長大な銃口を向けてくるが、トリガーにかかった指がすぐに離れた。

 

 クラビスは衝撃を受けた。ゲヘナに特有の角を伸ばした女が、トリニティの制服に身をつつんでいる。切れた長い眼に桃色の髪、冷酷な微笑を浮かべる口元。裏世界のトップクラスを束ねるカリスマ性は、例え変装の上からでも見受けられる。

 

 先方もこちらに気づくと、驚きの声を発した。「あなたは、錠前サオリ!?」

 

 

 

 アルは銃を降ろすと、ただ立ち尽くすしかなかった。銃撃戦くらいは覚悟していたが、彼女の登場など完全に想定外だ。なぜトリニティの敷地内にいるのか。頭に疑問符を浮かべているのは、向こうも同じらしい。警戒こそ解かないものの、困惑した様子が見て取れる。

 

 アリウス出身の傭兵、錠前サオリ。彼女との遭遇は、これで三度目になる。不思議な縁の始まりは、ちょうどエデン条約事件が終息したころだった。ある依頼者が護衛の報酬を踏み倒したので、ハルカを()()へと向かわせた。手下どもと戦闘になったとき、集団に混じってヘルメットを被った女がいた。その時はまだ、やたら強いヘルメット団としか認識していなかった。アリウススクワッドのリーダーだと発覚したのは、ずいぶん後になってからだ。

 

 次に会ったときも、彼女とは敵対関係だった。再会の舞台はオペラハウス、仕事内容はギャング連合のボス、ドン・アランチーノの誘拐。サオリはアランチーノの用心棒として雇われていた。あくまで任務に忠実な彼女と、便利屋は二度目の交戦をした。だが運命のいたずらか、便利屋は成り行きで彼女に手を貸すことになった。仕事が終わるころには、互いを下の名前で呼び合うほどの仲になっていた。

 

 世間はなんと狭いのだろう。三度目の邂逅──しかも三度とも、互いに銃を突き合わせての再開とは!アルも何らかの作為を疑わずにはいられなかった。誰が仕組んだのか、それとも本当に神の導きというやつだろうか。ところでなぜ、彼女はトリニティの敷地内にいるのだろう?

 

 気まずい沈黙が流れた。逡巡、サオリは戸惑いながらも頭を振った。「違う。私は錠前サオリではない」

 

 カヨコが速攻で言い返した。「いや、どう見てもサオリでしょ」

 

「人違いだ。お前たち便利屋68のことなど知らん」

 

 ムツキが苦笑いを浮かべた。「無理しなさんなって。声を聞けば、すぐにわかることだよ」

 

 するとサオリはわざとらしく声を低くした。「私は、南波クラビスだ」

 

「クラビス?」アルは思わず聞き返した。「それじゃシュウが連絡をとっていたのは、あなただったの?」

 

 シュウの名を聞いた途端、サオリは硬直した。ガスマスクで隠していても、動揺は察しがつく。反応はないが、熟考している様子だった。手持ちの情報を開示すべきかどうか、目の前の相手を信頼できるか吟味している。すぐに飛びつかないのは、さすがに歴戦の傭兵だ。

 

 ゆっくりとアサルトライフルの構えを解くと、サオリは静かに問いかけた。「シュウを知ってるのか」

 

「NASS対策班の龍ヶ崎シュウ。あの子とは直接話したわ」

 

「直接だと?どうやって接触したんだ」

 

「クロノススクールの生徒としてよ。何も話さなかったの?」

 

 サオリはまた考え込んだが、今度はずっと早く反応が返ってきた。「……過去とは不思議なものだな。どこまでも追ってくる。マダム、シュウ、そして次はお前たちか──便利屋68」

 

 手を後頭部へ伸ばし、ガスマスクを外した。信頼に足ると判断されたらしい。あらわになった素顔は、変わらぬ冷静さと凛々しさをたたえている。紛れもなくサオリ本人だ。こちらへ歩み寄りながら、感慨の込もった声を漏らす。「オペラハウス以来だな、あの時は世話になった」

 

「こちらこそ。しかしあの厳しい検問を抜けてトリニティにいるだなんて、いったいどんな悪いことをしたの?」

 

「NASSの能力を利用した。どういう仕組みかわからないが、やつらは想定以上に学園内へ入り込んでいる」

 

「まさかと思うけど、NASSと手を組んだわけじゃないでしょうね」

 

「NASSの内偵捜査で、やつらの内懐へ潜り込んでいる。アリウス生徒会内で立案された作戦だ」

 

 カヨコがサオリを見つめた。「同盟校にも通知なしの隠密行動なんて、特にトリニティは感心しないでしょ。南波クラビスも工作の産物だったの?」

 

「いや、前マダムの時代にクラビスは在籍していた。エデン条約事件の終局のどさくさで姿を消したと思えば、NASSの構成員になっていた」

 

「そいつもやっぱり行方不明に?」

 

「今度は正式に消息不明となった。もうどこでも目撃されることはないだろう。私はあいつに成り代わり、指令をこなしながら組織の実態を探っていた」

 

 ムツキが首をかしげた。「対策班のシュウちゃんと何を話してたの?」

 

「私が手に入れた情報は、逐一向こうへと連絡することになっている。班内で共有され、情報をもとに対抗策を練ることになっていた」

 

「握っている量の割には、ずいぶんと小出しにしていたけど」

 

「あまり内情に詳しすぎると、密偵の私に危険が及ぶと考えたんだろう。公開する情報を選んでいたのかもしれない」

 

「それならそうと早くいってくれれば……」

 

「もし同じ立場だったらどうする」

 

「まあ、信じないよね」

 

 肩をすくめるムツキの背後に、四つん這いで脱出を図るスペルの姿が映った。一歩動くたびにへっぴり腰が横に揺れる。緩慢すぎる動作だった。注意を引かずに逃げ出そうとしている。

 

 アルは声を張った。「どこへ行く気かしら」

 

 スペルの丸まった背筋が凍りついた。錆びついたねじのような挙動で首を回す。すかさずハルカが馬乗りになった。俯せの姿勢で取り押さえると、腕を背中へまわさせ、関節が曲がるのとは逆方向に力をくわえた。

 

「やめてください!」スペルは悲鳴に近い声を挙げた。「折れたらどうするんですか!放してください」

 

 アルは這いつくばる彼女の眼前に立ち、頭頂部を見下ろした。「まだあなたとの話は済んでないわ。マダム二世の正体をどうしてあなたが知ってるのかしら」

 

「コレクション強奪事件の実行役だからです。ワゴン車を攫うまでの一連の計画は、全て彼女が計画したんです」

 

「やっぱりグルだったのね。コレクションだけ返却したのはなぜなの」

 

「トリニティの顔を守るため」

 

「トロントの、でしょう。マダム二世の正体は?」

 

「み、見逃してください。喋れば殺されます」

 

「その役目にあった奴らなら倒したわ」

 

「そういう問題じゃありません!彼女は敵に回してはいけないんです。あなたも私も命を狙われます。無謀すぎると分からないんですか!」

 

 遂に真実へと辿り着いたわ。常軌を逸した恐れ方を見るうち、アルは確信を持った。何も知らない人間の言動ではない。固く閉ざした記憶の引き出しには、秘密が綴られたファイルが仕舞い込まれている。アルの手は棚にかかっていた。

 

 目で指示すると、ハルカは骨が折れる限界まで腕をねじる。アルはもう一度問いただした。「誰に殺されるというのかしら」

 

 スペルは激しい痛みに唸った。歯を食いしばりながら、何事か懇願した。しかし効果がないと悟るや、震える声で応じた。「獅原コガネ、ゲヘナ生です。いまはマダム二世と名乗り、NASSの指導者になってます」

 

 空間を静寂が支配した。スペルの荒い息遣いだけが耳に入る。てっきり対策班の誰かの名が挙がると思えば、聞き覚えもない人物の登場に困惑するしかない。秘密を暴いた達成感からは程遠かった。新たなパズルピースはどこにも繋がりそうにない。

 

 アルはカヨコと目を合わせた。「誰か知ってる?」

 

「いや」カヨコは首を横に振った。「ゲヘナ生っていったね。それならシルバやギルと同じく、行方をくらませた三流悪党かもしれない。容疑者がゲヘナ生に絞れたけど」

 

「ゲヘナ生もたくさんいるわよ」

 

「籍を置くだけで、学校に通ってない生徒も大勢いる。主犯を探すのは骨が折れそう」

 

 ムツキが近くにしゃがんだ。「そのコガネって子の特徴は?」

 

 頬をつつかれながら、スペルは白状した。「あの、すごく悪そうな顔つきで」

 

「ゲヘナはだいたいそうじゃん。どんな見た目の子なの?」

 

「髪は長くて、金色に染めてて……眼の色も金で揃えてました。たぶんコンタクトを入れてるんだと思います。白い肌で日焼けは全然してなくて、背丈は白黒髪の方と同じくらい……」

 

 特徴を聞くうち、アルの脳裏に強烈な記憶が蘇ってきた。雌雄を決したカジノでの一勝負で、卓の向かいに座っていた金髪の女性。絶えずこちらを凝視していた金塊のような眼。

 

 アルは浮かんだ名をぽつりとつぶやいた。「眼虎ラム」

 

 振り向いたムツキが目を丸くした。「あの麻雀をやった子?確かに特徴は同じだけど」

 

「それだけじゃないわ。自分のことを聞いた時、あいつはわざとぼかした話し方をしていた」

 

 百鬼夜行の城主であり、戦争研究家だというのは、ラム自身が明確に語っていた。だが出自などを探られることを、彼女は明らかに嫌っていた。詮索させるのが嫌だというだけではなかったのか。

 

 カヨコが横からいった。「でもそれだと、カジノでラムを襲撃したことと矛盾するけど」

 

「狙いが他にあった可能性もあるわ。実際あいつは襲撃前に一人抜け出していたもの」

 

「それにラムがコガネ──マダム二世だとすると、私たちを引き込んだことも怪しくなってくる。裏切者探しを依頼されたって話だったんじゃないの」

 

 ラムことコガネがNASSの最高司令であるなら、わざわざ便利屋に組織を追わせたのは何故なのか。やつらの矛先が、急に便利屋へ向いたことと関係があるのかもしれない。あまり組織の内情へ接近しすぎたから殺そうとした。その可能性も否定できない。

 

 カヨコはため息をついた。「でも社長の推理通り、現時点で最有力なのはラムだと思う。強奪事件のほうも聞きたいね」

 

「そうね。コレクションに何を紛れ込ませていたか、白状してもらいましょう」

 

 スペルとコガネは共謀して、ワゴン車の追跡を不可能にした。トリニティ所属の車両をゲヘナ生に襲わせたのは、自作自演だと第三者に勘付かれないようにするためだ。自分たちは被害者面でとぼければ良い。責任はゲヘナになすりつけられる。手を組んだとはいえ、ゲヘナを悪者にする展開だったのは容易に想像がつく。

 

 スペルは堰を切ったように言葉をこぼす。「あれは……私のミスでした。ゲヘナ生なんて使ったから、余計に話がこじれたんです。中身は見ずに届けるよう指示したのに、まさか車両ごと攫われるなんて思わなかった」

 

 アルは呆れ気味に、「身元調査もしないで雇うからよ」

 

「それだけなら不運で通せました。なのに彼女は輸送していたコレクションだけを、わざわざ返却してきたんです。そのせいで疑いの目が向いて、単に被害者ぶるだけじゃ済まなくなって」

 

「それでヴァルキューレの調査を打ち止めさせたのね。周りを探られないよう、強引な理由で和解して、本来の目的を隠そうとした」

 

 アルはしゃがんだまま、サオリやカヨコへ振り返った。二人とも軽蔑するような目線を注いでいる。保身第一の身勝手な動機に、嫌悪を隠そうともしない。先輩の七光でのし上がったところで、肝心の中身が伴わなければ意味がない。

 

 アルはスペルへ向き直った。「あなたは共謀した実行犯に裏切られ、目的のものを盗まれ、あげく隠ぺいを図った。さらにNASSに関する情報まで持っていながら、保身を理由にして逃げた。すべてクロよ。もう諦めなさい」

 

「……あれはトロントのためだったんです。イサミ様がいなくなり、彼女に匹敵する支柱を打ち立てようと、情報部時代の仲間と共同でキヴォトス各地を探し回ったんです。そのとき、ある兵器の情報を耳にして」スペルは深く息を吸った。「そして仲間の調査で、この兵器はキヴォトスの技術を遥かに超えた力を持っていて、制御できればトロントが世界の覇権を握ることも可能だと分かったんです。ゲヘナの潜入工作員だった仲間によれば、これら兵器の総名は──『雷帝の遺産』」

 

 まさか、とカヨコが驚きの色を浮かべた。

 

「雷帝の遺産?」アルは聞き返した。「聞き覚えのあるような、ないような……」

 

 カヨコが隣にひざまづいた。険しい顔でいった。「雷帝はゲヘナのトップにいた人物。二年前まで学園を統治していた暴君だよ」

 

「万魔殿のマコトの前任者ってこと?今どこにいるの」

 

「もういない。卒業して、キヴォトスから離れてる」カヨコは語気を強めた。「だけど雷帝が発明した兵器だけは、今も残存している」

 

 アルは客船での会議を思い出した。風紀委員会は遺産の処分に忙しい、確かにバットがそういっていた。

 

 ムツキがきいた。「雷帝の遺産ってそんなに危ないの?」

 

「万魔殿と風紀委員会、犬猿の仲な二組織とも、遺産の破壊だけは方針として一致してる。制御や運用なんて考えてない。それだけ危険視されてる」

 

 アカネがつぶやきを漏らした。「ゲヘナの兵器を、トリニティで使うつもりだったってことですか」

 

「間違いない。本当にそうなら問題がある」

 

「問題?」

 

 カヨコは思考を口にした。「同盟を謳いながら、雷帝の遺産を利用しようとしたのが発覚すれば、学園同士の関係がエデン条約事件前まで逆戻りする。条約に熱心だった桐藤ナギサが、そんなことを望むとは思えない。ティーパーティーにも知らせず、トロントが独占利用する腹積もりだったんだ。トリニティ内の勢力図は一気に塗り替えられる」

 

 アルは眉をひそめた。「でも遺産はコガネに奪われたのね。その後、彼女はNASS指導者になっている」

 

「……おい」サオリが不穏な色を濃くした。「もしネオアリウスが遺産を持っているなら、かなり大ごとじゃないか。すぐに対策班へ警告するべきじゃ」

 

「待って」アルは手を挙げた。「静かすぎるわ」

 

 全員が耳を澄ました。先ほどまで銃撃騒ぎを起こしていたのに、誰も駆けつけてくる気配がない。遠くで聞こえるはずの戦車の駆動音すら届いてこない。体育館は内外ともに、いやな静寂に包まれている。

 

 いや、違う。戦場で培った勘は、まだ警鐘を鳴らしている。体育館の壁に配置された鉄製の扉、あらゆる方向から気配を察知した。この場の全員が、ほとんど同時に直感した。囲まれている。武器を持ち直した途端、正面入口の扉が開け放たれた。

 

 アサルトライフルを構えた三人のトリニティ生が押し入ってきた。ただし黒いセーラー服ではなく、白い制服のほうだ。カヨコがばっと振り向き、拳銃を三発放った。閃光が三度飛び、制服たちが倒れる。

 

 ムツキはバッグから図多袋を取り出し、スペルへ乱暴に被せた。か細いわめきが、さらに袋で小さくなる。ハルカが近づき、軽々と担ぎ上げた。脇の下に頭を差し込む、ファイヤーマンズキャリーという搬送法だ。彼女は単なるあばずれに過ぎないが、同時に貴重な証人でもある。身柄を連れて行かねばならない。

 

 扉が次々に開け放たれる。広々とした体育館では遮蔽はない。物音へ即座に反応して、敵より速く銃弾を叩きこむ。純白の制服らばかりで、正義実現委員会が動く気配はない。それ自体が妙だが、好都合ではある。迎撃しつつ、七人は正面入口を突破して、体育館の外へ飛び出した。校舎の光景を目にしたアルは愕然とした。

 

 構内全体が昼のように明るくなっている。街灯だけでなく、至る所に光源が配置されたに違いない。建物屋上や哨戒ヘリからサーチライトが飛び交う。遠くでは機動砲システムを備えた装甲車の姿も確認できる。戒厳令が敷かれたような眺めが広がっていた。

 

 集団の後尾からアカネが叫んだ。「この人たちは正義実現委員会じゃありません!トロント派の構成員です」

 

 ムツキが肩をすくめた。「リーダーを連れてかれそうになれば、そりゃ全面攻撃もしてくるよね。どうやって逃げよっか?」

 

「島の北にある本校舎の裏手に、大型兵器の駐機場があります。そこからヘリを飛ばせば、水路を越えて自治区外へ抜けられるはずです」

 

 エンジン音が幾重にも織りなって近づいてくる。水路沿道を走るのは、ヘッドライトを点けたジープの車列だった。これら全てがトロント派の仕業と仮定して、おそらく大隊単位が構内で動いている。現行トップの誘拐阻止だけが目的ではない。騙し討ち同然の極秘行動を知った部外者を葬り去る気だ。

 

 サオリがアサルトライフルをコッキングしながらいった。「二手で分かれるべきじゃないか」

 

「そうね」アルはうなずいた。「敵を分散させるわよ。スペルは私たちが預かるから、操縦できるムツキは駐機場へ向かってちょうだい」

 

 ムツキとハルカ、構内の地理に詳しいアカネがすぐに別方向へ向かった。サオリは驚いた様子だったが、アルとカヨコは振り返ろうともしなかった。薄情だからじゃなく、信じているからだ。

 

 スペルの体を強引に引き立たせる。アル、カヨコ、サオリは武器を構えて走り出した。本校舎への最短距離になるルートでは、見通しの良いトリニティ・スクエアを通らねばならない。ムツキたちは図書館方面へ、時計回りで向かった。引き付けるなら島の真反対がいい。

 

 興奮と生存本能が体を突き動かす。とうとうNASSの指導者を暴いてみせたのだ。事態は想定をはるかに超えて深刻なものとなっている。キヴォトスに差し迫った危険を、アルたちだけが知っている。トリニティが跋扈する軍事要塞のような島から抜け出さねばならない。奇跡の脱出劇を成し遂げ、なんとしてでも生き延びねばならない。

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