便利屋68 黄金将軍   作:まーろう

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20 危機一髪

 ムツキは爆竹をあちこちばらまきながら、迂回しつつ本校舎へと向かっていた。

 

 スペルがどうやって構成員たちを動かしたのか想像もつかない。派閥の大物が命令を下しでもしない限り、構成員たちが構内で軍事行動を起こすなど考えられない。スペルを監視しているあいだ、そんな素振りは一度もなかった。なにか秘密の通報手段があったのかもしれない。

 

 たった三人で大隊を相手にするなど非現実的だ。勝ち目など万に一つもありはしない。まったく別の作戦が必要だった。

 

 赤い円筒をいくつもぶら下げる導火線へ点火しては、なるべく建物の裏手といった人目につきにくい場所を選んで放り投げる。ハルカとアカネも受け取った爆竹を次々に投げる。花火や癇癪玉の破裂音は、銃声とよく聞き違えられる。軽い爆竹でも、小競り合いの銃撃音くらいには聞こえるだろう。追跡者たちも音源を確かめずにはいられないはずだ。

 

 とにかく数で制圧されることだけは避けねばならない。デコイは足止めのほかに、追手を分散させる意図もある。気配がすくなくなってきた。このまま北上して、本校舎を目指す。

 

 整然と切り揃えられた生垣のあいだを駆けてゆく。古書館前まで辿り着いたとき、エンジンの重低音が地面を伝わってきた。三人は歩を緩め、茂みの陰から前方を偵察した。

 

 小型化された太陽のような光源が一帯を真昼のごとく照らしている。四人のトリニティ生が無骨な色合いの装甲車を囲んでいた──丈夫そうな八輪を持つ舟型車体、BTR-60だ。四人の随伴兵が車両周囲を守り、隊長らしき人物がハッチから身を乗り出している。ムツキは草陰から機関銃を仰角に構え、狙撃体勢で光源へ狙いをつけた。トリガーを引き絞ると、肩当てに強い反動を生じる。光源が壊れ、途端に周囲が闇に閉ざされた。

 

 随伴兵たちは突然の奇襲に驚き、仲間の安否を大声で確認している。自分の居場所を知らせるようなものだ。ハルカとアカネが随伴兵へ忍び寄った。背後から首を絞め、即座に気絶させる。驚いたのは、ハルカの数メートル先にいた別の敵をアカネが無力化させたことだった。忘れかけていたが、さすがにゲヘナの潜入工作員をしているだけはある。流れ作業のように随伴兵を次々に処理していく。それが終わると、ムツキは車体側面のガンポートに手をかけ、軽々と上部へ飛び上がった。

 

 ハッチから上半身だけ露にしていた隊長は、チームの応答が途絶えたことで不穏な事態に気づきつつあった。気取られる前に、ムツキはあと一歩の距離まで接近した。いきなり光源が消え、暗順応も充分でなかったのだろう。振り向いたときには遅すぎる。こちらを視認した瞬間、一発の銃声が響いた。モグラみたいに上体を晒したまま、ふちにもたれて脱力した。

 

 ハルカが駆け寄り、後部扉から乗り込んだ。アカネと協力して隊長を引き降ろすと、ムツキはハッチから内部の運転席へ収まった。ガソリンの強い臭いが充満している。煩雑な制御ボタンが並ぶが、前進と方向転換さえわかればいい。あとは動かしながら慣れるしかない。

 

 大きなステアリングをしっかり握ると、ラダーペダルを踏み抜く。エンジンの唸りが一層大きくなった。後方へ重力を感じたのち、BTRの重量級の車体はゆっくりと進軍を始めた。

 

 アカネはBTR上部に跨乗して、観測手のように周囲へ目を走らせた。光源を破壊したはずだが、不意に古書館周辺が照らし出された。BTRが白光にさらされる。アカネが正面を見やった。生垣に挟まれた道路の先から、ヘッドライトを点けたジープが迫ってくる。

 

 頭上でアカネが怒鳴った。「早く出発してください!」

 

 BTRは徐々に速度を上げていく。上部でアカネがアサルトライフルを掃射した。ジープのヘッドライトが砕け、わずかに走行がぶれる。なおも速度を落とさぬまま、BTRとジープは車体左前方を激しくぶつけた。二台の接触面に火花が散る。衝撃で内部も揺すられたが、装甲車の走行にはなんら問題ない。ジープは道をそれ、生垣へ突っ込んで停止した。赤いテールランプが後方へ遠ざかる。

 

 このまま鉄壁の防御にものをいわせ、構内を爆走することもできなくはない。だが注目を集め過ぎれば、参戦していない正義実現委員会が出張ってくるかもしれない。

 

 思考を巡らせた結果、水路沿いを進むのが良いと判断した。島の外縁に沿う一直線の車道なら、まっすぐ突っ切ることができるはずだ。戦車が毎晩巡回していて、いまさら装甲車の駆動音くらいで文句を垂れるやつもいないだろう。Uターンして、島の外縁へ向かう。

 

 ステアリングを器用に操作する。外縁へ合流する車道を進むと、行く手に黒々とした水路が見えた。BTRはいまでは用水路へ飛び出さんばかりに速度を出している。

 

 注意が喚起された。BTR内部は常にやかましい駆動音に満ちている。唐突に混じった跳弾の金属音は、騒がしい環境下でもはっきりと聞き取れた。後方から別の装甲車──やはりBTRだ──が猛スピードで追い上げてくる。上部に搭載された機銃から、絶え間なく銃弾が撃ち込まれている。この車両がどれだけ耐えられるかもわからない。

 

 ムツキはブレーキペダルを一気に踏み抜いた。タイヤがロックされたが、勢いのあった車体はなおも滑り続ける。ステアリングを巧みに微調整し、後続の装甲車の様子を確認する。急ブレーキによる衝突を免れようと、背後のBTRはスペースのある左に並んだ。絶好の機会とばかりに蛇行しては、車体を繰り返しぶつけてくる。頭上でアカネが反撃を試みていたが、揺れる車体にしがみつくだけで精一杯だった。二台のBTRは横並びのまま、水路めがけて疾走している。

 

 だがムツキは、敵車の行動を予測済みだった。目の前に迫る分岐だけに注意を集中する。一気にステアリングを切ると、ムツキのBTRは半ばスピンするように、沿道を右へ曲がった。カーブを曲がる際に、側面を敵車両へ思い切りぶつけ、遠心力をかけて押し出す。自重に加えて、もう一台分の重量と速度の勢いまでは殺しきれず、敵車両は島から飛び出して水柱を高々と巻き上げた。

 

 ムツキたちのBTRは島の外縁ぎりぎりで踏みとどまった。完全に停止すると、重力が弛緩した途端に間近で爆発音が轟いた。突き上げるような衝撃が、はっきりと感じ取れた。転落した装甲車が大きくひしゃげ、さらなる爆発音を響かせた。ゴムの焦げる臭いが車内まで流入してくる。水しぶきとともに、無数の装甲片がばらまかれた。

 

 何が起こったのか、ムツキはすぐに直感した。上部ハッチを開け放ち、上体を出すと用水路へ振り向く。黒々とした水面に、でこぼことした半円がいくつも浮かんで見える。磁気式機雷を投入したか。アクアラングや酸素ボンベなどの金属に反応して炸裂する罠。トリニティ首脳部の命令かトロントの工作か知らないが、侵入者をみすみす逃がすつもりはないらしい。

 

 花火に似た短い破裂音が立て続けに上がった。背後を見やると、大聖堂付近が昼のように明るくなっている。地面から照明弾が次々打ち上げられている。マグネシウムを激しく燃焼させることで、大聖堂全体をくまなく照らし出す。誰が狙われているか、すぐにわかった。

 

 びしょ濡れになったアカネが隣でつぶやいた。「トロントの暴走がここまで見過ごされるなんて。あんなことをすればシスターフッドも黙ってません」

 

「昼間と違って、学園全体がいやに静かだよ。誰もいないみたい」しばらく眺めていたムツキは、やがて身を運転席へひっこめた。ペダルを踏み、巨躯を再度走らせる。「いそごうか。本校舎はこの先だよね」

 

「そうです。このまま道なりに進めば、本校舎の裏手へ回り込めます」

 

 ほどなく高架橋前を通過すると、橋の中間を車列が塞いでいるのが見えた。トラックを橋に横たえ、戦車の主砲が睨みを利かせている。橋の前を通り過ぎて後方を見たとき、超大口径の砲口がこちらを追従した。次の瞬間、主砲が火を噴いた。

 

 炸裂するまでの何分の一秒か、ムツキは本気で心の底からぞっとした。銃弾をそのまま大きくしたような砲弾は、BTRの後部をかすめ飛び、すぐ側にそびえる一棟の建物にぶつかった。

 

 ムツキは自分が手繰るBTRが爆風を帯びるのを感じた。砲弾いっぱいに詰め込まれた火薬のために、建物は一階内部から火が膨れ上がった。鉄の骨組みを残して、あらゆるガラスや壁が粉々に吹き飛び、路上へ散乱する。逃げるしかないと悟ると、ムツキは限界までペダルを踏みこんだ。

 

 BTRは殺人的な速度で道路を駆ける。転倒しそうになり、ハルカは慌てて座席を掴む。

 

 行く手に二人の制服がアサルトライフルを構えて、横に停車させたジープの手前で果敢にも撃ってきたが、ムツキは構わず突っ込んでいく。あたふたと横へ飛び退いた先には、依然としてジープが横たわる。アカネがあっと声をあげた。ムツキのBTRは真正面からジープを弾き飛ばして突破した。

 

 なおも走行をつづけ、気が付くと人影はいなくなっていた。視界が開けて、だだっ広い舗装された空間へ出る。駐機場へたどり着いた。急ブレーキを踏むと、ムツキは勢いのまま顔をぶつけそうになった。

 

 UH-60ブラックホーク、頼もしい二つの回転翼を有する機体が駐機されていた。上部ハッチを開け放つと、アカネの手を借りて急いで這い出た。ハルカも車両後部から飛び出した。

 

 ブラックホークは、特殊作戦から兵員輸送、医療後送にまで、幅広く用いられる多目的ヘリコプターだ。汎用型のためキヴォトスの至るところで派生型が見られ、操作もほとんど変わらないので扱いやすい。ムツキは操縦席へ乗り込み、セルモーターを回した。プロペラがゆっくりと回り出し、振動とともにエンジン音が鳴り響く。

 

 ハルカも側面からキャビンへ乗った。ところがアカネはBTRの上部ハッチに留まったまま、ヘリが飛び立つのを待っている。背後でハルカが叫んだ。「何してるんですか!早く来てください」

 

 アカネは首を横に振った。「私は……ここに残ります」

 

「アカネちゃん」ムツキはキャノピーへ顔を近づけた。「もうじき戦車が来る。一緒に逃げよう」

 

「三人でヘリに乗ってても、撃墜される可能性が高いんです。戦車だけじゃなく、構内には高射砲も備えられてます。アルさんたちを助けに向かうんでしょう。ならば地上で援護する者が必要です」アカネの目が聖堂の方角へ転じた。「大聖堂でアルさんたちを拾ったら、すぐに脱出してください」

 

 その一言でアカネの意思に気づかされる。ムツキは息をのんだ。「アカネちゃん、無茶だよ。やめて」

 

 アカネが再びこちらを向いた。複雑な表情のまま話す。「これが私の任務ですから」

 

「私たちと一緒にいたのを、たくさんの生徒が目撃してる。朝になれば、アカネちゃんの正体もバレるかもしれないんだよ」

 

「遅かれ早かれ、いつか必ず露見します、それが少し早まるだけです。どんなに取り繕っても、必ず分かる時は来ますよ」

 

 遠くから戦車の駆動音が近づいてくる。長居はできない。

 

 アカネも把握したようだった。精一杯の笑顔を作って、声を張った。「皆さんには感謝してます。ほんの一日足らずでしたが、久しぶりにゲヘナの人間であることを思い出せました。なにからも開放されて、今が一番充実してるんです」

 

 ムツキは唇を噛みしめた。キャノピーに手を這わせる。しかし覚悟を秘めたアカネの顔を見るうち、彼女の勇気を無駄にしてはいけない、そう心から思えた。「分かった、死なないでね」

 

「それはお互い様です。バットさんによろしく伝えてください。幸運を祈ります!」

 

「ありがとう、信じてるよ!」

 

 それを最後に、アカネはBTRの中へ姿を消した。ぐずぐずしてはいられない。ヘリはエレベーターのように滑らかに上昇し、たちまち学園全体が望めるほどの高度に達した。機首を東へ向ける。どこへ行き、何をせねばならないかは明白だ。どれだけ早く救出できるかに、全員の命運がかかっている。

 

 

 

 ムツキらが大聖堂をめざし飛行を始める数分前、アルは庭園にいた三人の敵構成員に、L85アサルトライフルの掃射を浴びせた。大げさなくらいの発砲音のなかで、間を置かず三人とも人工芝へつっぷす。敵の手から離れた銃を拾うと、マガジンだけ拝借して服のポケットへ突っ込んだ。カヨコにも放って渡し、銃の調子を確かめる。

 

 三人で声を掛け合い、瞬時に交代しながら周囲の警戒に当たる。現れた敵を迎撃するたび、新手が出現する事態を避けられない。根城であるトリニティ構内であれば当然だ。この明るさでは闇に隠れることも難しいが、代わりにこちらも敵の接近に気づきやすい。生垣の枝葉は遮蔽にならないが、奥でうごめく気配は目で捉えられる。

 

 ここまでに三回ほど、敵から奪った自動小銃を放棄しては、新しいL85を拾っている。銃撃の最中でも、たびたび動作確認を強いられるのは、単に扱いなれない銃だからだけではない。トリニティ制式採用銃にしかない独特の癖のためだった。このL85はブルパップ方式のため、グリップとマガジンの機構が前後で逆になっている。それだけでもややこしいが、加えて質の悪いマガジンのせいで給弾不良(ジャム)しやすい。あくまで自校産にこだわったがために、改善が不十分なまま採用が決まり、そのまま配備されたのだろう。こんな代物を校則で使わねばならないトリニティ生が哀れでならない。伝統に固執するトリニティの姿勢は、ゲヘナ生には到底理解できない。

 

 とはいえ使い慣れた狙撃銃と拳銃ばかり多用もできない。構内では弾が補給できないからだ。もともとトリニティへの物資輸送に便乗して搬入したため、弾数が少ない。使用する場面は見極めねばならない。そのためアルたちは仕方なくポンコツ銃を振り回すしかなかった。

 

 立ち上がって、油断なく視線を走らせる。平坦な庭園は、生垣が迷路のように張り巡らされ、身動きが取りにくい。もたもたしていると全方位から囲まれて、数で押さえつけられる。スペルの身柄がある以上、トロントは全ての戦力を集中させてくるはずだ。脱出手段を確保できるまで、何としても持ちこたえねばならない。

 

 カヨコはスペルを人質に取り、状況によって盾や台座代わりに使っていた。上体を前屈させ、水平に折り曲げさせた背中へライフルを這わせて、ねじりあげた右腕を銃に絡ませる。完璧な拘束術だった。あの姿勢なら反撃をもらうこともなく、敵は躊躇して攻撃しにくくなる。

 

 部下たちが救出に動きだしたからか、スペルは妙に調子づいていた。「や、やめるなら今の内ですよ。トロントは数だけなら、フィリウスにも匹敵します。私をここで解放してくれれば、あなたたちを学園から出してあげても……」

 

 カヨコが右腕をさらに捩じると、駄弁は苦悶の呻きに変わった。カヨコはばっさり切り捨てた。「耳障りだから黙って」

 

 スペルは委縮して口を閉じた。

 

 生垣のあいだを抜けていく。ふと草木の奥に、大聖堂の尖塔がのぞいた。戦争勃発のようななかでも、あの聖堂だけは壮麗な雰囲気でたたずんでいる。ふとアルの頭に妙案が浮かんだ。

 

 ところが生垣の奥から、いきなり敵構成員が飛び出した。振りかぶったライフルの銃床でアルの自動小銃を叩き、そのまま二撃目を狙いすました。

 

 至近距離で無理に反撃を試みれば、確実に殴打を喰らう。アルは弾かれた銃に勢いを任せて、芝生の上で受け身を取った。つい先ほどまでアルが立っていた空間を、銃床が横なぎに通り過ぎる。敵は歯噛みし、勢いを殺さぬまま自動小銃を頭上へかかげる。サオリがすぐさま横から援護射撃をした。驚いた表情を浮かべたまま、敵構成員は横向きに転がった。

 

「ありがとう」アルは短く礼をいった。サオリは無言で頷き返す。

 

 落とした銃を拾い、コッキングレバーを握る。ところがレバーはがっちり固まって、頑固にも動こうとしない。ため息と共に自動小銃を放り出した。あの一撃で動作不良に陥るとは、脆いにも程がある。アカネがわざわざM4を携帯していたのもうなずける。

 

 目線を大聖堂へ向けた。反撃しながら敵の動きを観察していたが、やはり聖堂方面からは敵がやってこない。わざわざ回り込んでくる理由は明白だ。大聖堂に傷をつけてはまずいからだ。

 

 アルはカヨコとサオリへ呼びかけた。「大聖堂へいくわよ。そこで籠城戦に持ち込むわ」

 

 サオリが驚いたように聞いた。「何だって?わざわざ袋のねずみになりにいくのか」

 

「記念物のようなものっていってたし、トロントも大聖堂を損壊するのは望まないはずよ。無暗に私たちを攻撃できなくなるわ」

 

 アルは聖堂へ先行した。カヨコ、サオリが後へ続く。ほどなく庭園地帯を抜けると、トリニティ・スクエア近くの広い遊歩道へ出た。右へ目をやると、城のような大聖堂の正門が待ち構えている。地面近くに光源が設置されているため、上方の屋根までは光が届いてない。聖堂は恐ろしい威厳を放つ屋敷へと変貌していた。

 

 三人は聖堂へ走って近づいた。一番大きな正門は施錠されている可能性が高いだろう。ノックをしても開けてもらえるとも考えにくい。どこか別の入口を探ったほうがいいだろう。そう考えた直後、把手を押し引きして施錠を確認したサオリが、手持ちの自動小銃で鍵回りを撃ち壊した。再び把手を引くと、丁番が軋む音を立てて扉が開く。

 

 アルはぎょっとした。「何やってるのよ!器物損壊で訴えられてもいいの」

 

 サオリは平然といった。「前のミサイルで半壊して、一から作り直されただろう。また修理すればいいだけだ」

 

 薄暗い聖堂のなかは無人だった。外の喧騒が嘘みたいに、静寂が支配している。ここだけは外界と隔絶された別世界のようで、霊的な力が満ちているといわれても何ら不思議ではない。サオリは初めて見た内装に圧倒されていた。敵の姿は見当たらないが、警戒は怠らない。身廊を通り抜け、三人はアプシスのある礼拝堂への扉を開いた。

 

 だしぬけに緊張が走った。長椅子の並んだコンサートホールのような礼拝堂の最奥、半円型のアプシスの手前に人影があった。ステンドグラスを背景にして、黒い長髪と巨大な翼の輪郭が浮かび上がる。何より黒いセーラー服──正義実現委員会の制服が目に飛び込んだ。相手は一人だが、抜群のプロポーションを誇る女性だった。羽川ハスミが憤然とした様子でたたずんでいた。

 

 アルは身動きができなくなった。他の二人も同様だった。ハスミの右手には、黒々としたスナイパーライフルが握られている。決して小さくはない狙撃銃だが、彼女の体格と並ぶと自動小銃のようにちんまりとした印象を与える。臨戦態勢なのは、アルたちをもうトリニティ生と認識していないからだろう。昼にはまだあった僅かばかりの友好的な態度すら、今はなりを潜めている。

 

 ハスミが敵愾心のこもった声を響かせた。「アルさん、カヨコさん。それにサオリさんまで連れて、いったい何の真似ですか」

 

 声を聞いた途端、スペルが色めき立った。「ハスミ様、こいつらはゲヘナが送り込んだスパイです!お助けください」

 

 カヨコが腕をさらに締めながらいった。「都合のいいことばかりいわないで。そっちこそNASSの操り人形のくせに」

 

 ハスミが怪訝そうに聞いた。「NASSですって?あのテロリストたちが何故出てくるのですか」

 

「この子が全部喋ってくれたよ。トロントが覇権を握るために、NASSの前身を作った。しかもゲヘナが作った兵器まで盗んで利用しようと企んでいた。でも裏切りにあって、全ての事実を隠蔽しようとした」

 

 スペルが袋の内で苦々しくいい淀んだのを、ハスミは不審に思ったらしい。「スペルさん、どういうことですか。そんな話は聞いてません」

 

 苦しみながらも、スペルは否定した。「あ、ありえませんよ。私はつねに平和を望んでます」

 

 サオリが口を挟んだ。「ついさっきまで全面攻撃を仕掛けてきただろう。どの口がいう」

 

 スペルは否定しようとしたが、言葉が見つからないようだった。

 

 聖堂内が静寂に包まれる。スペルがあれこれ悩んでいるうち、ハスミはただならぬ状況を見て取ったらしい。三人の敵性分子は無論排除の対象だが、トロント代表も放っておけない。そう考えているのだろう。スペル、引いてはトロントが四面楚歌へ追い込まれたのは違いない。

 

 アルはずっと疑問だったことを聞いた。「正義実現委員会は構内にいないみたいだけど、今はどこを警備しているのかしら?」

 

 ハスミは頑な態度をとった。「正義実現委員会に関する情報を、私がゲヘナの生徒に話すとお思いでしょうか」

 

 サオリは何か思い当たる節があるようだった。「まさかと思うが、どこか別の分館の警備でも命じられたのか」

 

 ハスミが表情を固くした。サオリはそんな色を目に止めたようだった。「ならば本館には、やはり戒厳令を敷いたな。誰の指示だ」

 

 アルはきょとんとした。「サオリ、どういうことなの」

 

「あの時と全く同じだ。アズサが桐藤ナギサのヘイローを破壊する任務を帯びていたとき、聖園ミカはティーパーティーの権限で戒厳令を敷いた。さらに正義実現委員会にはいい加減な理由をつけて、本館から遠ざけていた」

 

 カヨコがぽつりとつぶやいた。「すべてシナリオ通り……ミサイルに続いて、これもエデン条約事件の再現の一つってこと?」

 

「わからん。だがここまで似てくると、もう偶然とは思えない」

 

 サオリはハスミを見た。三人の注目が集まる。ハスミはようやく口を開いた。「……我々は前回の反省から、あくまで指令通りに動きながらも、私だけは本館へ残留しました。完全な独断ですので、処罰は甘んじて受け入れるつもりでした。しかしまさか二度も同じことになるとは」

 

「ハスミ」サオリがいった。「もし前回と同じなら、指令の狙いは正義実現委員会を遠ざけることだ。いったい誰が指令を出したんだ」

 

 ハスミも怪しいことには気づいているようだった。だがこちらを信用していいかどうか、悩む心境がありありと見て取れる。

 

 アルも必死に提言した。「ハスミさん、もしこれが何かの罠なら、私たちが意思疎通しないまま争わせるのが狙いよ。本当の敵を倒すには、私たちが互いを信頼して、予想を上回る行動を取るしかないわ。教えてちょうだい、このままじゃ思うつぼよ」

 

 また沈黙した。ハスミは口を固くつぐんでいる。心臓が強く脈打つ。自分がもし同じ立場でも、簡単に心を許さないだろう。承知の上で、しかし信じてもらう必要があった。

 

 ややあって、ハスミが静かに口を開いた。「……不思議な感覚です。あれほどゲヘナを嫌っていたはずなのに、あなたたちを目の前にしてから、嫌悪感が前ほど湧いてこない。あの一件を乗り越えたからでしょうか」

 

「条約は失敗したかもしれないけど、歩み寄った試みは失敗じゃないわ」

 

「それでも私がゲヘナの人たちを完全に信頼することは、これからもないでしょう」

 

「妄信は狂気の沙汰よ。適度な距離感は必要だわ」

 

「そうですね……アルさん」

 

「ええ」

 

「正義実現委員会に指令を出したのは、対策班の氷野イサミ様です。あの人の発言力はティーパーティーにも匹敵します。我々も反抗を許されません」

 

 アルは犯人の正体に息を呑みながらも、深々と頭を下げた。「ありがとう。恩に着るわ」

 

「私が証言したことは、くれぐれも内密にお願いします。本当はここにいること自体、厳密には命令違反ですので」

 

「誓って口外しないわ。これで一歩前進できる」

 

 ハスミの顔にようやく安堵の色が浮かんだ。アルも確信を持てた。事件解決への一歩だけでない、ゲヘナとトリニティが再び歩むための一歩だ。公には明かされることのない進歩だった。

 

 スペルは嫌に静かだった。表情が見えないなか、冷静にくぐもった荒い呼吸を整えようとしている。恐怖でも、怯えでもない。追い詰められた寸前の心境だ。何を決心したのか、考えるまでもない。深く息を吸うと、大声で叫んだ。「殺せ!」

 

 礼拝堂の扉が乱暴に開かれた。手前まで集結していたトロントの構成員がなだれ込む。全員が自動小銃を水平に構え、正面のアルやハスミめがけて一斉射撃を開始した。礼拝堂に銃声がこだまする。全員が長椅子を遮蔽にして、左右に転がった。ハスミがすぐに銃を向ける。たとえ正義実現委員会が相手でも、もともと現政権を批判する連中の集まりだけに、敵構成員たちは攻撃を躊躇しなかった。木製の長椅子につぎつぎと穴が開き、石造りの装飾があちこちで弾ける。神聖な場で罰当たりにも、銃撃戦が始まった。

 

 カヨコはスペルを逃がすまいと、地面へ倒した身体へのしかかって反撃した。ハスミとサオリも銃撃の隙間を読み、反撃をねじ込ませる。アルは狙撃銃を持ち、マガジンを抜いた。マガジンの中は空だった。銃の薬室には、一発だけの銃弾が収まっている。あと一発のみね。アルはマガジンをポケットへしまった。使いどころが肝心だ。

 

 聖堂の外から、ヘリのローター音を耳にした。建物の周囲を旋回している。トロントか、あるいはムツキたちの迎えだ。どちらにしても、こちらを探し回っているに違いない。聖堂を出るには、入口を占拠するトロントの構成員たちを蹴散らさねばならない。

 

 アルは冷静に敵方を観察した。上部のアーチに狙いをつける。聖堂から逃がすまいと、扉に人垣を築いている。ああやって密集してくれれば、一撃のみでも大勢を巻き込める。こちらを追い詰めたつもりだろうが、かえって好都合だった。

 

 狙撃銃を仰角に構えて、長椅子からわずかに銃身を伸ばす。狙ったのは一瞬のみだった。トリガーを引き絞ると、ライフルの発射音が轟く。弾丸がアーチ上部に命中し、内部までめり込んだ。内部で炸薬が点火し、一気に膨張する。とたんにアーチ全体が爆ぜた。底面の広い形状を維持したまま、轟音をあげて落下し、構成員たちを頭上から押しつぶした。

 

 煙がたち昇るように広がり、扉付近を覆い隠す。崩落の音が室内へ長く残るようだった。アルは狙撃銃を肩にかけ、腰から抜いた拳銃を構えて、臆せず煙の中へ飛び込んだ。薄暗い身廊は煙でほとんど視界が効かないが、周りで動くものの気配はなかった。先ほどの一撃で、集結していた人員は全滅へ至らしめたらしい。

 

 外から差し込む光源のおかげで、入口の輪郭がうっすらと透過して見える。アルは足早に入口へ出た。正面に広がるトリニティ・スクエアの上空、噴水上方で一機のヘリが滞空している。側面の開いた扉から、ハルカの姿が見えた。向こうもこちらを見止めたらしく、横向きで高度を下げていく。背後からカヨコとサオリも追いついた。スペルは俵みたく、サオリの肩に担がれている。ハスミも遅れて姿を現した。

 

 アルはヘリへ向かおうとしたが、不審な物音を聴いた。出し抜けに生垣を踏み倒して、クルセイダー巡航戦車が行く手に立ち塞がった。キャタピラーを歩道に横たえて、主砲はなんと聖堂入口へ向けられている。目にするや、四人は身を翻して聖堂内へ身を隠した。

 

 ひときわ大きな噴出音がなったと思うと、壁に身を隠したアルのわきを榴弾が飛び過ぎた。間を置かず礼拝堂内から、着弾の爆発音と衝撃が届く。

 

 ハスミが叫んだ。「やめなさい!」

 

 戦車は一向にかまわず、さらに機銃の掃射を浴びせられる。アルたちは身を隠すしかなかった。聖堂の外壁に着弾しているのが、手に取るようにわかる。

 

 奥のヘリから、戦車に気づいたハルカが、ムツキの機関銃で攻撃した。分厚い装甲に跳弾の火花が散るばかりで、クルセイダーは意にも介さない。

 

 反撃をしようにも、限られた広さの入口に身を晒せば瞬時に撃たれる。そもそも先ほどの一発が、アルに残された唯一の反撃手段だった。カヨコの拳銃では、行動不能に陥らせるなど無理だ。サオリとハスミが、それぞれ自動小銃と狙撃銃で反撃しているが、また主砲を使われれば建物が耐えられるかも怪しい。

 

 アルは歯ぎしりした。ジリ貧が長引けば、さらに多くのトロント構成員が集まってくる。ムツキたちのヘリも、長く構内を飛び続ければ高射砲の的となるだろう。そうなれば脱出も絶望的になる。

 

 少なくとも戦車の攻撃の手を逸らせれば、突破口が開ける。だがこれでは一歩も踏み出せない。さっさと移動せねばならない時に、こんなところへ釘付けにされるべきではない。

 

 不運は連続で襲いかかった。遠く本校舎の裏手から、新たなヘリが上空へゆっくりと舞い上がってくる。脱出の目論見に気づかれた。このままではアルたちの回収も困難になる。

 

 突然新たな異音が現れ、猛然と大きくなった。直後に激しい衝撃音が耳へ入る。アルは顔を出し、正面の遊歩道をのぞき見た。

 

 戦車の右側、生垣を破って出現したほうから、新たな車体が姿を現していた。八輪のタイヤを地面へこすらせ、果敢にも戦車へ挑みかかっている。キャタピラーと押し相撲を繰り広げているのは、無骨な見た目の装甲車──BTR-60だ。

 

 聖堂入口へ視野が狭まっていたため、戦車は不意打ちに気づけなかった。勢いのまま数メートル押し出され、反対側の生垣へ車体をめり込ませる。しかしキャタピラーが人工芝へ食い込むと、二台は激しい押し合いに発展した。

 

 開きっぱなしの後部扉から、運転席でステアリングにしがみつく少女の後ろ姿が見えた。アルへ振り向き、里村アカネが怒鳴った。「そんなところに隠れてる場合ですか!早く行ってください」

 

 アルは驚いた。「ムツキと一緒に乗ってるんじゃなかったの!?」

 

「私はここで奴らを食い止めます!アルさん、必ずNASSを止めてください。エデン条約の遺恨を未来へ残してはいけません!」

 

 著しく感情が高ぶる。自らも潜入工作員というのに、正体がばれる危険も顧みず、彼女は味方してくれた。

 

 ムツキたちの待つヘリまでの道が開かれた。アルは猛然と走り出した。カヨコ、サオリも後へ続く。ムツキが地面すれすれで、機体をホバリングさせた。

 

 アルはハスミへ呼びかけた。「アカネを援護して」それだけ伝えると、ヘリへ一直線に駆け抜ける。広場に姿を見せたことで、あちこちから銃弾が飛び交う。トロントの敵構成員も広場へ集結しつつある。

 

 機体の真下へたどり着いた。ハルカが機内から手を差し出してくる。追いついたカヨコをまず乗せ、スペル、サオリの順で中へ入る。アルがステップに足をかけ、キャビンへ乗り込むと、機体はすぐさま広場から離脱した。

 

 トリニティ・スクエアの噴水広場がみるみる遠ざかる。構内に設置された光源やサーチライトが、ヘリの動きを追ってくる。追手のジープらが減速し、敵構成員たちが展開して、仰角に銃撃してくるが、すでに距離は開いている。空中で動く標的となれば、ヘリコプターほどの大きさでもそう命中はしない。

 

 ところが跳弾の金属音が立て続けに奏でられた。アルは側面開口部から外を見た。ブラックホークの左斜め前方に、もう一機の機首が迫ってくる。空中ですれ違ったとき、敵機の側面開口部に並んだ敵兵が自動小銃を構えるなか、膝立ちになった一人が円筒型の兵器を肩で支えているのが見えた。アルははっとした。敵機の開口部が硝煙に包まれ、炸薬弾が撃ちだされた。

 

 機体が急上昇して、弾はスキッドの真下を通り抜けた。ヘリの真下で、ほどなく大爆発が起こり、熱風で機体が大きく持ち上がる。黒煙を抜け、ヘリが前方へ傾いた。ムツキは大聖堂へ向かうと、尖塔の時計台へ身を隠した。敵機は時計台を挟んだ向こうから、猟犬のように追い回してくる。

 

 二機のヘリは大聖堂の尖塔を中心に、ぐるぐると周りながら高度を上げる。サーチライトが仰角に向けられ、光のトンネルが何本も星空へ伸びる。ハルカは機関銃を何度か撃ったが、距離が離れているため命中しない。相手方も同様だった。赤色灯に照らされる敵機のなかで、構成員が無反動砲の再装填にかかっている。

 

 サオリはキャビンの奥へ引っ込んだ。「ハルカ、少し食い止めてくれ」

 

 そういうと背負っていた細長いレザーバッグを降ろした。側面のジッパーを急いで開き、カバーを剥く。金属製の円筒を取り出した。アルは瞬時に理解した。サオリが中から引っ張り出したのは、RPG-7対戦車ロケット砲だった。同梱していた特大のHEAT弾を銃口へセットすると、右肩へ載せて水平に構える。「援護を頼む」

 

 ハルカは立ち上がると、開口部側面に左手を開いて密着させ、親指と人差し指のあいだに銃身を据えた。銃床を肩へ密着させ、反動が生じてもぶれないように構える。人差し指をかけたトリガーを繰り返し引いた。銃火が不規則な感覚でひらめく。敵機に散る火花で着弾地点を確認し、微調整してからまた撃つ。自動小銃を構えた敵構成員が一人倒れて、機外へ落下していった。

 

 反撃で焦った敵が、ろくに狙いも定めぬまま無反動砲を発射した。排煙は明後日の方向へ軌道を描き、大聖堂尖塔の時計部へ突っ込んだ。機関室が内部から爆発して、火の手があがるなか、外壁の瓦礫や金属部品が散乱する。円盤型の文字盤が壁から外れて、上部からゆっくりと落下していく。黒煙を主翼で切り裂いて、敵機が再度姿を現した。落下した文字盤のたてた衝撃音が、鈍く響いてくる。

 

 とうとう追いつかれると、敵機が真横に並んだ。やや下方で並走しながら、どこまでも追跡してくる。だが距離は充分に縮まった。サオリは片膝で立ち、トリガーへ指をかけた。狙いが定まるや、トリガーを一気に引いた。RPG-7はすぐに火を噴いた。

 

 敵機が太陽のごとく光り輝き、直後に巨大な火球が膨れ上がった。火傷じゃすまないほど高温の爆風が広がり、機体をゆさぶる。敵機は大きくひしゃげ、全体が火に包まれた。制御を失い、酔っぱらった羽虫みたいに回転しながら、ぽつぽつと機雷の浮かぶ用水路へ堕ちていく。水面にぶち当たるや、さらなる大爆発が連鎖的に引き起こされた。ヘリは跡形も残らぬほどばらばらに粉砕され、黒煙と火柱を高く昇らせると、ブラックホークも煙に巻こうとしたが、とうとう捕らえられなかった。ブラックホークは勝ち誇ったように逃げきっていた。ついさっきまで身を置いていた要塞学園は、遥か後方で黒煙を昇らせるだけになっている。

 

 トリニティ自治区を離脱するまで、全員の息遣いだけをしばらく聞いていた。無事に生還したとはいえ、安堵には程遠い。NASSを巡る一連の事件は、誰が想像していたよりも重大な事件になろうとしている。対策班への疑念は確定的となり、エデン条約の明らかな再現、ついには雷帝の遺産なる兵器の存在まで明らかとなった。これをどう報告すればよいものか、始末に迷う。

 

 ハルカがつぶやきを漏らした。「アカネさんに迷惑をかけてしまいましたね……どうお詫びすれば」

 

 カヨコはキャビンの床へ腰を落とし、壁にもたれかかっていた。「あの場にいたハスミが真実を知ってくれてる。たぶん味方してくれるはずだよ」

 

 アルは席へ座って頷いた。「補給を済ませたら、このままスペルを連れて、対策班の集会場へ乗り込むわよ」

 

 運転席にいるムツキが妙な声で聞いた。「もう向かうの?あれだけ騒ぎになったからには、色々なところが黙ってないと思うけど」

 

「あいつらの本性を明かしてやる良い機会よ」アルはサオリを見た。「あなたはどうする?一緒に来るかしら」

 

 サオリは壁の取っ手を掴んで、立ったまま考えていた。やがて静かに首を振った。「いや、私はやらねばならないことがある。補給のために降りたら、そのまま奴らの下へ戻る」

 

 カヨコが聞いた。「大丈夫なの?正体が知られてたら、一巻の終わりだよ」

 

「NASSは直接マダムと顔を合わせることはないから問題ない。チームが反撃にあって全滅した、命からがら逃げて来た。あとは持ち直して、再び指令を待つだけだ。懲罰や処分は一切ない」

 

「そう、でも気を付けて。何を仕掛けてくるかわからないから」

 

「分かっている」

 

「……あのハスミの話だけど」カヨコはアルへ目線を移した。「戒厳令と正義実現委員会の遠征は、どちらもイサミの命令だった。わざわざトリニティ構内の戦力を削いだところで、私たちがスペルに接触しやすくなるだけ。そんなことをする必要があったとは思えないのだけど」

 

「これもエデン条約事件の再現なら、イサミの狙いは別にあったことになるわ。問題はこのシナリオの続きよ。あの時も戒厳令を敷いて、正義実現委員会を遠ざけて、そのあとは一体どうなったの?」

 

 サオリが応じた。「たしか、アリウスと結託した聖園ミカは敗れ、身柄を拘束された。エデン条約は予定通り調印へ向かい、調印式の襲撃へつながる……」

 

 話すうちにサオリの表情が暗くなった。嫌な過去を思い出させてしまっただろうか。だが解決のためには、NASSの行動の先を読む必要がある。

 

 カヨコが口を開いた。「調印式襲撃ってことは、巡航ミサイル?もう客船で再現は終えてるよね」

 

「そうだ、ミサイルの技術要員だったシルバが倒された今、NASSがこれ以上ミサイルを使えるとは考えにくい」

 

「他に何か心当たりはある?」

 

「あとは一般に知られている通りだ。調印式襲撃が失敗した後、マダムは儀式で上位存在へなろうとした。私たちはそのマダムを倒した……というのは雑過ぎるあらましだが」

 

 儀式、アルの中に引っかかるものがあった。ヴァルキューレ本庁の会議室で聞いた、録音データの声が再度脳裡に流れる。バシリカ、儀式、そして上位存在。バシリカなどでまかせではなかったのか?何の儀式かもわからない。だが雷帝の遺産の正体も分からない以上、無関係とは考えにくい。

 

「サオリ」アルは真剣な顔でいった。「一つ頼まれてくれないかしら」

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