アルは一人だけ、謁見のために連行されていた。
火山の足元に当たる森林で、コガネの城への攻撃に気を取られ、接近するギルに気づけなかった。その場で狙撃銃を没収され、意識のあったカヨコも降伏するしかなかった。NASSの隊員がムツキとハルカを抱え上げる。
首元へ密着する寸前で、鈍い銀色の刃が静止していた。緊張で首元がじんわりと汗ばみ、呼吸は浅くテンポも速くなる。いつでも喉を掻き切る準備がされていた。アルは油断した自分を心の底から呪った。
包囲網の後ろから、木の板に穴を開けた手枷を持った兵士が出てきて、二人はアルとカヨコへそれぞれ近づいてくる。シュウは手首を背に回され、丁番のついた木板が両手をがっちりと噛む。アルの背後からギルの気配が離れたが、刃は依然喉元へ向いている。妙な動きを見せれば、ギルはすかさずチェロ奏者のごとく刀を滑らせ、たちまち喘鳴が響くこととなるだろう。
腰にさした拳銃だけは、コートに隠れて見つかってない。だが兵士が手枷をかけようとして、アルのコートを脱がせたとき、とうとう反撃手段も見つかってしまった。カヨコも拳銃を没収された。丸腰にされ、失意に打ちのめされる心境など気にせぬまま、兵士はアルの後ろで木板の手枷をかけた。
アルは表情を硬くした。「最初からいけ好かないやつだとは思ってたけど、こうもありきたりな展開じゃ拍子抜けね」
バットは愉快そうに拳銃を人差し指で回した。「ありきたりすぎて予想してなかったか?油断しすぎだな。地下道で俺がやられたと思って、公算に入れてなかったろ?」
「ヴァルキューレに捕まったと思ってたわ」
「トリックだよ。ああやって姿を消せば、誰もが俺は死んだか行方不明だと思うだろ?これで俺様はなんら警戒されることなく、自由に動き回れるのさ」
カヨコがきいた。「裏切者は二人じゃなく三人……バットは初めからコガネと組んでたの?」
「良い台詞だ」バットは笑った。「俺の調書を読んだろ?その時点で疑ってかかるべきだったな。馬鹿なマコトと万魔殿に媚びれば、信用されて対策班へ送り込まれるとわからないか?」
「風紀委員会の足を引っ張ったのは、万魔殿の信用を勝ち取るためだったとでもいうの?あまりにも大きな賭けだと思うけど」
「実際そうだったさ。だが対策班へ他のやつを入れるわけにはいかなかったからな」バットはそこで言葉を切った。「さあ、無駄話はここまでだ。場所を移そう、城主様がお待ちだぞ」
そういうと集団の先頭に立って、森林の奥へ歩き出した。銃口が無言で促す。アルとカヨコは従って、大きく頑健な背中を追った。
大きなブナの木陰に辿り着くと、どこからともなく甲高いエンジン音が聞こえてきた。電動モーターの音だ。なんとなくアルは、地面の下から駆動音が伝わってくるように感じた。茂みがかすかに揺れる。
芝の生えた地面がいきなりぱっくりと裂け、ぎざぎざの割れ目がするすると広がる。二つに分かれた地面が、両開きの扉みたいにぱっくり開いた。暗い穴が大きく開き、奥に電灯の光が見える。モーターが止んだ。
驚くしかない。地面が割れた奥には、暗い地底へと続く石造りの階段が現れた。どこからともなくやってきたこいつらは、この穴からもぐらみたく地面を通って出てきたのだ。
バットが階段を降り始めると、背中を銃身で小突かれながら、アルは穴蔵へと足を踏み入れた。一人が通れるぎりぎりの広さで、頭や角をぶつけそうになった。アルの足元の近くで、ばっさりと切った短髪の黒い頭がバウンドするように階段を下っていく。中心にちょこんと収まったつむじをヒールで踏んずけてやりたかったが、少し考えただけで無駄な行動だと分かる。狭いから動きにくいし、背後では兵士の手に握られたアサルトライフルが控えている。
三十段も下るとその先は、古い炭鉱場のような空間になっていた。石油ランプが照らすなか、一本のレールの上にトロッコが並んでいる。トロッコは四人が座って乗れるくらい一台ずつが大きい。石炭や岩石を満載して、人力で押し運ぶためのものかと思ったが、なんと電動で自動的に動くらしい。
バットが銃で指し示した。「アル、お前はギルと二人で先に乗れ。マダム二世はお前に話があるそうだ」
アルは振り向いていった。「私はどうなってもいいわ。だけど皆には手を出さないで」
「それはあいつ次第だ。せいぜい機嫌を損ねないようにするんだな」
カヨコとシュウが心配そうに見つめる。アルは無理やりに口元を歪めてみせた。「大丈夫よ。カヨコ、二人が目を覚ましたら、皆をよろしく頼むわ」
カヨコは深くうなずいた。鋭い眼差しが、くれぐれも気を付けるよう伝えていた。さあ乗れと急かされ、ギルと向かい合うように乗り込むと、トロッコは音もなく滑らかに動き出した。
きまずい沈黙が流れた。二人きりで面突き合わせているが、ギルは何も語ろうとせず、手を鞘から十センチメートル以上離そうとしない。アルも固く口をつぐんでいた。しかし考えてみれば、ギルは満足に話すこともできないのだから、なんら気にする必要などなかった。
アルは子細に目の前の顔を観察した。眺めるほど、ますますサオリに似ている。サオリは無事だろうか?あのあと何の問題も起こらず、NASSの内懐へと戻れただろうか?いっそ目の前で睨みを利かせる彼女が、サオリであって欲しいとまで思った。黒い面頬の下から、あの頼もしい声で正体を明かしてくれれば、どんなに頼もしいことだろう!今も手首がじんじんと痛む原因の手枷を外して、反撃しようと手を差し伸べてくれれば!そんなアルの一抹の望みをかけた眼差しは、獲物を狙う肉食動物のような眼の前では何の意味も示さなかった。
レールは途中いくつかの分岐に分かれて、アルの乗ったトロッコはひたすらまっすぐ進み続けた。流れるようにトンネルを抜けると、洞窟みたく薄暗かった視界がわっと広がり、周りは別世界のように様変わりした。
トロッコはあきれるほど巨大なドーム型の空間へ進入した。振り返って、置物みたいなギルから周りへ視線を移す。剥き出た自然の石壁が半円型の天井近くまでを囲み、高出力のライトが等間隔で並んで洞内を明るくする。レールはライトの近くを一周ぐるっと回るように伸び、この先の分岐は壁にめりこむ箱型の部屋へ通じている。そこだけコンクリート造になっており、分厚く横に長い防御ガラスの内側、開かれた鋼鉄製のブラインドの奥で、何人もの作業員がコンピュータと向き合っている。広大な空間の中央へ目を転じると、ぽつんとミサイル発射台のようなものが設置されていた。ミサイルは天へ向けて垂直に立っている。アルがミサイルだとわかったのは、ロケットというには小ぶりなサイズだったからだ。全長は十五メートルほどか。洋上で阻止した巡航ミサイルとは根本から異なる、
トロッコは速度を落とすと、分岐で左に進路を変えた。トロッコがぐっと頭を上げて、急勾配を登りきると、箱型の指令室らしき区画へ入って停止した。
終点には、すでにアサルトライフルを構えてNASSの兵士が二人待機していた。灰色で均一にまとめられた狭いホームだった。まずギルが下車し、その後で降りるよう促される。気まずい時間が終わり、アルは内心少しほっとした。
ホームから徒歩で通路へ入った。先ほど外から見えた指令室らしき区画へは立ち寄らず、作業員らが行き来する廊下を、ひたすらまっすぐ突き進んだ。やがて豪華そうな両開きの襖に行きつくと、兵士の一人がノックした。他とは明らかに扉の作りが異なる。百鬼夜行の文化が突然現れていた。
開いた襖に足を踏み入れる。石材ではなく、畳が敷かれていた。アルは絶えず背後から、二人の兵士にアサルトライフルで狙われている。ギルは隣に立って、いつでも抜刀できる手を作っている。
背の低い机の奥で正座している女は、落ち着き払ってアルの姿をながめた。その口元がにやりと大きく歪む。
兵士の一人が襖を閉めた。権威をたたえた声が歓迎した。「いらっしゃい」
アルは緊張の面持ちで見つめた。黄金の竜がのたうっている模様の、堂々とした黒い絹の着物に身を包んでいる。手は膝の上にのせて、威厳を示すみたく肘を外へ広げている。手入れの行き届いたブロンドの下では、あの金塊のような瞳が重厚な圧を放っている。
百鬼夜行代表、眼虎ラム──獅原コガネは、低い笑い声を響かせ、凄みのある笑みを浮かべた。「百鬼夜行へようこそ、陸八魔君。私の城はいかがかな?」
アルは落ち着いた口調を心がけた。「ここより前の城の方が良かったわ。貴重な世界遺産が一つ消失したのは、大きな損失でしょうね」
「あの城にもともと文化的価値などないさ。他学園からの攻撃に備える目的で、昔にいくつも建造された、見せかけだけの城の一つだよ。歴史上の君主が統治した拠点でないから、文化財としての登録もされてない。とっくに崩壊する運命だった遺構を、私が安く買い取って補強したんだ」
アルは机のそばの安楽椅子に座っている、見慣れた人物へ目を移した。氷野イサミは着席していても、軍人風に背筋をすきっと伸ばしている。その双眸には歓迎の意は一切見られない。目下それは、こちらの棺桶のサイズを知ろうとするように、じっとアルへ据えられている。
もっと早く気づくべきだったわね。イサミの姿を目にしても、驚いてみせたりするような心境になどならなかった。コガネのそばに座る彼女へは、小さく頷くにとどめた。
「無事逃げ出せたようでなによりね」アルは事務的にいった。「名優だったわよ。悪事に加担しなきゃ、映画の主役にも抜擢されたでしょうに」
「全てが演技ではない」イサミは笑いもしなかった。「バットの古典的なゲヘナ的性格は今でも好かん。仕事だから手を組む、それだけだ」
コガネが乾いた笑い声を上げた。ちらとそばのイサミへ顔を向ける。「親愛なる氷野君、例の件は間もなく準備完了する。私はこの子と話があるので、すまないが席を外していただけるかな」それからアルの後ろに控える二人へいう。「お前たちも外へ出てくれ。襖の前で、誰も盗み聞きしてないか探っておけ」
イサミは立ち上がった。「いいだろう。私は契約に従い、責務は果たした。失うものなどないだろう?」
「そのとおりだ」コガネは肯定した。返事を聞いたイサミはさっさと退室した。
襖がぴしゃりと閉まると、部屋にはアルとコガネ、ギルの三人だけになった。
「陸八魔君」コガネの瞳が怪しく輝く。「ここへ君を呼んだのは、ひとえに君に打ち明けておきたいことがあるからだ。また君に話してもらいたいこともある。そこに座れ」
アルはヒールを脱ぎ、目の前の人物にならって正座した。慣れない体勢だが、コガネは他の百鬼夜行の生徒と同じく、この姿勢がまったく苦ではないらしい。
「君がわずかな希望を抱いたりしないよう、先に断っておくが」コガネは口火を切った。「君を助けに来る人間は誰もいない。便利屋の愉快な仲間たちはバットが目を光らせている。今頃は牢屋にでも入れられてるだろう。アリウスのはぐれ娘には注意したさ。彼女を引き入れたイサミは、私の計画に賛同して、必要な資金や兵装を援助してくれた。ゲヘナ、トリニティ、アリウスは対策班が真っ当な性格のものだとすっかり信じ込んだ。まもなくその幻想は破られるだろうが、気づいた時はこちらの計画は完了している。助けが来るなど期待しないことだ」
「あいにく最初から、誰かしらの助けなんて計画に入ってないわ。私たち便利屋68は少数精鋭、活路は常に自分たちで切り拓くのよ」
「勇敢なことだ」
「あなたの正体もすでに看破したわ、獅原コガネ。百鬼夜行の生徒に成りすますとは考えたわね。狙いは何かしら?ネオアリウスがキヴォトスに混沌を呼び込む、世界的な暴力機関となったとして、その軍事力は他学園にも無視できない存在となるでしょう。けれども、そこまでが限界よ。かつてのアリウス分校のような、一学園の形成なんて現代では通用しない夢物語よ」
「君は私が国家を樹立したがってるというのか?」
「違うとでもいうのかしら」
コガネは少し考え込んだ。「よかろう、君には何もかもを話してやろう。そうすれば私がNASSを再編成した目的や、バットやイサミが私と組んだ道理もわかるだろう。私が伊達や酔狂でこんなことをしているのでないと理解してもらえればいいのだがね。それから私からする質問に答えてもらいたい、そうすれば仲間ともすぐに再会できるさ」
こいつは頭のタガが外れてるわね。アルはそう思ったが、こういう手合いは今の世にごまんとしるし、前にも会ったことがある。まずは耳を傾けて、彼女の言い分を聞いてみよう。どうせ状況が改善しないのなら、これまでの行動の謎を解き明かすことに専念しても、きっと許されるだろう。
コガネは静かに語り出した。「君も知っての通り、私はゲヘナ自治区の底流学生の出だ。幼い頃から風紀委員会と戦った、反抗勢力の子どもだよ。ばらばらだった有象無象をまとめ上げ、ドラゴンヘルメット団を組織した」
「よくこれまで顔が割れなかったわね」
「金品を奪ったり、どこかを襲撃しようにも、無策で飛び出すのは愚の骨頂だ。そうやって風紀委員会へ連行される馬鹿どもを見てきたんだ。走って、飛んで、撃って、それで何になるというんだ?少数派の我々に必要なのは無謀な勇気ではなく、敵を欺くための頭脳だったのだよ」
「研究の動機にしては不純そのものね。自分たちの戦術が犯罪に転用されたと知ったら、あの世のご先祖様たちも良い顔をしないでしょう」
「陸八魔君の私のおこないへの認識は、見当違いにも程があるな。あの世の先達たちは怒るどころか、私の業績に対して感謝を述べて祝福してくれているだろう。歴史の闇に葬られるはずだった先人たちの知恵を掘り起こし、失わせることなく現代へと蘇らせたのだ。偉大な過去の戦術家たちの偉業は、私の手で未来へと語り継がれる」
「軍師たちが皆、あなたみたいな考えの持ち主とは限らないんじゃないかしら?」
「よそう、陸八魔君。この議論には永遠に決着がつかないさ。話を戻すと、ドラゴンヘルメット団の頭脳となった私は、瞬く間に勢力を広げた。ギルを拾ったのはこの頃だよ。可哀想な奴でね、みつ口なんだ。筋が良かったので、武器を与えて鍛えてやった」
「良い飼い主に拾われたわね。お似合いよ」
コガネは硬い顔になった。「そろそろ君の一番興味のある箇所へ入ろうか。ある時、ゲヘナへ潜入していたトリニティの工作員を通じて、七宮スペルの言葉が届けられた。トロントの公的な武力集団として、私たちをぜひ雇いたいとね。どこにも記録されない極秘資金と、学外の登校していない生徒たちで構成された、私設の軍隊みたいなものを作ったんだ」
「調印式襲撃の前くらいね。雷帝の遺産はどこで出てくるのかしら?」
「それはもう少し後だ。私はあくまでスペルの意向に従ったが、組織の指令権限は常に自分が有していた。報酬は城の購入に充てて、名前と見た目もすっかり変え、眼虎ラムとして戦争研究に専念するようになった。確固たる隠れ蓑が完成したんだよ、スペルと私たちを結ぶのは、毛細血管みたく張り巡らされた連絡網だけだ。外部に気づかれることもなく、単純なスペルの信頼を難なく勝ち取った」コガネは一息入れた。「そして運命の日──私の運命を決定づけた日がやってきたんだ」
このあとに出てくる話が何なのか、アルは容易に想像がついた。そして事実、コガネの口から語られたのは、あのコレクション強奪事件のあらましだった。スペルはワゴン車の中身を伝えぬまま、トリニティの監視の目を欺き、中身を回収することをコガネたちへ命じていた。
「その時は何も知らなかったんだ」コガネはいいわけでもするようにいった。「監視からの逃走は朝飯前さ。だが隠されたブラックボックスの中身を見たくなるのが、人間の心理的な性でね。確認したギルが連絡を寄こしてきたときは、さすがの私も驚いたよ。雷帝の遺産の存在は、戦争研究の過程でいくらかの文献から知っていた。スペルの下へはやらず、城へ運び込んで詳しく調べてみた。疑いようもなく、雷帝の発明品の一つだったよ。ところでこの遺産が、いったいどんな力を秘めているか知ってるか?」
「さっき配備されていたミサイルかしら」
「いや、あれはブラックマーケットの軍需企業から買ったものだ。手に入れた遺産は列車砲なんて単純な兵器じゃないんだ。軍事衛星でね。ミサイルは遺産を宇宙へ運ぶための手段に過ぎない」
嫌な沈黙が流れた。アルはすぐにでも動き出さねばならないと直感した。遺産はすでに弾頭へ積まれている。発射体勢にあるのなら、すでに彼女が遺産の制御に成功している可能性が高い。アルはコガネを見つめた。「その軍事衛星から、地上へビームを飛ばそうとでもいうのかしら」
「単純な兵器ではないといっただろう。次世代型戦略兵器だ。神の視点から戦場を俯瞰し、自分で思考して戦術を構築する。一秒あたり何兆、何京という計算をこなし、次に起こる未来を予測する。そして現在のどの要素を動かせば、未来を操れるかもわかる。陸八魔君、マダム二世を私だと決めつけていたのだろうが、それは大きな間違いだ」コガネは大きく息を吸った。「マダム二世なる人物は実在しない。お前たちが追っていた相手は、遺産の
アルは胸の内で愕然とした。絶句しつつも、どこか納得もあった。これまでのNASSの軍事行動が想起される。すべて計算し尽くされた代物だった。
唯一引っかかるのは、コガネ自身を狙ったと思われたカジノ襲撃の手荒さだ。あれだけは計画性も何もない、突発的な軍事行動という印象でしかない。それにエデン条約事件を模した行動ばかりというのも不思議だった。
アルは詰問した。「AIにNASSの軍事行動を任せて、自分はのんびり高みの見物ということかしら?そんなんじゃ近いうちに仕事を奪われるわよ」
「そうはならないさ、遺産が私自身を代行するのだからな。しかし遺産を手に入れても、当初は碌に動かせなかった。この遺産を満足に動かすには、安全装置を外すための鍵が必要でね。回収を命じたスペルは、利用する算段がついていたのだろうから、当然鍵も入手していると思ってた。それで部下を彼女のところへ寄こしたんだが……」コガネの表情が暗くなった。「スペルは不祥事の発覚を恐れて、証拠につながる鍵をとっくに手放していたんだ。そうなると私も困った。鍵がない以上、別の方法を探すしかない。そこで取った方法が、AIを学習させ、自ら制限を解除させることだった」
アルはからかった。「そんなことができるのかしら?」
「そのためにネオアリウスを組織したんだ。スペルという顧客を裏切ったので、新たな援助が必要でね。それぞれの学校へ不満を抱いていたイサミとバットを呼びだした。それぞれは喜んで協力を申し出てくれたよ。バットはゲヘナの指名手配犯を含む多くの人員を、イサミは資金と兵装を提供してくれた。二人はその代価に、双方学園の首脳部──万魔殿とティーパーティーの暗殺を要求してきた。彼女たちのイデオロギーの将来と引き換えに、私は兵力と資金と未来を制する手段を手に入れた」
「常識知らずにもほどがある約束だわ。到底不可能よ」
「遺産が完全に覚醒すれば、私に不可能などなくなる。彼女たちは、私に先行投資をしたのだよ。ネオアリウスと大げさな声明文をばらまけば、世界はNASSを深刻な問題と受け止める。それからイサミに命じて、NASS対策班を発足させた」
「全部、自作自演だったわけね」
「そうとも。NASSの目的は、マダムの思想への共感でも、アリウスとトリニティの権威失墜でもない。これまでのNASSによる一連の事件全てが、雷帝のAIに学習させるための教材だったのだよ。エデン条約事件を再現するためのな」
「なんですって?」
「いがみあっていた学園同士の同盟、ネオアリウス、そして調印式襲撃に使われた巡航ミサイルなど色々あるが、これら全てが偶然だとは思ってないだろうな。すべてはシナリオ通り、エデン条約事件の再現となるよう手を加えていた。君たちに依頼した裏切者探しも、調印式襲撃前にトリニティ内で起こっていた事実の再現だ。正義実現委員会は怪しみながらも、自分たちの役割を忠実に演じてくれたな。この劇のおかげで遺産は順調に学習を進めていった」
「劇ですって?」
「そうだ、私は劇のシナリオにエデン条約事件を採用した。あの事件を選んだのは、条約自体が雷帝への対抗策として仕組まれたものだったからだ。雷帝を模したAI、それを目覚めさせるのに、これ以上良い題材はないだろう?」
「カジノの襲撃だけは節操を欠いたようだけど」
「あのカジノで大勢死んだのは、君たちのせいだ」コガネは非難するようにいった。「方針を切り替えても、遺産の鍵の行方はずっと追っていた。あのチャールズとかいう獣人が鍵の在処を知っていたから、私が直接出向いたんだ。合法的に金を掴ませて、それから秘密を聞きだす算段だった。それなのに……」黄金の目つきが厳しくなる。「麻雀では、陸八魔君、君が独り勝ちした。やむなく拉致作戦に切り替えたが、ギルは加減を誤ってチャールズを殺してしまった。鍵の行方は再び闇の中へ消えた」
アルは肩をすくめた。「それは残念ね。遺産の方から鍵を開けてくれるのを待つしかないなんて」
コガネの口元に怪しい笑みが戻った。「だがその必要はなくなった。鍵は手に入ったからな」
「どういうこと」
「自分でわからないか、陸八魔君?君たちが運んできてくれたんだ、あの小帝国のようなトリニティからな」
アルは黙っていた。コガネの説明通りなら、鍵はトリニティ構内に隠されていたことになる。だがトリニティにいるあいだ、それらしき鍵は拾ってない。七宮スペルの身柄を連行してきただけだ。
嫌な胸騒ぎがする。スペルは鍵を手放したのではなかったのか。遺産の本体を奪われ、証拠隠滅を図りながらも、密かに奪還する機会をうかがっていたのだろうか。
コガネが着物の内懐へ手を入れる。小さな十字型のペンダントを取り出した。それがなんだか、すぐにわかった。アフターヌーンティーの会場で、スペルが首から下げていたペンダント!コガネが十字の下方をつまんで引くと、蓋が外れ、ぎざぎざした鍵の歯があらわになった。
コガネが得意げにいった。「遺産はとうに覚醒した。あとは衛星軌道に乗せれば、もう誰も遺産に手出しはできん」
アルは抗弁した。「ミサイルたった一機で宇宙へ飛ばすというの?不可能よ」
「多段式ミサイルLGM-50は、射程三〇〇〇〇キロ、高度二〇〇〇キロだ。シルバの改良で、飛距離と高度ともに伸びている。充分に届く」
「不審な飛行物体は撃墜されるかもしれないわよ」
「だから城を攻撃させたんだ。私は火の海に消え、遺産は破壊された。連邦生徒会はそう判断するだろう。打ち上げに気づいたところで、撃墜する間もなくミサイルは宇宙へ到達する」
また沈黙が生じた。コガネは計画に絶対の自信を置いている。事実そうなるだろう。そこまでして何が目的なのか。
「あなたの目的はなに?」アルは直球に聞いた。
「諸行無常」コガネはいった。「祇園精舎の鐘の声、から始まる一節だ。過去に向き合う研究をしていると、栄華の儚さを常々感じるのだよ。私一人がどんなに知恵をつけようと、素晴らしい頭脳を持とうと、この体も脳もいつかは朽ち果ててしまう。盛者必衰の理のとおり、どんなに勢いがあるものも最終的には滅び去ってしまう」
「雷帝もそうだったわね、つまらないクーデターであえなく失脚した」
「よく知っているな。だが彼女も含めて、先人たちは自分たちの栄光を未来へ残そうと腐心してきた。石板や文字に記録して、後世へ語り伝えてきた。それが歴史だ。人生の意義とは、何を後に残すかにある。君もそう思わないか?」
「その点に限れば同意するわ」
「私は私の頭脳、私の存在を未来へ残したい。歴史の奔流に流され、忘れ去られるなどまっぴらだ。だから私は、私自身の複製を未来へ残す。遺産のAIに私の思考を学習させ、この世の全てのものの頂点である宇宙から、何世紀にも渡って君臨し続ける」コガネの演説に熱が入り、拳を握りしめる。
アルはいった。「あなたは雷帝に成り代わるつもりなの」
「そうだ、遺産は私のものとなる。AIはもう一人の私となり、雷帝を越える。まさしく──『黄金将軍』になるのだ!」