学園都市に多数ある娯楽施設のなかでも、カジノほど特別な空気をはらんでいるところはないだろう。ここに流れるのは和気あいあいとした学生たちの牧歌的な空気ではなく、強欲と緊張と不安が入り混じった大人たちのむさくるしいまでの熱気だ。豪華絢爛な装飾の数々が、息がつまるような熱気を包み隠す役割を担っているのは言うまでもない。それらがなければ、やがて人々は分別に目覚め、カジノを不快なものだと思うようになる。
時刻は午後十時過ぎ。あちこちのテーブルでゲームに熱中するのは、身なりの良い上流階級ばかりだ。スロット、ダイス、カード、麻雀など、あらゆる娯楽がひしめき合う。それぞれの手元には丸いチップが積まれていた。ゲームに何らかの動きがあるたび、テーブルの上を大小のチップたちがせわしなく動き回っている。
腎臓型のテーブルに陣取ったアルは、タイトな黒のチャイナドレスに身を包んでいた。目の前には、テーブルを挟んで機械人の札まきが新しいカードの封を切る。しわ一つない新品同然の白いシャツの上に、黒いベストと蝶ネクタイを着用し、滑らかな手つきでカードをシャッフルし始めた。ブラックジャックのテーブルに座るのは、アルだけだった。ムツキとカヨコ、ハルカは列席しておらず、アルの右斜め後方に控えていた。テーブルを囲む真鍮の手すりの奥で、ゲームの様子を見物している。ムツキはミント色のチャイナドレス、カヨコとハルカはフォーマルなドレス姿だった。銃器の持ち込みは当然禁止されており、四人とも武器は携帯していなかった。
どうしてこんなことになったのか──きっかけはほんの一時間ほど前だった。
逃亡犯を捕らえた後、便利屋68の四人は午後九時ぴったりに、ローガン薬局裏手の職員口をノックした。すぐに扉が開かれ、濃茶のズボンにコーヒー色の服を着た、背の高く感じの悪い機械人が出てきた。
「お届けものよ」
アルがそれだけ言うと、機械人は店の奥へ手を振った。「入りな」機械人は振り返ると、先頭に立って歩き出した。アルは後に続いてすぐ、巻かれた革ベルトのホルスターに小型拳銃が収まっているのに気づいた。典型的なヤクザタイプね、と検討をつける。武器をおおっぴらに見せつけるのは威嚇のつもりだろうが、あいにく修羅場慣れした彼女たちに効果はなかった。
一行は蛍光灯のついた廊下を歩いて、すぐに目的の扉へ達した。入り口の上には〈G〉とだけ書かれている。
「さあ、着いたぞ。荷物は俺が中へ運ぶ」案内役がそう言った。アルは素直に従って、身柄を詰め込んだ黒いボストンバッグを渡した。中からゴンザレスのすすり泣く声が漏れている。ここへ運ばれている途中で目が覚めて、この後に待ち受ける運命を悟ったのだろう。案内役は肩に紐を当てて、背中でボストンバッグを背負いあげると、ノックしてから返事も待たずに部屋へ入った。アルがその後に続き、最後尾のハルカが扉を閉めた。
分厚いサテンのショールカラーを着た、ずんぐりとした体形の機械人が机の前に座っていた。手元のグラスには、黒い石油のような液体が入っている。案内役がバッグを持って入ると、機械人は立ち上がった。バッグを一瞥し、それから部屋へ入って来た学生四人の顔に目を通す。体の動きには、毒を隠し持つまむしのような油断ならないところがあった。
機械人は短く笑い、それから案内役へ向き直る。「ジャスパー、中身を確認しろ。これを使うといいさ、そら!」右手をしならせるように振り、案内役へ突き出した手のひらには、銀色に光るナイフが横たえてある。うまい芝居だな、とアルは思った。
「へい」案内役はナイフを受け取ると、てきぱきとした手さばきで仕事にかかった。膝立ちになり、ボストンバッグにナイフを突き立て始める。
機械人は机に戻り、グラスに入っていた黒い液体を一度に飲み干した。アルは常々考えてはいたが、食事といい先ほどのナイフといい、機械人の体には時々不思議に思わずにはいられないところがある。そういうことについて仕事で知り合った何人かに聞いたこともあったが、決まって上手くはぐらかされるか、何かとてつもなく猥雑なことを言われたかのような反応をされるだけだった。アルもついに追及を諦め、きっと機械人たちだけでの秘密協定のようなものがあるのだろうと自分を納得させるしかなかった。
ムツキが隣でぼそっとつぶやいた。「ガソリン補給」
「何だって?」機械人は耳ざとく聞いていたようだった。ムツキは明後日の方向へ目線を移し、唇をとがらせて口笛の吹き真似をした。機械人は苛立たし気に部下を急かす。「早くしろジャスパー。もたもたしてると、バッグの中で窒息しちまうぞ」
「へい、ただいま」ジャスパーと呼ばれた機械人はナイフを逆手で持つと、手前に勢いよく引いてバッグを裁断した。中でロープを掴むと、まず赤いチェックシャツの背中が出て、次に頭、下半身と折りたたまれたゴンザレスの体を引っ張り出して、床に横たえた。
まむしはかがみこむと、獲物の品定めをするようにじろじろ見まわしたり、指でつついたりした。
「ようしジャスパー。間違いないぞ。こいつを連れて、それから報告を飛ばせ。それからホテルに連絡して、Zテーブルの準備をしろと伝えろ。この方々に案内するものだ。分かったか?」
「へい」ジャスパーは短く返事をすると、ゴンザレスを無理やり立たせて、扉から出て行った。バタンと扉が閉まると、部屋は静かになる。残ったまむしは最初の席に戻った。
「さて、これで良いようなら、依頼料をいただければありがたいのだけど」アルは努めて平静を装った。
まむしはじっとアルを見つめていたが、やがて静かに口を開いた。「便利屋68。突然の依頼にもかかわらず、よくやってくれた。金は確かに払ってやる」右手で空のグラスを弄ぶ。静かに机の上に戻すと、椅子を回してへそを真正面に向けてきた。
「あいつには500万貸していた。金は身を削ってでも返してもらうとして、仕事をしたお前たちにもいくらかの配当をやらないとな。うちの口止め料も含めて、50万だ。ただしお互いのために、じかで金のやり取りはしない。裏社会で長年やってきているなら、理由はもちろん分かるだろう?人間ってのは急に大金を掴むと、何をしでかすか分からないからな。どこかで口を滑らせるかもしれないし、それにお巡りに捕まって、どこで手に入れた金だ、と聞かれても答えようがない」
「そうね」
「だからある考えられた手を使う。例えばさっきのジャスパーにしても、直接の受け渡しはしない。我々は部下が自分で金を増やせる手筈を整えるだけだ。代表者はお前か?」
「私よ。名前は陸八魔アル」一歩前へ踏み出す。
「ようし、アル。お前は今日、グラントという仕事仲間に会った」グラントは親指で自分の胸元を指さした。「我々は三ヶ月ほど前の流行風邪の特効薬工場との取引で、仲介役と売人として仕事をしたことがあった。グラント氏は税金をきちんと納める堅気の住人で」少し強調するように語気を強める。「その時にお前は個人的な食事費で五万円を借りた。ここまでは良いな?」
「ええ」
「今日お前は久々にグラント氏と会い、その時に借りた五万を倍にして返すか、それとも受け取るかという勝負をした。君は賭けに勝ち、十万を手に入れた」机の引き出しを開けると、グラントは十枚の札束を手渡しした。
アルは札束を受け取ると、財布の中へしまいこんだ。
「まだ続きがある」グラントは言った。「お前は”せっかく来たのだから、どこかで運試しをしたい”と話した。私は”それならホテルノルマンディへ行ったらどうだ?”とお前に教えた。お前は良い考えだとひらめき、そのホテルへ向かう。懐に十万を持ってな」
「けっこうよ」
「そこでお前はブラックジャックをやるんだ。賭け金は五倍になる。お前は満足のいく金額を手に入れるし、誰かに問い詰められても自分で稼いだと胸を張って主張できる」
「そんなにうまくいくかしら?」
「手違いはない」
アルは考え込みながら、今の話を精査した。なるほど、確かにこの組織はうまく仕組んでいるようだ。それにホテルノルマンディといえば、ゲヘナ自治区でも特別な地位にあるホテルの一つだった。物心ついた時には既に存在していたこのホテルは、自治区内で他学校生の接遇所を兼ねたゲヘナを代表する大型ホテル設計が練られたことで落成し、実際にゲヘナを代表する建造物となった。その最上階に、客人をもてなすためのカジノが開かれているのも承知していた。この格式高いカジノの内部で、グラントの手の者が賭博を仕切っているのだろう。
「それから重要なことを話す」最後に身を屈め、あのまむしのような目つきになった。「ホテルまでは自分たちで行ってくれ。それから午後十時きっかりに、ホテル内の、三つあるブラックジャックのテーブルの真ん中へ一人で行け。そこに座って、最高額の賭けをやる。五回やるんだ。それで五十万になる。ゲームが終わったら、すぐにテーブルから離れろ。あまりカジノに長居するな。いいな?誰かにしゃべったり、秘密をうっかり漏らせば、我々がどのような手に打って出るかは知っているはずだ。まあそんなに緊張せず、気楽にいくと良いさ」
カードの山が二つ、伏せたままテーブルに置かれ、札まきの手でシャッフルされるのを眺めながら、アルはあのまむしのような人物との一部始終を心の中で反芻していた。それが終わると、札まきはカードを取り上げて、先ほどとは違うシャッフルを披露する。カヨコの話によれば、こういう場合のシャッフルはどんな切り方をしていても、最終的なカードの順序は変わらないらしい。培った経験とイカサマへの熱意が為せる技だろう。
札まきはもう一度シャッフルをしてから、表を伏せた山札をアルの手元へ滑らせた。どうやらイカサマを防ぐため、こちらもカードを切らなければならないらしい。アルは山札を左手で掴み上げた。ところがカードの表面は想定よりずっと摩擦が少なく、普段手にするものより遥かに軽い。いつもの調子で切ろうとしたアルは、危うく山札をこぼしそうになった。表情はなるべく変えないよう意識し、大人しくテーブルの上で山札を分割して重ね直す。札まきが受け取り、結局あの複雑なシャッフルでカードを元通りに並べ替えてしまった。
一対一の勝負だ。ディーラーは札まきの機械人、プレーヤーはアル。しかし実際には向こうがこちらのために、イカサマで五十万も勝たせてくれる。二枚の札がアルの前に置かれ、ディーラーも二枚取る。アルがしなければならないのは、型通りにゲームを進めることだけだった。テーブルには「胴元は十六では引き、十七では止めること」と書かれていた。
アルは目の前の二枚のカードをのぞきこんだ。三と七。アルは淡々とディーラーに告げた。「ヒット」すぐにもう一枚が手元へ滑り込んだ。表になったカードはA、向こうは十七だった。ディーラーの側にはチップの入った棚があり、そこから十万のプラークを一枚取ると、テーブルに置いてこちらへ滑らせる。アルはプラークを場に出した。もちろん継続だ。再びディーラーとアルに二枚ずつカードが配られる。アルは今度は二枚で十九。首を横に振ると、ディーラーは自分の札を表にした。二とAで十三だった。もう一枚取ると、四が出たので十七。胴元はそれ以上継続できず、アルの前にまたプラークが差し出される。アルはプラークを受け取り、場に出したほうはそのままにした。三回目の勝負はアルは二十、ディーラーは十七。またしてもプラークがアルの手元に来た。
彼女がプレーをしていた時、カジノの中央に一人の人物が現れた。アルは背を向けていたため気づかなかったが、観戦をやめてカジノを見回していたカヨコは異様な光景を目にした。幅の広い三角錐型の笠を被り、黄色い絹の着物をまとった女は、洋式カジノでは人目を惹く存在だった。ウェイターに手編みの笠を預けると、羽織の背に押さえ込んでいたふさふさのブロンド髪を両手でかき上げる。金塊をはめ込んだような目の彼女は、紛れもなく女学生だ。だが背をしゃきっと伸ばして歩く様は、さながら百鬼夜行に君臨する王侯のような堂々たる貫禄だった。ウェイターに案内され、彼女が麻雀卓の並ぶほうへ向かう際、向こうもこちらの存在に気づいただろう。ほんの一瞥にも満たない視線が、一瞬だけ空中でカヨコのものと交錯した。
今しがた現れた人物の存在には露ほども気づかないまま、アルの目線は山札の一番上に注がれていた。これが最後の勝負だ。これが終わったら金を手にして、このテーブルから離れなければならない。双方に二枚ずつカードが配られる。めくって数字を確かめると、アルはすぐさまテーブルの中央へカードを飛ばした。
「こりゃすごいな、嬢ちゃん!」あとから来た犬の獣人客が、まだテーブルに残る手札を見ていた。
アルはテーブルの向こうのディーラーに目を向けると「ありがとう。見事な手さばきだったわ」と言った。
ディーラーは何も言わず会釈を返すだけだった。黒猫の客が椅子に座ると、先ほどのゲームで使っていたカードを集めて別の仲間へ手渡す。そして新しく、封の切られてないカードを取り出した。それ以上は見ないまま、アルは席を離れた。懐にしまったプラークの厚みが頼もしい。
手すりの近くで見物していたムツキが笑顔を向けてくる。「これはこれは強運のアルちゃん。もうブラックジャックはしなくてもいいの?」
「ゲームは五回までっていいつけだったじゃない。勝手に継続しようものなら、あの手さばきですっからかんにされるわよ」
控えめな声でハルカが問いかける。「も、もうこれでお仕事は終わりでしょうか?」
「そうね。しっかり報酬も貰ったし、後はこれを現金に換えればいいわ」
ムツキが不満気な顔になった。「えー、せっかくだしもうちょっと遊んでいこーよ。軍資金はたんまりあるんだから、他のゲームも見てみたいなー」
半ばあきれたような顔でカヨコがいった。「ムツキ。それでお金がなくなったら、今の事務所の家賃も払えなくなるよ」
「勝てば増えるから勝ち続ければ大丈夫だよ!ハルカちゃんもそう思うよね?」
「えっと、私は……」
ようやく大広間へ顔を移したアルは、麻雀卓に座る女性にすぐに気づいた。あたかも巨大な蛍のように、存在を周りへ知らしめる威光を常に放っている。絢爛豪華そのもののカジノの装飾にも負けない存在感だった。周りに見物客が集まっているものの、彼女以外は誰も同じ卓を囲もうとはしていない。お互いに空席を譲り合うような空気が流れている。
「もう少し見ていきたいわね」アルは断言した。
カヨコが顔をしかめた。「社長」いいかけて、ため息を漏らす。こうなったアルは止まらないことを重々承知しているからだろう。この後の顛末を一人で察したのかもしれない。
アルは自信ありげに振舞うしかなかった。「事務所の家賃分は死守するわ。でも私たちのお金は私たちで稼ぐの。それにここにいればもっとアウトローな出来事が起こると、社長としての勘がそう言ってるのよ」
ムツキはけらけらと笑い、ハルカは期待に満ちた眼を向けている。ここまで啖呵を切ったからには、行動で示さねばならない。それにアルの関心を受信するアンテナは、先ほどから麻雀卓へ釘付けになっていた。
こちらの心境を悟ったカヨコがいう。「……分かった、ならリスクは分散させよう。手持ちの半分を元手にして、私とハルカは金額を増やす。麻雀は──社長とムツキに任せるよ。ルールは知ってるでしょ?」
アルは麻雀のルールを理解していたし、何度か実戦経験もあった。以前にもアビドス高校の生徒たちと卓を囲んだことがある。
麻雀は四人で卓を囲み、麻雀牌を使って絵合わせをするポーカーのようなゲームだ。全員を相手に競い、誰よりも早く、かつ高得点の役を作らなければならない。技術よりも運頼みの場面が多いが、勝つためには相手の狙いを読み取る技術も重要だ。牌は主に萬子、索子、筒子が、それぞれ一から九まで四組ずつ。中、發、白の三元牌と、東西南北の風牌が四枚ずつある。役ごとに得点が決められており、賭場では点数が高いほど大金となる。
「麻雀は久々だけど、腕はなまってない?」ムツキがアルへ問いかける。
「問題ないわ。お金を山分けしたら、早く向かいましょう」アルは両替口へ向かい出した。「私たちは便利屋68──食うか食われるかのぎりぎりこそ、私たちに似合う世界なのよ」