便利屋68 黄金将軍   作:まーろう

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5 ラム

 ゲームは南場へ入った。東家のラムが親を務める。卓の周りには先ほどと同様、ラムの顔見知りたちが人垣を作っている。その中に二人、見知った顔ぶれが見物していた。鬼方カヨコと伊草ハルカは手すりに寄りかかり、卓を囲む人物たちへ目を向けている。二人はアルから見て、ムツキとチャールズのあいだに陣取っていた。

 

 とにかくイカサマが本当におこなわれているか突き止める必要がある。カヨコとハルカは場外から、アルとムツキは隣からラムの動向を監視することにした。この際、ゲームの方が多少疎かになっても構わない。ラムが尋常じゃなく強いのか、はたまたイカサマをしているのか、どちらか見抜いてから次の一手を考えなければ、二人とも巻き上げられて破産してしまう。

 

 休憩が終わり、アルとムツキが席へ着いた時、ラムは見物客に新顔がいるのに気づいた。「鬼方君、ルーレットはもういいのかな」

 

 アルは何食わぬ顔でいった。「私たちがゲームしているのを見て、興味が湧いたそうよ。彼女は麻雀はよく知らないから、ゲームを見て覚えたいそうなの。そうでしょう、カヨコ?」

 

「まあね」カヨコはいった。「あまり長くルーレットをやり過ぎたから」

 

 それぞれの配牌が終わり、ゲームが始まった。だがアルの意識は、右隣の人物にくぎ付けだった。彼女について知っていることを反芻してみる。眼虎ラム、百鬼夜行出身。先祖から城と土地の遺産を受け継ぎ、戦争術の研究に没頭している。こうしてゲヘナ自治区まで来ているのも、研究の一環か、彼女の知恵を借りたいという誰かに呼ばれてのことだろう。趣味は麻雀で、他のギャンブルは一切やらない。身なりにも気を使っており、相当の金持ちであるのは疑いようがない。

 

 アルの脳裏に疑問が浮かんだ。そうだ、彼女は裕福だ。金に困っているわけではない。金が必要ではないのに、ゲームでイカサマをするとはどういうことだ?イカサマで大金持ちになったのか。それはちょっと考えられそうもなかった。さらなるイカサマをするための練習?この線も違うだろう。

 

 アルの思考はラムの外見へと移った。身長は一五五センチメートル程度で、足が身長の半分に迫るほど長い。和服に隠れているが、肉体のプロポーションは良い方だ。顔や腕の肌は色白で、これは彼女が研究職であることに由来するのだろう。外へ出る時には上質な日焼け止めを使って、肌が浅黒くなるのを避けているのかもしれない。はっとするような金髪と大きなよく光る目、いずれもお月様のような金色で、特に目は純金のごとく魅惑の輝きを放っている。一直線のきりっとした眉毛、色の薄いまつ毛。鼻筋はしゅっとして、両頬は主張が小さい。口紅はつけておらず、リップを塗っただけの自然な発色だった。全体的に見て科学者というより、大君と呼ぶべきだと思った。実際に城を所持しており、さらに王侯のような尊大な態度やあしらいがイメージに拍車をかけている。生まれついてすぐ、王となるよう運命づけられたような人物だった。

 

 アルの視線は左隣の獣人チャールズへも向けられた。ムツキの証言が正しければ、これは複数人で組むのが前提のイカサマだ。実行の主犯格がラムにしろ、それ以外の人物も見過ごせない。

 

 アルは南場の最初から、ラムがイカサマをしているという前提で観察していたが、ラムが五翻の手で上がるまでそれらしい動きは見えなかった。立直で一翻、七対子で二翻、裏ドラで二翻。放銃したムツキが十六万、チャールズとアルが八万ずつ支払った。ムツキはやってしまったと言いたげに額を片手で押さえた。彼女の手持ちはあと半分の五十万だけだ。

 

 親のラムが上がったので、やはり門風は移動しない。場ははりつめた空気が漂っていた。その影響は観客たちにまで及び、東場では予想し合う声が交わされていたが、もう誰も口を開いてはいなかった。もはや単なる社交ゲームではなく、下手な銃撃戦よりも熾烈なチップ争奪戦となっていたからだ。

 

 チャールズが二翻の手でツモを宣言し、全員が二万ずつ支払った。

 

 次はムツキが親になったが、この局では誰も上がらなかった。ムツキが親のまま続行され、アルがチャールズの捨て牌をロンした。二翻のささやかな手で、チャールズから二万、他の二人から一万ずつ取り返す。

 

 親がチャールズに移った回で、ムツキが五翻という手で上がった。立直、一発、七対子、赤ドラで、ロンされたチャールズが十六万、アルとラムは八万ずつ支払った。ムツキはようやく上がれて満足げな笑みを浮かべた。

 

 最後はアルが東家になった。しかしアルは早くムツキと作戦を練りたかったので、この回は手早く終わらせようと思った。ところが五巡目でラムが牌を捨てた時、とうとう南場で一度もなかった動きを見せた。居ずまいを正すように体を揺らすと、どさくさに親指の爪を二回掻いたのだ。アルはその様子をはっきりと視界に捉えた。ちくしょう!とうとう見つけたわよ!心の中で吐き捨て、自分の手牌を見る。それからラムの狙い通りの牌がないと分かると、あとはムツキかチャールズが手牌で持っているか、自摸した牌を捨てるのを祈るしかない。ムツキも今の動作に気づいただろうが、あいにくお望みの牌を持ってはいなかった。一索を捨てると、チャールズの番になる。するとチャールズは山から自摸して、すかさず手牌から二萬を切った。

 

「ポン」ラムはいかにも罪がなさそうにいうと、牌を手の中へ加えた。

 

 南場の最終局は、ラムが三翻の手で上がった。公開された手牌では、問題の二萬が刻子を作っていた。ラムは全員から四万ずつせしめた。

 

 これでゲーム全体の半分が終わり、再び休憩に入った。ここまででアルは四十四万、ムツキは五十七万を失い、二人ともかなり負けていた。アルは席から立つと、カヨコと目を合わせる。彼女も小さく頷いた。

 

 貴重な休憩時間を無駄にしたくない。アルは再びコーヒーのお代わりを注文しようとカウンターへ向かうと、ムツキとカヨコとハルカも後についてきた。

 

「だいぶ厳しくなってきたね」ムツキがいった。「ここまでかなり負け越してるよ」

 

 カヨコが短くつぶやいた。「社長、話がある。外の空気を吸いに行こう」

 

 話があるのは、アルも一緒だった。アルとムツキは一言断って、話を聞かれる恐れのない屋上へ向かった。

 

 去り際にラムは短くいった。「あまり思いつめないことだな、陸八魔君。私と勝負した者は、たいてい皆が同じことになる」表情には何の色もなかった。

 

 屋上に出ると、清々しい夜風が出迎えた。この時期では、まだ夜は冷える。しかし今は勝負の熱を冷ますのと、思考をリセットさせて冷静さを取り戻すのにちょうど良かった。

 

「どうだった?」アルを見上げて、ムツキが口を開いた。

 

「ええ、確かにイカサマをやってるわ」

 

「クフフ」ムツキは短く笑った。「カヨコちゃんとハルカちゃんも見たでしょ?」

 

 カヨコが応えた。「かなり動きが小さいおかげで、危うく見逃しそうになったけどね。でも間違いない」

 

「全くよ。ムツキもよくあんな仕草に気づいたわね」アルは感心した。

 

「気づくのに時間はかかったけど、トリックスターのムツキちゃんにかかれば、法則を見破るのはちょー簡単だったよ」

 

「さ、さすがですムツキ室長……」ハルカがつぶやいた。

 

 ムツキが見破ったイカサマは、タネさえ分かれば単純なものだった。ラムがゲーム中に何度も繰り返していた爪を掻く仕草は、実はそのまま欲しい牌を対面のチャールズへ要求する手信号だったのだ。ムツキはゲームの半分で、手信号の詳細な内訳まで把握していた。爪を掻く指が親指なら萬子、人差し指なら筒子、中指なら索子で、掻く回数がそのまま欲しい数字を表す。先ほどの場合、親指を二回掻いたので、ラムは萬子の二を要求していたことになる。そしてチャールズは自分の番になると、迷わず二萬を場に捨てていた。残りの東南西北の風牌は薬指、中發白の三元牌は小指といった具合である。これもあらかじめ爪を掻く回数と牌を共有していたに違いない。彼女は大胆にも事もあろうに、敵の目と鼻の先で欲しい牌があるのを伝えあっていたのだ。

 

「お手柄よムツキ!」アルは夢中になった「これであいつの尻尾を掴んだわ!あとは審判にでも言いつければ……」

 

「それは無理だよ」カヨコが一蹴してきた。「どうせ出納係の審判も組んでる。こうなった以上、周りの取り巻きも、カジノの人間は誰も信用できない。最悪の場合、聞き入れられず逆にもみ消される可能性がある」

 

「あー、それはありえるかもね。知ってはいけないことを知ってしまった的な?」ムツキが同調した。

 

「社長、昼間に捕まえたあいつを覚えてる?あいつはカジノの未払い金を踏み倒して、その結果私たちに捕縛の依頼が回って来た。ここで金を稼ぐよう誘導してきたのは、カジノを牛耳っている裏の人間だった」

 

「まさか」アルは声を張った。「全て最初から仕組まれていた、そういうことなの?」

 

「いや、全部が罠とは限らない。現に社長が麻雀に心惹かれなければ、私たちは今頃事務所へ帰っていたはずだからね」

 

 確かにそうだ。今はもう遠い昔のように思えるブラックジャックが終わってから、アルが言いつけに背いてカジノに残る選択をしたのは急なことだったのだ。もしラムとカジノが共謀して報酬を受け取りに来た人間を嵌めているのなら、全員が麻雀の席へ着かねばならない。それではあまりにも不確定要素が多すぎではないか。

 

 もちろんカジノの熱に当てられ、さらに懐が温かくなって財布の紐が緩くなった、欲深い人間だけを標的としているなら十分事足りるだろう。高い賭け金に目がくらんだ参加者は、絶対に勝てないゲームにのめり込み、身を滅ぼすことになる。

 

 ラムとカジノがグルなのか、それともあの獣人や取り巻きとだけなのか、今の段階では判断しかねた。カヨコの提言を受け、アルはひとまず半々だと思うことにした。いずれにせよラムが主犯格であるのは確定的だった。

 

 アルは夜空を仰ぎ見た。「分からないわ。なぜあいつはそんなイカサマをするの?金には困ってないはずなのに」

 

「真意は分からない。戦争術なんて研究してる異常者だからね。たまに外へ出て、金を巻き上げるのが、唯一の楽しみなのかもしれない」

 

「とにかく、あいつをやっつけないといけないわ。イカサマをしているのは間違いないのよ。次に考えるべきは、あとのゲームでどうやってしっぺ返しを喰わせるか、だわ」

 

「それなんだけど、良いアイデアがあるよ!」手を挙げたのはムツキだった。「つまり身から出た錆ってやつでね。あいつに同じ方法でしっぺ返しを喰わしてやろうってこと。アルちゃんの協力が必要だよ」

 

「分かったわ。ムツキ、私は何をすればいいの?」

 

「私がアルちゃんの欲しい牌を捨てるよ。アルちゃんには、どの牌が欲しいのか、合図を送って欲しいんだ。合図は見逃さないようにするから安心して」

 

「分かったわ。でも同じく爪を掻いたら、あいつらに筒抜けじゃないの?」

 

「あいつらのとは、まるっきり違う方法を使うよ。よく聞いててね。顔の左を掻いたら、一から四までの数字が欲しいって合図になる。左の小鼻なら一、頬なら二、耳なら三、首筋は四。五は鼻筋を掻いてね。顔の右側は同じように、六から九になる。ここまで大丈夫?」

 

「分かったわ。種類はどうするの?」

 

「どこかを掻く合図を送ったら、すぐにコーヒーを飲んで。一口なら萬子、二口なら筒子、三口なら索子だよ」

 

 アルは確認のため、合図を復唱した。この合図はゲームが終了するまで、忘れず心に留めておかねばならない。

 

「それじゃ三元牌にいこうか。眠たいみたいに目元をこすったら中、二回咳き込んだら發、あくびをしたら白だよ。風牌が欲しいなら、コーヒー用のミルクジャグを使って。机に置いた取っ手の向きで、東南西北を表す。例えば東が欲しいなら、ジャグの取っ手を東に向ける。これでどう?」

 

「うまいこと考えたわね、ムツキ!これであいつらと対等な立場に立てるわ」

 

「さっきのゲーム中は、ずっと合図のことばかり考えてたからね。でも私がアルちゃんの欲しい牌を持ってるかどうか、全ては引きに賭けるしかないよ。その点は向こうも同じ条件だけど、ようやくまともな勝負になりそうかもね」

 

 双方ともにイカサマありとは、果たしてまともな勝負といえるのか。そうカヨコが目で問いかけたが、口には出さなかった。「それしか方法はなさそう。ムツキの捨て牌で上がると失費がかさむけど、そこは大丈夫なの?」

 

「あとでアルちゃんに埋め合わせして貰うから大丈夫だよ!」

 

 話は終わった。あまり屋上に長居しては、余計に勘ぐられる。出入口を下り、カジノへ戻ると、ラムとチャールズが席で何か言葉を交わしていた。だが卓までは遠く、内容は聞こえなかった。こちらに気づいたチャールズが慌てて口を閉じる。飲み物のお代わりはすでに席へ運ばれていたが、アルはカウンターでコーヒーに入れるミルクを追加で注文した。

 

 卓へ戻ると、ムツキがチャールズへ話を振った。「私たちがいないあいだに、何を話してたの?」

 

 黒猫の獣人の耳がぴくんと動いた。「ラムさんがご自身の研究について、面白い話を聞かせてくれてね」

 

「ふーん、どんな話?」

 

「それは本人から……」耳が後ろへ徐々に向いていく。

 

 ラムが二人の会話にぴしゃりと割って入った。「最近やたらと増えた素人っぽいテログループについてだ。もう良いだろう、ゲームに戻ろう」

 

 ムツキはあくまで追求をやめなかった。「ネオアリウス親衛隊(NASS)も、その素人っぽいテログループに入る?」いたって無邪気にいう。

 

 ラムの顔から、まるでひっぱたかれたみたいに僅かばかりの笑みが消えた。すぐにまた口元を歪めてみせたが、顔全体が緊張にこわばり、金色の目は用心深く厳しくムツキを見つめていた。「どういう意味かな?」

 

 ムツキは軽くいった。「NASSって、最近よくニュースで取り上げられてるでしょ?機械みたく正確に、生徒だけをターゲットにするテログループだから、私たちもいつ狙われるかと毎日ひやひやし通しなんだよね」

 

 テーブルの周りはしーんと静まった。観客の誰もが、この場に緊張がみなぎっているのを感じられた。先ほどまでのゲームは単なるお遊びにすぎなかったのが、急に敵意の臭いを立て始めてきたのだ。ある者は息が詰まり、またある者は固唾を呑む。

 

 ラムがムツキの顔をしきりに観察していたが、ムツキは何か裏の気配があるようには見えない陽気な笑みを作っている。アルも場の空気が一変したのを肌で感じた。

 

「ああ、確かに()()()の(ラムはわざとらしく強調して、明言を避けたようだった)やり方には一種の法則性がある。それは連日の報道で私も耳にしているが──先ほどチャールズさんとも話していたんだが、私から見ればただ目立ちたいだけの蝙蝠集団だな。日中は隠れ、集団を作り、夜空を我が物顔で飛び回って、人や獣へ牙を剥く。やたら人ばかり狙ったり、声明文を出すのも、奇をてらって少しでも長く群衆の記憶に残りたいだけだろう」

 

 西家でも親のラムはさいころを取り上げた。「そんなに恐ろしいなら、早いところゲームを再開しよう。夜更かしが過ぎると、蝙蝠たちが目を覚ますからな」

 

 西場がスタートした。アルの配牌はまずまずだった。九萬。五と七の筒子。北が対子。それ以外は全て索子だった。ゲームの途中で、アルはコーヒーへミルクを垂らすと、取っ手を北へ向けた。するとムツキは北を持っており、場に北が捨てられた。アルはすかさず「ポン」といって、牌を拾い上げる。これで自風牌が一組できた。それからアルは右の首筋を掻き、コーヒーを三口飲んだ。だがムツキは九索は持っていなかった。ならば九索は雀頭として良いだろう。左の小鼻を掻き、再びコーヒーを三口。今度は場に一索が捨てられ、アルはまたポンと宣言した。最後は自摸で上がり、アルは三翻の混一色(ホンイツ)を公開すると、全員から四万ずつ集めた。

 

 次の回で、アルの配牌では三元牌の対子が三組できていた。小三元か、あるいは引きが強ければ三暗刻、役満の四暗刻も狙えるはずだ。アルが眠そうに目元をこすると、ムツキは中を捨てた。すかさず「ポン」と宣言し、次に發、白の合図を送った。だが手が完成する前に、ラムが混一色で上がった。しかも鳴きなしの門前でツモだったため、アルより一翻高い四翻で、八万ずつせしめた。

 

 ムツキの手持ちに余裕がなくなってきた。チャールズが親となったが、最初の回では誰も上がれなかった。再びチャールズが親になると、ムツキが左の首筋を掻き、ミックスジュースを二口飲んだ。だがあいにくアルは、ムツキの要求した二筒を持ってなかった。アルは詫びの印にもならないが、困ったような表情をムツキへ向けた。だが何巡かすると、ムツキが自摸した牌で上がりを宣言した。立直、一発に加え、アルの牌をポンしなかったため平和でさらに一翻つく。断么九、赤ドラ、裏ドラが重なり、跳満の六翻になった。これまでで一番得点の高い手で、三十二万ずつ集める。これでムツキの手持ちのチップは一二七万となった。こぼれんばかりの笑顔だった。

 

 だが西場のゲーム中、ラムは虎視眈々とムツキの様子を伺っていた。そしてムツキが上がったタイミングで、ようやく何かに納得したように目線を下げた。

 

 西場の最後はアルが親になった。この時点で、アルの手持ちのチップは残り二十八万だった。ムツキに余裕ができたのはありがたいが、今度は自分が懐に悩まされる番だった。その上、配牌があまりにひどく、合図作戦も使いようがない。今回はムツキが早く上がってくれるのを祈り、自分はとにかく放銃しないよう気を付けなければならない──不意にアルは手に汗が滲んできたのを感じた。すぐ右隣の席で、ラムは右頬を手の三本指で支え、肘をついていた。配牌を見極める、怪しい微光を放つ金塊のような目を、アルは横目にじっとのぞきこんだ。一瞬、金ぴかの鏡のような瞳に自分の姿が見えた。欲に溺れた者の姿を映し出す魔法の鏡を思わせる目は、自己顕示欲に満ちていた数十分前の自分を確かに映し出していた。

 

 顔を上げると、バーカウンターにカヨコとハルカがいるのが目に入った。カヨコが微かに心配をのぞかせたが、ハルカは純粋にアルの勝利を信じているようだった。

 

 配牌は法則も何もないほどばらばらで、ただ一筒が対子になっているだけだった。赤い瞳孔の黒目が死神のように、アルを上目遣いでうかがっていた。ゲーム開始前の興奮は完全に消え失せ、今はただ何とかこの局をしのぎたいという生存本能が理性を侵食しかけている。

 

 いきなり口の中が、スポンジを詰められたみたいに急速に乾いてきた。慌ててコーヒーを口にするが、もう目が冴えるような効果はなく、口と喉に強烈なえぐみだけを感じた。

 

 山から自摸する手が震える。合図もなく飲み物を口にしたため、ムツキが心配そうにこちらを見ていた。彼女を心配させたり混乱させてはいけない。アルは無理に笑みを作った。

 

 手牌に東が二枚揃うと、次に自摸したラムが東を捨てた。あいかわらず感情を隠した声で「ポン」とアルはいった。自風牌の良い一組だが、ラムの捨て牌なのがひっかかった。ともかく一翻がついた。

 

 そのあとアルは左の小鼻に小突くように触れ、コーヒーを二口何とか流し込んだ。ムツキが持っていた一筒を捨ててくれたおかげで、再び「ポン」を宣言。さらに自力で八索を三枚揃え、さらにチャールズが捨てた牌を見て「カン」と宣言した。これで八索は槓子となった。

 

 周囲が観客も含めて沈黙を貫くなか、気づけばアルの手牌はわずか四枚となっていた。残りは五萬、發が二枚、中。アルは口元を押さえて、大げさに二回咳き込んだ。

 

 ラムが顔を向けた。「どうした、陸八魔君?体調でもすぐれないか」その目は愚かな挑戦者を皮肉るようにアルの姿を再び映している。

 

「いえ、そんなことないわ。ここへ来る前の仕事の疲れが現れたみたい。ずいぶん走り回ったものだから」

 

 ムツキの番が来ると、場に發を出してくれた。この局だけでアルは四回鳴き、捨て牌を含めなければ、残り一枚の単騎待ちとなった。最初のこれ以上ないほど惨めな配牌から、かなりの大躍進といっていい。アルは悩んだ末に五萬を捨て、まだ場に一枚も出ていない中で待つことにした。すぐに目元をこすり、ムツキへ手信号を伝える。なんとムツキは中を持っていた!雀頭は何でもいいので、次のラムの番が終われば必ず上がれるのだ。人事を尽くし、後は天命を待つのみかと思えた。

 

 不意の展開への驚きが思わず体に出てしまったのは、連戦の疲れと極度の緊張状態に晒され続けたせいだろう。五萬を場へ捨てようと手を伸ばした直後、ラムがすかさず小指を一回掻く手信号をチャールズへ送ったのだ。小指を一回──ラムが要求しているのは、アルが単騎待ちに選んだ中だった。

 

 アルはぎょっとして目を見開いた。いきなり背後で大声を出されたみたく、背筋が反射的に跳ね上がる。あまりに動作が大きかったので、手牌を見ていたムツキやチャールズが顔を上げた。ラムは何の反応も示さない。アルは慌てて弁解した。「失礼したわ──ふっと気が遠くなっただけよ」

 

 危なげなく進みそうだった計画は、変更を余儀なくされた。ラムの手が何であれ、ムツキが中を出せばアルは上がれるが、同時にラムへ利することになってしまう。すでに十巡以上が過ぎており、ラムも何らかの手が完成間近の可能性が高い。だが雀頭を変えようにも、もう手遅れだった。待ち牌を変えるには、ラムが欲する中を捨てるしかないからだ。

 

 ラムは山から自摸した牌を見るや、七索を捨て「立直」を宣言した。ムツキは今の仕草を見逃さなかっただろうか?二人同時のロンでは、ムツキの手持ちが豊富にあろうと楽観視はできない。アルは目で必死に訴えた。その甲斐あってか、危険の臭いを嗅ぎ取ったムツキは手牌から中ではなく一萬を切った。続くチャールズは六筒を捨て、同じく「立直」を宣言した。どうやら中は持っていないらしい。

 

 アルに残された道は一つ──自分で中を自摸するしかない。アルは山から一枚自摸したが、この時は六萬だった。諦めて場へ流す。やはり誰も鳴かなかった。アルばかりが助けをよぶような空虚な鳴き声を上げているに過ぎなかった。次にアルが引いたのは、単騎待ちとなった際に引いた五萬の赤ドラだった。しくじった──あの場面で中を捨てていれば、この自摸で上がることができたのに。しかも一翻つく赤ドラ。しかしアルには、乾いた血で描かれた意味不明な文字にしか見えなかった。アルはラムへ目線を向けた。向こうもこちらの目を見据えていた。その顔は何の感情もなく「どうした、早く一枚捨ててはどうかな?」と尋ねていた。こいつが中で作ろうとしているのは上がり手か、それとも刻子に過ぎないのか?アルはラムの表情から何とか読み取ろうとしたが、無駄な努力に終わった。

 

 いずれにせよアルは五萬を切るしかなかった。この時点では、それ以外の選択肢などなかったからだ。だがラムはアルの目を見据えたまま、場に捨てた五萬をろくに見ないまま斜め前から発言した。

 

「ロン」

 

 宣言は、アルには二重に重なって聞こえていた。だが聞き間違いではなく、もう一人──黒猫のチャールズも五萬を待ちかねたようにして、ラムと同時に手牌を公開した。

 

 無駄に強い手だった──ラムは立直、一気通貫、混一色で二翻、ドラ、とどめにアルの放銃した赤ドラで、合計六翻の跳満。チャールズは立直、ドラで二翻、赤ドラが組み合わさった四翻。チャールズの八万に対し、ラムは三十二万をアルから悠然と奪い取った。皆が同じことになる──ラムの声が耳元で繰り返された。

 

 アルは完膚なきまでに打ち負かされ、無一文にさせられた。

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