便利屋68 黄金将軍   作:まーろう

6 / 29
6 三匹の小鳥と蝙蝠

 アルは敗北に凍りつき、身じろぎもできず椅子に固まっていた。表情筋さえ少しも動かせなまま、ゆっくりとコーヒーカップへ手を伸ばす。南場の最初に淹れたホットコーヒーからは湯気が消え、冷めてぬるくなっていた。白いミルクが混ざったコーヒーを一度に飲み切り、ソーサーで”カチリ”と音を立てて空のカップを置いた。

 

 ラムは例によって金塊のような目で、こちらの顔をのぞいている。彼女の手牌に中などなかった。単騎待ちとなったアルの雀頭を縛り付けるため、ラムはわざといらない牌の信号を発していた。アルが自摸した五萬を捨てるまで勘定に入っていたとは思えないが、単騎待ちになってすぐに雀頭のうち一枚が中であることを見抜かれていた。合図作戦を多用しすぎたのかもしれない。似た動作を繰り返すうちに、何らかのパターンを読まれた可能性が高い。

 

 ゆっくりと一枚だけの中を公開する。

 

 ラムは口の端をつり上げ、馬鹿にしたような声で「おっと」とつぶやいた。

 

 アルは周りを見回した。観客は誰も目を向けず、話し合う声が行き交う。「あのゲヘナの生徒も、五で勝負していればな……」「私ならいつも五で勝負するよ」「私は中を残したかも」「運が悪かったのさ」「いや、下手だったんだ」

 

 対面に座るムツキは同情の目を向けている。遠くのカウンターではカヨコとハルカの姿が消えていた。打ちのめされる様を見たくなかったのかもしれない。

 

 アルの手持ちのチップは根こそぎ奪われ、マイナス十二万の損失となった。まさしく身ぐるみを剝がされたも同然だ。卓の周りでは解散の空気が濃厚になってきた。プレーヤーの一人の手持ちが尽きたのでは、それ以上ゲームは続けられない。公式なルールに則って四人で始めた以上、途中でプレーヤーを三人に減らしての続行は不可能だった。ちょうど西場が終わり、あとは北場を残すのみ。決してきりが良いとはいえないが、無一文となってしまったのなら……。

 

 制服を着た機械人が卓へ近づき、アルに顔を近づけた。ついで分厚い封筒を手渡しして、両替係からどうこうと一言伝えると、手すりを出て持ち場へ戻っていった。 

 

 アルの胸が高鳴った。辞書のような厚みの無記名の封筒を卓の下へ持っていき、爪で封をはがしながら気づいた──糊はまだ乾いていなかった。

 中にずっしり収まっていたプラークを膝の上に置き、同封された一枚の紙片に目をやる。卓の影で浮かび上がる一文に、すかさず目を走らせた。〈幸運のルーレットからの支援金だよ。金額四十万。課長と平社員より〉

 

 アルはごくりと唾を飲んだ。カウンターへ再び目をやる。姿を消していたカヨコとハルカが立っていた。カヨコは微かに笑みを浮かべ、目の焦点が合わないハルカの肩へ手を回している。アルは同じく微笑み返し、感謝と祝福の頷きを送った。それから先ほどまで自分を覆い尽くしていた敗北の絶望感を拭い去る事に専念する。処刑はまぬがれたが、こんな奇跡は二度とない。それにあのハルカの錯乱具合では、臓器売買を押さえ込むのも限界が近い。何としても北場で決着をつけねばならない!

 

「では今晩のゲームはもうなしか」ラムはそっけない口調で、独り言のようにいった。

 

「いや、続けるわよ」アルは肚の底から宣言した。

 

 卓の周りから高ぶるようなざわめきが上がった。あまりに騒々しいので、カジノ内の他のゲームからも観客が集まってきた。先に観戦していた者が、たった今合流した者へ噂を流すように状況を説明する。話はたちまち広まり、手すりを囲う群衆は倍になった。

 

 審判を兼ねていた出納係が戸惑い気味にアルへ話しかけた。「陸八魔さん、そのう、賭け金は?」

 

 アルは膝上から取り上げたプラークの山を卓へ置いた。出納係はすぐさまプラークを数える作業に没頭する。こういった正式な場においては、先ほど問いかけた際の出納係の態度は無礼にもほどがあるだろうが、それも仕方のないことだった。とりわけゴンザレスのように無一文にもかかわらず賭けを続行し、あげく踏み倒すような輩がいる以上は。

 

 新しく取り出されたプラークの山を見て、チャールズはぽかんと口を開けたままだった。ムツキはほっと胸を撫で下ろし、振り返るとカヨコとハルカへ小さく手を振った。ラムの目は変わらず何も物語ってはいなかったが、眉をぴくんと上げて興味の色を浮かべた。

 

 数え終えたプラークを手で整えながら、出納係が口にした。「追加されたのは四十万。手持ちは二十八万です」

 

「けっこうよ」アルはいった。

 

 出納係はチャールズとムツキとラムへも問いかけた。きちんとした賭け金があるなら、カジノとしてゲームを中断する理由はない。チャールズはこくんと頷いた。ムツキも「オッケー」と軽く同意する。ラムはしばらく黙っていたが、アルの顔をのぞいてから、ほどなく「よろしい」と返事をした。アルにはラムの返事の続きが聞こえた気がした──よろしい、根こそぎチップを奪われるのをお望みかな?

 

 北場もラムの親で始まった。山が積まれ、アルはそこから四枚ずつ牌を取っていく。つくづく変わったゲームね、とアルは心の中で思った。言葉も交わさず卓を囲む四人のあいだで、合図を送り合うイカサマがおこなわれているのは暗黙の秘密となっている。こちらは向こうの合図を掴んでいるが、それは相手も同様だった。しかもイカサマをするにしても、欲しい牌を自分か相棒が引き寄せる運が必要だ。この場においては、どんな運も引き寄せなければならない!

 

 十三枚の配牌が出揃った。その中には、先ほどアルを絶望の淵へ突き落した五萬の赤ドラが黒と合わせて二枚入っていた。もう一翻ついた!他もなかなか良い。發が刻子、中と白が一枚ずつ入っている。どちらか一方を二枚引き、残りを一枚引ければ、小三元という二翻の役になる。三元牌の三組とも刻子か槓子なら六翻になる。

 

 ゲームが進むうちに、アルは中を自分で自模った。数分前まであれほど渇望していた赤文字の牌たちが、手牌で雀頭を二つ作っている。アルはこの流れに乗ろうと、すかさず目元をこすった。ムツキと目が合うと、分かったよ、そう伝えるように口元を歪めていた。

 

 ムツキが中を捨てると、アルは「ポン」と宣言して牌を拾った。ムツキはいかにも悔しそうに天井を見上げた。大した役者ね、とアルは思った。

 

 チャールズが一筒を捨てると、今度はムツキが「ポン」といい、刻子を隅へやると一枚を場へ捨てた。再びチャールズの番になると、自模った白を場へ捨てた。ムツキが鳴いていなければ、アルの自摸で小三元の役が完成するはずだった。しかもラムが「ポン」と宣言し、白の刻子を作った。ラムが白を三枚持っているなら、もう小三元は作れない。この白は次の番で捨てたほうが良いわね。小三元の望みは潰えたが、まだ諦めるには早い。發と中の刻子と赤ドラで三翻はつくのだ。

 

 ラムが今度は一索を「ポン」した。アルの手牌はしばらく停滞していたが、ようやく念願の八筒を自力で自摸した。あとは七筒か五筒が手に入れば上がりだ。アルは二枚の信号をムツキへ送った。だが直後にアルが捨てた牌をラムが「ポン」といい、さらに刻子を作る。向こうの上がりも目前だ。

 

 ムツキは一枚自模ると、中身を確認して場へ捨てた。五の筒子。アルは「ロン!」と力強く宣言した。發、中の刻子、赤ドラ、ドラで四翻。アルはムツキから八万、二人から四万ずつ集めた。

 

 親がムツキへ移った。アルの手牌は見込みが薄かったので、ムツキがさっさと上がってくれるのを祈るばかりだった。だが何巡かして、アルの捨て牌でラムが「ロン」といった。肝が冷えたが、場風の西の刻子、断么九、ドラの三翻だった。

 

 ラムの金色の目がこちらをじっと見つめた。「危ないところだったな」と嘲っているようだった。アルは胸を撫で下ろして四万渡し、他の二人は二万ずつの出費となった。

 

 チャールズへ親が移る。ラムをやっつけられるチャンスは、あと二回しか残されてない!だがこの回は駄目だった。チャールズがムツキの捨て牌で上がったのだ。七対子、ドラの三翻で、ムツキが四万、アルとラムは二万ずつ払った。

 

 時刻は午後十一時半、とうとう最終ゲームでアルが親になった。これがラムに一泡吹かせる最後のチャンスかもしれない。出だしは良いとはいえなかった。萬子が七枚、筒子が三枚、索子と南と北と白が一枚ずつだった。数字も適度にばらけていて、どんな手が作れるのか見当もつかない。ひとまず一枚だけの索子から捨てることにした。だが三巡目で三萬を引き、チャールズの一萬を「ポン」したときに、清一色という手が成立するかもしれないと思った。これは完全な一種類の牌だけを使って上がった場合に成立する役で、これだけでなんと六翻になる。アルはムツキへ萬子が欲しいという合図を送った。「チー」はチャールズからしかできないが、とにかく萬子だけを集めなければならない。

 

 ラムが自風の南をアルから「ポン」した。ムツキが八萬を捨ててくれたので、アルは「ポン」と宣言した。続いてラムがムツキから發を「ポン」して、アルはチャールズの捨てた四萬と五、六萬で「チー」した。これでアルの手牌は四枚、ラムが七枚を残すところとなった。

 

 アルの傍らには順子が二組、刻子が一組置かれている。これでは翻をつけるのは難しいと、この場の誰もが思っているに違いない。ラムの目が好奇の色に光った。こいつの欲しい牌はなんだろう、と目が語っている。その目が公開されている九枚の牌へ向いた。

 

 しばらく静かにゲームが進み、チャールズが九萬を捨てた。アルは七萬と八萬を持っていたので、これを取れば単騎待ちとなる。だがアルが口を開く前に、間髪入れずラムが「ポン」といい、場の九萬をかっさらった。ラムとアルの手牌が四枚で並んだ。

 

 アルが物欲しそうに九萬を目で追うと、ラムはいきなり虎を思わせる獰猛な笑みを見せた。「お前が欲しかったのはこれだろう?」無言で語りかけていた。

 

 実際ラムの読みは当たっていた。順子と刻子が混ざっているからには、今から手牌を組みなおすことはできない。アルは何としてもラムより早く上がらなければならなかった。

 

 ラムはさらにムツキが捨てた四萬も「ポン」した。これでアルが四萬を自摸れる可能性はほぼなくなった。一組の刻子を作ると、隅へまとめて手牌が一枚の単騎待ちとなる。アルは深呼吸して、平静を保つように努めた。さっきは愚かしくも、焦りに呑まれたために負けたのだ。二の足は絶対に踏まない。

 

 ラムが九萬を三枚取ったので安心しきったチャールズは、残り一枚となった九萬を切った。だがアルは七萬と八萬を捨てずに手牌へ残していた。「チー」というと、チャールズの顔に後悔の色がのぞいた。

 

 アルとラムはお互いが単騎待ちで並び立った。ラムは南、發、四萬、九萬の刻子。アルは順子と刻子の混ざった、萬子一色。誰の目に見ても、アルが清一色を狙っているのは明らかだった。ラムが一層厳しい目つきでアルを睨みつける。アルも負けじと睨み返した。ムツキとチャールズは完全に蚊帳の外へ置かれ、卓は両雄の一騎打ちの様相を呈している。

 

 アルは山から自摸り、二枚の牌を並べる。手牌にあったのは五萬、今しがた自摸したのは發。アルは迷わず發を切った。待ちの一枚、仕上げた順子で一枚、ムツキが序盤に捨てた一枚を除くと、場に出ていない五萬は残り一枚だ。ラムは自模ると、「カン」と宣言して南の牌をさらに隅へ追いやる。槓子を作ると、さらに一枚自摸り、八筒を切った。次にアルは九索を自模り、そのまま場へ捨てた。じれったさが募ってくる。

 

 ラムはまたもや自摸した牌を捨てた。西だった。次の番でも、やはりラムは手牌を切らなかった。アルはなんとなく、ラムの手牌はこちらと同じ萬子ではないかと察した。ラムはひたすらアルの上がりを妨害し、どんな手でも良いのでチャールズが上がってくれるのを待っている。山の残りは二十もない。もし誰も上がれなければ、この局は流れて仕切り直しとなってしまう。それだけは何としても避けたかった。

 

 次の順番が回って来た。アルは祈るように腕を伸ばし、山から一枚を自模する。うまく五萬が出て、喜ばせてくれるだろうか。

 

 アルは誰にも見られないように隠して、自摸した牌をのぞいた。歯を食いしばる顎に力が入り、頬の筋肉が痙攣する。緊張で息が詰まりそうになった。

 

 牌は七の萬子──五と七の萬子が手元に揃った。

 

 単騎待ちの状態で、まだ場に出てない枚数が同じ牌を引けば、このゲームにおいて一番厄介な場面となる。五萬と七萬は両方とも残り一枚で、どちらを捨てても上がる確率は五分五分。この最終局面において、これ以上ないほどの難問だった。

 

 アルは裏返されたままの捨て牌の山を見た。五か七。勝利か、または敗北か死か。秘密の全ては黄色い背の裏、まだ正体を現していない牌のどれかに秘められている。そのまま三人の手牌の背中を眺め、最後にラムのたった一枚の牌を見据えた。勝機はある。今こそ本当の正念場だ。

 

 アルの険しい眼差しの両側を、汗のしずくがつたい落ちた。

 

 ムツキは固唾を呑み、チャールズは舌を出すと乾いた唇を舐めた。僅かな息遣いすら音を出すのがはばかられ、観客も行く末をただ見守っているしかない。カウンターではカヨコが真剣な表情を向け、ハルカは両手を顔の前で組んで祈るようにしていた。ラムだけがブロンズ像のように身じろぎせず、アルの瞳をただ見つめていた。

 

 永遠とも思える時間が過ぎた。アルはふっと力を抜くと、右手を二つの牌の中央へ伸ばす。場に捨てられた牌にも、また裏返しの黄色い面を見つめても、結局はっきりした答えはどこにもなかった。アルは居ずまいを正し、自分の直感──アウトローとしての第六感に従うことにした。親指と人差し指、中指を重ねて、器用な鳥のくちばしのように牌を掴むと、あっけない動作で場へ捨てた。誰もが一斉に捨て牌をのぞきこむ。五の萬子が衆目にさらされた。

 

 ダイナマイトをラムへ手渡したようにようやく一息つくと、アルは椅子に深くもたれかかった。彼女は七という数字に賭けた。幸運の数字──ラッキーセブンは果たしてアルに微笑んでくれるのか?ラムは感情を隠した顔を少しも歪めなかった。荒事は得意でなくとも、この胆力は尋常じゃない。

 

 全員の注目が集まるなか、ラムは山へまっすぐ手を伸ばし、一枚の自摸牌を自分の手前へ引き寄せる。表は卓へ向けたまま、まっすぐ目の前へ運んだ。牌を裏返す。手すりの向こうから、観客たちが首を伸ばして牌を見ようとした。

 

 ラムの顔が途端にひきつった。アルにもはっきりと読み取れるほど、牌を見たラムは明らかに難しい顔になった。恐ろしい信じられないような疑惑の影が、この雀卓でゲームが開始して以来、初めてラムの心へ忍び込んだようだった。

 

 アルは急にしっかりした手つきで、ソーサーからコーヒーカップを取った。混じりけのないブラックコーヒーを口に含む。思考もすっきりとしていた。アルはとうとう最後の土壇場が来たことを確信した。

 

 それまでラムは自摸しては牌を掴んだまま、一瞬の迷いもなく場へ捨てていたが、急に歯車の調子がおかしくなったように動きが止まった。自摸した牌と手牌へ、視線を交互に行き来させている。彼女が自摸した牌が萬子であるのは、もはや疑いようがなかった。いみじくも西場の最終局でアルが立っていたところへ、今は彼女が立って運命を決する一手を迫られている。

 

 可哀想な阿呆め、とアルは心の中で思った。ラムをさらに悩ませているのは、つい十数秒前にアルが場へ捨てた五という数字だった。もし七が出ていれば、ラムは数字の偏りから頼りない熟考ができたかもしれない。だが五──完全な中間の数は、ラムに何の導きも示さなかった。殺人的な牌だった。これまでと明らかに様子の異なるラムを見て、向かいのチャールズが心配そうな表情になる。アルの対面に座っているムツキもあっけに取られていた。群衆は背後から自摸牌を確認しようとしたが、ラムの体は中身を完全に隠している。

 

 ラムはとうとう決断すると、直前に自摸した牌を掴んだ。クレーンのように機械的な動きで牌を運んでいく。均一に並んだ捨て牌たちの欠けた角へ、隙間を埋めるように滑り込ませた。

 

 アルは両手を卓へ置き、すばやく場へ目をやると、深く息を吸い込んで手牌を掴んだ。

 

「ロン」アルはいった。「清一色、一気通貫、赤ドラ、ドラ。八翻よ」

 

 群衆の面々から上がったあえぎ声が一つになって立ち昇り、続いてざわめきと拍手があちこちから起こった。

 

 アルは視線をラムへ滑らせた。ラムは自分が捨てた七の萬子をじっと見下ろし、ただ一つの手牌だった四萬へ顔を落とした。大きく目を見開き、口は信じられないと言いたげに二回ほど開閉した。

 

 うず高く積まれたチップの山──一二八万もの金額が、ラムからアルへ渡ると、周りから羨望の声が漏れ出る。チャールズも青ざめた顔で六十四万支払い、ムツキは嬉しそうに同じ金額を差し出した。

 

 これで終わりではない。親のアルが勝ったので、ゲームは延長戦へ突入する。ラムは大きくのけぞって天井を睨み、それから山の牌を取り出した。アルは、ようやくこの女を引き返せないところまで追い詰めた、と確信した。

 

 アルは新しい配牌を見て、我が目を疑った。過去にも見たような強烈な既視感に包まれる。すでに萬子と索子が刻子で並んでいたため、すぐに上がれそうだった。しかも一や九が入っていない。狙うなら断么九──そう思いかけて踏みとどまった。二萬、四萬、三索の刻子と六索の雀頭。残り二枚は南と一索。これはもしかして……

 

 アルの番が来て、自摸した牌は一索だった。小鳥が二匹。アルは南を捨てるや「立直!」と高らかに宣言した。これはいけるわ!

 

 わずか二巡目で早くも立直を宣言したことで、観客からどよめきがあがる。チャールズは冷汗をかいていた。ラムはこちらの欲する牌を読み取ろうと顔を凝視している。ムツキだけが感心したように笑みを見せていた。

 

 それまでなら聞こえてきそうなラムの台詞も、今度ばかりはなりを潜めた。「調子が良さそうだな、陸八魔君」もし友好的にゲームが進んでいれば、おおよそこんなことを言っていただろう。

 

 立直を宣言してからは、自摸した牌が上がり牌でなければ捨てるしかなく、プレーヤーは狙う牌を自摸するか捨てられるのを虎視眈々と待つのみになる。だがアルが狙う役は自摸でしか成立せず、誰かの捨て牌でロンをするわけにはいかない。アルがいつまでたっても信号を出さないので、ムツキは何度か確認の目くばせをした。だがアルは自信に満ちた顔つきで何の応答も返さず、上がり牌が分からないので、ラムとチャールズは一手ごとの捨て牌を選ぶのに熟考しなければならなかった。アルは二人が勝手に精神をすり減らすに任せた。

 

 そして五回目の自摸で、とうとう待ちに待った牌を引き当てた。来たわ!アルは勝ち誇ったように叫んだ。「ツモ!」手牌を一度に倒す。「四暗刻、役満よ!」

 

 アルが自摸したのは、小鳥が描かれた一索だった。素晴らしい一索……三匹の小鳥たちが幸運を呼び寄せ、アルを祝福するように並んでいた。

 

 ラムの手が震えていた。上限の十翻は五一二万、本来の役満なら十三翻で四〇九六万となるところだ。チャールズも狼狽をあらわにしている。

 

「どうかしら、このアウトローの一手は?」アルは高らかに声をはった。

 

 全てのチップがアルのもとへ集まった。総額は四百万越えの、ちょっとした財産だった。ムツキが嬉々としてチップを渡す。「さっすがアルちゃん!」

 

 全員からチップを根こそぎ巻き上げた以上、もうゲームはおこなわれない。最終結果はアルの一人勝ちだった。出納係にチップを両替窓口まで運んでほしいと頼んだ。それから立ち上がって卓を離れると、周りの観客だけでなく、カジノのスタッフやオーナーらしい人物たちが、揃って暖かい祝福の言葉をかけてくれた。それからまたこのカジノで遊んでくれることを願っている、とも言っていた。アルは愛想よく挨拶を交わした。

 

 午前零時の直前だった。アルはムツキと一緒に、カウンターで待っていたカヨコとハルカの下へ近づいた。目の焦点が合っていなかったハルカも、アルの大勝ちでようやく落ち着いたらしい。四人は揃って両替窓口へ向かった。窓口でアルの持っていた残りのチップを加えると、総額は四四〇万となった。

 

 さすがに大金なので会社の口座に送金してもらおうかと考えていると、背後から呼びかけられた。

 

 振り返ると、先ほどまでぐったりと席の背に体を沈めていたラムが立っていた。あの黒猫のチャールズは、まだショックから立ち直れずに卓へ突っ伏していた。緊張の色はどこかへ消え、片手で汗に濡れた金髪をなぜる。「良い勝負だった」といって、四人の顔を眺めた。「ここまでやられたのは初めてだから、私も取り乱してしまった。それはそうと四百万くらいの大勝ちか。チャールズの分も私が引き受けよう」

 

 彼女は両替窓口でアルの隣に並び、小切手へ裏書きした。最初のゲーム料も諸々含めた金額だったので、口座への送金はせずに済んだ。

 

 ラムは虚勢を張ったような笑みを浮かべていた。小切手を受けとったアルは一瞬だけイカサマの件を追求しようか迷ったが、もう夜遅かったのと、イカサマはお互いさまであったのとで、それ以上の追及はしなかった。

 

 最後にあの金塊のような目をアルへ向けて、いやに静かにいった。「あまりここへ長居しないほうが良い。私は先にお暇するよ」

 

 言い終えると背を向け、預けた笠を被り直してカジノから出て行った。

 

 先ほどまで麻雀卓に集中していた群衆の熱は冷めやらぬように思われたが、その大半はすでに各々の持ち場へ戻り、さも幸運のお裾分けを頂いたかのようにルーレットやスロットへ興じていた。カジノのあちこちで賭け金を口にする声や、象牙のボールが回転盤に弾かれる音などが、ようやく聴覚が正常になったように聞こえ始めた。

 

 長時間座りっぱなしだったムツキは、うんと背中を伸ばした。「いやあ、何はともあれ”終わりよければ、すべて良し”だね。どうなることかと思ったけど、最後はばしっと決めたじゃん!さっきのアルちゃん、ほんとカッコよかったよ!」

 

 ハルカも同意を口にした。「戦闘だけでなくゲームもお上手で、やっぱりアル様はすごいです!」

 

「そうでしょう、そうでしょう!一流のアウトローは逆境でこそ輝くのよ!」

 

 カヨコがため息をつく。呆れたという感じではなく、心から安堵していた。「ほんとうに大事にならなくてよかったよ、社長」

 

「ありがとうカヨコ。あの封筒ほどありがたかったものは、これまで生きててなかったわ。あれがなかったら私は大負けしていたもの。お礼を言わせてちょうだい」

 

「大げさだよ」カヨコは再びゲームに没頭している群衆たちを見た。「それに誰も信じられないっていうのも、私の勘ぐりすぎだったかも。ラムと組んでたのは、たぶんあの黒猫一匹だけだと思う」

 

 ラムは常に誰かと組んで、カジノに来た客から金を巻き上げていたに違いない。その金はそのままカジノを運営している会社の金でもあるから、ラムが毎回大勝ちするのをカジノとしても座視してられなかったのだろう。ちょうどよく便利屋68が客として現れ、代わりに迷惑客を懲らしめてくれたのなら、カジノとしては大歓迎のはずだ。

 

 カヨコはアルを見つめた。「さて、どうしようか社長。もう少し見ていきたい?」

 

「今晩はたくさんよ」小切手を収めた懐をたたく。「今日は色々と大変な一日だったし。それにこんな大金を持ったまま、あちこちをうろうろしたくないわ。万事終わったら、皆でお祝いをしなくちゃ」

 

 四人が預けた銃器を受け取ろうと入口へ歩み出した時、建物の外から不審な音を耳にした。眼下に学園都市の夜景が広がる壁面ガラスの向こうからだ。あまりに騒々しいので、ゲームをプレーする途中の客や仕事中のボーイたちは、珍しい動物を一目見ようとするように一面ガラス張りの壁へ集まりつつある。羽虫のような音が一層激しくなる。便利屋の四人は、ヘリコプターのローター音だとすぐに分かった。

 

 高速回転する主翼が見えたと思うと、すぐに下からずんぐりしたキャノピーが現れた。ヘリコプターはホテルの窓すれすれに鼻先を寄せ、空中でホバリングしている。昼間のような室内照明が影をはっきりと映し出し、操縦席に収まる敵の姿まで視認できた。アルは嫌な胸騒ぎがした。触角のような黒い銃身が、機首下面から室内へ向けられていた。

 

「伏せて!」カヨコが三人を床へ突き倒すや、すぐさま上へ覆いかぶさった。

 

 重機関銃の銃身四本が高速回転し、凄まじい勢いで弾幕を張り始めた。容赦のない掃射音が室内に響き渡る。壁一面のガラスが次々に砕かれ、窓際に集まっていた群衆を襲った。装飾がこくごとく粉砕され、床や天井が着弾で蜂の巣にされる。つい数秒前まで立っていた両替窓口の内側まで、大口径弾がばりばりと食い破る。シャンデリアが床へ落下し、多数取り付けられていた電球がやかましい音を立てて割れた。

 

 全ての照明が壊され、赤い非常電源へ切り替わる。埃と硝煙で視界が悪く、手元さえ確認できない。昼間のような照明に目が慣れてしまっていたからだ。あまりに唐突な襲撃に対して、便利屋は丸腰で耐えるしかなかった。

 

 始まりと同じくらい唐突に掃射が止まり、重機関銃の回転音もなくなった。四人は跳ね起きるや、すっかり様変わりしたカジノをまっすぐ横切り、武器を預けたロッカーへ急ぐ。入場口で銃器を預かったポーターが、すぐ横のロッカールームへ入っていったのを四人は確認していた。

 

 ハルカが扉を蹴破り、アルとムツキとカヨコも部屋へ押し入る。狭苦しいロッカールームには、客から預かった大小様々な荷物がひしめき合っている。機械人のポーターが一人、部屋の隅で尻もちをついてへたりこんでいた。騒動で腰を抜かしてしまったらしく、戦々恐々としている。

 

 アルは怒鳴った。「私たちの武器はどこ!」

 

 ポーターは動揺しつつ、ハンガーラックを指さした。吊られたジャケットに紛れて、四人の武器も籠に入ったまま立てかけられていた。アルはスナイパーライフルを肩にかけ、ワルサーを取り上げる。安全のために抜いていたマガジンを叩きこみ、スライドを引いた。

 

「あの、他の人は」ポーターが恐る恐る口を開く。

 

 ヘリの掃射を間近に喰らっては、生きている見込みは限りなく低い。だがありのままを伝えて、さらに怯えさせるのも忍びない。

 

「分からない」カヨコは曖昧に答えた。「早く逃げて、警察に通報して。あまりここに長居すると危ない」

 

 ロッカールームからカジノへ戻ると、先ほどのヘリはまだホバリングを続けていた。機体側面の扉が開かれ、高出力ライトの照射で動く物がないか探している。夜の闇に隠れて飛行する巨体は、恐ろしい眺めだと認めざるを得なかった。

 

 カジノにいたほぼ全員が、先ほどの掃射でやられていた。わずかに息がある者たちが、床でのたうっている。その中に黒猫のチャールズも入っていた。

 

 アルがスナイパーライフルへマガジンを装着して攻撃ヘリと向き合った時、背後からポーターの叫び声が上がった。入場口へ振り向いたが、声にならない叫びは立て続けの銃撃音で途絶えた。非常階段から靴音が聞こえた。しかも複数で、駆け上がる音が段々と近づいてくる。

 

 ムツキが機関銃を片手で構えた。「歓迎委員会の出迎えにしちゃ、少々やりすぎかな?来るよ!」

 

 入場口に複数の敵が武装して殺到した。アルは慄然とした。襲撃犯は全員がガスマスクで素顔を隠し、防弾ベスト、軍用ブーツ、武器のアサルトライフルに至るまで統一されている。姿が目に入ると、ムツキが入場口へ向けて機関銃を乱射し、先頭がなだれ込むのを防ぐ。だが反撃されたことに気づいた攻撃ヘリの機首が室内へ向けられ、入場口でも防弾盾を展開した第二陣が突入してきた。

 

 散弾銃を棍棒のように逆手で掴み、ハルカが防弾盾へ猛然と挑みかかった。アルはスナイパーライフルの銃口を攻撃ヘリのコックピットへ向け、立て続けにトリガーを引いた。初弾でキャノピーにひびが入り、二発目で突き破ると弾丸は操縦席へめり込む。攻撃ヘリはたちまち上昇して、天井の影へ姿を隠した。

 

 カヨコとムツキはブラックジャックをしていた腎臓型のテーブルを遮蔽に使い、机上に身を乗り出して敵を銃撃した。カジノにけたたましい銃撃音が響く。何人かのガスマスクが崩れたが、さすがに数が多く、狭い室内で二人では対処しきれない。アルは傍らのチップを運ぶワゴンを掴み、敵が陣取っているところへ向けて蹴り飛ばした。何人かの注意がワゴンへ逸れ、その隙にテーブルへ駆け寄る。何秒か敵の射線上へ身をさらしたが、敵が気づいた時にはムツキとカヨコの下へ滑り込んでいた。

 

 カヨコが空のマガジンを抜き、新しいものへ取り換える。「社長、やつらはNASSだよ。腕章に名前が書いてある」

 

 アルは困惑した。「ええ、でもどうしていきなり襲って来たの?あいつらはアリウスの関係者しか標的にしないんじゃ……」

 

 NASSを近寄らせないよう弾幕を張っていたムツキが、テーブルの陰にしゃがんだ。バッグから武器を漁るあいだ、カヨコが身を乗り出し攻撃を途切れさせないようにする。アルもスナイパーライフルを机上へ横たえると、スコープを覗きもせず目視で狙い撃った。敵陣で爆音が轟き、先頭集団をなぎ倒す。ハルカは果敢に敵陣へ突っ込み、連携を崩す大立ち回りをしていた。

 

 敵陣の中で、明らかに違う動きをしめす者が一人いた。ポニーテールにした灰色の長髪に、引き締まった体躯の隊員。銃器を持った手を垂れ下げ、棒立ちでしきりに辺りを見回している。床に倒れ伏す客たちを大雑把に確認して、それから仲間へ振り向くと首を横に振った。

 

 それを皮切りに、再度攻撃ヘリが姿を現した。重機関銃の四つの銃口は、いずれも正円を描いている。アルとカヨコが同時に身を屈めた瞬間、怒涛の勢いでヘリが銃撃を浴びせてきた。銃火が激しく点滅する。木製のテーブルが果たしていつまで役に立つか。アルは冷汗をかいた。

 

 こちらのピンチにハルカが気づくと、うっとおしい敵を引き離すように敵の一人が体を突き飛ばした。NASSの兵士たちが窓際へ集結していく。重機関銃が沈黙すると、すぐに機体は開口した側面を室内へ向けた。窓際のすれすれに立っていた兵士から、兵員室へ一人ずつ飛び込み始めた。

 

 脱出するつもりだ。群れの手前にいる数人がアサルトライフルを向け、順繰りに威嚇射撃を繰り返す。気づけば室内には、最初の半分以下の人数しか残っていない。三人は一斉にテーブルから飛び出し、一人でも脱出を阻もうと銃弾を浴びせた。だが最初に兵員室へ乗り込んだ兵士が新たな武器を取り出した。望遠カメラのような銃口と巨大化したようなリボルバーの六連発弾倉──RGB6グレネードランチャーの銃口が室内を狙い定めた。

 

 追撃は中断せざるを得なかった。全員が床に伏せると、すぐに爆発の衝撃波はガラスを室内から吹き飛ばし、熱風が体に押し寄せる。轟音で甲高い耳鳴りがした。

 

 最後の一人がヘリへ飛び移ると、機体はすぐに上昇し離脱した。羽音のようなローター音が遠ざかっていく。アルは体を起こし、よろめきながら周りを見渡した。ガラス片や木片が散乱し、バーカウンターでは火災が発生している。床に倒れる埃まみれの体で、動くのは便利屋の四人以外になかった。カジノは戦争が勃発したように様変わりしていた。

 

 ふらつくアルの体をハルカが支えた。心配そうな表情を向けてくる。「ご、ご無事ですか、アル様」

 

 アルは小さく頷いた。「ええ……ありがとうハルカ」敵が群れを成していた窓際を見やる。「NASSは誰かを探していたわ。床に倒れてる顔を確認していたの」

 

「誰かを?」ハルカは首をかしげた。「今晩カジノへ来ていた誰かが標的だったということですか」

 

「でも見つからなかったみたい。それで諦めて引き返したのよ」

 

「カジノを運営する人間が標的じゃなかったんですか……」

 

「それなら最初からグラント氏とかを狙ったはずよ。こんなにたくさん……無関係の人も大勢いたでしょうに」

 

 アルは床に倒れ伏す亡骸たちを見た。生気は微塵も感じられなず、あたりには死の臭気が漂う。エレベーターも止まっているので、非常階段へ地上まで降りるしかない。あのポーターが階段の途中で倒れているのを想像するだけでも気分が悪くなる。NASSは便利屋以外、誰一人として生きて逃がそうとはしなかった。

 

 ムツキとカヨコもなんとか無事だった。ガラスが割れ、夜風が強く吹き付けるなか、カヨコは次にするべき事を話した。「とにかくここから離れよう。ヴァルキューレ警察に通報しないと」

 

「そうね」アルは短く応じた。

 

 ムツキが何気なく口にした。「せっかく良い気分だったのに、勝利のお祝いって空気じゃなくなっちゃったね」

 

 お祝い。そうだ、すっかり忘れていた。アルは懐へ手をやり、小切手が無事であるのを確認した。もう何年も遠い昔の出来事のように思えるが、麻雀で眼虎ラムからせしめた大金の小切手があった……

 

 アルははっとした。「すぐヴァルキューレ警察に通報しないと」

 

 ムツキが不思議そうな顔になる。「そりゃそうだよ?NASSじゃなくて、私たちがギャンブルの腹いせにカジノで暴れたと思われたら敵わないからね」

 

「いや、警告をしないといけないわ」アルは緊張した面持ちでいった。「NASSの狙いは、眼虎ラムだったのかもしれない」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。