日没後のゲヘナ自治区内にあるブラックマーケット”クロガモ通り”は、大人の機械人や獣人たちで賑わう歓楽街となっている。未成年の学生たちがひしめく学園都市のなかであっても、大人たちのための行楽施設は一定数存在する。昼間はシャッターが降ろされ閑散としているクロガモ通りも、今はネオン看板が掲げられ、店の前には客寄せの従業員が立ち並ぶ。酔っ払いたちが肩をくみ、陽気な声で笑い合いながら闊歩している。
十七歳のアリウス生、南波クラビスは冷めた目つきで通りを歩いていた。こんな夜更けに生徒が一人でいれば、たちまち補導されてしまうだろうが、高身長の上に白いロングコートを羽織ったクラビスは一見すれば大人の女性と変わらなかった。ゲヘナ自治区内に潜伏するには、フォーマルな服装をしていたほうが何かと都合が良い。
前から歩いてきた三人組の酔っ払いの一人が、こちらに目を止めた。じろじろと頭からつま先まで見回してくる。声をかけられる前に鋭い一瞥を向けると、驚いてその場を後にした。クラビスは面倒事を好まなかった。とりわけ任務の最中であれば尚更だ。
スマートフォンの地図機能を見ながら、指示された店へ向かう。電信履歴には、彼女の上司でありながら顔も知らない人物の名が残されていた。一時間ほど前に受けた指令は、アリウス分校の時代から使われる符丁混じりの暗号文だった。ネオアリウスの連絡係が打電したものと分かる。一見すれば意味不明な文字の羅列に過ぎないが、クラビスは昔から普通に読みこなす訓練を受けていた。内容は以下の通り。
〈着信 マダム二世〉
同志、南波クラビス
トリニティにより発足されたNASS対策班の構成員を抹殺せよ。標的は明朝七時にグッドイヤー埠頭から出港する大型客船、シーサイド・セレナーデ号にて、第一回会議を開く。乗船にはチームⅢが手筈を整える。同志クラビスはゲヘナ自治区内ブラックマーケットで、午後七時ちょうどに戦闘行動に備えた装備を現地調達し、新たな指示を待て。
マダム二世──かつてアリウス分校を支配下に置いていた大人、ベアトリーチェの後継者だ。クラビスらアリウス分校生は、今は亡きベアトリーチェから標的殺害や破壊工作などの訓練を受けていた。
トリニティはネオアリウスへ対抗するため、ゲヘナやアリウスだけでなく百鬼夜行をも引き込んだ同盟を結成したらしい。エデン条約を彷彿とさせる連携だ。無論ネオアリウスにしてみれば、このようなマンモス校同士の動きは特別に警戒すべきものだ。エデン条約調印式での復讐の一幕は、クラビスもはっきりと記憶に残っている。
調印式が執り行われていたトリニティ総合学園内の大聖堂へ向けて、巡航ミサイルを撃ち込んだ。着弾と同時にクラビスたちも戦闘行動へと移行した。灼熱の炎が会場を取り囲み、怒号と悲鳴が入り混じっていた。アリウス最高戦力と謳われたアリウススクワッドを筆頭にして、アリウス分校は過去に葬られた亡霊たちをも従え、ゲヘナとトリニティに牙を剥いた。
災害のような大混乱により、トリニティとゲヘナは統率を失い、欺瞞が横行した。もはや修復不能に思われたが、各校の生徒たちがこの窮地で団結し、奇跡のような復興を成し遂げた。主犯格だったアリウススクワッドは前マダムであるベアトリーチェを打ち倒し、青春の物語へと加わっていくことになった。
午後七時ぴったりに、クラビスは指示を受けた地点で足を止めた。DVDレンタルという看板を掲げる店だった。
ネオアリウスへ武器を供給する業者は、七日に一度変更される。その都度に場所が変わり、どれもが至って罪のない店であることがほとんどだった。店内へ踏み入ると、湿気のこもったよどんだ空気が出迎える。カウンター奥に立っていた店員が、こちらをじっと見据えている。ここも既に何人か、ネオアリウスの同志が来ているに違いない。同志と集合するのは、決まって作戦の直前のみに限られ、それ以外での個人的な接触は一切禁じられている。武器を調達する際も、時間や日にちを少しずつずらし、決められた時間内に取引を終えるよう厳命されていた。
クラビスはカウンターで事務的にいった。「滅多に見られないレアものを探している」
店員がぴくりと反応した。「ロマンスものですか」
「いや、アクションだ。激しいものほど良い」
「お待ちを」店員は奥へ引っ込んだ。
ややあってから、店の奥から二人の人物が出てきた。先ほどの店員の他、小太りの機械人が出てきた。通信によれば、名はカーター。機械人の武器卸業者だ。中へ入れ、と無言で示している。クラビスはカウンターを抜けて、カーターの後へ続いた。
招かれたのは、荷棚に囲まれた倉庫だった。表向きの商売に使う円盤の入った籠の他、銃器が収まった籠がいくつも並ぶ。クラビスは中へ入ると、すぐさま扉を閉めた。
カーターは黄色い瓶ビールのボトルクレートへ腰を下ろす。「おたくもネオアリウスかい」
「その名で呼ぶな」クラビスは小声で命じるようにいう。
カーターはふんと鼻を鳴らした。ネオアリウスのやつらはいつもこうだ、と抗議でもするように見上げる。「ここに来るまでどうだった?おたくらが歩き回ってちゃ、補導でもされないほうがおかしいと思うが」
クラビスは雑談に付き合う気はなかった。ここへは仕事のために来たのだ。「心配されるようなことはない。マダム二世から指示を受けているだろう。武器と弾薬が欲しい」
手持ちのアサルトライフルも拳銃も、弾を切らしかけている。それに大型客船での作戦となれば、大型兵器が必要になるはずだ。
カーターは頷いた。「金はあんたらのマダムから事前に貰っている。上等なものを揃えてほしいとな」
「今残っている武器で何がある。爆発を起こせるものが必要だ」
カーターは億劫そうに立ち上がり、灰色のロッカーを開けて、全長一・二メートルほどの円柱を取り出した。黒光りする円柱はレザー製で、ジッパーのついたカバーだった。重そうに運ぶと、狙撃銃の隣へ横たえる。クラビスはジッパーを空けると、一メートルほどの円筒型の物体を取り出した。
RPG-7対戦車ロケット砲だった。カーターが後から置いた木箱には、ずんぐりとした成形炸薬弾頭も収まっている。
カーターは得意げな笑みを作った。「どうだい?俺の手腕にかかれば、ざっとこんなものよ。最大射程はざっと九百メートル。発射直後に弾体後部の安定翼が展開して、内蔵された推進薬が点火すると加速しながら目標へ飛翔する。これ一発でたいていの重装甲はぶちぬけるだろう」
クラビスは肩で水平に保って構えた。一般的な狙撃銃の倍近い重量がある。加えて擲弾自体も一発につき一キロ程度だが、キヴォトス人の怪力にかかれば重量は問題ではない。ただしかさばるので何発も持ち歩くわけにはいかない。使いどころを誤らないようにしなければならない。
「よさそうだ」クラビスは発射機をカバーへ戻した。
カーターはクラビスの銃を見た。「弾薬は五・五六ミリ弾とルガー九ミリ弾で違いないな?それなら在庫は山ほどある。勝手に持って行ってくれ」
クラビスは事務的な口調でいった。「分かった。これで裏切者どもを粛清させられる」
「裏切者ねえ」カーターはまたボトルクレートに腰を下ろした。「あんたらの学校は裏切者が絶えないな。白洲アズサとかも粛清するのかい?」
「わからん、彼女についてマダムからの指令は受けてない。アズサを知ってるのか」
「エデン条約事件の前に、いくらかの仕事で世話した。顛末は聞いた。トリニティ生にほだされて……」
「ああ、彼女とはあの時もやりあった」
「戦ったのか。気が進まなかっただろうな」
白洲アズサ、アリウスからトリニティへ転校した二年生。首脳部であるティーパーティーのホスト、百合園セイア殺害のために送り込まれたスパイ。彼女はクラビスの同僚だった。今でも顔が思い浮かぶ。
彼女について思う事はない。ただ新しいマダム二世の指令に従い、作戦行動に参加する。それがクラビスの仕事だった。
エデン条約の主犯格であるアリウススクワッド、スパイを演じていた白洲アズサ、そしてアリウス自治区に残留していたニコメディアトゥループの梯スバル、立木マイア。アリウスの名だたる生徒たちが、次々にトリニティと和解していった。かつてキヴォトス中に悪名を轟かせたアリウスは過去のものとして消えつつある。そんな現状を憂いた人物が、マダム二世としてネオアリウスを発足させ、再び戦争の火種をばらまこうと画策している。
「なあ、あんた」カーターはいかにも申し訳なさそうにいった。「あんたは見たところ、かなり凄腕そうだ。マダムへ謁見する機会があれば、もう少し金額を増やして欲しいと伝えてくれないか。こっちも最近隠れ家を変えてから、少々厳しいんだ。共生する者同士は助け合わないと」
「共生だと?」
「そりゃそうだ。何のために俺たちがあんたらを匿っていると思う?あんたらが派手に暴れ回ってくれれば、表でも裏でも武器や情報が活気よく飛び交うんだ。この家業でうまい飯を食う俺たちには、戦争の火種となってくれる存在が不可欠なんだよ」
「……分かった、考えておこう」
クラビスは空返事をした。無論カーターの事情になど興味はない。任務を果たすことしか頭になかった。自分の懐しか見られない屑め。こいつは大きな誤解をしている。おそらくネオアリウスの誰も、一度だってマダム二世と直接会ったことはないだろう。指令はいつも電信で飛んでくる。前任のベアトリーチェが目立ちたがりだったのに対し、今度のマダムはあまり人前へ出しゃばるのを好まないらしい。どんな人物にせよ、いちいち迷宮のようなカタコンベを経由して自治区へ戻らずに済むのはありがたかった。
指令へ再度目を通す。情報では、既に対策班メンバーの一人を狙った襲撃がおこなわれたという。だが反撃にあい、標的が不在だったために失敗したらしい。これも以前なら懲罰ものだが、マダム二世からはお咎めなしだった。隊の規律は大丈夫なのだろうか。
何にせよクラビスの肚は決まっていた。任務の妨害をするなら、それが誰であれ容赦はしない。体に染みついた誓いを復唱する。全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。