便利屋68 黄金将軍   作:まーろう

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9 NASS対策班

 コンクリート造の広大な埠頭に、朝の爽やかな空気が吹き込まれ、ほんのりと潮の香りを漂わせる。何匹ものカモメが空を旋回し、鳴き声を交わし合っている。

 

 朝日が水平線上に顔を出し、澄んだ青空が一面に広がる。背景の山々も緑色を帯び、街灯はすでに暗くなっている。天候の心配はなさそうだった。

 

 グッドイヤー埠頭は、連邦生徒会の管轄地内にある指定重要港湾だ。海上にいくつもの突堤が伸び、大小様々な漁船が係留されている。漁船の作業員たちは、もう何時間も前から立ち働いていた。

 

 小回りの利きそうな漁船たちから離れた位置に、高級ホテルをそのまま乗せたような客船が停泊している。連邦生徒会が船籍を持つ大型ラグジュアリー客船、シーサイド・セレナーデ号は港に横づけで接岸していた。全長二五〇メートル、幅三十二メートル。六八八七〇総トン。九階層というデッキ数を誇る船で、乗船定員は客と組員を合わせて千人以上。船内にダイニング、レストラン、クラブ、プール、サロン、シアターなどを備える、悦を尽くした設計だった。

 

 この大型客船と見比べると、すぐ隣に建つ三階建てのターミナルは小ぶりに見えるかもしれない。客船へ伸びる搭乗橋は港へ俯角に設置され、そこからビニール製のトンネルがターミナルまで続いている。雨の日などは重宝するが、乗船時に遠方からの狙撃を警戒して設置したとも考えられる。外からは、中を通る人の流れが見えないからだ。

 

 陸八魔アルはまだ船内にいなかった。いつものコート姿ではなく、セーターに褐色のジャケットを羽織り、ハンチングを被っている。クロノスジャーナリズムスクールの一介の記者として乗船するからには、必要な変装だった。周りに詰めかける客は、NASS対策班の第一回会議を取材に向かう記者団体に見えるかもしれないが、実はほぼ全員がヴァルキューレ警備局の職員だ。この大規模な囮作戦を敢行するため、警備局の職員たちも変装する必要があった。

 

 アルは広間の受付に告げた。「クロノスジャーナリズムスクールの鳴海ファルアよ。こっちは長峰ベータ、前尾マガン、宮坂ターデル」

 

 ヴァルキューレ主導の囮作戦は、大型客船を所有する連邦生徒会にも承認されたれっきとした公式作戦だ。だがNASSをおびき寄せるという目的のため、乗船に必要な手続きは省略できない。アルはヴァルキューレが発行した偽の学生証を提示した。所属はクロノススクールとなっている。

 

 受け付けは、中へどうぞ、と手で示した。便利屋の四人は長蛇の列を抜け、記者団体が集まる広間へようやく入った。

 

 紺のブレザーを着たムツキが不満気にいった。「長峰ベータだって。もっとましな名前は思いつかなかったのかな」

 

「我慢しなさい。船には風紀委員会も乗るのよ。私たちが普段のままうろうろしてたら、あらぬ疑いをかけられるかもしれないわ」

 

「ゲヘナとトリニティは自前の護衛を出すのに、アリウスと百鬼夜行はヴァルキューレが引き受けるしかない。これが立場の差ってやつかな」

 

「堂々と大勢投入すれば、かえって目立ちすぎるのよ。このくらいの塩梅が一番適しているわ」

 

 一面の大きなガラス壁の向こうで、シーサイド・セレナーデ号が鎮座している。足元では制服姿の乗組員たちがちらほらと歩いていた。四人は窓際のカウンターに座り、改めてこの豪華客船をまじまじと眺める。船首側面、船の名前が描かれたところだけ新しく塗装し直されていた。

 

 実は便利屋がこの船に乗船するのは、今回が初めてではない。客船はシーサイド・セレナーデ号と命名される前は、ゴールデンヒポポタマス号という名前だった。便利屋68のSNSアカウント乗っ取り騒動の犯人が、違法な依頼を多数受注して得た金で建造したものだ。犯人を強襲した際に船内図へ目を通していたので、アルたちは船の構造を隅々まで把握していた。地の利がこちらにあるのは違いない。

 

 アルは頬杖をついた。「遠方の百鬼夜行は分かるけど、アリウスまで代表一人だけの参加だなんて寂しくないかしら?トリニティがついているとはいえ、弱い立場だし危険な仕事なのに」

 

 カヨコは取材道具一式が入ったバッグを開けた。「敵がネオアリウスなんて名前だし、構成員がアリウス出身の可能性は高い。内部に敵が潜んでいるか分からない以上、内密に一人だけで参加させるのは理にかなってるよ。乗船して顔を合わせる前に、対策班メンバーの身分調書に目を通しておこうか」

 

 作戦に際し、尾刃カンナは局長権限で対策班メンバーの情報を集めてくれた。全ての資料は事前に本人たちが各所属校へ提出したもののコピーで、各校の生徒会長と連邦生徒会の認印が押された身元のきれいな書類ばかりだった。

 

 アルはカヨコから手渡されたファイルを受け取った。「まずは同盟ホストのトリニティからいきましょ。氏名は氷野イサミ。トリニティ総合学園所属、十七歳の三年生。ながらく穏健派のトロント派トップを務めていたけど、五カ月前にその座は後輩の七宮スペルへ譲っている。トロント派は比較的歴史が新しい派閥のようね?」

 

 カヨコが答えた。「主要三派のパテル、フィリウス、サンクトゥスのどこにも属していない。完全中立なシスターフッドって例があるけど……トロント派はエデン条約に賛成していたそうだね。イサミ本人は調印式の前にトップを辞めているけど、後輩たちが彼女の遺志を継いで派閥を運営している。早いうちにトップの座を降りたのは、彼女が何かと噂の絶えない人物だからだったとか」

 

 氷野イサミは確かに噂の絶えない人物であったが、その噂にどれ一つとして好ましいものはない。イサミはトリニティ総合学園中等部では優等生で、高等部で所属した情報局ではめざましい功績を残している。依存性の高い茶葉の流通を早期に発見すると、すぐさま規制強化のための法律を成立させ、結果として委託資金を無断流用して麻薬茶葉へ投資していた小グループを軒並み廃業へ追いやった。しかしこれは序章に過ぎず、仮想敵校の情報網破壊や心理操作、学園反逆者や工作員の取り締まりなど、あらゆる側面で有能なトリニティの上級情報局員として君臨していた。通例では情報部の退職者にのみ与えられる勲章や称号を現役時点で授与されたことこそ、彼女の価値を示すものといえよう。

 

 イサミは叙勲とともにトロント派トップの座を与えられた。しばらくは元の情報局員として活動を続けていたが、五カ月前に現役を引退した。トロント派は彼女を慕う多数の生徒で構成されていたが、噂が何よりも好物のトリニティでは彼女について不穏な噂が絶えず流れていた。殺人経験があるとか、お抱えの派閥を肥大化させてティーパーティー転覆を画策しているとか、様々な情報が流れた。しかしこれらを裏付ける証拠はなく、彼女が一度も尻尾を掴ませなかったため、功績に尾ひれがついたのではないかという見方もあった。

 

 ムツキがいった。「要するに有能で知恵の働くやつってことだね」

 

 アルはファイルをさらにめくった。「お次は私たちのゲヘナ学園よ。荒切バット、同じく十七歳の三年生。ゲヘナ風紀委員会所属。彼女なら覚えがあるわ」

 

「前に一度戦ったことがあったね。やたらと荒っぽい手を使ってきた風紀委員だったっけ」

 

 便利屋も問題児集団というレッテルがある以上、風紀委員会とは何度も交戦した経験がある。彼女とは戦場で手合わせをしたことがあったが、白黒の写真を見るだけでも姿が目に浮かぶ。荒切バットは通称”荒らし屋”と呼ばれ、キヴォトスでも特別治安の悪いゲヘナ自治区の修羅場をいくつも潜り抜けてきた古参の風紀委員だ。常にやるかやられるかという環境に身を置き、軍人気質の塊みたいな人物でありながら、ひとたび戦場へ身を投じれば、猛牛がごとく派手に暴れ回る。

 

 ここまでは典型的なゲヘナ学園の生徒像だが、それとは別にかなりいかがわしい一面があるらしく、犯罪歴には汚職という記述があった。万魔殿議長の羽沼マコト、ゲヘナ風紀委員長の空崎ヒナ──ゲヘナの二大トップである二人が犬猿の仲なのは周知の事実だが、バットはマコトから報酬と引き換えに、委員会内部から問題を引き起こしていたという前科がある。素晴らしい内容は命令違反や無視に始まり、他校区で独断での戦闘行動、過剰な威力偵察、戦場の過剰破壊……まさしく”荒らし屋”の名に違わぬ経歴だが、それを帳消しとまでいかずとも、相殺できるほどの貢献を組織にしているのも事実だった。彼女の調書における汚点が、汚職の二文字で済んでいるのはこのためであった。

 

 ムツキはハルカを見つめた。「あの時はハルカちゃんが大立ち回りをしてくれたおかげで何とかなったんだよね」

 

 ハルカはぺこりと頭を下げた。「私はこれくらいしかお役に立てないので……」

 

「でもヒートアップしてから、銃器でぼこぼこ叩き合い始めたのには驚いたよ。一応いうけどハルカちゃんも女の子なんだよ?顔に傷でもついたら、ムツキちゃんたちは悲しいなー」

 

 ハルカはおろおろしていた。何かと自己肯定感の低い彼女には、これが最適な諭し方だというのは三人のあいだで一致していた。

 

 カヨコも同調した。「こんなのに目を付けられないよう注意しよう。次は問題のアリウス代表、龍ヶ崎シュウ。対策班で唯一二年生の十六歳……」

 

 小声で読み上げる口が止まった。途端に訝し気な表情になる。アルもファイルをさらにめくり、すぐにその訳が分かった。あまりにも簡潔にまとまった経歴に開いた口が塞がらない。

 

 アルは同じく怪訝な顔になった。「詳細不明、ですって?」

 

 カヨコが頷いた。「本人の自供によれば、エデン条約事件の前は支援班に配属されていたみたいだけど、それ以外の経歴は一切不明。理由は、正式な記録が残っていないため、か」

 

 アリウスはエデン条約事件が終息するまで、ある一人の大人による支配下に置かれていた。彼女たちは道具同然の扱いを受け、戦闘訓練ばかりをこなす毎日だったそうだ。そんな状況では、一人一人がまともに身分を証明できるような記録を残せるはずもない。アリウスから他校へ転学した者たちも、経歴は偽造したものを皆使用している。彼女たちの本当の過去を示す証拠は、本人たちの記憶にしかない。

 

 だから何者かと聞かれても詳細不明で通すしかない、ということらしい。なるほどごもっともだが、敵がネオアリウスであるからには、彼女は必然的に懐疑の目を向けられる運命にある。アルは顔をしかめた。初めてNASS連合対策班と聞いた時の感動はどこへやら、どうにもきな臭い空気が濃厚になってきた。

 

 アルはため息交じりにいった。「そして彼女たちのまとめ役で呼ばれたのが、百鬼夜行代表の眼虎ラムね。三年生、十七歳」

 

 眼虎ラムの調書の中身は、カジノでアルが本人から聞いた供述とあまり変わらない。すらすらと語っていた経歴は調書の記述とも齟齬はなく、裏付けは取れたが耳新しい話はあまりなかった。

 

 ムツキがいった。「ラムちゃんは百鬼夜行の郊外、戦場ヶ原に広々とした土地と天守閣を持ってるんだね。お城には一人で住んでるけど、広い敷地を警備するために何人かのガードマンを雇ってるみたい」

 

 カヨコが答えた。「問題は人材がまともな出じゃないってことかな。ヘルメット団のごろつきばかりを二十人くらい雇ってる」

 

「城主がお出かけの今、敷地の警備はこいつらがしているのかな。どうして正式な治安維持組織の百花繚乱じゃないの?」

 

「何度か城を訪ねてはいるみたい。本人は戦争研究の名目で、キヴォトスのあちこちから出土した貴重な兵装を買い集めているから、不法侵入者に盗まれないよう屈強な警備が必要って主張している」

 

「それに社会貢献まで盾にされちゃ、百花繚乱も簡単には近づけないか」

 

 受付の女性のアナウンスが、広間に待機する職員たちへ向けて告げた。お待たせしました。七時二十分発、シーサイド・セレナーデ号へ乗船のお客様は搭乗口へお並びください。繰り返します……

 

 立ち上がると、ムツキは肩をすくめた。「それじゃキヴォトスの命運は、トリニティ情報局のならず者と、まず一発撃ってから尋問するタイプの風紀委員と、得体のしれないアリウス生と、抜け目ないイカサマ軍師の手に委ねられてるってわけだ。こりゃNASS問題が片付くまでハラハラしどおしだね」

 

 記者姿の職員たちに紛れて、四人も搭乗口へ向かう。アルは偽名の名刺が入ったパスケースを首にかけようとして、ふと自分の顔写真を見た。いたって罪のなさそうな顔をした記者だが、実際にはNASSを駆り立てようとする裏社会トップのアウトロー。周りにいるのも外見こそ記者団だが、ほとんどがヴァルキューレの正規警備員たちである。怪しい人物は今のところ見当たらないが、油断はできない。NASSはすでに、この中へ紛れ込んでいるかもしれない。

 

 

 

 舞台のような甲板には、海からの風が容赦なく吹き込んでくる。地上の作業員はしきりに無線機に話しかけ、操舵室と絶えずやり取りをしている。役目を終えた搭乗橋が後退し、数人が係留索を外す作業へ移行すると、やがてスラスターの働きで船首が港からゆっくりと遠ざかる。こうしてシーサイド・セレナーデ号は、アルたちを含むおよそ百人余りの乗客と、五十人ほどの乗組員を乗せて大海原へ出航した。

 

 アルは船が何事もなく離岸してから、しばらくのあいだは左舷甲板のデッキから動かなかった。離岸直後を狙って船に近づいてくるかもしれない。だがグッドイヤー埠頭が遠くで平べったく霞む頃になっても、無銭乗船を試みる姿は見られず、海面はただ静かに揺れるのみだった。

 

 これ以上ここにいないほうがいい。NASS対策の取材に来た一記者が、長く甲板に一人でいれば怪しまれる。記者団に扮した職員たちとは別に、堂々とヴァルキューレの制服を着た職員たちが目を光らせているが、いずれもこちらとは司令塔も命令系統も別になる。便利屋68の乗船を知っているのは、手引きしてくれたカンナ一人だけだ。NASSに気づかれるのは無論のこと、職員たちにも正体を知られてはならない。警備局には一切の情報を伝えていない極秘作戦だからだ。

 

 アルは歩きながら、絶えず右の臀部にある冷たい固い感触を確かめていた。ジャケットの下のベルトに、唯一身を守る武器であるワルサーが差し込まれている。乗船に当たって、当然ながら銃器の持ち込みは最小限でなければならなかった。下着と同じくらい銃を身に着けてて当たり前のキヴォトスといえど──中にはいかがわしい特殊な格好を乗船規則とした例もあったそうだが──時と場というものがある。アルのスナイパーライフルは、とりわけ記者という肩書である以上、船内へ持ち込むことはできない。だがこれも尾刃カンナが事前に便宜を図り、屋上デッキにライフルの隠し場所を用意してくれたのだ。秘密のコンパートメントは、直径一・五メートルもの船舶用アンテナの支柱に用意されている。これは常に施錠されているが、万が一の時にはアルが持つ小さな鍵で開けることができた。

 

 アルは警備員たちに微笑を向け、軽く会釈して船内へ入った。居住区通路には四桁の番号が振られた客室扉が等間隔で配置されている。通路をまっすぐ抜ければ、この客船で最も広く開放的な空間にぶつかるはずだ。アルが突き当たりの扉をくぐると、閉鎖的な通路とは打って変わって、豪勢な社交場を見下ろす踊り場となった。船内中央に配置された四層吹き抜けのラウンジは、細部までこだわりぬいた装飾が施され、以前の依頼で訪れたオペラハウスを彷彿とさせる。通路のあちこちで記者姿の職員たちが言葉を交わし、乗組員はこれから始まる第一回会議の準備に忙しそうだ。アルはラウンジの三階内壁に設けられた空中通路から、対策班の面々が顔を合わせるであろう一階の円卓を見下ろした。前にムツキとハルカが徹底して暴れ回った空間は、とても間に合わせとは思えないほどめかしこまれていた。初めて乗船した者の目には、とても犯罪者から押収したお古には見えないはずだ。

 

 ふと空中通路の対角を見ると、同じく会場を俯角に見下ろしているカヨコの姿があった。青みのかかったシャツに紺の手編みのセーター姿で、会議が始まるのを今か今かと待ち構える記者を装っている。こちらに気づくと、上目で小さく視線を投げかけてきた。アルも手すりから微笑み返した。耳にはめこむ小型インカムも装備していない。通信機器がNASSや職員たちの目に触れないはずがない。

 

 周囲に何の動きもないところからして、くだんのNASSはまだ現れていないようだ。襲撃をかけるなら、対策班の全員が円卓へ着いた時が狙い目だろうか。

 

 アルが高所で佇んでいる時、背後から足音が聞こえた。複数人で固まっているが、その中に一つだけゆったりとした歩調の者がいる。アルの背は、集団へ向いている。足音がすぐ近くで止まった。

 

「前に会ったことがあると思うんだが」背後から声。低い普通の声だった。

 

 アルは急いで振り返った。声の主を見て、思わず顔が固くなる。彼女にはここにいることを悟られたくなかったが、もはや手遅れだった。

 

 金色を帯びた長髪に同系色の羽織を着た眼虎ラムは、あの金塊のような目をかっと見開いていた。あの夜と同じく、こちらの心理まで見透かしているような目つきをしている。後ろでボディーガードらしき二人の警備員が神妙に顔を見合わせていた。

 

「えーと……たしか……なんていったかな」芝居がかったようなもったいぶった話し方だった。

 

 意図を汲み取ると、アルはあわてて返事をした。「クロノススクールの鳴海ファルアですよ、ラムさん」

 

「ああ、思い出したよ。いやあ、血の巡りがにぶくて失礼。なにしろあの晩は大変だったからな、私も自分のこと以外にあまり気を使えなかったんだ」

 

 アルはほっとして微笑を作った。こちらの状況を承知して、機転を利かせてくれたらしい。

 

 ラムはにやりと笑い返した。「ここで再会したのも何かの縁だろう。少し話したいこともある」控えている警備員へいった。「この子は前に会ったことがあるんだ。積もる話があるから、君たちは先に戻っててくれ。そんなに心配せずとも、ここじゃ抜け出しようがないさ」

 

 ラムにいわれると、警備員たちは素直に会釈してどこかへ向かった。アルはラムの肩越しに見送りながら、一体何の話が出てくるのか、と緊張していた。麻雀でのイカサマ?それともあの小切手?カジノを襲撃したNASSのことだろうか?ラムが何を考えているのか、アルは真意を計りかねていた。

 

 アルは控えめに話しかけた。「ええと、ラムさん?」

 

「ラムでいい」手すりに背を預けると、ラムは低い声で静かにいった。「病欠者の取材を代行する依頼でも受けたのかな、陸八魔君?」

 

 返答に迷う。困り顔を見ると、ラムはこちらへ身を乗りだした。石鹸の香りが、そっと渡ってくる。やはり高級なものを使っているらしい。サミュエラ印かしら?

 

「君の顔なら、特別よく覚えている。しかしまさか、ここにいるとは思わなかったが」

 

「急な運びというやつなのよ。こちらもばったり出くわす予定なんてなかったわ」

 

「明言した記憶がないが、対策班に参加することを誰かから聞いたか?」

 

 アルは先ほどの表情から、何か気取られてないことを祈った。「いや、初めて知ったわ」

 

「本当に何も聞いてないんだな?」

 

「くどいわね?」

 

「ならいいんだ。何でも屋なら、大金をせしめたうえでNASSから襲撃依頼を受注していても、おかしくないと思ったのでね」

 

「そんなことしないわよ!いや……昔はあったかもしれないけど……」

 

 初めこそ警戒していたものの、今ではラムの目に興味の色がでていた。辺りを見回す。聞き耳を立てている者はいない。それでもラムは小声でいった。「こう思ってるな。こいつと再会したのはいいが、どういうことだろう?いったい自分に何の話があるんだろう、と」首を少し傾げる。

 

 ようやく本題ね。アルも手すりにもたれかかって、静かに頷いた。

 

 かしこまった態度が抜けたのを、親しみの証と受け取られたらしい。ラムは素直に喜んでいるようだった。「一つは天の采配のような形で、こんな具合に再会できたことを喜びたいんだ。遠くの百鬼夜行から一人で呼び出されて、周りにはぺこぺこと付き従う者しかいない。陸八魔君、君だけは違ったな。忖度なしの真剣勝負で、私と対等に向かい合ったのは君が初めてだ。(よくいうわ。イカサマが前提の勝負だったのに!)不案内な異国で対等な知り合いを作れるのは、とても幸運で喜ばしいことなんだよ」人差し指をアルへ突き付ける。「ところでもう一つだが、あの晩に話したことを覚えているかな。便利屋68は、金さえ貰えれば何でもする何でも屋だと。あの言葉に二言はないんだな?そう……頼まれれば秘密を探るようなこともしてくれるのか?」

 

 秘密を探る、証拠探しみたいなことなら、適任のカヨコがいる。猫探しなら、たまに請け負っている。アルは肩をすくめた。「探し物の依頼はたまに受けているし、一企業の違法取引を看破したこともあるけど、それももう昔の話よ。探偵ごっこは面白いけど、事業として先の見込みは薄いでしょう」

 

「ごもっともだ」こんな話を持ち掛けるのもおかしなものだ、と自嘲でもするみたいに、ラムは鼻を鳴らした。だが例の金塊の目だけは、絶えず狼みたいに鋭い眼光を保っている。あの晩に何度も見た、一筋縄ではいかない人物の表情だった。「今は特別な仕事はないのか」

 

「ええ。()()も個人的な行動に過ぎないわ」両手を広げてみせる。

 

「それなら良かった。ちょうど君たちの手を借りたいと考えていてね。困ったことがあるんだ。君たちも乗船しているなら、私のために時間を割いてくれないか。もちろんお礼ははずむし、引き受けてくれればありがたいと思っている」

 

 アルは既に引き受けることで肚を決めていた──社員たちへ相談もせず、盲めっぽうにである。ラムの困ったことが何であるにせよ、それが謎と危険をはらんだものだと勘で分かった。向こうも同じく、こちらを一筋縄ではいかないしぶとい人物だと評価しているらしい。そんな相手からであれば、きっと大好きな危険な仕事に違いない。ただ節操なく飛びつくのはだらしない。アルは少し考える素振りを見せてから、冷ややかな儀礼的な受け答えをすると、ラムは両手で制した。

 

「待った。肝心な話もせずに、いきなり引き受けてくれというのも無遠慮だったな。しかし私が、君を高く買っているということを承知してほしかったんだ。麻雀卓で初めて会った時のことは忘れもしない。細かい事まで覚えているんだ──君の冷静さ、大胆さ、度胸や手札さばき」

 

 アルはやれやれといいたげな半笑いを浮かべた。分かりやすいお世辞に呆れているのは半分事実だが、残り半分では素直に評価を噛みしめていた。

 

「陸八魔君、この対策班がどういう集まりか知っているか?」

 

「ええ。なかなか面白い同盟ね」

 

「それぞれの素性については?」

 

「基本的なことなら知ってるわ。基本というのは、名前と出身校と簡単な人物像だけということね」

 

「そこまで知っていれば充分だ。先入観なく公平に判断できるからな」

 

 アルは尋ねるような顔をする。ラムは彼女への依頼を、重々しく真剣な口調でいった。「陸八魔君、対策班にいる裏切者を探しだしてくれないか?」

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