サイバーパンクな世界でスラムの少年が成り上がるやつ   作:ジョニー

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4話

脳髄を直接灼くようなノイズがようやく止んだ。

しかしジンの耳の奥には今なおキィィンという不快な高周波の残響がこびりついている。

 

『五秒以内に左斜め後ろ三歩の位置に移動して地面に這いつくばれ』

 

ノイズの向こうから響いた男の声は底知れない冷徹さを帯びていた。

有無を言わせず始まるカウントダウン、ここで意地を張れば確実に死ぬ。

 

「クソ……ッ!」

 

ジンは辛うじて動く両腕と右脚を使い、指定された左斜め後ろの床へと身体を投げ出す。

 

その瞬間、ジンの視界の端のコンクリート柱の影からもう一つの人影が同じように床へ伏せるのが見えた。漆黒のタイトなタクティカルスーツを身に纏った小柄な少女だ。ジンよりもほんの少し年上に見える。彼女の手元にはホログラムの高速キーボードが展開されており、その指先は恐ろしい速度で電子の文字を刻んでいた。

 

(いつからそこに……!?)

 

ジンが驚愕する間もなく、男のカウントダウンがゼロを迎えた。

 

『プロトコル・オーバーライド――。大掃除の時間だ』

 

刹那ビルの管理システムが完全に狂い狂暴化した。

部屋全体の床下に埋め込まれていた暴徒鎮圧用の対人指向性爆薬が一斉に作動したのだ。

 

凄まじい爆炎と衝撃波が最上階の研究室を内側から吹き飛ばした。

本来であれば侵入者を木っ端微塵にするためのトラップ。しかし爆風は床を這うジンと少女を飛び越え、彼らを包囲していた企業の傭兵部隊の足元で炸裂した。

 

「なっ――、チィッ! 総員退避!」

 

完璧なマシーンだった傭兵たちの声に初めて明確な動揺が混じる。

彼らは咄嗟に青白いシールドを展開したが、予期せぬ足元からの破壊と同時に天井から起動した自動防衛タレットのフレンドリーファイアを受け、その鉄壁の陣形が瞬時に瓦解していく。

 

「クソ……! システムが乗っ取られてやがる!」

 

濃煙と火花が視界を遮り、スマートサブマシンガンの弾道が滅茶苦茶に宙を裂く。

この地獄のような混乱の隙を床に伏せていた少女は見逃さなかった。彼女は流れるような動作で戦闘用バイザーを叩くと、手元で走るコードの山を一瞥しエンターキーを叩きつけるように空間を払った。

 

「戦闘ドローン、1号機の制御を奪取。2号機へ突撃」

 

少女の口から出た命令の直後、企業のドローン一機が不自然に急旋回しもう一機のドローンに向けて猛スピードで体当たりを敢行した。頭上で二つの鉄塊が激しく爆発し炎の雨が床へ降り注ぐ。

 

「まあ、こんなところですか」

 

少女――リリィは、素早く立ち上がった。

彼女自身には企業の傭兵と正面から撃ち合えるような肉体改造も重火器も備わっていない。彼女の本質はハッカーであり、直接的な戦闘力はスラムのゴロツキ以下だ。傭兵の残党が放った盲目の銃弾が彼女の頬をかすめ、白い肌に赤い一文字を刻む。

 

「…ッ! …これだからあの黒幕気取りからの依頼は嫌なんですよ」

 

リリィは急いでデータチップを回収しようとするが、それはすでに気を失いかけているジンの右手のなかに固く握りしめられていた。

 

「…先に回収されていましたか」

 

本来なら彼女が企業の網を潜り抜けてこのチップを盗み出すはずだったのだ。それがこの無鉄砲なスラムのガキが強引にチップを引き抜いてアラートを鳴らしたせいで、自分までこの檻に閉じ込められる羽目になった。

 

リリィはジンから無理矢理チップをもぎ取り一人でダクトへ逃れようとした。だがその瞬間、彼女のインカムに不快な男の声が割り込んできた。

 

『おい、リリィ。そのガキも連れてこい。アマンダには俺から話を通す』

 

「ハァ?状況見えてますか?足手まといを連れてく余裕なんてあるわけないでしょ」

 

『いいから連れてこい。そいつはただのゴミじゃない。お前のボスも泣いて喜ぶ「生きた金鉱」だ』

 

通信の向こうでゲイリーが不敵に笑う気配がした。

リリィは深い溜息をつきバイザーを上げる。その瞳にはゲイリーに対する底無しの嫌悪感が宿っていた。

 

「了解、通信を終了します。地獄に落ちろ、クソ野郎」

 

リリィは携帯していた小型の搬送用ドローンを起動すると、完全に意識を失って泥人形のようになったジンを台車の上に乱暴に放り込んだ。

工程を邪魔された苛立ちを隠さぬままゲイリーが開いたメンテナンス用のハッチへと、滑り込むようにして脱出した。

 

 

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酸性雨の匂いは消えていた。

代わりに鼻腔を突いたのは、安っぽい合成アルコールと、紫煙、そしてどこか甘ったるい香水の匂いだった。

 

ドクン、ドクン、と心臓が波打つたび全身を鈍い痛みが駆け抜ける。特に左脚は感覚そのものが断絶したかのように重く沈んでいた。

瞼は鉛のように重く、指一本動かす体力すら残されていない。ジンは深い気絶の淵に沈んだまま微かな呼吸を繰り返していた。

 

そこは第十三下層区の片隅にある退廃的なキャバクラのVIPルームのソファだった。

傷口には手際よく応急処置が施され止血剤の入ったジェルが焼けた肉を覆っている。

 

部屋の奥、遮音性の高いガラスの向こうからは店内の下品な重低音と客の歓声が微かに漏れ聞こえていた。そのバックヤードの薄暗がりの中で二人の大人が静かにグラスを傾けていた。

 

「――で? リリィを巻き込んでまで連れて帰ってきたのが、そのボロボロの骨董品ってわけ?」

 

低く、絹のように滑らかで、同時に毒を含んだ女の声。

ソファーに対面する革製の椅子に深く腰掛けているのは、この店のオーナーであり女性だけで構成された新興の武力・情報組織『フルール』のボス――アマンダだった。

薄絹のドレスから覗く肢体は妖艶そのものだが、その瞳は下層区のいかなるギャングよりも冷酷に獲物の価値を値踏みしている。

 

「骨董品、ね。確かに見た目は薄汚れた狂犬だが、中身は最高級のプラチナカードになっちまったよ」

 

カウンターに背を預け、琥珀色の液体が揺れるグラスを回しているのはゲイリーだった。

彼はいつも通りの仕立ての良いコートを纏い、取り乱した様子を微塵も見せずに佇んでいる。

 

「今回の『仲介役』の老人が死んで、街の情勢は完全にひっくり返った。老人が持っていた『遺産』――あのデータチップに眠る隠し資産と企業の違法プロトコルを巡って、上層区のメガコーポも、地元の最大手ギャングも全員が血眼になってドブ底をひっくり返している」

 

「ええ。だからこそ私だってリリィを向かわせたのよ。企業の警備を出し抜いて、そのチップさえ手に入ればこの街の支配権すら手に入るんですもの。なのに……」

 

アマンダは長い爪でグラスの縁をチキリ、と鳴らしソファーで動かないジンを冷たい目で見やった。

 

「リリィからの報告を聞いて驚いたわ。あのチップ、プロテクトの仕様がイカれてるって」

 

「ああ」

 

ゲイリーは忌々しげにグラスの中身を飲み干した。

 

「あのクソジジイ、死に際に最高にたちの悪いロックを仕込みやがった。チップの中に眠る暗号データは、『最初にスロットから引き抜いた人間の生体電流・ポートの固有ID』をその場で暗号鍵として強制登録する仕組みになっていた。……つまり、だ」

 

ゲイリーはジンを指差した。

 

「今、あのチップの中身を開くことができるのは世界中でただ一人、そこのガキだけだ。他の誰かがチップを奪って無理に解析しようとすればデータは永久に自己崩壊する。もちろんこいつの脳をポートごと生きたまま繋がなきゃ中身は一ペニーの価値にもならん」

 

「最高ね。十三地区全体がたった一人のスラムの子供に盤面を引っ掻き回されるなんて」

 

アマンダは立ち上がりゆっくりとした足取りでソファーに近づいた。

ジンの青白い顔を覗き込み、その焼け焦げた左脚の痛々しい傷跡を指先でなぞる。

 

「チッ……。こいつが誰の手引きでチップの存在を知って、どうやって企業の目を盗んで最上階まで辿り着いたのかは知らんが完全に計算外だ」

 

「今回は完全に後手に回ったわね。それでどうするの?」

 

「とりあえずはこのガキが死なねえように面倒見ながらチップの修復作業だ。それが終われば認証突破させて俺に所有権を移させる」

 

「ふふ、あははは! 面白いじゃない!」

 

アマンダは愉しげに肩を揺らし、悪戯っぽく微笑んだ。

 

「理由はどうあれ身寄りのない子供の面倒を見るなんて意外ね、ゲイリー。普段は冷徹な顔をして裏社会を操っているあんたがそんなボロボロのガキを匿って看病するなんて……なんだかちょっと父親らしくて新鮮じゃない?」

 

「冗談はやめろ。反吐が出る」

 

ゲイリーは心底嫌そうな声を出し、視線を逸らした。

 

「こいつが目覚めたらすぐに次の『舞台』を用意する。鍵は鍵らしく、俺の計画の通りに動いてもらう。……それに見合うだけの地獄をこれからたっぷりと味わってもらうさ」

 

「ふふ、お手柔らかにね、お父さん?」

 

アマンダの艶やかな笑い声とゲイリーの忌々しげな舌打ち。

大人の冷徹なチェス盤の上で自分の命が「絶対に排除できない駒」として登録されたことも知らず、ジンはただ深く、深い闇の中を彷徨い続けていた。

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