The Reversed Star――逆位置の星――   作:ほいみん

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FGO二次創作長編『The Reversed Star――逆位置の星――』第11話と第12話の間の幕間です。

※独自解釈/女性体オリジナルサーヴァント/ギルガメッシュ×アトラス/本文に文章生成AI補助あり
※掲載イラストは作者による手描きです。

詳しい注意事項・制作FAQ・設定資料はこちら:
【作品案内URL】
https://docs.google.com/document/d/1GdwYLijsN-D6iR4MKAlV2ziDaThI6rrddGUy8nim0KE/edit?usp=drive_link






幕間 王と王の応急処置

 レイシフト事故は、いつも唐突に起こる。

 

 それが事故である以上、予告などない。

 警告が鳴った時にはすでに遅く、座標は乱れ、通信は割れ、視界は白く灼けた。

 

 藤丸立香の声が、遠くで聞こえた。

 

 マシュの叫びも。

 ダ・ヴィンチの制御指示も。

 ロマニの慌ただしい呼吸も。

 

 だが、それらはすぐに砂嵐の向こうへ消えた。

 

 次にアトラスが見たのは、荒野だった。

 

 赤茶けた大地。

 ひび割れた空。

 神代に近い濃度の魔力が、風のない空間に澱んでいる。

 

 地平線は歪み、遠くに崩れた石柱の影が見えた。

 

 隣には、黄金の王が立っている。

 

 ギルガメッシュは周囲を一瞥し、鼻で笑った。

 

「雑な転移だ」

 

 アトラスは、三叉槍を地面に突いた。

 

「事故だ」

 

「同じことよ」

 

「違う。雑さは設計または操作の問題だ。事故は結果分類だ」

 

「その口が動くなら、まだ消えてはおらんな」

 

 ギルガメッシュの赤い瞳が、アトラスへ向く。

 

 アトラスは答えなかった。

 

 紺碧の鎧は、いつも通り燃えるような輝きを帯びている。

 だが、その輝きはわずかに不安定だった。

 

 深海の奥で火が揺れるように、鎧の光が明滅する。

 

 ギルガメッシュは、それを見逃さない。

 

「大洋王」

 

「何だ」

 

「貴様、沈んでいるな」

 

「常のことだ」

 

「違う」

 

 ギルガメッシュの声が低くなる。

 

「今の貴様は、海底ではない。底なし沼だ」

 

 アトラスは、少しだけ目を細めた。

 

「比喩が不快だ」

 

「外れているか」

 

「……外れてはいない」

 

 その言葉を最後に、アトラスの膝が崩れた。

 

 ギルガメッシュの手が、即座に伸びる。

 

 紺碧の鎧が彼の腕に触れる。

 普段なら、城門が外敵を拒むように反応するはずだった。

 

 だが、今は反応が鈍い。

 

 王宮防壁の拒絶層が、一拍遅れて揺れる。

 拒むべきものを拒みきれず、開くべきものを開ききれず、城そのものが深い水圧に沈みかけている。

 

 ギルガメッシュは、アトラスの肩を支えた。

 

「軽いな」

 

「重量の話なら、不正確だ」

 

「霊基の話だ」

 

「……不快だ」

 

「ならば重くあれ」

 

 アトラスは答えようとした。

 

 だが、声が出る前に、視界が一瞬だけ暗くなる。

 

 海底の王宮が遠のく。

 山門の石段が沈む。

 星のない水底へ、身体ごと引かれるような感覚。

 

 ギルガメッシュの手が、彼女を引き戻した。

 

「眠るな」

 

「眠っていない」

 

「消えかけている者の言い訳は聞かぬ」

 

「現界維持に支障が生じているだけだ」

 

「それを消えかけていると言う」

 

 通信機が割れた音を立てる。

 

『――こちら、カルデア! 応答して! ギルガメッシュ王、アトラス、聞こえる!?』

 

 ダ・ヴィンチの声だった。

 

 ノイズが激しい。

 それでも、通信はかろうじて繋がっている。

 

 ギルガメッシュは眉をひそめた。

 

「ようやくか」

 

『座標が分断されてる。二人だけ本隊からかなり離れた地点に飛ばされたみたいだ。

 周辺魔力濃度が高すぎて回収座標が安定しない。今、再接続を試してる!』

 

 続いて、ロマニの声が混じる。

 

『アトラスの霊基状態が不安定だ。

 マスターとの魔力パスがほとんど途切れていて、現界維持に支障が出ている!』

 

 遠くで立香の声も聞こえた。

 

『アトラス!? 聞こえる!?』

 

 アトラスは、かすかに顔を上げた。

 

「聞こえる」

 

『大丈夫!?』

 

「問題――」

 

 言いかけて、ギルガメッシュが遮った。

 

「問題ないと言うな」

 

 アトラスは不服そうに彼を見る。

 

「問題ない」

 

「貴様」

 

『問題あるよ!』

 

 ロマニが叫ぶように言った。

 

『パスがこのままだと、霊基の維持が危険だ。

 応急的に魔力を補う必要がある』

 

 ギルガメッシュの目が細くなる。

 

「方法は」

 

 通信の向こうで、ほんの一瞬だけ妙な沈黙があった。

 

 それからロマニが、明らかに言葉を選びながら言う。

 

『直接的な接触での魔力供給が最も確実だ。

 魔術的には、より密接な接触ほど効率が――』

 

「黙れ」

 

 ギルガメッシュが即座に切った。

 

 通信の向こうで、ダ・ヴィンチが小さく咳払いをする。

 

『まあ、かなり簡略化して言うと、ギルガメッシュ王から一時的に魔力を渡すのが一番現実的だ。

 ただし、相性と許可の問題がある。無理にやると、アトラスの王宮防壁が侵入判定する可能性がある』

 

 ギルガメッシュはアトラスを見る。

 

 アトラスの冷たい血色の瞳は、わずかに焦点が揺れていた。

 

 それでも、彼女は彼を見返した。

 

「治療措置だ」

 

「ほう」

 

「必要ならば、受ける」

 

 ギルガメッシュはしばらく黙った。

 

 いつものように笑い飛ばすこともできた。

 戯れにからかうこともできた。

 

 だが、目の前の王は今、城ごと沈みかけている。

 

 ここで踏み荒らせば、それは勝敗ではない。

 裁定でもない。

 ただの侵入だ。

 

「大洋王」

 

「何だ」

 

「貴様は、それを屈辱と判定しないのか」

 

 アトラスは、わずかに息を吐く。

 

「処置と屈辱を混同するほど、己(おれ)は幼くない」

 

「よく言う」

 

「汝は言った」

 

 アトラスの声は低い。

 けれど、確かだった。

 

「己が鎧を脱いでも、王だと」

 

 ギルガメッシュの表情が、一瞬だけ変わった。

 

 閉ざされた白い部屋。

 扉のない空間。

 十秒の抱擁。

 そして、自分が告げた言葉。

 

 貴様は、我の前で鎧を脱いでも王だ。

 

 アトラスは、その言葉を覚えていた。

 

 記録していた。

 

 そして今、自分の裁定として使っている。

 

「ならば」

 

 アトラスは続ける。

 

「これは敗北ではない。

 屈辱でもない。

 肉体の処置で、王性は損なわれぬ」

 

 ギルガメッシュは、低く笑った。

 

「貴様は、本当に腹立たしい」

 

「何がだ」

 

「我の言葉を、我に返す」

 

「合理的だ」

 

「違う。小賢しいのだ」

 

「不正確だ」

 

「黙っていろ。消えかけの王が」

 

「消えかけてはいない」

 

「ならば立て」

 

 アトラスは立とうとした。

 

 しかし、膝に力が入らない。

 

 ギルガメッシュの腕が、再び支える。

 

 彼は溜息をついた。

 

「見栄を張る余力があるのは結構だ。だが今は不要だ」

 

「見栄ではない」

 

「王の姿勢か」

 

「そうだ」

 

「ならば、王の姿勢を保つために処置を受けろ」

 

 アトラスは沈黙した。

 

 論理としては通っている。

 不快だが、通っている。

 

 ギルガメッシュは、彼女を崩れた石柱の陰へ運んだ。

 

 その動作は傲慢なほど迷いがない。

 だが、乱暴ではなかった。

 

 所有物を扱う手ではない。

 倒れた兵を拾う手でもない。

 王の境界を測りながら、触れるべき場所だけに触れる手だった。

 

 アトラスは石に背を預ける。

 

 紺碧の鎧は、まだ完全には閉じていない。

 王宮防壁が不安定に揺れている。

 

 ギルガメッシュは、その前に膝をついた。

 

 アトラスの眉がわずかに動く。

 

「英雄王。汝の膝が地に近い」

 

「この状況でまだそれを言うか」

 

「記録すべき異常事態だ」

 

「黙れ」

 

「不快だ」

 

「それはこちらの台詞だ」

 

 ギルガメッシュは手を伸ばす。

 

 だが、すぐには触れない。

 

 アトラスの鎧と、肌と、霊基の境界。

 どこからが拒絶で、どこまでが許可なのか。

 

 それを見極めている。

 

「これは施しではない」

 

 ギルガメッシュが言った。

 

「救済でもない。

 我が貴様を憐れむなど、万に一つもない」

 

 アトラスは、かすかに目を細める。

 

「では何だ」

 

 ギルガメッシュは答えない。

 

 アトラスが先に言った。

 

「王と王の、応急処置だ」

 

 ギルガメッシュは笑った。

 

「よかろう。その認識ならば、許す」

 

「お前の許可は不要だ」

 

「今は要る」

 

「不快だ」

 

「ならば早く戻れ」

 

 アトラスは黙る。

 

 ギルガメッシュの手が、彼女の頬の近くで止まる。

 

 冷たい血色の瞳が、彼を見る。

 

「目を閉じるな」

 

「何故だ」

 

「王の処置だ。眠ったまま受けるな」

 

「眠ってはいない」

 

「ならば見ていろ」

 

 アトラスはしばらく黙り、そして目を開けたまま、ほんの少し顎を上げた。

 

 それは許可だった。

 

 明確な言葉ではない。

 だが、王の裁定だった。

 

 ギルガメッシュの指が、紺碧の鎧の境界へ触れる。

 

 鎧が低く鳴った。

 

 王宮防壁が反応する。

 だが、拒絶ではない。

 

 閉じかけた城門が、主の命令を待っている音だった。

 

 アトラスが言う。

 

「接触判定を許可する。

 ただし、不要な侵入は拒絶する」

 

「当然だ」

 

「当然ではない。汝は雑に踏み込む」

 

「雑種と同じ扱いをするな」

 

「英雄王は雑ではないのか」

 

「貴様、治ったら覚えておれ」

 

「記録した」

 

 ギルガメッシュは笑った。

 

 指先から、黄金の魔力が流れ始める。

 

 熱い。

 

 アトラスの霊基にとって、それは火に近い。

 

 火天八紘の、あの青い終末ではない。

 水底を焼く災害でもない。

 

 もっと乾いた、明るい、都市と財と太陽の火。

 

 それが、紺碧の鎧の隙間から、沈みかけた王宮へ差し込む。

 

 アトラスの呼吸が、わずかに乱れた。

 

 ギルガメッシュが即座に言う。

 

「拒むなら今言え」

 

「拒まぬ」

 

「強がりは不要だ」

 

「強がりではない。

 処置は有効だ」

 

「効率で語るな」

 

「効率は重要だ」

 

「貴様は本当に面倒な王だ」

 

「お前もだ」

 

「知っている」

 

 魔力供給は、まだ始まりかけたばかりだった。

 

 しかし、その時、通信が大きく揺れた。

 

『繋がった!』

 

 ダ・ヴィンチの声が飛び込んでくる。

 

『座標再固定成功! マスターとのパスも戻り始めてる!

 アトラス、聞こえる? 君の霊基、安定方向に戻ってるよ!』

 

 ロマニの声が続く。

 

『魔力パス再接続、確認!

 応急処置はもう必要ないよ。回収座標もあと少しで開けるからね!』

 

 ギルガメッシュの指が止まった。

 

 アトラスも、少しだけ沈黙する。

 

 荒野の風が、やっと吹いたような気がした。

 

 ギルガメッシュが低く言う。

 

「……間の悪い連中よ」

 

 アトラスは、静かに答えた。

 

「不要なら、不要だ」

 

「そうだな」

 

 ギルガメッシュの手が離れる。

 

 離れる直前、その指先がアトラスの頬をわずかになぞった。

 

 確かめるように。

 境界を越えないまま、そこにあることを記録するように。

 

 アトラスの瞳が、ほんの少しだけ揺れた。

 

「今のは処置外だ」

 

「確認だ」

 

「何の」

 

「戻ったかどうかのな」

 

「不快だ」

 

「ならば完全に戻れ」

 

 アトラスは、息を整える。

 

 霊基は安定してきている。

 マスターとのパスも細く、しかし確かに戻っている。

 

 沈みかけた王宮に、外から錨が戻ったような感覚。

 

 立香の気配だ。

 

 沈まぬ娘。

 

 あの海底に立ったマスター。

 

 アトラスは、少しだけ目を伏せた。

 

 ギルガメッシュはそれを見ていた。

 

「立てるか」

 

「可能だ」

 

 アトラスは立とうとする。

 

 今度は膝が崩れなかった。

 

 だが、完全ではない。

 

 ギルガメッシュが手を差し出す。

 

 アトラスはその手を見る。

 

「不要だ」

 

「そうか」

 

「……非効率ではある」

 

「どちらだ」

 

 アトラスは、しばらく黙った。

 

 そして、その手を取った。

 

「効率を採用する」

 

「よい判断だ」

 

「評価は不要だ」

 

「ならば聞き流せ」

 

 ギルガメッシュはアトラスを立たせる。

 

 アトラスは立ち上がり、三叉槍を拾う。

 

 まだ少しだけ、身体が重い。

 

 けれど、王は立っている。

 

 ギルガメッシュが言う。

 

「次に己が消えかける時は、もう少し早く言え」

 

「その状況は想定しない」

 

「想定しろ。王ならば、不測も統治範囲に入れよ」

 

「……記録した」

 

「記録で済ませるな」

 

「では、運用項目に加える」

 

「最初からそう言え」

 

 通信の向こうで、立香の声が強く入った。

 

『アトラス! ギルガメッシュ! 聞こえる!?』

 

 アトラスは応答する。

 

「聞こえる」

 

『無事!?』

 

「現界維持は安定した。

 問題ない」

 

『それ、問題あった後の言い方だよね!?』

 

 アトラスは少しだけ沈黙した。

 

「問題は解消された」

 

『やっぱりあった!』

 

 ギルガメッシュが笑う。

 

「沈まぬ娘はよく吠える」

 

『ギルガメッシュ!? アトラスをちゃんと連れて帰ってきて!』

 

「誰に命じている、雑種」

 

『王様に!』

 

「ほう」

 

 ギルガメッシュは愉快そうに笑った。

 

 アトラスは通信を見つめながら、わずかに息を吐いた。

 

「マスターは、沈まぬだけでなく騒がしい」

 

『聞こえてるよ!』

 

「聞かせた」

 

『元気そうでよかった!』

 

 アトラスは言葉に詰まった。

 

 不快だ、と返すには少し遅れた。

 

 ギルガメッシュがそれを見て笑う。

 

「戻ったようだな」

 

「何がだ」

 

「余計な返答に遅れる程度にはな」

 

「不快だ」

 

「よい。いつもの貴様だ」

 

 回収座標の光が、遠くに開き始める。

 

 崩れた石柱の向こうに、カルデアへ繋がる白い輪が浮かんだ。

 

 ダ・ヴィンチの声が響く。

 

『回収座標、安定!

 二人とも、そのままゲートへ!』

 

 ギルガメッシュが歩き出す。

 

 アトラスも続く。

 

 まだ少し、歩幅が乱れる。

 

 ギルガメッシュはそれを見て、何も言わず歩調をわずかに落とした。

 

 アトラスはそれに気づく。

 

「歩調調整は不要だ」

 

「我が歩きたい速さで歩いているだけだ」

 

「嘘だ」

 

「ほう。見抜くか」

 

「山門の記録を開いた後だ。お前の嘘は多少読める」

 

「不遜な成長だな」

 

「成長ではない。記録照合だ」

 

「同じことよ」

 

 二人は光へ向かう。

 

 その少し手前で、アトラスが立ち止まった。

 

 ギルガメッシュも止まる。

 

「何だ」

 

 アトラスは、彼を見上げた。

 

 冷たい血色の瞳に、まだ深海の暗さはある。

 

 だが、今はそこに沈むだけではない光があった。

 

「汝だけならよい」

 

 ギルガメッシュの目が細くなる。

 

「ほう」

 

 アトラスは、言ってから少しだけ沈黙した。

 

 そして、すぐに訂正しようとした。

 

「聞き間違いだ」

 

「許さん」

 

「魔力パス不全による幻聴だ」

 

「我の耳は正常だ」

 

「通信障害の可能性がある」

 

「直接聞いた」

 

「不快だ」

 

「得たとも」

 

 ギルガメッシュは笑う。

 

「貴様は追い詰められると、存外に余計なことを言う」

 

「余計ではない」

 

 アトラスは、そこでまた黙った。

 

 言い直すべきか、取り消すべきか、分類するべきか。

 

 しかし、どれもしっくり来なかった。

 

 ギルガメッシュは、珍しくそれ以上追わなかった。

 

 ただ言った。

 

「鎧を脱いでも、貴様は王だ」

 

 アトラスは、静かに答える。

 

「知っている」

 

「ならば忘れるな」

 

「忘れぬ」

 

 白い光が二人を包む。

 

 カルデアへの帰還ゲートが、荒野の景色を洗い流していく。

 

 その光の中で、アトラスは一度だけ振り返った。

 

 赤茶けた荒野。

 崩れた石柱。

 神代に似た魔力の澱み。

 

 そこには何も残っていない。

 

 ただ、未遂の処置と、触れかけた境界と、返された言葉だけが残った。

 

 光が弾ける。

 

 次の瞬間、二人はカルデアの帰還区画に立っていた。

 

「アトラス!」

 

 立香が駆け寄ってくる。

 

 マシュも、その後ろにいる。

 ダ・ヴィンチとロマニがモニター越しに安堵の息をついた。

 

 アトラスは立っている。

 

 紺碧の鎧を纏い、三叉槍を手に、王として。

 

 立香がその顔を覗き込む。

 

「大丈夫?」

 

「問題ない」

 

「それ、もう信用しないことにしてる」

 

「不快だ」

 

「でも、無事でよかった」

 

 アトラスは少しだけ黙る。

 

「マスター」

 

「何?」

 

「汝のパスは、戻った」

 

 立香は少し目を瞬く。

 

「うん」

 

「錨としては有効だった」

 

「錨」

 

「沈まぬ者だからな」

 

 立香は、少しだけ笑った。

 

「それ、褒めてる?」

 

「観測だ」

 

 ギルガメッシュが横で笑う。

 

「よくよく沈まぬ娘だからな」

 

 アトラスは彼を見る。

 

「お前が言うな」

 

「我が言って何が悪い」

 

「不快だ」

 

「いつものことよ」

 

 少し離れた廊下の先から、何かが決定的に摩耗したような低い呻きが響いた。

 

 誰かが床に崩れ落ちた気配がする。

 

 ダ・ヴィンチがモニター越しに目を細める。

 

『……今、アンデルセンがのたうちまわっている音がしたね』

 

 ロマニが困惑する。

 

『どうして!? 彼、現場にいなかったよね!?』

 

『作家は現場にいなくても何かを察知するんだよ』

 

 エミヤが廊下の向こうを見やる。

 

「あとで水でも持っていくか」

 

 ギルガメッシュが鼻で笑う。

 

「放っておけ、贋作者」

 

「そういうわけにもいかないだろう。廊下で倒れられると邪魔だ」

 

「雑務が似合うぞ」

 

「それは聞き飽きた」

 

 立香は、少しだけ笑った。

 

 張り詰めていたものが、ようやくほどけていく。

 

 アトラスは、その騒がしさを見ていた。

 

 カルデア。

 沈まぬ者たちが集まる、奇妙な場所。

 

 王宮ではない。

 墓でもない。

 海底でもない。

 

 それでも、ここには錨がある。

 

 マスターとのパス。

 盾の娘。

 騒がしい技術者。

 弓兵の観測線。

 

 そして――錨ではないものも、一つ。

 

 黄金の王。

 

 アトラスは、ギルガメッシュを見る。

 

 ギルガメッシュは、何も言わない。

 

 ただ、赤い瞳で見ている。

 

 鎧を脱いでも、貴様は王だ。

 

 その言葉は、もうただ与えられたものではない。

 

 アトラスはそれを使った。

 

 自分の裁定として。

 

 肉体の処置で、王性は損なわれぬ。

 

 そう決めた。

 

 そう決めてなお、未遂で終わった。

 

 だから、境界はまだそこにある。

 

 触れきらなかった距離。

 越えなかった線。

 それでも、変わったもの。

 

 ギルガメッシュが、去り際に言った。

 

「大洋王」

 

「何だ」

 

「次に沈む時は、我に言え」

 

「沈まぬ」

 

「ならば沈みかける時だ」

 

「善処する」

 

「命令だ」

 

「ならば、考慮する」

 

 ギルガメッシュは笑い、踵を返す。

 

 アトラスはその背を見送った。

 

 立香が隣で言う。

 

「アトラス」

 

「何だ」

 

「戻ってきてくれて、ありがとう」

 

「礼を言うことではない」

 

「でも、ありがとう」

 

「不快だ」

 

 そう言いながら、アトラスは目を伏せた。

 

 不快だった。

 

 だが、不快ではないものも混じっていた。

 

 分類はまだできない。

 

 だから、記録だけしておく。

 

 王と王の応急処置は、未遂に終わった。

 

 救済でも、施しでもなく。

 屈辱とも、敗北とも分類されず。

 

 それは、沈みかけた王の境界に、別の王が一時だけ手を添えた記録だった。

 

 海底に火を入れた王と、その火を受けてなお沈まなかった王は、未完のままカルデアへ帰還した。

 

 鎧はまだある。

 城門もまだ閉じる。

 海底は深い。

 

 けれど、アトラスは知っている。

 

 鎧を脱いでも、王は王だ。

 

 そしてその言葉を、もう忘れない。

 




お読みいただきありがとうございます。

しばらくは毎日20時頃に更新予定です。

本作は、序盤〜中盤は王性・関係性・神話解釈を中心に進行します。
終盤にはバトル展開があります。それまでの静けさは、そのための積み上げです。

この作品の興味をもったところは?

  • アトラスのキャラクター性・内面
  • ギルガメッシュとの関係性
  • 王としての在り方・王権のテーマ
  • ストーリーの展開
  • その他
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